浄土真宗本願寺派(お西) 浄華山 円光寺(大分県大分市)

 

お念仏申す生活法話

 
フォーム
 
4月1日新年度の始まりです
 4月1日です。年度初めです。
新しい年度になって新たな気持ちで新生活をスタートするということで
新入社員新入生のフレッシュマンが社会に飛び立つ時です。
 フレッシュマンに限らず私たちも一つ心を入れ替えてこの一年を始めましょう。
 
 始めるということについてはお正月があります。1月1日の元旦です。
元旦に一年が始まるということを朝日が昇る初日の出にイメージします。
 この4月の年度初めはやっぱり桜かなと思います。
入学式で満開の桜の花が新入生を迎えてくれるイメージです。
 気持ちを晴れ晴れと一新してこの一年の新生活を始めるということです。
 
 一年の始まりは正月元旦であったり新年度4月1日であったりですが
一月の始まりはこの1日、一週間の始まりは月曜日でしょうか
そして一日の始まりはこのお朝事です。
 
 毎月1日の御文章さまは「聖人一流章」をいただきます。
原点に返るということをいいますが
蓮如上人はこの「聖人一流章」に浄土真宗の肝要をお示しくださっています。
 
 今はコロナウイルスのことで毎日何かを引きずっているような状況で
いつもの新年度に入った感覚ではありませんが
新年度がスタートしました。
 お念仏を申すなかにこの一年この一月この一日を大切に生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.1)
 
志村けんさん「だいじょうぶだあ」
 志村けんさんが亡くなりました。びっくりしました。
コロナ感染で入院されたとは聞いていましたが
亡くなるということまでは大方の皆さんが思っていなかったのではないでしょうか。
 コロナ感染の恐ろしさを思います。
 
 志村けんさんは日本全国老いも若きも皆さんよくご存知の芸能人で
ドリフターズのメンバーとして有名でした。
 私が高校の時を思い出します。
家と学校との往復だけの生活の中で当時は日曜だけが学校が休みで
その前日の土曜日が本当にゆっくりできる時間それも8時でした。
 家族が一堂にテレビの前に集まってそれぞれ笑いニヤニヤしながら
「8時だよ!全員集合」を観ていました。
 
 その当時荒井注さんがドリフの中でも独特な個性で人気があったんですが
私が大学を卒業する頃ドリフの人気も陰りがみえてきて
荒井さんがメンバーを抜けることになり代わって入ったのが志村さんでした。
 何かこれでドリフも終わりかなと思ったものでした。
 
 ところが志村さんの加入でドリフは新境地を開き
志村さんは瞬く間に人気者になり加藤茶さんとの二大看板でしばらく「8時だよ!全員集合」は続き
その後も個性的な才能を随所に発揮してずっと芸能界の第一線で活躍されてきた志村さんの死です。
 
 お兄さんのコメントを聞くとつらく悲しいです。
2月に親族で古希のお祝いをして以来ずっと会っていないといいます。
病院にお見舞いにも行けなかったし亡くなっても会えないというんです。
 亡くなってもウイルスの感染者なのです。
半透明の袋に密封され棺に入れられてそのまま火葬されるといいます。
そして遺骨も拾えないというんです。
 何か本当に悲しいですね。
多くの皆さん私たちに笑いを届けてくださった方が最期は一人も見送られることなく逝くのです。
 
 今日の御文章さまです。
人間のはかないありさまを、生あるものは必ず死に帰し盛んなるものは結局は衰えてゆくと説かれます。
どんな人も逃れることのできない無常のことわりのなかに生きているというのです。
 それも死の縁無量で老少不定です。
老いたものから先に順番で死んでいくのではなく
どんな形で死んでいくのかわからない選ぶことはできないのです。
 
 志村さんのギャクに「だいじょうぶだあ」があります。
私たちの阿弥陀さまは「大丈夫だ」と喚んでくださりいつも私に寄り添いご一緒してくださる仏さまです。
 大丈夫でない私がそこにいるから「大丈夫だ」と喚びかけてくださるのです。
いつでもどこでも阿弥陀さまのお慈悲の光明の中に摂め取られて救われて往くのです。
 
 志村さんの死を悼む町の声に「これで若い者もコロナの恐ろしさに気づくのでは」とありました。
若い人も「今まではコロナといって自分には関係ないと思っていたが身近になりました」と殊勝にこたえていました。
 志村さんも一人の人間ですがその人が周囲に与える影響は大きなものがあると思います。
 
 先の御文章は生まれ難い人間に生まれて仏法に遇わせていただくことの有難さを説かれます。
南無阿弥陀仏のお念仏のお救いの法です。
 どんな状況にあっても「大丈夫だ」とお念仏の声となり
阿弥陀さまがいつでもどこでもご一緒です。
 お念仏申しましょう。
お念仏のお心を聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.31)
 
