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お念仏を申す生活法話

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お念仏の声が届いていつの間にかこの身が覚えてしまうのです

2021-05-22
 「中々お経を覚えられません」というお話です。
歳を重ねるにしたがって忘れることは多くあっても
覚えることは聞いてもすぐ忘れてしまうといいます。

 その点子どもは羨ましい程すぐ覚えてしまいます。
私たちも子どもの頃はそうではなかったでしょうか。

 何故っと聞かれて子どもは邪心がないというか
すーっと素直に聞いて素直に声に出してと
そこに覚える秘訣があるようです。

 人生経験を経るなかでいろんなことを知って覚えて
私たちは理屈が先に立つようになります。
 頭で覚えようとして素直に「はい」とならないのです。
ちょっとしんどくなります。

 お念仏一つで救われる浄土真宗のみ教えは
頭で覚える教えではありません。
 南無阿弥陀仏と声に出してお念仏が耳に入り
心に届いて私の口からお念仏の声が出てくださるのです。

 声に出すと身が聞いているというのです。
身に聞かしておればいつの間にか身が覚えてしまい
お念仏申す身にさせていただくといいます。

 今日もお正信偈さまを大きな声でお勤めできました。
声に出します。声に出すと耳に入ってきます。
私の声であり隣の人の声です。
 そしてその声が心に通じてこの身につくといます。
頭で覚えるのではなく身が覚えるのです。

 頭で覚えることならば
お寺の本堂に皆さんこの時間にお参りしなくても
家で読んで覚えたらいい話です。
 声に出さなくて黙読で目で読んでいいのです。

 御仏前に座って声に出して読むことで
そのまま耳に入りいつの間にか
この身が覚えてしまうのです。
 お念仏申す身にさせていただくのです。

 親鸞聖人が届けてくださった多くのお言葉の中に
「偶々行信を獲ば遠く宿縁を慶べ」とあります。
 行信を獲るとは南無阿弥陀仏の身になるということです。

 お念仏申す身になるのに私がこの世に生まれる前の
遠い遠い昔からの宿縁があったというのです。
 過去を振り返ればいろんなことがありましが
多くの方々のお育てをいただいて
お念仏申す身にさせていただいたというのです。

 ご一緒にお勤めができるなかに
この身そのまま救うと阿弥陀さまのおはたらきが
南無阿弥陀仏となってこの口から出てくださると
喜ばせていただき
阿弥陀さまの大きなお慈悲につつまれて
今日一日も安心して生かされて生きることができるのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.22)


お葬儀の悲しいご縁ですがそのまま仏さまのご縁といただきましょう

2021-05-21
 昨日お葬式がありまして
今日またお通夜で明日がお葬式です。

 一か月程お葬儀がなかったのですが
重なるように何件が続く悲しみのご縁です。
 亡くなった方は日頃からよく知っている方もいれば
あまり知らない方もいて
初めてのご縁で全く会ったことがない方も
いらっしゃいます。

 そのご家族でいいますとなお知らない方が殆どですが
この悲しみのご縁で臨終勤行、お通夜、お葬式
そして初七日、七日七日のご縁、満中陰と
何度も何度もご縁をいただきます。

 大切なお方とお別れする悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただきましょうと
お取り次ぎさせていただきます。

 阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のお救いのお話です。
先に往かれた方はお念仏のお救いのおはたらきで
阿弥陀さまのお浄土に往き生まれて仏に成り
すぐさまこの世に還って来るというお話です。

 大切なお方は死んだらおしまいではなくて
仏さまとなって還ってみえるというお救いです。
 還ってみえるといっても
人の命は終わりましたから
懐かしいお姿をさがしても
この目に見ることはかないません

 南無阿弥陀仏とお念仏を申しましょうとお話します。
南無阿弥陀仏とお念仏を申すところに
南無阿弥陀仏のおはたらきの仏さまとなって
還ってみえてると聞かせていただくのです。

 それを信じるか疑うかということですが
そのまま聞かせていただき
お念仏申しましょうとお取り次ぎします。

 よく知ってる人もあまり知らない人も
全く知らなかった人も
そのご家族でいったら知らない人がたくさんいますが
みんな南無阿弥陀仏の大きないのちに
つながっているのです。

 お念仏のご縁つながりです。
仏さまのご縁をいただいていよいよ
お念仏のご縁つながりの有難さ尊さを思います。

 お念仏を申すなかに今までもつながっていたのですが
これからもずっとつながっていくということなのです。

 仏さまのご縁に遇ってお念仏申す身になってくれよと
先に往かれた仏さまの願いです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.21)


