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お念仏を申す生活法話

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皆既月食は次のお楽しみです

2021-05-27
 雨の中を皆さんようこそお参りです。
昨日の夜は皆既月食があると早くから報道があって
楽しみにしていた方も多かったと思いますが
残念ながら天気予報通りに曇りそして雨になって
大分では皆既月食を観ることができませんでした。

 ただ東北地方では観えたようで
テレビで美しい皆既月食の天体ショーを
観ることができました。

 皆既月食は満月がすっぽり地球の影に入ることで
数十分間欠けていく現象です。
 世界各地の言い伝えのなかに
怪獣が月を食うと言われる話があって
怪獣を追い払う儀式が残っているといいます。

 皆既月食だけではなく
大自然の現象営みは今始まったことではなくて
太陽を中心とした銀河系の宇宙ができて以来
人類が誕生するずっとずっと遠い遠い
遥か昔からのことです。

 これらの現象を私たちの先人は
どう見られたのでしょうか。
 親鸞聖人が生きた平安鎌倉時代にも
皆既月食があったと思いますが
今のような科学的な証明は全くありません。

 満月が欠けることは不吉な現象で
天変地異もそうです。
 台風が吹き荒れ長雨になって地震が起きて
疫病が起こるといったことです。

 こうした天変地異が起こるのも何かの仕業と
不安に思い神仏に祈り疫病退散の修業を
したのでしょうね。

 自然現象のことは現代は科学で解明されてきました。
こうしてこうしてこうだよと説明すれば
子どもでも分かることです。

 昨日の皆既月食は3年ぶりのことで
この後は1年半後といいます。
過去のことも未来のことも分かるのです。

 人間の知識の賜物科学の力です。
分かるから安心できるということです。

 ただ人間の知識で分かるといって
宇宙全体の真理でいうと
人間が分かっているのはどれぐらいのことでしょうか。
 ほんの僅かなことしか分かっていなくて
分からないことが殆どだと思います。

 このたびの新型コロナウイルスのことです。
変異株が次々にできて
まだまだ分からないことばかりです。
 早く収束してほしいと誰もが思いますが
これも分からない。
 一年経ったら大丈夫と言われて
一年後が今のこの通りです。

 そして一番といっていいほど分からないのが
人の心です。
 心の中を覗き込むこともできませんが
こればかりは全くといっていいほど分かりません。

 隣の人の心ばかりか
自分で自分の心が分かるかといって
ここが一番あやしいのです。

 心ころっころっと何か微笑ましい言い方ですが
とんでもない。
 心に何を思うのかその時々で瞬時に変わって
心に思うことが言葉になり行動になって
大変なことになってしまうこともあります。

 自分の思いをそのまま相手にぶつけたら
それこそつかみ合いの喧嘩になったり
周囲のみんながスーッと
背を向けて遠ざかることにもなってしまいます。

 人間とは人と人との間を生きる社会的存在で
人それぞれが自分の思い通りに生きようとすると
そこに人々の苦悩がついてまわります。

 自分の思い通りにならないと怒り悩み迷う私がいると
ありのままの私のことを見抜かれた阿弥陀さまが
「まかせよそのまま救う」と
南無阿弥陀仏のおはたらきです。

 私をそのまま受け入れ
寄り添ってくださる仏さまです。
 自分中心のはからいにとらわれ
ああやこうやと思うなかに
人を傷つけ損なうことがたくさんあるお互いです。
 逆に人の心を慮ってやさしい言葉をかけ行動するのも
また私たち人間です。

 お念仏を申すとは阿弥陀さまの真実の鏡に
我が身をさらけだすということです。
 我が身をそのまま照らし出し救うてくださるお心を
そのまま聞かせていただきましょう。
 そして私にできる精いっぱいのことを
今日も一日させていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.27)


「村八分」の裁判

2021-05-26
 昨日中津の裁判所で
「村八分」の裁判の判決があったという報道です。

 宇佐市の14戸の集落で十数年前に兵庫から実母の
介護でUターンした農業の男性が起こした訴訟で
自治区は男性が住民票を移していないのを理由に
構成員と認めず共同で「断交」を決議し
市報の配布や冠婚葬祭の連絡を中止したといいます。

