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お念仏を申す生活法話

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私のお手次ぎのお寺

2022-05-25
 電話があって初めてのご縁の方が
お寺に訪ねてみえました。

 用件を聞きますと
最近お父さんが亡くなってお葬式をしたが
お遺骨を納骨しようと思っていたお墓を管理する
お寺さんから納骨を断られて
納骨堂を探しているとのことでした。

 お葬式をされたお寺さんに相談すればと言いましたが
今はネット社会でお葬式だけお勤めするお坊さんがいて
後の四十九日の中陰や一周忌に始まる年回の法要は
お勤めしませんということです。
 
 お葬式の時だけのご縁ということで
これはある意味双方共に好都合のことのようです。

 お葬式のお勤めはしてほしいけれども
お寺の門徒や檀家になることについて
一般的に何か警戒感があるように思います。

 お寺との関係でいうと
務め事が多くあって寄付が回ってくるとか
すぐ当面のお金の問題になるということでしょうか
平素はお寺の存在は嫌われているようです。

 浄土真宗のお寺はお手次ぎのお寺といいます。
仏さまのみ教え南無阿弥陀仏のご法義を取り次ぐのが
浄土真宗のお寺のお役目なのです。
 お寺は仏法聴聞お念仏の道場といわれ
南無阿弥陀仏のみ教えを聞かせていただきます。

 お寺参りはお浄土参りということです。
浄土真宗のお寺は阿弥陀さまのお浄土を表します。
 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
この人生をお念仏申して生き抜き
人の命終えてそのまま阿弥陀さまのお浄土に往生して
仏さまと成り後に遺った人たちを護り救うという
おはたらきを始めると聞かせていただきます。

 死んでから後で聞くのではありません。
今こここの私が聞かせていただくお念仏のご法義です。

 阿弥陀さまがこの私を迎え取ると用意してくださっている
お浄土のご縁をお取り次ぎいただくのです。

 大切な方とお別れする悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただき
仏法聴聞させていただくのです。

 これからも大切な人と
お別れして行かねばなりません。
 そしてこの私も命終わる時が来ます。
その時に慌てることなく
安心して悲しみのご縁をそのまま受け入れていけるのです。

 日頃から仏法聴聞のご縁を取り次いでいただく
お手次ぎのお寺があることの安心です。

 一人でも多くの方に仏さまのご縁に遇ってほしいと
お寺を預かる住職の思いいっぱいですが
お寺を取り巻く状況はますます厳しく
これからも変わって行きます。

 わずかな時間でしたが
本堂に上がっていただいてお話をする中に
「こういうところに来るのは初めてです」と
しばらく阿弥陀さまのお内陣の様子を見ていました。

 何か少しでも感じてもらえれば
よかったと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.5.25)


一切の聖教は南無阿弥陀仏の六字のお心

2022-05-24
 今日24日の御文章さまは「一切聖教章」です。

 お聖教といいます。
元はお釈迦さまが説かれたお経さまです。

 お釈迦さまが説かれたといって
自ら筆をとって文字にしたものではありません。
 お釈迦さまが入滅された後
すぐ傍でお釈迦さまのお説法を聞かれた
お弟子さんたちが集まって
「私はこう聞いた」「私はこう聞いた」と
お釈迦さまのお説法を文字にしたものが
お経さまの始まりです。

 この経典はインドの国の言葉で書かれたもので
中国から三蔵法師というお坊さんたちがインドに渡り
経典を中国に持ち帰って中国の言葉漢語に訳されたのが
今私たちが目にしているお経さまです。

 私たちの浄土真宗の所依の経典は
「仏説無量寿経」「仏説観無量寿経」「仏説阿弥陀経」の
浄土三部経です。

 インド中国日本にお出ましになった七高僧さまが
浄土三部経のお心を註釈して伝えてくださって
親鸞さまはお正信偈さまにしたためてくださいました。

 浄土真宗門徒が日々拝読するお正信偈さまですが
漢字で書かれてあり
そのままお心をいただくのは難しいものを
蓮如さまが仮名交じりの口語体のお手紙にして
私たちにくださったのが御文章さまなのです。

 難しい専門用語もありますが
すっと耳に入ってきます。

 そこで今日の御文章さま「一切聖教章」です。

 お聖教は数限りないほどたくさんありますが
浄土真宗阿弥陀さまの本願念仏のお救いの法は
南無阿弥陀仏の六字におさまるというのです。

 お聖教を学問として勉強しないと知識を習得しないと
救われないということではありません。
 お勉強してお経のお心をたずねることの大事ですが
そのお心は南無阿弥陀仏一つということ
阿弥陀さまの本願念仏のお心を聞いてくれよと
私たちに仏法聴聞をすすめられるのです。

