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お念仏を申す生活法話

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どのお葬式も精いっぱいていねいにお勤めさせていただきます

2018-02-19
 昨日お葬式がありました。初めてのご縁の方です。
三佐の方ではなく、本当に初めてのご縁と思ったのは、お焼香するとき会葬者の顔が導師の私には見えるのですが、
一人として知っている方がいらっしゃいませんでした。
 
 ご遺族から「家族葬です」といわれました。
家族葬というと家族親族だけで執り行う小規模葬をいうようです
 最近もう一件お葬式がありましたが、このお葬式はお参りの方が家族と兄弟縁者の方7人でした。まさに家族葬です。
 
 ところが一昨日お通夜にお参りしましたら、駐車場が満車で会場をのぞくとたくさんの方がお参りでした。
葬儀社の方に「家族葬と聞いたのですが・・・」と言いますと、係の人も唖然とした様子でした。
 
 昨日のお葬式も大勢のお参りでした。お正信偈さまのお勤めをします。
 今は少人数のお葬式が多くて、お正信偈の途中早い段階でお焼香が終わり、
あとはひたすらお坊さんがお経をあげるといったようなことです。
 ところが昨日はお正信偈を読み終えるまでにお焼香が終わるのかなと心配するほどのたくさんのお参りでした。
 
 葬儀のあり方が随分変わってきています。これからもっと変わっていくのでしょう。
 ただお勤めをさせていただく僧侶の方からいったら、
会社の社長さんの社葬という大きなお葬式もどんなに小さな何人かのお参りのお葬式も、お勤めは同じなのです。
 
 その人ひとの一度っきりのご縁です。
それぞれの人生を精いっぱい生き抜いてこられた方のご縁です。
つとめて丁寧にお勤めをさせていただきます。
 
 昨日のご縁も初めての方ですが、ご縁があってお葬式をさせていただくということです。
「精いっぱいお勤めさせていただきます」とご遺族の方に申しあげました。
 
 そしてこのご縁はお葬式だけのご縁ではなくてそれからもつながっていきます。
私がつないでいくのではありません。仏さまのご縁をいただくなかでつながっていくのです。
 
 大きないのちのつながりのなかで、私たちは一人じゃなかった、死んだらお終いじゃなかった、
人の命は終わるけれども、お浄土に生まれて仏さまにならせていただき、
またこの世に還って来て有縁の方々と共々に生きていくいのちなのです。
 
 無量のいのちをいただいて生きていることを思います。
昨日お葬式のご縁の方はこれから仏さまのご縁が始まるということです。
 
 仏事のことはわからいことだらけだと思います。
だからこそ何でも聞いてください。
 わかろう理解しようと頭で聞くのではありません。
ナンマンダブツとお念仏を申すなかに仏さまのお心を聞かせていただきましょう。
 仏さまのご縁に遇えてよかったといえる日暮しをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.19)

みちゃおれん

2018-02-18
昨日はピョンチャンオリンピックの男子フィギアスケートで、羽生選手が金メダル、宇野選手が銀メダルということで
日本中が大いに盛り上がりました。
 
 私もテレビで観ていましたが、羽生選手は昨年11月の大けが以来の競技で大きな不安がありましたし、
宇野選手は最初のジャンプで転倒して「観ちゃおれん」とテレビから離れた人も多かったのではないでしょうか。
 
 親身になるといいます。
羽生選手や宇野選手を応援する気持ちは、どこか子どもをみる親のようなものではないでしょうか。
 
 阿弥陀さまの大悲のお救いのおはたらきは同体の慈悲といって、親身になるということです。
阿弥陀さまが親で救いの目あてのこの私は子どもです。
 
 阿弥陀さまは久しく遠い昔から私のことを見てとって「みちゃおれん」と南無阿弥陀仏のみ名となり
私のところに来てくださって「まかせよ救う」のおはたらきをしてくださっています。
 
 さて「みちゃおれん」とテレビを離れ目をつぶった人は、本当の意味で親身になっていたのでしょうか。
私たちの「みちゃおれん」は、ひいきの選手がうまくできてほしい、いい成績を上げてほしいという思いから
見守ることさえできず、ただ不安から逃れたいだけの自分本位のことではないでしょうか。
 
 阿弥陀さまのおはたらきを真実の救いといいます。
この真実という言葉を親鸞聖人は「もののみになるまこと」といわれます。
 もののみになるとは「みちゃおれん」と目を背けることではありません。
 
 阿弥陀さまの「まかせよ救う」のおはたらきは人ひとによって違うということではありません。
もののみになるまことです。
 南無阿弥陀仏のおはたらきとなって私の身に満ち満ちてくださり、
私の心に信心を開き、私の口からお念仏が出てくださると聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.18)

日頃からのご縁

2018-02-17
 昨日「お葬式をお願いしたいんですが・・・」と電話がありました。
お寺に来てお話を聞かせてくださいとご返事して、ご夫婦がみえられました。
初めてお会いをする、初めてのご縁の方です。
 