 判決は元自治区長らに「村八分」の扱いを受けたとして
損害賠償の支払いを命じ男性の訴えを認めました。

 昔からの集落の中のことで何がそこで起こったのか
具体的には色々あってその見方も様々だと思います。

 報道の文面だけでみますと
小さな集落という濃い人間関係で
人と人とが生活するなかで
「よそ者」扱いされ排除されたといいます。

 今の時代にあって村八分という
実態が残っているのです。
「あんたと口を聞いたらみんなから怒られる」と
やさしく対応すれば今度は自分が村八分になると
学校のいじめに重なります。

 学校のいじめ問題については
学校に行かなくてもいいとか
転校を指導することも多いと聞きます。

 ところが生活の居場所の集落のことは
家族や仕事もあり一生そこで生活することが前提で
どこかに移住すればいいという話にはならないのです。

 その集落で生まれ育った人が同じ集落の人から
よそ者と言われ排除され差別されるのです。
 色んなことがあったということでしょうが
いたたまれませんね。

 裁判で判決が下りましたが
裁判が本当に人間関係を修復する解決になるかというと
疑問です。
 判決後男性は「地区は判決を真剣に受け止めて
行事や祭事への参加を認めてほしい」と話していますが
難しい問題が残ると思います。

 今は何かといえば裁判で決着をつけるといわれます。
裁判は今の問題を一歩前に進める手段だとは思いますが
人と人との関係が改善されるのは
双方がお互いを敬い
真摯に向き合っていくなかでのことです。

 人と人との関係が深くなればなるほど
愛憎も深くなります。
 自分の思いを言葉に行動でぶつけたら
それこそ周りから人が引いていきます。
 そこはお互いに押したり引いたりしながら
あまり波風を立てないようにうまくやってるわけですが
集団で人間関係を断絶するっておかしなことです。
 愚かですよ。

 人と人という個々の人間関係では
あいつは苦手だなあ嫌だなあという人がいますし
今までにもあったと思います。
 ただ一緒に色々やっていくなかで
あいつは本当はいい奴だったと見方も変わるのが
自分を中心とした私たちのものの見方です。

 仏さまから見ると本当に愚かな私ですが
そんな私が心配で心配で放っておけないのです。
 何でそんなに我を張り意地を通さねばならないのって
相手も嫌だし自分も嫌でしょうと見てくださるのです。

 阿弥陀さまはこうしなさい
こうしてはいけないとは言いません。
愚かな私のありのままを見抜かれて
そのまま救うとおはたらきの仏さまです。
 南無阿弥陀仏とお念仏申して
阿弥陀さまのお慈悲に甘えなさいまかせなさいと
おっしゃるのです。

 生きづらいこの世の中にあって
私のことを本当に思うてくださる方がいらっしゃると
私にできる精いっぱいのことをさせていただくなかで
人と人とのご縁つながりを大切にして
「人間に生まれて同じ集落に生きてみんなに会えて
本当によかった」と感謝して
命終える人生でありたいと思います。

 村八分といって
八分の残りの二分は火事と葬儀の共同作業です。

 村八分の家から火事が起こって放っておいたら
自分の家が延焼してしまいますから
火事は共同で消さねばなりません。

 そしてお葬式です。
色んなことがあったけれども
最期はみんなで送っていきましょうと
集落のみんなが御仏前をはこんで
集落のみんなでお葬式をしたものです。

 人間の情です。
自分中心に生きる愚かな私たちですが
仏さまのご縁にみんなつながってあることを
有難く思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.26)


お浄土往きの南無阿弥陀仏の船に乗って

2021-05-25
 今日お葬式があってこの一週間で3件続きます。
これまで一か月以上ずっとなかったのですが
お葬式が続くと言うとちょっと嫌がられます。

 昔から言われているという話に
人が亡くなってあの世行きの船が出るが
まだ空きがあって乗る人を待っていると言われます。
 次は誰かという話になって
心当たりを探すというのです。