南無阿弥陀仏に安心して私にできることをさせていただきましょう
 昨日は東京で32年ぶりの雪だったそうです。
桜の時期で何か風情があることのようですが
今東京は花見の名所が立ち入り禁止になって映像を観ると何とも寂しい限りです。
 お花見の人が賑わい満開の桜が一段と華やぎます。
 
 昨日百か日のお勤めがありました。
12月下旬にご往生された方のご縁です。
 ちょうど中国の武漢で新型コロナウイルスが確認された頃だと思います。
当時は遠い中国のことと決めつけて見ていたことが
百日経って収束どころがどんどん感染が拡大し今は世界中の脅威になっています。
 
 諸行無常の教えです。
この世のすべての事柄は日々刻々と移り変わり止まることがないといわれます。
 私の都合の善いように移り変わることもあれば悪い方向に移り変わることもあり
人間の力ではどうしようもできない今回の事態です。
 
 ただただ収束を待つのみでもどかしさがあり不安になりますが
そんな私に阿弥陀さまは寄り添ってくださいます。
 お念仏申しましょう。
阿弥陀さまはいつでもどんな状況にあってもご一緒くださってあるのです。
 
 今日の御文章さまに阿弥陀さまがこの私を救おうとお浄土を用意くださってあるとありました。
お浄土から南無阿弥陀仏のおはたらきで「我にまかせよ必ず救う」と喚んでくださっているのです。
 先の見えない不安をかかえ苦悩する私をそのまま救うと
大きなお慈悲の光明の中に摂め取ってくださってあるのです。
 
 南無阿弥陀仏に安心して私にできることをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.30)
 
墓じまいの御礼のお勤めです
 昨日は2件のお家の墓じまいのお勤めをさせていただきました。
墓地のお墓からお遺骨を納骨堂に移すということで改葬といいます。
 
 墓じまいや仏壇じまいということを聞くことが多くなりました。
何か仕舞うというとそれで終わりということですが
お遺骨の居場所が変わるということです。
 
 ご本尊の阿弥陀如来さまをお供して
お墓の前でお御礼のお勤めをさせていただきました。
 お墓でもお仏壇でもこんなときに
魂を抜くとか魂を入れるとか言われますが
誰が何をもって魂を抜いたり入れたりするのでしょうかね。
 そもそも魂って一体何でしょうか。
 
 これまで長い間ご先祖のお遺骨をお守りしてくださり
仏さまのご縁をいただいたお墓に御礼をする大きな節目のご縁です。
 一件のお家はご法事のようにたくさんのご親族有縁の方々がお参りされて
大変にぎやかでした。
 
 お遺骨の居場所は変わりますが
お参りされるときはナンマンダブツナンマンダブツとお念仏申すことに変わりはありません。
 
 阿弥陀さまのお浄土に先に往かれたご先祖を偲び
同じお浄土に生まれさせていただくお念仏のみ教えを聞いて
南無阿弥陀仏の大きな大きないのちのつながりのなかに
これからも共々に日暮らしさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.29)
 
お花見は来年もできますよ
 先日大分で桜の開花宣言がありましたが
九州では鹿児島が一番遅かったといいます。
 これも異常気象によるものなのでしょうか
東京は先週から桜が満開ということで多くの花見客があったそうです。
 
 今週明けからずっと小池東京都知事をテレビで拝見します。
オリンピックのことも大変でしたが今はコロナウイルスです。
 先の連休が終わった途端ガラッと変わった緊張感の中で
爆発的感染とか首都封鎖とかすごい言葉が飛び出しました。
 
 今日明日の週末の外出は控えてほしいとの自粛要請です。
今は花見の絶好の時期です。
 東京の花見の名所はことごとく閉鎖です。
閉鎖したら花見に出かけることもないだろうということですが
昨夜今朝のニュースを観ても若者を中心にたくさんの人が街に繰り出しています。
 
 昨日NHKテレビにノーベル賞の山中伸弥教授が出演して
「桜は来年も帰ってくるがコロナウイルスで命を亡くした人はもう帰ってこない」と言っていました。
 そうなんです。分かっていますが
分かっているといって自分は大丈夫という私がいるということです。
 このたびのコロナウイルスの事だけではなくて
実は私は大丈夫私は大丈夫というところに一番の落とし穴があるのです。
 
 大丈夫でない私がいると見抜かれたのが私たちの阿弥陀さまです。
大丈夫じゃない私がいるから南無阿弥陀仏となって私のところに来てくださって
大丈夫でない私をそのまんま救うとおはたらきなのです。
 南無阿弥陀仏「まかせよ救う」と喚んでくださるのですから
「はいおまかせします」とそのまま聞かせていただきましょう。
 
