本文へ移動

お念仏を申す生活法話

RSS(別ウィンドウで開きます) 

阿弥陀さまの御前に集う私たちです

 お念仏の集いを講といいます。
一つ日を決めて同じメンバーが集まります。
 どこに集まるのか、ここが肝心です。阿弥陀さまの御前(おんまえ)に集まるということです。
 
 このお朝事のご縁も一つの講です。
こうしてほぼ同じメンバーです。
顔と顔を合わせていつもの時間いつもの場所で阿弥陀さまの御前でということです。
 
 そのことが皆さんのお家のお仏壇の前でもできます。
月々の月参り、ご法事のご縁で皆さんのお仏壇のやっぱりご本尊の阿弥陀さまの御前なんです。
 今日はあんのん館で健康教室がありますが、あんのん館もやはり阿弥陀さまの御前です。
納骨堂もお内仏も阿弥陀さまの御前に集うともがら、お念仏の仲間です。
 
 お互いに顔を見合わせる関係です。
一人一人の生活ぶりはそれぞれ違って色んなことがあります。
楽しいことばかりではありません。苦しみ悩みを抱えた私たちお互いです。
 阿弥陀さまの御前に集う私たちの口からぽろっと愚痴がでることもあります。
そのことをそのまま聞いてくださる仏さまです。
 
 私たちが集うところはいろいろです。食事をすることもお酒が入るときもあります。
話がはずみます。他愛もない世間話です。
 この阿弥陀さまの御前に集う私たちが交わす話もまた世間話です。
ただ世間話がそのまま仏さまのご法義の話になるんです。
 
 いろいろと悩みを抱えた私たちお互いを御前の阿弥陀さまがいつもスーッとお立ちで見守ってくださってあるんだと
お念仏申して有難く聞かせていただきます。
 
 私たちが等しく帰っていけるところを阿弥陀さまの御前といただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.22)

裁判員制度が始まって10年です

 裁判員制度が始まって今日で10年ということで、いろんな報道番組で特集されています。
裁判は罪を犯した者を裁く制度で罪ある者に罰を与えるというものです。
裁判員に選ばれた人にとって大変大事なそして重い役割です。
 
 裁判とは裁判官がいて原告検察側と被告弁護側の意見を聴取するなかに判決を下すというものです。
ただ裁判官検察官弁護士ともに法律の専門家であり過去の判例を重視した判決になって
どこか市民感覚とずれたところがあるのではないかということもあり
一般市民に裁判員として参加してもらうことで司法制度が国民により身近なものになるようにと始まったものです。
 
 事件の内容によっては死刑判決を下す裁判に裁判員が係わることにもなります。
死刑判決をする前もその後も様々な葛藤があり不安な心情にさいなまれる苦悩を語る裁判員経験者がいます。
 裁判員には守秘義務があり家族や友人にもその思いを伝えることができないもどかしさです。
 
 死刑というのは裁判によって一人の人を殺すということです。
死刑制度について今は世界的には廃止または実際に死刑執行しない国が多くなっています。
ただ日本やアメリカには死刑制度があり日本では毎年複数人の死刑が執行されています。
 
 裁判員制度が始まって死刑制度そのものについて議論が起こるのではと思っていた専門家のコメントがありましたが
日本では国民の80パーセント以上が死刑制度を容認し
裁判員制度が施行されるなかで重罰刑を科す傾向が強くなったといわれます。
 被害者家族の感情を考えればということでしょうか。
 
 仏法の話です。
私たちの阿弥陀さまは裁く仏さまではありません。
こうしなさいああしなさいと生き方を告げ、救いに条件をつける仏さまでもありません。
 
 聞き方によってはどんな悪いことをしても救ってくれるのだから悪いことをした方がいいと聞き違いする人がいます。
そうではありません。
 裁かない仏さまといって自分中心の生き方しかできないこの私をもう既に見て取って悲しまれるのです。
阿弥陀さまのお慈悲のお心を聞けば聞くほど南無阿弥陀仏のおはたらきがわが身にしみ込んで
大きないのちのつながりのなかに生かされて生きてあることを知らされ
私にできる精いっぱいのことをさせていただこうという思いがわいてきます。
 
 この現実社会に生きる私たちです。
私たちが共に生きる上で守らなければならない決まりがあります。
決まりを守らないときには罰を科せられることもあるでしょう。
 そういうなかにあって苦悩する裁判員の有り様を阿弥陀さまはどう見てござるのかなと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.21)

仏さまの大きなご縁をいただきます

 昨日は宗祖親鸞聖人の降誕会法要をお勤めさせていただき恒例のバザーも行いました。
皆さんには終日大変お世話になりました。お疲れさまでした。有難うございました。
 
 5月21日の親鸞聖人のお誕生日に近い毎年5月の第3日曜日に前住職の時から約40年来続けているご縁で
昨日もたくさんの方がお寺にお参りされました。
 
 雨になってちょっと残念なこともありましたが、いつもより本堂にお参りされる方が多かったように思います。
庫裡の仏間での物品バザーは多くの人盛りで大盛況でした。
 本堂に机を並べ食堂のようにしてカレーライスなど皆で食事をすることができました。
 
