本文へ移動

お念仏を申す生活法話

RSS(別ウィンドウで開きます) 

南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに私たちは生かされて生きています

 一昨日からのお寺でのお葬儀を通じて
私たちは南無阿弥陀仏のいのちのつながりのなかに生かされて生きていることを思います。
 
 本堂のお内陣は阿弥陀さまのお浄土を表します。皆さんのお家のお仏壇もお浄土です。
お浄土は阿弥陀さまのおさとりの世界、私たちが往き生まれるところです。
 阿弥陀さまがお浄土でお説法されているとお経さまに説かれています。
そのお説法が南無阿弥陀仏のお名号となって私たちのところに至り届き
「まかせよ救う」のおはたらきとなっていると聞かせていただきます。
 
 お浄土には南無阿弥陀仏のおはたらき一つで先に往生された方がいらっしゃるといいます。
先に往かれた方は今はお浄土の仏さまとなって阿弥陀さまのおはたらきのお手伝いをしてくださり
私のところに南無阿弥陀仏と還って来て私と共に生きてくださってあるというのです。
 
 浄土真宗のお寺でのお葬儀のお荘厳です。
お内陣がお浄土で、外陣の方にご遺体をご安置させていただきます。
 内陣と外陣を分けて段があります。
高い段で区切って阿弥陀さまのお浄土と私たちのこの世を分け隔てているのです。
十方衆生を分け隔てなく平等にそのまま救うという阿弥陀さまのみ教えからいうと何か違和感もあるでしょうが
実はこの段が大事なんです。
 
 私たちはこの命を生きている限りは自分中心の思いはからいを離れて生きることができません。
どこまでも煩悩具足の凡夫の身であります。
 この身を煩わし心を悩まして迷い苦しむ私たちを見て取って
阿弥陀さまがこの私をこそ必ず救うと本願をおこし南無阿弥陀仏となっておはたらきなのです。
今日もこの私の口からお念仏が出てくださる有難さを思います。
 
 今こここの私のために開いてくださった南無阿弥陀仏の救いの法です。
この救いの法を命がけで私たちに伝えてくださる仏さまこそ私たちのご先祖有縁の仏さまなのです。
人間の迷いの命を終えて浄土に生まれて仏さまと成ってくださってあるのです。
 
 ご遺体は火葬されてお遺骨となりお寺にお供してお勤めをさせていただきます。
お遺骨となって還るということで還骨といいます。
 お遺骨を私(住職)の胸に抱いてお内陣の阿弥陀さまのおそば近くにご安置させていただきます。
 
 お通夜からお葬式の一連の流れは私たちの目に見える形でこの世からお浄土への道すがらを説いてくださっています。
南無阿弥陀仏一つで救われるお念仏の仏道です。
 先に往かれた方もそうですがこの私一人のためにこの道を開いてくださってあるといただきます。
 
 お浄土から開かれたお念仏の道です。
お寺参りはお浄土参りに通じます。お寺のご縁をいただいてお念仏の道を歩ませていただきます。
 
 浄土真宗のお葬儀は南無阿弥陀仏のみ教えに遇わせていただける大きな大きなご縁です。
悲しみのご縁ですがそのまま仏さまのご縁といただいて
初七日に始まる中陰のお勤めを精いっぱいさせていただきましょう。
 
 このたびのお寺のお葬儀のご縁を遇って
南無阿弥陀仏の大きないのちに生かされつながってお互い生きていることに
私たちの救いがあると有難く安心しました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.7)

お寺のお葬式

 今日はHさんのお葬式ということでこの後本堂のお荘厳をさせていただきます。
浄土真宗のご本尊の阿弥陀如来さまを中心にお勤めさせていただく浄土真宗のお葬儀です。
 
 昨日はあんのん館の御絵像の阿弥陀さまのご尊前でお通夜のお勤めをさせていただき
今日は本堂の御木像の阿弥陀さまのご尊前でお葬式のお勤めをさせていただきます。
 
 前のお内陣を見ていただいて平生のお荘厳です。
御正忌報恩講のような賑々しいお荘厳ではありません。
お彼岸やお盆、降誕会のお飾りとはまた違います。
 ただ悲しみのご縁ということで打敷を白にしています。
至ってシンプルです。
 