 自粛といってこれもいけないあれもいけない全部いけないといっているのではありません。
この一大事にお念仏申して阿弥陀さまのお心を聞かせていただき
私にできることをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.28)
 
今朝6時の梵鐘をつけませんでした
 朝起きていつもの事をするのですが
今日は不思議な体験というか
いつもの時間に起きて洗面をして仏さまにお仏飯をお供えしてお線香を炊き
本堂を開けて庫裡に戻り鐘をつきに行こうと思って時計を見たら6時8分でした。
 いつもより10分遅れていました。
それで今日は梵鐘をついていません。
 
 空白の10分一体何をしていたのだろうと
いつもの事を一つ二つ三つと思い返しても心当たりがありません。
 今でも何とも不思議な感覚です。
 
 何か考え事をしていていつもする事がゆっくりになったのではと坊守は言いますが
テンポがゆっくりといって10分は結構長い時間です。
 
 そういうなかにもこの時間いつものように皆さんご一緒にお朝事のお勤めができました。
何か安心します。安心できます。
 
 私たちはこうしてこうしてこうなってほしいという思いで日々生活していますが
そういうことってほぼありません。
 自分の思いはそうでも私一人で生きているのではなく
そこに皆さんそれぞれが思いをもって生きているということで
自分の思い通りにはいきません。
 
 仏法を聞かせていただくと
自分一人ではなく皆さん共々に生きているなかに実は安心できているということです。
お互いに生かされているということなのです。
 
 私が私がと自分に力が入るからこんなはずじゃなかった思い通りに行かなかったと
ある時には落ち込んだりある時は周りのものを責めたりすることもあるのです。
 
 コロナウイルス感染の脅威の中にも
私たちは生きています。
 お互いにいつもの生活ではありませんが
共々に生きています。
 
 いつでもどこでもどんな状況にあってもご一緒くださる阿弥陀さまです。
南無阿弥陀仏のお念仏を依りどころに今日も一日生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.27)
 
南無阿弥陀仏のお念仏の鏡です
 昨日大分の桜の開花宣言がありました。
お寺の境内のしだれ桜も数日前から開花ということですが
何かいつもと違います。
 何でもコロナウイルスの影響といってしまってはいけないのですが
何か春を迎えるお花見に行こうという気分になれません。
 
 ただもう春は来ています。
そろそろ身支度をして外に出ろうということになるといいなあと思います。
 
 自粛といいます。
ある意味自分を見つめることかなと思ったりします。
 自分を見つめるといってどんな見方で私たちは自分を見るのでしょうか。
自分で自分を見るということでしょうが
どうしても自分に甘くなる見方になってしまいがちです。
 
 仏法を聞くことを仏法の鏡を見ることと言われます。
南無阿弥陀仏のお念仏の鏡をいただきます。
 こうして皆さん仏さまの方に身を向けてますよね。
仏さまの鏡にあっているのです。
 
 朝起きて鏡を見ます。
外出する時も鏡を見ますね。
 鏡を見て髪をとぎ顔を整えます。
直すのです。
 鏡を見ないとこの顔自体は見えないわかりません。
鏡を見て顔にご飯粒がついていることに気づいて直すのです。
 
 南無阿弥陀仏の鏡本願念仏のみ教えです。
お念仏の鏡にありのままの私が映し出されます。
 私が私がと自分中心に生きて苦悩する私を知らせて
そのままお念仏申す私に直してくださるのです。
 
 お念仏の携帯の鏡がついて離れず私にご一緒です。
ナンマンダブツとお念仏申して今日も一日阿弥陀さまと共に生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.26)
 
東京オリンピックパラリンピックの延期が決まりました
 昨日東京オリンピックパラリンピックが1年延期になったというニュースです。
最近ずっとテレビは終日コロナウイルス感染のことでオリンピックは聖火リレーはどうなるのかと
ああだこうだと意見百出でしたが
責任ある立場の人同士の電話会談で一つの方向性が決まって
関係者特に選手の皆さんはほっと一息ということでしょう。
 中止になるとの懸念がありましたが中止ではなく延期ということです。
 
 今いろんな行事がお寺の行事も中止になっています。
延期ではなくて中止です。
先が見えないということでの中止です。
 
 私たちのいつもの行事とオリンピックでは大分意味合いが違います。
お寺の行事でいえば今年の彼岸会を中止しても来年また彼岸会はやってきます。
 お彼岸の時期は決まっていて延期ということは考えられません。
3月のお彼岸の頃に勤める彼岸会を4月や5月に延期しますといってピンときません。
 
 昨日は小学校の卒業式が多かったようです。
卒業式は中止ということはありません。
 卒業式はその人にとっては一生一度のことなのですから。
 
 卒業式をどのようにするかの工夫です。
テレビで昨日の卒業式の様子を観ましたが
私たちがイメージする卒業式からいえば変則です。
 コロナウイルスの感染防止のためです。
親御さんは式の会場に入られないとか
クラスごとに時間を分けて卒業証書の授与があったところもありました。
 それぞれです。
 