 このお朝事のご縁も仏法聴聞のご縁です。
一昨日は宗祖降誕会の法要で
コロナ禍で3年お休みしていますが
バザーをしたりして広く地域の方にも開かれた催しです。

 バザーでお寺参りのご縁をいただいて
お寺の御仏前に座らせていただいて
お聖教を拝読させていただいて
南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただくのです。

 何か繰り返しのようなお寺の法要行事の営みですが
私たちの先人の口から南無阿弥陀仏の声となって
私の耳から聞こえて入り
私の口から南無阿弥陀仏が出てくださるのです。

 本当にすごいお念仏のご法議
南無阿弥陀仏のおはたらきと有難くいただきます。

 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と声に出してお念仏申して
今日の一日を始めさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.5.24)


私の遺影は誰が決める?

2022-05-23
 ご法事のご縁にお参りをして
お茶をいただきながら
仏間に掛けられた写真の話になりました。

 亡くなった方のご遺影です。
「遺影の写真は何歳頃の写真がいいのですか」と
尋ねられました。

 皆さんは自分の遺影にしたいと思っている
気に入った写真がありますか。

 そこに同席された方は
母から遺影にこの写真を使ってほしいと
言われているということでした。
 本人が遺影を決めてくれていたら
後に遺った方もいいですね。

 ただ写真を撮った時分から大分歳をとっているので
今の様子からして雰囲気がちょっと違うといわれます。

 今は写真がたくさんあり過ぎて
何をどう選んでいいのか分からないということです。

 遺影は後に遺った人が故人を偲ぶ縁ですから
何歳の頃といっても
80歳で亡くなった方を40代50代の頃の写真で
偲ぶといってもどうでしょうか。

 80歳でしたら6070歳ぐらいの
元気な時の写真がいいのではと思いますが
大事なことは皆さんが写真を見ることで
先に往かれた方の人生を訪ねて
自分自身の思い出に重ねることです。

 お葬儀のご縁ですから時間がありません。
だったら平素からと思いますが
改めて昔の写真を取り出して見ることはしないものです。

 お葬儀のご縁だからこそと
時間が許すなかで懐かしい写真を見ながら
いろんな思い出話をして
ご遺影を決めたらいいのではないでしょうか。

 たくさんある写真のなかで
ご遺影は一枚です。
 その方が偲ばれる
懐かしいおすがたです。

 自分で遺影を決める手がかりとなる提案です。

 年に一度決めてお正月などに
遺影用の写真を撮るのはどうでしょうか。
 毎年撮ることでより現実味のある写真に
変わって行きます。

 お正月のお寺参りで写真撮影はいかがでしょうか。
お寺にお参りするといったらまだまだお元気です。
 お寺参りがそのままお浄土参りということで
式章とお念珠を身につけて
御仏前で私の遺影の写真撮影です。

 南無阿弥陀仏の大きなご縁です。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2022.5.23)


ギャップイヤー(2013年アーカイブ)

2022-05-22
 昨日テレビのニュースで
ギャップイヤーということを知りました。

 ギャップイヤーとは学生が大学への入学前在学中卒業後
就職するまでの時期に留学やインターンシップ
ボランティアなどの社会体験活動を行うため
大学が猶予期間を与える制度だそうです。

 東大の学長さんが入学式の祝辞に
「大学生活のなかで休学していろんな社会活動に
時間を有意義に過ごすのもいいことだ」と
言われたといいます。

 つまりは一、二年ほど大学を休んで
ボランティアとか職業体験の学習をする時間も
大事だよというわけです。

 何か魅力的な提案だと思うのは学生本人ですが
親にしてみたらこれまで順調に歩んできた人生の道を
踏み外すような提案でとても考えられないと思います。

 日本の社会には
小学校に6年中学校に3年高校に3年そして大学にと
中学高校を卒業して就職される方もいますが
一つ敷かれたレールに乗って学校教育を受けて
立派な社会人になるという
一つの人生の成功モデルがあります。

 それを一つ回り道をしなさいというわけですから
親は真正面から反対するのではということです。

 自分をより深く見つめる時間を
もちましょうということです。
 長い人生の中で回り道というけれども
そうした体験を踏まえて生きていくことが
豊かな人生につながるというのでしょう。