 お聞きしますと、お母さんが何年も前に重い病気になられて今日お亡くなりになったということです。
 
 身内の方が亡くなってお葬式をどうするか。
お寺との関係がなく、お仏壇もお墓もないお家の方にとって、それは大きな問題です。
 大きな問題だからこそお亡くなりになる前に、家族で考え相談できたらいいのでしょうが、
身内の方それもとても大切な人の死を前提にしたお話です。
 考えたくない、思いたくないことです。
そして相談しようにも、誰にどのような相談をしていいのかわからないというのが本当のことのようです。
 
 臨終勤行に始まる葬儀全般の仏事について一通りお話して
「わからないことがあったら何でも聞いてください」と言いましたら
「何を聞いていいのかがわかりません」というご返事でした。
 
 日頃からのご縁の大切さを思います。
仏事について誰でも気軽に相談できる場があればいいと思います。
 そしてそれがお寺という場、お坊さんの役割だと思います。
 
 今は核家族で、お仏壇のないお家が多くなり、日頃から仏事にあうことが少なくなりました。
周囲に年輩の方もいなくて、何でも相談することが本当に難しくなりました。
 
 一方ネット社会でいろんな情報がすぐ手に入る時代になりました。
ただ情報過多で、自分に都合のいい情報ばかりを取り出すことで、
全体的につながらない変てこなものになってしまいがちです。
 お葬式はしたけれども、お坊さんにお経をあげてもらったけれども、お葬式でそれっきりということも起こってきます。
 
 お寺とご門徒のつながりを思います。
お葬式の時だけの何かあった時だけのつながりではありません。
 遠いご先祖からつながっている、仏さまのご縁という深いつながりです。
 
 ただ門徒といって、仏事のことがわかっているかというと、知らない人が多いように思います。
仏事のことはお寺に、お坊さんにまかせておけばいいという考えなのでしょうか。
 とはいってもその時になって色々もの申すご門徒さんにも閉口します。
その時にああやこうやと慌てないためにも日頃のことが大切です。
 
 お聴聞です。平生です。日頃からお念仏のみ教えを聞かせていただきましょう。
亡くなる間際にお念仏申せよ、阿弥陀さまのお救いはこうだといっても耳に入りません。
 
 日頃からのご縁です。
蓮如上人が「仏法は若いときにたしなめ」と言われたのはここです。
若いときといっても、仏法聴聞に年齢制限はありません。
 今です。今仏法に遇わせていただくことが大事なのです。
今お念仏申す身にさせていただくことの有難さを思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.17)

お念仏が身につく

2018-02-16
昨日、月参りで一軒のお家に行きましたら、玄関のかぎがかかっていました。
チャイムを鳴らして「ごめんください」と声をかけたら、内から声がしてお参りができたわけですが、
奥さんが「すみません。忘れてました」と言われました。
 
 忘れてましたといって、お仏飯はあがっていました。
お花を入れ替えるのに花瓶を下げていたということです。
 
 忘れていたか、準備ができていなかったのかどうかはわかりませんが、
有難かったのはお仏飯があがっていたことです。
 
 日々のたしなみです。朝一番にご飯を炊いてまずお仏飯をお供えするという習慣が身についているということです。
 
 歳を重ねて、物事を忘れることが多くなりました。ところが身についてしまうと滅多に忘れることはありません。
 
 私が仏さまのことを忘れても、仏さまは私のことを決して忘れません。
 
 阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のおはたらきがこの身に満ち満ちて、私の心に信心となり、
私の口からナンマンダブツとお念仏が出てくださいます。
 信心をいただくといいますが、お念仏を申す身にさせていただくのです。
 
 お念仏申すなかに私たちの日暮しがあります。
いつも私が一緒だから、大丈夫だからと、私の身に寄り添う摂取不捨の仏さまになってくださいました。
 これほど安心できることはありません。
 
 先に往かれた大切なお方のお命日にお参りさせていただきます。
阿弥陀さまに、ご先祖有縁の仏さま方にお礼ができます。
 ナンマンダブツとお念仏を申す身にお育ていただいた有難さ尊さを思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.16)

朝が明るく暖かくなりました

2018-02-15
今朝はあたたかいですね。昨日は春一番が吹いたというニュースもありました。
 
 朝6時の梵鐘をうつ時も薄明るくなってまいりました。6時半の喚鐘の時はもっと明るくなって、
これから皆さん随分明るい中をお家に帰られることであります。
 夕方6時は本当に明るくなりました。
 
 いつの間にかではありますが、春の訪れを感じます。
 
 寒くて暗いというのは誰でも嫌ですね。
そういうなかに明るい光が差し込んできます。そして私たちをあたたかくつつんでくれます。
 
 私たちの仏さま、阿弥陀如来さまは智慧と慈悲の光の仏さまです。
明るい智慧の光で私たちの迷いの暗闇を破ってくださいます。
あたたかい慈悲の光は自分中心の私たちの頑なな心をそのまま包み抱きとってくださいます。
 
 阿弥陀さまは智慧と慈悲のおはたらきを南無阿弥陀仏の六字の名号に仕上げて私に届けてくださっているのです。
ナンマンダブツナンマンダブツと、智慧と慈悲のおはたらきがこの身に満ち満ちて
この私の口から、私の声ですけれどもお念仏が出てくださいます。
 
 お念仏申すなかに今日の一日、日々の生活をまた始めさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.15)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
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