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お念仏を申す生活法話

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六七日のご縁です

2024-02-20
 母が往生して六七日のご縁です。
大切な人とお別れする悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただける有難さです。
 
 先にお浄土に往かれた方は
今は仏さまとなって私たちの迷いの世界に還って来て
私たちを護り救う
南無阿弥陀仏のおはたらきをしてくださっていると
浄土真宗のみ教えを聞かせていただきます。

 お仏壇の向かって左上方にご安置の
本願寺八代目宗主蓮如上人のお話です。

 ご開山親鸞さまと左右に並んで
ご本尊の阿弥陀如来さまを拝んでいるお姿です。
 浄土真宗を開かれたのが親鸞さまですが
そのみ教えを全国津々浦々に伝えてくださったご功績で
蓮如さまを本願寺中興の祖と仰ぎ敬います。

 七日七日のご縁に親鸞さまのご著作である
『正信偈和讃』をお勤めしますが
このお勤めを浄土真宗の日常勤行として
僧侶も門徒もご一緒にと始め勧められたのが
蓮如さまです。

 大変画期的なことでした。
お経を読誦お勤めするのは僧侶の役割と
思ってらっしゃる方が多いのではないでしょうか。
 
 お経をお勤めすることは
そのままお経に説かれた教えを
聞かせていただくことです。
 お経は本来お釈迦さまが説かれたものですが
お経のお心を親鸞さまが記された『正信偈和讃』も
私たちは同じように聞かせていただきます。

 先に往かれた方に聞かせるのではありません。
先に往かれた仏さまが
この私に聞かせていただくご縁です。
 僧侶だけでなく門徒も有縁の方々も
聞かせていただくのです。

 私の声に称えて申すお念仏です。
そのまま南無阿弥陀仏と聞こえてきます。
「われにまかせよ 必ず救う」の
阿弥陀さまのお喚び声です。

 私が声に称えることで
お経のお勤めがお念仏が身近なものになります。
 そのお念仏の声が隣の人有縁の人に届いて
子や孫の次の世代へとつながってきたのです。

 悲しいご縁ですが
御仏前に座りご一緒にお念仏申させていただきます。
 お念仏のご縁に遇って
南無阿弥陀仏のお心おはたらきをいただき
往生浄土の人生を歩んでほしいと
親鸞さま蓮如さま先に往かれた仏さまの
お念仏のご催促と有難く聞かせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.2.20)

日頃から気持ちをもってていねいに(2011年アーカイブ)

2024-02-19
 今日は土曜日で週末といいます。
一週間はいつから始まるのか
月々のカレンダーを見ると
日曜日であったり月曜日であったりします。

 会社勤めの方や学校に通う子どもたちには
一週間は月曜から始まって週末の土曜日日曜日は
休みということでゆっくりできるということでしょう。

 ただ土曜日曜が忙しい方もいらっしゃいます。
その中の一人がお寺であります。
お寺は土曜日曜にご法事が集中します。
 という意味ではお寺のお坊さんは
一般の皆さんとは違う時間帯を生きている
ということにもなります。

 先日お坊さん同士の話で
何か運動をしているかという話になりました。
 野球やサッカーをしているという話ですが
中々みんなと時間が合わないというのです。

 皆さんが時間がある時はお寺は忙しくて
お寺が時間がある時には皆さんは仕事だといったことです。
 人人の思いは一つ共通したものがあっても
それを一つの行動にまとめるのは本当に難しいということです。

 それぞれの生活ぶりが違うなかにあって
お互いの気持ちを合わせていくことは大切なことだと思います。
 ただ単にその日は都合が良い悪いというのではなく
一つの大きな行事、お寺でいえば大きなご縁には
じっとしていてご縁に遇えるかというと遇えないんですね。

 気持ちをもってそこに体をはこぶということが大事です。
寺報『ようこそ』を発信していますが
2,3号前に「日頃から気持ちをもってていねいに」
という見出しで書かせていただいたことです。