 今拝読の御和讃は「大経讃」といって
親鸞聖人が真実の教といわれた
「大無量寿経」のお心を讃嘆する御和讃です。

 大経に説かれる阿弥陀仏のご本願48願のなかの
第18願は阿弥陀仏の真実他力の念仏往生の願で
どんな人も南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
分け隔てなく救われて往く道が説かれてあると
親鸞さまは他力の念仏をすすめます。

 その48願のなかで今日拝読の御和讃は
第19願第20願を讃嘆する御和讃でした。

 第19願は諸行往生の願で
自力で善根を修め浄土に生まれて
さとりを開こうとする仏道で
善行を積むことをすすめます。

 第20願は自力の念仏往生の願で
お念仏申して浄土に生まれてさとりを開く仏道で
称名念仏をすすめます。

 この第19願から第20願そして第18願と
これを三願転入といって
親鸞さまの比叡山でのご修行は
まさに第19願第20願のご修行であり
29歳の時に比叡山を下りて法然聖人に出遇い
第18願の他力念仏のご本願に遇われたといわれます。

 三願転入と往生浄土の仏道を歩む
一つのコースみたいですけれども
仏道を歩むのはその人人であり
人人それぞれにいろんなご縁があって
親鸞さまにとっては
「ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべし」と
よき人法然さまの仰せにしたがい
南無阿弥陀仏にそのまま信順して
お浄土への道を歩んで往かれたということです。

 回り道であっても道草しても
往く先は阿弥陀さまが決めてくださった
お浄土一処と聞かせていただき
それぞれの人生それぞれの歩みですが
お浄土への人生をお念仏申して共々に
歩ませていただきたいと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2013.5.22)


人間に生まれて南無阿弥陀仏のご法義に遇わせていただく(2010年アーカイブ)

2022-05-21
 今日5月21日は新暦の親鸞聖人のお誕生日です。
旧暦では4月1日といいます。

 誕生日は人それぞれ違いますが
皆さんも私もこの人間界に誕生しました。

 お釈迦さまは生老病死の四苦とおっしゃって
生苦とは生まれる苦しみです。
 苦の元々の意味は思い通りにならないということで
生まれるということは思い通りにならないというのです。

 あの人のように生まれたかった
こんな人だったらよかったのになどと思っても
あの人ではなくこの私でした。

 この私を今日もこうして生きています。
老病死といいますが
私たちは日々変化して生きているというのです。

 昨日の私、今日の私、明日の私と
それぞれ違って同じではありません。

 この私を生きて死んでいきます。
この命終わって人間死んだらお終いといいますが
私たちは生死の迷いを繰り返して
この命終わっても次に人間界と同じ
地獄餓鬼畜生修羅人間天上の六道のどこかに生まれ
ずっと迷いの境涯を輪廻転生していくと仏法は教えます。

 生まれ変わるのです。
でも私の思い通りに生まれ変われるものではなく
迷いの世界に生れて
生死の迷いの苦しみから逃れることはできません。

 親鸞さまは生死の迷いを超えて生きて往く道を
法然さまから南無阿弥陀仏の仏道と
お聞かせいただきました。
 阿弥陀仏の本願を信じ念仏申さば
浄土に生まれて仏に成る浄土真宗のみ教えです。

 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
この迷いの人生を生き抜き
命終わってそのままお浄土に往生して
阿弥陀仏と同じさとりの仏に成らせていただくのです。

 お念仏を申して今こここの私を
お浄土への人生を生かされて生きて往くのです。

 昨日の私と今日の私は違いますが
今日のいのちに生まれたということです。
 明日のいのちに生まれて往くということです。
南無阿弥陀仏のいのちを生きているのです。

 こんな私は嫌だあの人のようになりたいと
思う私がどこかにあるかもしれませんが
私のいのちをそのまま抱き取ってくださる
南無阿弥陀仏の大悲のおはたらきの中に
私は私でよかったといえる人生を
全うさせていただくのです。

 南無阿弥陀仏のおはたらきをいっぱい頂くなかに
今日の私に生まれさせていただきました
今日の私を生き切ることができましたと
お念仏を喜び申して生きてまいりましょう。

 生きることは老いることで病むこともあります。
そして最後はこの命終えていかねばなりません。
 そのことだけをいうと
これほど苦しく辛く悲しいことはありませんが
どんな状況にあってもいつも阿弥陀さまがご一緒です。
そしてこの私を慈しみお育てくださる
ご先祖有縁の仏さまがいらっしゃいます。

 お念仏申してこの人生を共々に生かされ生き切って
いよいよ阿弥陀さまのお浄土に
生まれさせていただくのです。

 南無阿弥陀仏の有難いご法義に遇わせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2010.5.21)


円光寺
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