あんのん館でお葬儀のお勤めをします

2021-05-20
 昨日お朝事の後で電話がありまして
ご門徒の方が亡くなって
まだ葬儀社が決まっていないということで
相談してお寺で通夜葬儀を行うことになりました。

 今日はあんのん館でお葬儀をお勤めします。
あんのん館でのお葬儀は初めてですが
今は家族葬が一般的でコロナの時期ですから
遠方からのご親戚のお参りもないことで
昨日のお通夜も今日のお葬式も家族5人のお参りです。

 葬儀社が入るといっても必要最低限のことです。
お通夜の前に葬儀社の方は帰られ
司会等もなく私がご法事のようにお勤めしました。

 これからのお葬儀のあり方を思います。
いろんなお葬儀の仕方があっていいし
お葬儀やお墓のあり方とかそれぞれにご相談して
個別にやっていくことだと思います。

 お寺からこうしなさいということでは
お家お家の事情で中々対応できないところがあって
お寺離れや門徒離れということにつながると思います。

 要は日頃からそうした相談ができるお寺に
なっていくことだと思います。
 昨日は偶々お寺にまず連絡があって対応できたのですが
今は皆さんで葬儀社を決めているところが殆どです。

 もう一つはネットで調べて皆さんでほぼ決めたところで
お寺に連絡がありこうしてくださいと言われることです。

 お寺とご門徒さんの関係はお念仏のご縁つながりで
中心はご本尊の阿弥陀如来さまです。
 お念仏のご法義み教えを聞かせていただくなかに
先に往かれたご門徒さんを
阿弥陀さまのお浄土に送らせていただけるのです。

 南無阿弥陀仏で送り送られるのです。
そして南無阿弥陀仏と還って来られるのです。
 南無阿弥陀仏のつながりのなかに
お念仏申す私たちの日々の生活があることを
日頃から聞かせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.20)


私の立ち位置でものの見方が違います

2021-05-19
 昨日総代会をしました。
3年後の住職継職法要の記念事業についての協議で
まずお寺の住職坊守新院から思いつくところを
提案させていただきました。

 新住職へのバトンタッチの機会に建物の点検補修です。
外観をきれいにと本堂の外壁そして
山門鐘楼の道路添いの外壁の化粧直しの提案です。

 総代さんから山門鐘楼の外壁が
哀れなほど汚いというご指摘をいただいて
今朝梵鐘を撞くときに改めて見ました。

 鐘楼の内側の壁が苔むしたように汚れて
すごいことになっていました。
 通りに面した外壁は何とか見れますが
やっぱり汚れています。

 建物は年月が経つとどうしても傷んできますし
汚れも目立ってきます。
 ちょっと大掛かりな作業になりますが
多くの客人を迎える大きな法要のご縁がチャンスです。

 この継職法要を思い立ったのが5年前です。
その時記念事業として真っ先に思ったのが
本堂の銅板の屋根の修復でした。

 屋根に鉄錆が流れるように筋をつけて目立って汚いと
毎日お寺に向かう道を歩いているご門徒さんの指摘でした。
 建築会社に勤めていた方ですぐ目についたのでしょう。
こういうことになっていますよと言われて見て
えっあっひどいってことです。

 継職法要を勤めるのに何とかしなければと
銅板の葺き替えを提案しましたが
その経過は文面でご門徒皆さんにお知らせした通りで
何度も会議を開き建設関係の門徒さんにも相談して
協議の結果総合的に判断して難しいということで
本堂屋根の修復を断念したことです。

 外から見る目で分かる気がつくということです。
私たちお寺の者はお寺の内に住まいして
内に居ると外から見る目が届かない難しさです。

 逆にこのお寺の中で生活していると
生活している者にしか分からないところがあります。

 立ち位置ということです。
どこに立っているかでものの見方が違ってきます。
 その人人の立ち位置でものの見方が違いますが
大事なことは自分一人のものの見方で
全てを判断してはいけないということです。

 内から見る目も正しいし
外から見る目も正しいのです。
 それらのことを総合的に見て今何をすべきかと
今から種々協議をしていきましょうということです。

 お寺のことを言ってくれることの有難さを思います。
お寺に対する思いがあるからです。
 わが家を見るような思いです。
皆さんのお家のことだったら
大事なところが見えるし分かるし直さなければいけないと
自分の問題になるわけです。

