本文へ移動

お念仏を申す生活法話

RSS(別ウィンドウで開きます) 

往って来ます

2024-01-13
 お寺の本堂阿弥陀さまの御尊前で
お葬儀のお勤めをさせていただき
火葬場に出棺します。

 本堂から山門に続く参道を
棺をお供して山門をくぐり霊柩車に乗せます。

 野辺の送りです。
昔は「南無阿弥陀仏」の御旗を先頭に
葬場から火葬場まで歩いて行ったそうです。

 葬送といい送るのです。
この目で見るのは火葬場ですが
阿弥陀さまのお浄土に送ります。

 お念仏申して「往ってらっしゃい」と送り
「往って来ます」と送られます。

 私たちの日々の生活の中でも
「いってらっしゃい」「いってきます」と
何度も声を交わして家人を見送り見送られます。

 行く所がお互いにわかっているから
安心して見送り見送られるのです。

 棺が行くのは火葬場ですが
お念仏のご法義をいただくと
私たちが命終わって往くところを
阿弥陀さまはお浄土と決めてくださっている
という教えなのです。
 
 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
お浄土に往生し仏に成らせていただきます。

 「いってきます」は
行って帰って来るという意味で
行きっ放しではありません。
 再び家に帰って来ることで
安心して見送れるのです。

 「往って来ます」とは
お浄土に往って仏さまと成って
迷いの衆生を救うために
この世に還って来るのです。

 南無阿弥陀仏のおはたらきです。
「浄土にうまるる因も果も 往くも還るも他力ぞと
ただ信心をすすめけり」(しんじんのうた)

  悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただいて
仏法聴聞しお念仏申す身にお育ていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.13)

賑やかに通夜のご縁です

2024-01-12
 お通夜は夜伽(よとぎ)ともいいます。
お伽話(おとぎばなし)ということで
夜を通してお話をするご縁といわれます。

 小さい頃、お母さんやお祖母ちゃんが添い寝して
お伽話を読んでくれる中にすやすやと眠りについた
思い出がありませんか。

 通夜勤行のお勤めの後で通夜振る舞いという
親族有縁の方が残って会食する習わしです。
 近くに住んでいる親戚縁者でも
日頃は滅多に会うことはなく
「久しぶりです。お元気ですか」に始まり
近況についての話から
先に往かれた方の話になります。

 ああやったこうやったという懐かしい話ですが
お酒も入り気分も砕けてくると
今だから言える聞ける話も披露されて
「そんな話始めて聞いた。知らなかった」ということで
盛り上がります。

 しめやかな悲しみのご縁ですが
賑やかなご縁でもあります。

 御仏前に有縁の方が多く集まり
ご一緒にお勤め仏法聴聞させていただく
仏さまのご縁です。

 振り返れば色んなことがあった人生です。
楽しいことも嬉しいことも
苦しいことも悲しいことも
自分の都合で良かった悪かったということですが
どんなときにも阿弥陀さまがご一緒してくださる
南無阿弥陀仏のいのちの物語です。

 お念仏のみ教えに遇えて
あなたに遇えて本当によかった
「いい人生だった」と聞かせていただきます。

 人の命終えてお浄土の仏さまとなり
これからも私たちにご一緒してくださいます。

 南無阿弥陀仏のいのちの物語は
これからもずっと続きます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.12)

お悔やみにまいる

2024-01-11
 母が昨日午前に病院で命終え
懐かしいお家に帰ってきました。

 ご遺体を庫裏の仏間にご安置して
お導師に臨終勤行のお勤めをいただき
早速近隣のお寺さんがお参りにみえ
主な親族がかけつけます。

 昨日の夕方から今日にかけて
隣保班の方々がお悔やみに来られます。
「生前中は大変お世話になりました。
ありがとうございました」と
互いに挨拶を交わし御礼を述べます。

 お悔やみです。
「ご愁傷さまです」
「寂しくなります」
「お悲しみのことと存じます」と
声も途切れとぎれに言われます。

 死にざまはそれぞれで
高齢者ともなれば「大往生ですね」と言ったり
闘病の末にという方には「安やかにお眠りください」と
偽らざる気持ちを吐露する人もいるでしょう。
 事件事故ともなれば「残念無念ですね」と
ご遺族の気持ちを代弁するようなことでしょう。

 何はともあれ大切な人の死は
悼むものであり悔いが残るものです。

 親鸞聖人は関東の門弟の死の知らせに
「往生めでたし」とお手紙を送っています。
 何か不謹慎な言葉に聞こえますが
お念仏のご法義をいただくと
「往生めでたし」なのです。