 一つは日頃ということです。
日頃から心掛けておくことが大事です。
 でも日頃といって
いつでもお寺参りしなければならない
ということではありません。

 もう一つは気持ちをもってということです。
気持ちがないと中々出来ません。
 気持ちをもって、気持ちを合わせて
そしてていねいにということです。
 ただ事務的にするのではなくて
一つ一つていねいにしていくということです。

 そういうなかでご縁ができるということです。
ご縁というのは独りよがりではありません。
 人と人とのつながりです。
否大いなるいのちのつながりといってもいいです。

 そういう人と人
いのちのつながりのなかに
今のこの私があるということです。
 そしてこれからもあるということです。

 その中心に私たちは
南無阿弥陀仏のお念仏をいただいています。
 南無阿弥陀仏とお念仏を申して往けよと
「一人じゃないよ。私がいるよ、大丈夫だよ」と
阿弥陀さまのお喚び声です。

 そうした私を育ててくれた有縁の方々
今は仏さまと成ってらっしゃる方々
大きないのちのおはたらきのなかに
生かされてあるとまた聞かせていただくなかに
日頃から気持ちをもってていねいに
どうぞお念仏のご縁に遇わせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2011.2.19)

「御文章さまっていいですね」(2011年アーカイブ)

2024-02-18
 ある在家の女性の方とお話するなかに
「御文章さまっていいですね」と言われました。

 その方は福岡県の豊前という
お念仏のご法義の篤い地域のご出身で
浄土真宗のお家に生まれ
おばあちゃんから
お仏壇の阿弥陀さまにお参りしなさいと
言われて育てられてきたそうです。

 お参りしなさいと言われたことが
若い時は素直に受けとめられず
反発することもあったが
今になって有難く思えるといいます。

 おばあちゃんが仏壇にお参りしたときに
決まって御文章を拝読していたというのです。
 御文章は本願寺第八代宗主の蓮如上人が
親鸞聖人が開かれた浄土真宗お念仏のみ教えを
わかりやすくお手紙にして
全国各地のご門徒衆に出されたもので
お念仏のご縁に拝読します。

 お寺のお朝事のご縁に毎朝一通ずつ
御文章さまを繰り読みさせていただきます。
 今は日々拝読する御文章が決まっていますので
皆さんの耳にもスーッと入ってくるのではないでしょうか。

 その都度その都度その意味を
たずねていくことではありませんが
毎朝拝読するなかにそのまま
蓮如さまのお心を味わわせていただくことです。

 お正信偈さま、御文章さまと
私の声ですけれども
そのまま阿弥陀さまのお喚び声
親鸞さま蓮如さまのお念仏を勧める尊い声と頂いて
今日一日を始めさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2011.2.18)

「仏法には油断あるまじく候」(2011年アーカイブ)

2024-02-17
 昨日のNHKテレビ『ためしてガッテン』で
高血圧を治す薬が取り上げられていました。

 ずっと観ていました。
何か体の具合が悪くなると
そうしたものに自然と目がいく耳がいくといいますか
興味がわいてきます。
 わらをもつかむ思いというか
そういうものに引き付けられます。

 その道の権威という先生の言葉であったり
高い低いの具体的な数値に引き付けられます。
 人それぞれに違うはずなんですが
やはり理想的な数値が気になるところです。

 数値を検分するのに検査をします。
誰でも検査はしたくないもので尻込みしますが
検査をしないと悪いところが分かりません。

 検査の前になって
自分の生活を改めるってこと
ありませんか。

 ある方は
一年一度の検査の一週間10日ほど前から
本当に生活を節制するそうです。
 それでいつも検査の結果がいいといってましたが
その方は若くして病気になって亡くなりました。