 お正信偈さまのなかに
「顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽」
(難行道は苦しい陸路のようであると示し
 易行道は楽しい船旅のようである)と

 お念仏の仏道を陸路ではなく船路の旅と喩えて
学問修行を自力で積み重ねていく聖道門の仏道は
陸路を一歩一歩踏み越えて行くようなもので難行であり
お念仏の仏道はお浄土往きの阿弥陀さまの大きな船に
乗せていただきそのまま連れて行ってくださる他力の仏道で
船路の旅のように易行であるというのです。

 阿弥陀さまの船に乗るといって
命終えてからのことではなく
今すでに乗らせていただいているという
阿弥陀さまのお救いのご法義です。

 ただ船に乗っていても私たちはどこか歩いてます。
この日々の日暮らしです。
 船の中を歩いても自分の思う所に行けるわけではなく
船が連れて行ってくださる所に行くわけです。

 私たちがどんな歩み方生き方をしようとも
阿弥陀さまの大きなおはたらきの中にあるというのです。
 南無阿弥陀仏のおはたらきです。
南無阿弥陀仏とお念仏を申して往くお浄土です。

 来月6月の掲示伝道のことばです。
「お念仏一つで 人の命終えて そのまま 
仏のいのちに 生まれる」と書かせていただきました。

 お念仏一つでとは
阿弥陀さまの「必ず救うまかせよ」の
南無阿弥陀仏のおはたらき一つによるということで
私がというはからいを一切はさまず
阿弥陀さまにまかせるというのです。

 阿弥陀さまにすべてまかせて
生死の始末をつけていただき
連れてゆくぞのお浄土往きの船に乗って
お念仏申してこの人生を生き抜き
人の命終えてそのまま阿弥陀さまのお浄土に生まれて
仏のいのちに成らせていただくのです。

 往生浄土の道すがらを
お朝事のご縁にご一緒にお念仏申して
今日一日を始めさせていただき
私にできる御恩報謝のおつとめを
精いっぱいさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.25)


「好きなことをやっている人間」って誰のこと?

2021-05-24
 俳優の田村正和さんが亡くなったことが報道され
追悼番組で田村さん主演のドラマが再放送されています。

 何といっても古畑任三郎でしょうが
昨夜は松本清張原作の『疑惑』を観ました。
 社会派のドラマで色々と考えさせられる
テーマがありましたが
コロナ禍で日々の生活に困窮されている方が多い中で
芸能関係の方のお話が今朝の新聞にありました。

 映画演劇音楽も上映公演中止を余儀なくされていますが
生計の手段を失った舞台人が支援を求めた際に
「好きなことをやっている人間に税金を使う必要はない」
という声が寄せられたといいます。

 芸能関係といって一本のドラマを作るにも
出演する俳優さんばかりでなく私たちの見えないところで
制作に関わっている裏方さんがたくさんいらっしゃいます。
 そういう方々のおかげで私たちは映画演劇音楽を楽しみ
心を豊かにしてもらっているのです。

 コロナ禍でなくてもぎりぎりの生活をしている
芸能関係の方を皆さんはどう見られますか。

 自分は家族を養うために毎日地道に働いているのに
地道に働かないで好きなことをやって
生活に困っているって自己責任とでも言うのでしょうか。

 昨日は大相撲が千秋楽でした。
大関朝乃山がコロナ下で好きなことをやって
途中休場になりこの後も数場所出場停止になって
十両幕下まで落ちるかもしれないという報道です。

 阿炎という力士をご存知でしょうか。
コロナ下での規則を破ったことで幕下まで落ちて
今場所幕下で全勝優勝しました。

 照ノ富士はケガや持病で序二段まで落ち
そこからずっとはい上がって
来場所は角界の最上位の横綱取りです。
 まさに実力の世界ですが
番付がものを言います。

 阿炎は厳しい処分で幕下まで落ちることが分かって
「引退する」と言ったそうです。
 番付一つで上下関係が決まる大相撲の世界では
幕下以下はもう人間ではないような扱いだそうです。