 浄土真宗のご法義は
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
どんな人も阿弥陀さまのお浄土に往き生まれ
さとりの仏さまに成るという教えです。

 どんな人もどんな生き方死に方であっても
私のいのちの往く先は阿弥陀さまが
お浄土と決めてくださっているのです。
 
 私たちは別れを受け止めきれるほど強くないし
いのちの行方がわかる智慧もありません。
 だから、阿弥陀さまはお浄土を用意され
必ず生まれさせると今ここにはたらいているのです。
 お浄土があるからこそ
私たちはこの人生を生きて往けるのです。

 先に往かれたお方はお浄土で仏に成って
還相回向の南無阿弥陀仏のおはたらきで
この世に還って来るとお聞かせいただきます。

 まさに命がけでこの私を御仏前に座らせ
仏法聴聞させてくださり
南無阿弥陀仏とお念仏申すところに
「私がいるよ大丈夫だよ」と
はたらいてくださっているのですね。

 生きても死んでも
どんな生き方死に方であっても
私たちは阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
共々に生かされて生きているのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.11)
 

お念仏のたのもしさ

2024-01-10
 母の容態が急変して救急車で病院に搬送され
懸命な治療をしていただきましたが
ついに命終えました。

 意識が無くなっても
耳は最後まで聞こえるといいます。
 病院の配慮で私たち家族のために
看取りの部屋を用意してくださいました。

 さて何と声をかけていいものか
もう頑張れない人に「ガンバレ」とは言えません。
「安やかにお眠りください」でもありません。

 お念仏のご法義に遇えて
本当によかったと思います。
 南無阿弥陀仏ひとつでどんな状況にあっても
どんな人も等しく救うという
阿弥陀如来の本願念仏のみ教えです。

 「お母さん、晃照です」とわが名を名乗りました。
「いつも一緒ですよ」「大丈夫安心ですよ」と
呼びかけました。
 何度も何度も「お母さんお母さん」
「いつも一緒ですよ」「大丈夫安心ですよ」と
呼び続けました。

 阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のお喚び声です。
我が名を名乗り南無阿弥陀仏「必ず救うまかせよ」と
いつでもどこでも誰にでもおはたらきの仏さまです。

 命終えるその時も南無阿弥陀仏のおはたらきが
母の耳に確かに確かに届いてくださっています。

 命終の時が来ました。
「お母さんありがとう」と
お念仏が出てくださいました。
 
「娑婆の縁つきて
 ちからなくしてをわるときに
 かの土にはまゐるべきなり」(歎異抄)
 (名残を惜しんでいても、この世の縁が尽きて
 生きる力がなくなり命終わるとき
 お浄土へまいらせていただくのです)

 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
阿弥陀さまのお浄土に往生させていただくのです。
 人の命終えて生まれ往くお浄土がある有難さです。
これほど力強くたのもしいお念仏のご法義はありません。

 お浄土に往生し南無阿弥陀仏のいのちとなって
これからも「いつも私が一緒だよ。大丈夫安心ですよ」と
喚んでくださるんですね。
「お母さんの仏さまありがとう」とお念仏申します。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.10)

大河ドラマ「光る君へ」

2024-01-09
 今年のNHK大河ドラマは
『源氏物語』の作者紫式部が主人公の
「光る君へ」です。

 大河ドラマといえば
源平・戦国・明治維新という
激動の時代の物語が主でしたが
今回は平安時代の貴族社会を描くもので
具体的な資料が少ない中で
どのような脚本になるのか注目されます。

 仏教的にいえば
鎌倉新仏教以前の仏教の有り様をみるうえで
非常に興味をひがれるところです。

 紫式部と共に今回のドラマの重要な役柄が
平安貴族社会で権勢を誇った藤原道長です。
そして陰陽師の安倍晴明です。

 当時は末法の時代に入る頃といわれ
お釈迦さまが説かれた仏法が廃れて
世の中が混沌とした不安な時代になるということで
浄土信仰が貴族社会をはじめ急激に広まって
一般化していきます。

 天変地異が続く中で
貴族社会の為政者たちは世の吉凶を占い
安倍晴明に象徴される陰陽師が登場します。

 藤原氏は一族の栄華栄耀をあの世までと
宇治に阿弥陀仏の平等院を建立することなどして
極楽浄土に生まれ往くことを願いますが
この辺がどうドラマに描かれるのか見所です。

 はるか遠く私たちの先祖が生きた時代です。
浄土教が民衆の中にどのように浸透していき
鎌倉の法然聖人親鸞聖人の他力信仰につながるのか
楽しみに観たいと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.9)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
1
2
9
1
0
4
TOPへ戻る