 日頃から節制というか
生活をたしなむことは大事なことで
誰しも頭では分かっていますが
これが難しい。

 これぐらいいいだろうと
ついつい油断してしまうのが
この私の有り様です。

 私たちのご法義です。
仏法聴聞こそ肝要といいますが
「仏法には油断あるじく候」と先人は教えてくださいます。

 一回仏法を聞いて
分かった、知った、大丈夫と
そこに座り込んでしまっていることがあります。

 仏法聴聞は常々のこと
「われにまかせよ 必ず救う」の
今こここの私におはたらきの阿弥陀さまのご法義ですから
今ここで聞かせていただくことが肝心要なのです。

  「仏法には明日と申す事あるまじく候」ともいわれます。
 昨日聞いておけばよかったということでもありません。

 どこかに油断が生じるのが
私たちの習いのようです。
 だからこそ
検査しなさい、常に点検しなさいというのでしょうか。

 検査を進んですることは嫌ですが
検査があって節制する、気をつけることってあります。
 そんなに暴飲暴食しているわけではありませんが
生活をたしなむ、振り返ることの大事です。

 日々のことですが
油断する、忘れることもまた人間です。
 でもそうした私たちを放っておけず
付いて離れずいつでもどこでも「まかせよ 救う」と
南無阿弥陀仏となっておはたらき続けてくださる
阿弥陀さまがいらっしゃることを
また有難く頼もしく思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2011.2.17)

「私にまかせてください」(2011年アーカイブ)

2024-02-16
 昨日タレントの間寛平さんが出演された
テレビ番組を観ました。

 二年かかって一日50キロの行程で地球を一周する
アースマラソンに挑戦する企画で
つい先日日本にゴール帰ってきたということですが
その最中、前立腺がんという重い病気に罹って
アメリカで手術をされたことが話題になっていました。

 異郷の地で不安な中での大手術です。
再々「嫁さんが」と奥さんのことを話されていましたが
「嫁さんが治してくれる」と信じていたと言われます。
 勿論奥さんはお医者さんではありませんが
間平さんのことをいつも心配してそばに寄り添ってくれた
奥さんの存在の大きさです。

 もう一つ言われたことは
これまで病気一つしたことがない寛平さんが
がんという重い病気を宣告され入院手術することで
100%うまくいくかどうか不安でいっぱいだったなかで
執刀医のお医者さんに初めて会ったときに
「私にまかせてください」と言われたといいます。
「私にまかせてください」
その言葉を聞いた時に本当に安心できたといいます。

 「私にまかせてください」
そうです、私たちの阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のお心です。
「私にまかせてください」といって
阿弥陀さまが阿弥陀さまの声で
私に言うことではありません。

 お念仏は阿弥陀さまのお喚び声といいます。
今日もお念仏が私の口から出てくださいましたね。
 南無阿弥陀仏「私にまかせよ」「私にまかせよ」と
何度も何度も「私にまかせよ」と喚び続けてくださいますが
喚ばれる私はどうでしょうか。

 どうかすると阿弥陀さまに背中を向けているような
私たちの日々の生活ぶりではないでしょうか。
 そんな私に阿弥陀さまは
「言うことを聞かない者はもう知らない」と
あきらめるのではなく
いよいよ飽くことなく何度も何度も
「私にまかせよ」「私にまかせよ」と喚び続け
「必ず救う」とはたらき続けてくださっているのです。

 南無阿弥陀仏とお念仏を申せるようになったのは
私の手柄ではありません。
 阿弥陀さまのおはたらきがこの私に至り届いた
すがたなのです。

 南無阿弥陀仏の大きなお慈悲の中に生かされるなかに
今日も色んなことがあるでしょうが
「われにまかせよ 必ず救う」の
南無阿弥陀仏のお心おはたらき一ついただいて
生き抜かせていただくことができるのです。
 これほど頼もしい、これほど力強い、これほど有難い
お念仏のご法義に今遇わせていただいているのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2011.2.16)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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