 9年前東日本大震災の時もちょうど卒業式の時期で
とても卒業式ができなかったという状況でしたが
落ち着いてから随分時間をおいて卒業式をしたところもありました。
 
 工夫です。
私たちが生きるということもそうだと思います。
 こうしなさいああしなさいこうしないといけないこうするべきだと言われたら窮屈でたまりません。
そしてみんながみんな言われたようにできるはずがありません。
 
 それぞれなのです。
それぞれの生き方それぞれの生活ぶりがあって
それぞれの私をそっくりそのまま引き受けてご一緒してくださるのが阿弥陀如来さまのお救いなのです。
 
 「南無阿弥陀仏をとなうれば」で始まる現世利益和讃を今日明日といただきます。
「この世の利益きわもなし」と続きます。
 お念仏にこれ以上のご利益はないというんです。
それは病気治癒とか商売繁盛家内安全といった自分の都合に合わせたご利益のことではなく
私がこの世に生まれてきた意味が明らかになるということなのです。
 
 人の世に生まれて阿弥陀さまの本願念仏のお救いの法に遇わせていただくということです。
お念仏申す身にさせていただいて南無阿弥陀仏の大きないのちに支えられ護られ生かされて
今日の一日も往生浄土の人生を生き抜かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.25)
 
私の都合あなたの都合みんなの都合
 東京オリンピックパラリンピックの開催について
延期を含めた話に入るということです。
 
 この社会の事柄は何についても一人でできることはありません。
そこに二人三人と人が入ればそれぞれの都合があります。
 その事柄が大きくなればなるほど今回のオリンピックでいえば
世界中の都合を思いはかってのことで
こっちを立てればあっちが立たずで中々物事が決まりません。
 
 ただ決めなければなりません。
10人が10人ではありませんが大方皆さんが「ああそうやな」と納得できる形で
政治の世界では根回りというのでしょうか
関係者の方々に連絡を取りながら決定するということです。
 
 コロナウイルス感染が急に身近なものになりました。
予定していたことを変更しまた変更するという事態です。
 先行きが見えない不安が判断を難しくします。
そして私の都合が大きくなります。
 
 私たちのこの社会生活はお互いが生きているということです。
今5人の方が円光寺の本堂にいらっしゃいます。
 この時間この場所に皆さんの思い一つに阿弥陀さまのご尊前に座ってらっしゃることです。
皆さんの都合が合ったのです。
 
 みんながいつでも一つになればということですが
そのこと自体も私の思い私の都合です。
 思いが一つになるそれぞれの都合を合わせることの難しさです。
 
 家庭生活の中もそうだし地域社会の中でも会社組織の中でも
自分の都合を言い張っていくばかりではうまくいかないし
時には他の人の都合に合わせることでお互いに思い合って共々に生きていくということでしょう。
 
 仏さまのご縁に遇って皆さんと共々にお朝事のお勤めができて
今日の一日をまた始めさせていただくことを本当に有り難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.24)
 
私のお寺です
 今日で春のお彼岸の期間が終わります。
先程梵鐘をついて本堂の方を見ると本堂の入口の電気がついていました。
朝6時の時間も周囲が明るくなって本堂に戻って電気を消しました。
 今からいよいよ明るくなってきます。
 
 昨日まで三連休という方もいて東京のお花見の風景をテレビで観ました。
コロナ対策での外出の自粛は少し弱くなった感がありますが
宴会は禁止ということでいつもとは違ってそれぞれにお花見を楽しんでいるようです。
 
 大分は今大変です。
次から次に感染者が出てそれもこのすぐ近くの病院でのクラスターということで
コロナ禍が急に身近になりました。
 今は我慢の時辛抱する時だといわれます。
ただこれがいつ収束するのかわかりません見通しが全くと言っていいほどつきません。
 この緊急事態にあって私にできることをさせていただく
日々の営みを思います。
 
 先日はお彼岸のお中日のお勤めをさせていただき
久しぶりにご門徒有縁の皆さんにお会いできましたが
やむなく中止せざるをえない今の状況です。
 このお朝事も中止かどうかという話になるのかもしれませんが
本来お寺はいつも開いているところです。
 何の行事でということではなく
どうぞ皆さんご縁ご縁にふらっとお参りに来てください。
 
 自粛自粛で何かどこかここかすべてが閉ざされていたら
それこそ行き場のない私になってしまいます。
 その私にここにあなたの居場所があるよと用意してくださってあるのが
このお寺、皆さんのお寺、私のお寺なのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.23)
<<円光寺>> 〒870-0108 大分県大分市三佐3丁目15番18号 TEL:097-527-6916 FAX:097-527-6949