 日頃お寺にご縁のないご近所の方もたくさんお参りでした。
円光寺のバザーは皆さんの大きな楽しみになっているようで
名物の石垣だんごが飛ぶように売れていました。
 あまりの評判で一人三個までと販売制限したものの瞬く間に完売したそうです。
それ以上にたくさん作ったらいいのでしょうが、婦人会の役員さんにとっては大変なご苦労でもあります。
 
 少しでもお寺を身近に感じ親しんでもらって一人でも多くの人に仏さまのご縁に遇うてほしいと先人が始められ
ご門徒皆さんのご理解とご協力をいただいてできるご縁の有難さです。
 
 バザーの時間久しぶりにお会いする方々に声をかけました。近況をお聞きしていろんな話になります。
日頃はそれぞれが忙しい日常生活をおくりゆっくり向き合ってお話をすることが難しいお互いが
仏さまの御前に集うことができるということが私たちのご縁だと思います。
 
 世間日常の話です。世間話ですが、仏さまの話につながるのです。
大きな大きなお念仏のいのちのつながりのなかにお互いが日暮しをしているということです。
それぞれの日常ですがお念仏につながってあるということです。
 
 私たちの日々の生活は思い通りにならない日暮しでもあります。
ただこうして同じ御仏前に座り仏さまの大きないのちにつながる私たちです。
 お話をすることで何かほっとします。やさしく励まされることもあります。
 
 仏さまの尊いご縁です。
歳をとればとるほど大変になってきますが
一年一度の降誕会のご縁をこれからも皆さんと共々に続けてまいりたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.20)

降誕会の仏さまのご縁です

 今日は宗祖降誕会のご縁です。
降誕と言います。
 親鸞聖人はただ人ではない、仏さまの国から降りてこられたお方
私たちにお念仏のみ教えを届けるためにお誕生になられたといただくご縁です。
 ただ親鸞さまのお心をいただくと親鸞さまは私たちと同じお念仏のお仲間としていらっしゃるように思います。
 
 親鸞さまのお誕生をお祝いするご縁ですが
私たちもこの人間界に誕生しました。そして今を生きています。
 ただ生きるということは楽しいことばかりではありません。
苦しいことや悲しいこともいっぱいあります。
 今日もこれから何があるのかわからない、まさに無常の中に生きている私たちお互いです。
 
 昨日は仏教婦人会の総会のご縁でご法話お聴聞させていただきました。
ご講師は女性の方でお寺の坊守さんそしてお坊さんです。
 生活のなかでのいろんな苦しみ悩みを率直にお話されました。
久しぶりに仏法が親しく聞けたような気がします。
 
 私もそうですが、何か袈裟衣をつけると型通りのお話になります。
浄土真宗はという阿弥陀さまのご法話です。
 それでいいのです。型が中心がぶれたらこれは浄土真宗仏教になりません。
 
 ただご法話をする人も一人の人なのです。
人として生まれ人として生きているのです。
 自分の思い通りにならない苦しみ悩みをいっぱい抱えて生きている人なのです。
ご法話される人もお聴聞される人も共々に仏さまの仏法を聞かせていただくのです。
 共に生き共にお念仏のみ教えを聞き共にお念仏の道を歩ませていただくのです。
 
 昨日お聴聞しながら、私は何のために生まれてきたのかと問われたような気がしました。
人生の根本的な問いです。
 私たちはどこかでこの問いに向き合って生きています。
でも日々の生活が忙しくて、生きることで精いっぱい私のことで精いっぱいなのです。
 
 だからこそのご縁なのです。
このお朝事のご縁もそうです。
今日は日曜日で家でゆっくりゆったり寝ていていいんです。
 でも仏さまの御はたらきがあったんですね。
仏さまの御もよおしのなかにここに座ることができたのです。
 
 私が座ったと心得たら、それは仏さまのお心に背くことになるのかもしれません。
ここに座れここに座れお念仏を申せ仏法を聞けよと
ご縁をつくってくださった仏さまです。
 その仏さまに今度はこの私が成らせていただけるのです。
仏法を聞くために人間に生まれてきたんだということを
今日の降誕会のご縁のなかでお互いにたずねてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.19)

仏さまのご縁をいただきます

 仏さまのご縁をいただきます。
阿弥陀さまのご縁です。
 
 昨日もご縁をいただきました。一つはお葬式のご縁でした。
今日は仏教婦人会の総会のご縁、明日は親鸞聖人の降誕会のご縁です。
 
 その仏事ご縁ご縁はそれぞれ違います。
対象を限った仏事もあります。
 慶びの仏事もあれば悲しみの仏事もあります。
 
 みんな阿弥陀さまのご縁です。
阿弥陀さまがどうか仏法を聞いてくれよ、お念仏を申す身になってくれよと
この私のためにつくってくださったご縁といただきましょう。
 
 そこに座れそしてお念仏申せよ仏法聞けよと
阿弥陀さまのおはたらき南無阿弥陀仏一つと聞かせていただいて
「はい」っとそのまんまこの身を御仏前にはこばせていただきましょう。
 
 私たちの日々の生活です。
私のことで精いっぱい生きることで精いっぱいの日暮しのなかで
仏さまのご縁に遇うことは本当に難しいことだと思います。
 だからこそそういう私を見てとった阿弥陀さまがこの私のために特別につくってくださったご縁といただいて
今日と明日のご縁に遇わせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.5.18)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
1
3
1
3
5
6
TOPへ戻る