 総代会で皆さんに今お寺で問題になっている
課題を共有してこれからの対応を考えていただくことです。
 人生経験もありお寺への思いが一杯ある皆さんですから
気づいたところを何でも言っていただき共に考えて
一つ一つできることからやっていきたいと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.19)


戦争は愚かな私たち人間のなせる罪悪業です

2021-05-18
 イスラエルとパレスチナ自治区ガザ地区で
激しい空爆の応酬が続いています。
 双方でやられたからやり返すといった
報復合戦です。
 ミャンマーも国軍と市民との間で
不安定な状況が続いています。

 この地球上で一日として戦争のない日はない
とまでいわれます。

 戦争って誰がするかといって
自然発生的に起こるものではありません。
 私たち人間のなせる業です。

 お釈迦さまは「怨みに報いるに怨みをもってしたならば
ついに怨みの息むことがない」を言われます。
 どこまでも怨みのとどまるところがない敵対関係は
継続され時として殺し合うことになるのです。

 大きな国と国との戦争の話だけではありません。
私たちの日々の生活にもそうした憎悪の悲劇が繰り返され
戦争の小さな芽はいくらでもあるのではないでしょうか。

 あいつがこいつがと憎しみ合って
それこそ倍返しではありませんが
そうした心根がどこかに見え隠れするだけで
嫌ですね。

 本当に良いことって一つもないんです。
勝った負けたと喜ぶ人のすぐ傍に
悲しみに打ちひしがれた人がいて
怨み憎しみが残るのです。

 トランプさんは米国大統領として
国際政治のうえでは非常に評判が悪かったけれども
自分から戦争を仕掛ける人ではなかったといわれます。
 トランプさんの頭の中は常に経済至上で
自国の利益自分の利益だったといいます。

 パレスチナで今起こっている映像を観て
皆さんはどう思いますか。
 大きなビルが一発のミサイルで
見事に破壊されるのです。

 戦争は破壊です。
建物だけではありません
自然環境の破壊であり
そして人間なのです。

 建物は建て直すことができます。
ただし長い時間と多額の費用が掛ります。
 もったいないことです。
トランプさんの視座はここです。

 映像には泣き叫ぶ子どもがいます。
女性がいます老人がいます。
 住む家を無くし大切な家族を亡くして
いつ飛んでくるか分からない爆撃の恐怖に
不安におののく市井の人たちです。

 戦争を仕掛ける国のリーダーや軍人は
「国を守る国民を守る」と言って
本当は何を守ろうとして
今どこで何をしているのでしょうか。

 今の戦争は昔の時代劇や西部劇であった
1対1で侍がガンマンがお互いに名乗って
切り合い撃ち合い殺し合いをするのではないのです。

 ハイテク戦争といわれます。
自分の命はしっかり担保されるなかで
命令一つボタン一つで何かゲームのように
ミサイルを飛ばし人一人の命が
血を流し涙を流して死んでいくのです。

 建物はリセットできますが
人の命はゲームのようにはリセットできないのです。
 人それぞれの人生があり
誰からも殺されたくないし殺したくないのです。

 こんな話は誰から言われなくても
みんなが生きることについて
みんな基本的に分かっていることです。

 分かっていて何で戦争をするのかと聞くと
それはねこういう歴史が背景があって
正義は私たちにあり
みんなの命を守る正義のために戦争をするのだよと
双方の有識者は自己弁護の理屈を
朗々と述べるのでしょう。

 戦争は私たち人間の最も野蛮で最も愚かな行為です。
誰一人として殺されたくない殺したくない
人に生まれた命を精いっぱい輝かせて
今を本当にみんなと一緒に生きたいのです。

 愚かな私の心根は
どこまでも自分を中心に生きることにあります。
本当のことが本当に分かっていないこの私のことです。
 自分自身のこの命が一番大切なように
同じように隣の人も自分が一番大切なのです。

 自他ともに心豊かに生きる社会の実現に貢献すると
私たちの宗門(浄土真宗本願寺派)は
お念仏の活動に取り組んでいます。
 みんなが一緒に共に生きる共生社会です。

 すべてのものを分け隔てなく必ず救うと願われ
南無阿弥陀仏となっておはたらきくださる
阿弥陀さまの本願念仏のお救いの法に
日頃から聞かせていただくことの大事を強く思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.18)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
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