 そのことを承知で引退すると言ったのですが
周囲の説得で思い止まったといいます。

 私たちの人生は思い通りにいかないことが多くあって
悩み苦しむ私をそのまま受け止めてくれて
親身に寄り添ってくれる人がいるといいですね。
 ところが私たちはお互いに自分のことで精いっぱい
生きることで精いっぱいで
すぐ傍で苦悩する人を思いやることが中々できません。

 阿弥陀さまはそんな私たちを見抜かれて
すべての人が分け隔てなく救われる
南無阿弥陀仏の法を成就されたのです。

 お念仏のお救いは死んでから後のことではなく
今の救いです。
 今の救いといって私が困っている状況が
一夜にして思い通りになるという教えではありません。
 この身のことはそんなに変わりませんが
私のすぐ傍に私のことをそのまま受け止めて
ご一緒してくださる仏さまがいらっしゃるという教えです。

 その仏さまは阿弥陀如来さまですが
私たちのご先祖有縁の仏さまです。
 この身そのまま受けとめてくださって
必ず救う南無阿弥陀仏とおはたらきなのです。

 こうしなさいこうしてはいけないと言われて
その通りにできない私です。
 頑張れ頑張れと言われても
頑張れない私がいるのです。

 そんな私をすべてご存知の阿弥陀さまは
南無阿弥陀仏とお念仏を申してくれよと喚ばれて
南無阿弥陀仏とお念仏を申すところ
「私がいるよ大丈夫だよ」と
自分の思い通りにできない時も頑張れない時も
いつもご一緒してくださるのです。

 今日の最初の御和讃です。
「十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし
   摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる」
(数限りないすべての世界の念仏するものを見通され
 摂め取って決してお捨てにならないので
 阿弥陀と申しあげる)と
阿弥陀さまがいつも私に寄り添いご一緒くださるなかに
今日一日もお念仏申して生き抜かせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.24)


5月のさわやかな朝です

2021-05-23
さわやかな円光寺の朝です(2021.5.23.6:00)
 今年は各地で早い梅雨入りで
ここのところずっと雨模様の天気が続いていましたが
今日はさわやかな朝になりました。

 6時の梵鐘を撞きに外に出ます。
ちょっとヒヤッと感じる外気に触れて心地よいです。
 朝日が東の空にすーっと昇って光り輝いています。
青空がいっぱい広がっています。

 大自然の恵みの中に
日暮らしさせていただける有難さです。

 皆さんは毎日同じ時間に家を出て
お寺にお参りされますが
いつもこんなさわやかな天気の日ばかりでは
ありませんね。
 冬は暗くて寒く夏は暑くと
雨の日も風の日もあります。

 「早起きは三文の徳」と言われますが
今日のような天気にあうことは
これ以上ない贅沢だと思います。

 徳といって楽しみです。
早起きの楽しみです。

 決まった時間にこれをしなければならないというと
何か億劫でつらく苦しく感じることにもなりますが
させていただく楽しみと
いただいたらどうでしょうか。

 楽しみが喜びになります。
自分だけの楽しみではなく隣のあなたの楽しみにあり
みんなの楽しみになれば喜びも大きくなります。

 「お天気でよかったね」と語り合う人が傍にいて
「あなたに会えてよかった」「みんなに会えてよかった」と
喜んでいける世界が広がります。

 阿弥陀さまのお念仏の世界です。
南無阿弥陀仏「いつも私が一緒だよ」と
喚んでくださる阿弥陀さまのお念仏の声を聞かせていただき
「あなたに遇えて本当によかった」と
仏さまとご一緒に生きていけるのです。

 今日は日曜日で平日はお仕事の方も
お家に居ていつもと違う時間を過ごされることでしょう。
 どんな日でも南無阿弥陀仏と私に寄り添ってくださる
仏さまとご一緒に生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.23)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
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