 阿弥陀さまのお救いは平生のお救いです。
南無阿弥陀仏の名号の仏さまとなっていつでもどこでも誰でものお救い
今こここの私を必ず救うといつもおはたらきなのです。
 
 その阿弥陀さまのお徳おはたらきがお内陣のお荘厳となって表れてくださってあるのです。
シンプルななかにも余分なものは一つもありません。
お飾りのすべてがこの私をお浄土に救い取ってくださる阿弥陀さまのおはたらきだと聞かせていただきます。
 
 有縁の方でお勤めされるお葬式ですが、お寺の本堂でお勤めする8年ぶりのお葬式です。
お寺のお葬式をこれからご門徒皆さんにすすめていこうと思います。
 どんなお葬式か、目に見える形でお飾りさせていただきます。
その一つ一つが先に往かれた大切な方と私たちをつないでくださる仏さまのご縁です。
 どうぞお参りください。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.6)

8年ぶりにお寺でお葬儀のお勤めをさせていただきます

 昨日の夜週に一度このお朝事にお参りされるHさんのお父さんが亡くなったという電話を受けました。
お家で亡くなってすぐお寺に連絡したということです。
 急なことでまだ葬儀社も決めていないといいます。
お母さんのときにお願いした葬儀社は今は営業していないというのです。
 
 この前円光寺通信にお寺でお葬儀をしましょうということを書かせていただきました。
それを読んでくれていたんだと思います。
またお朝事のご縁にお話を聞くなかでお寺でお葬儀をという思いがあったのではないでしょうか。
 それで早速葬儀社に私から連絡し、臨終勤行にお参りしてお話をさせていただき
お寺でお葬儀をさせていただくことになりました。
 
 お寺でのお葬儀です。
お寺の本堂のお荘厳は御本尊の阿弥陀さまのお浄土を表します。
この阿弥陀さまのお浄土に往生させていただくご縁が私たちの浄土真宗のお葬儀なのです。
 
 南無阿弥陀仏のお心おはたらきを聞かせていただきます。
私たちはどんな人も必ずこの命を終えていかねばなりません。
 人の命終わって死んだらお終いではなくて
この私をお浄土にそのまま必ず救い仏にさせると阿弥陀さまがおはたらきなのです。
 
 今日のご和讃です。「南無阿弥陀仏をとなふれば」と何度もでてきました。
お念仏を申すとは私が生まれ往くところをお浄土と決めてくださった南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただくことなのです。
 
 お葬儀は大切な方とお別れする悲しいご縁ですがそのまま仏さまのご縁といただきます。
先に往く人もお浄土ならば後に遺るこの私も同じお浄土に生まれさせていただくことができると
日頃からご縁のあるお寺で共々にお念仏のみ教えを聞かせていただきます。
 
 8年ぶりのお寺でのお葬式です。
前のことはすっかり忘れてしまって昨日から前回はどうだったかなと思い出しながらのことですが
皆さんにもご加勢いただいて精いっぱいお葬儀のお勤めをさせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.5)

「南無阿弥陀仏をとなふれば〜夜昼つねにまもるなり」

 今日明日のご和讃は『現世利益和讃』といって両日とも「南無阿弥陀仏をとなふれば」で始まります。
今日の六首の中の五首に「夜昼つねにまもるなり」という文言が出てきました。
 
 御利益ということをいわない宗教はありません。
ただ御利益というと、例えば病気が治るとか金回りがよくなるとか
自分の都合に合わせて自分の思いがかなうことを御利益といっているようですが
南無阿弥陀仏の御利益は夜昼つねに護られるという御利益なのです。
 
 どなたに護られるのか護られているのかというと
この真ん真ん中のご本尊の仏さま阿弥陀さまですが
阿弥陀さまのお徳をほめ讃える十方世界の諸仏方でもありそして仏法を護る諸神方でもあります。
 
 今日の最後の和讃に炎魔法王と出てきました。
地獄の炎魔さまからも護られるのです。
 その前の和讃には龍神とありました。
昨日今日と海原のお祭りですが、御旅所新町の龍神さまです。
水の神さまです。
 
 地の神から水の神から天神天の神からも護られるという
大きな大きな御利益をお念仏を申す私たちはいただいているというのです。
 
 この目に見えないことより今日の生活目に見える御利益をいただきたいというのが私たちですが
生老病死の迷いのなかに苦悩する身を見捨てることなくいつでもどこでも寄り添って
そのまま救う必ず救うと阿弥陀さまがおはたらきくださり
諸仏諸菩薩諸神方がいつも護ってくださってあると
南無阿弥陀仏とお念仏申すなかに聞かせていただきます。
 
 この目には見えないけれども大きな大きなおはたらきのなかに生かされてあることを
今日のご和讃をいただきながらまたお味わいさせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.4)

南無阿弥陀仏の仏法は私たちみんなの憲法です

 10連休でお休みが続くとふと今日は何日か何曜日かということを思い返すことがしばしばあります。
今日は5月3日の金曜日で憲法記念日で祝日です。
 
 天皇陛下が新しく即位され朝見の儀で私たち国民にお言葉を述べられました。
憲法にのっとり象徴としての天皇の務めを果たしていかれるという決意のお言葉でした。
 30年前の前天皇の時と同じような内容ですが、前回は憲法を守りという言葉でした。
憲法を守るということと憲法にのっとるということはどう違うのかという論調が早くも聞かれます。
 国民主権を柱とする日本国憲法にあって象徴天皇は憲法に規定されたことで
天皇は憲法を守り国及び国民統合の象徴としての務めを果たしていくということです。
 
 私たちの仏法を重ねて思います。
仏法に帰依するものが仏教徒です。仏法僧の三宝に帰依することをもって仏教徒になるのです。
 私たち浄土真宗の門徒がいただく仏法は南無阿弥陀仏の本願他力の救いの法です。
南無阿弥陀仏の仏法を依りどころに生きるということです。
 
 憲法は人間がつくったものです。
このような国になっていこうと国民の総意でつくったその国の最高法規が憲法です。
 憲法は不変のものではなく時代と共に国を取り巻く世界社会の状況が変わるなかで
憲法は国民の総意で改変することもできるのです。
 
 一方仏法はというと、人間のはからいを超えて仏さまが私たちすべての人間の幸せを願って
つくってくださった普遍の法なのです。
 だから人間の都合によって変えられるものではなく仏法はどこまでも仏法であり続け
仏法を依りどころに生きるかどうかは私たち一人一人のはからいなのです。
 
 仏法は元々自然の法です。親鸞聖人は自然法爾(じねんほうに)とお示しです。
あるがままそのままの真実の法なのです。
 その真実の法をお経という言葉にして私たち人間に明らかにされたのが仏法なのです。
仏法は言葉によって人から人へと受け伝えられてきたのです。
 
 ただ人間が使う言葉ですからその言葉に固執したり受け取り方を間違うと
仏さまのお心とはかけ離れたようなことにもなってきます。
 南無阿弥陀仏の仏法は念仏一つで救われると聞かせていただきます。
「我にまかせよ必ず救う」の阿弥陀さまの仰せに信順することです。
人間の私の思いをさしはさむことなくそのまま聞けよとの仰せです。
 
 南無阿弥陀仏の仏法は私たちみんなの憲法です。
この私を必ず救うと今ここにおはたらきの阿弥陀さまの真実まことの救いの法です。
そのこと一つまた聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.3)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
1
3
0
0
6
4
TOPへ戻る