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お念仏を申す生活法話

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ネット動画の波紋

 NHKのファミリーヒストリーという番組で昨日は歌舞伎の中村勘九郎さんのファミリーヒストリーでした。
中村勘三郎という代々続く名門の名跡にもいろんな変遷があり人の思いも加わってまさにヒストリー歴史です。
 
 あの番組を観ながらちょっと思うことです。
テレビを通して我が家の歴史家族のことが皆さんに広く公表されるということです。
 自分のことについて人に知ってほしいという思いと逆に知られたくないということもあると思うのです。
そこは番組制作ということでうまく調整していることだと思います。
 
 最近のニュースでSNSでのネット動画が問題になっています。
誰もが瞬時に話題を発信できますが、劇的な周囲の反応を期待して軽い気持ちで発信した動画が大きな反響をよんでいます。
 有名寿司チェーンやコンビニの店員のネット動画です。
ただ結果としてお店に大打撃を与えることになり
そうした被害に対して会社は刑事責任や民事の損害賠償を請求するといった問題になっています。
 
 当の店員はこれほど大変な騒ぎになるとは思っていなかったでしょう。
それこそ奇抜なことを発信して多くの人に注目されたいということだったのでしょうが
今やネットの世界は日本だけにとどまらず世界中に瞬時に発信され取り返しのつかないことになるということです。
 
 今円光寺でもホームページを発信しています。
毎日のカウント数はそれほどでもありませんが、世界中の不特定多数の人に発信されていることをあらためて思います。
 お念仏のみ教えを一人でも多くの人にお伝えしたいという思い一つですが
発信したことが大きな波紋になるということも考えあわせて慎重に取り扱っていきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.12)

ご縁つながり広がって

 昨日は仏教壮年会の総会で懇親会がありました。お酒も入って話が盛り上がります。
一昨日は大海組の連続研修会の懇親会と二日続けてメンバーは違いますが
昨日一昨日の話でご縁が一つつながって広がりました。
 
 人と人とのご縁つながりです。仏さまの御前に集まった私たち皆さんです。
仏さまの御前に座り手を合わせナンマンダブツとお念仏申すご縁つながりです。
 私がつなぐご縁ではありません。ご縁をいただくということを有難く思いました。
これまでにご縁をいただいていることを思います。
ただご縁をいただくばかりではもったいない申し訳ないと思います。
ご縁を広げていくお手伝いをさせていただきたいと思います。
 
 私たちの人生です。
過去の思い出に浸ることもいいでしょう。ただ思い出に生きるのではありません。今を生きるのです。
そして未来を生きるということでもありません。今を生きるのです。
 過去があっての現在今です。ご縁をいただいていたというなかで今の私があります。
そしていただいたご縁が広がっていくなかに明日未来があるということです。
 
 南無阿弥陀仏お念仏のおはたらきです。
阿弥陀さまから開かれたご縁だったといただくなかに私もあなたもです。
家族ばかりではなく隣にいらっしゃる方々もみんなお念仏のお仲間お友だちと
親鸞聖人は御同朋御同行とお互いを敬い尊んで往かれました。
 
 お念仏のご縁をいただきあなたに遇えてよかったと共々にお念仏の道を歩ませていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.11)

祥月命日という大切な方の誕生日です

 今日2月10日は私の祖母、先々代16世円光寺住職照哲さんの奥さん先々代坊守のツネさんの祥月のお命日です。
昭和35年の往生ですから今年で60回忌になります。
 
 祥月のお命日は一年一度やってまいります。祥月命日は誕生日といいます。
誕生日って皆さんありますよね。私たちの誕生日は人に生まれた誕生日です。
 一方祥月命日の誕生日は阿弥陀さまのお浄土に往生、生まれた誕生日なのです。
お浄土に生まれて今は仏さまとなって生きていると聞かせていただきます。
 
 今日こうしてお朝事のご縁に私の思いのなかで祥月命日のお勤めをさせていただきました。
昨日は大海組の連続研修会があってテーマが「お経」でした。
 一般的にお経というと亡き人のための追善供養と受けとめられている方が多いと思います。
お経を読誦し私が積んだ功徳善根を振り向けて供養するというのです。
 果たしてお経は追善供養のための手段、道具なのでしょうか。
 
 お経はお釈迦さまが説かれた仏さまの教えです。
親鸞さまがいただかれたお経には阿弥陀仏の本願念仏の救いの法が説かれてあります。
私のところで善根功徳を一つもつくることができない凡夫のために説かれた教えといわれます。
 
 お経をあげて追善供養するのではありません。
お経を声にだして阿弥陀さまのご本願のみ教えを聞かせていただくのです。
 祥月命日をご縁で仏さまのみ教えに遇わせていただけるのです。
先に往かれた大切なお方が仏さまとなってこの私を救いまもるという
阿弥陀さまのお手伝いをしてくださってあるといただきます。
 
 聞けよ聞けよ本願聞けよ、称えよ称えよ念仏称えよ、念仏称えるそのまんま我にまかせよ必ず救う
連れてゆくぞの南無阿弥陀仏のおよび声を皆さんの声とともに聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.10)

火宅無常の身を生きる

 今日も雨模様ですが、最近火事のニュースが多く亡くなる方もいらっしゃって気になります。
 
 諸行無常と聞かせていただきます。
この世のことは一つとして常なるものはないという仏さまのおさとしです。
火宅無常といって、火に包まれ燃え盛る家の様に譬えて無常を説かれます。
 
 今まで大事に大事にしてきたものが瞬く間に灰になる様を目の当たりにして私たちは呆然と立ちつくします。
思い出のいっぱい詰まった我が家です。衣服もアルバムも財産もすべてです。
大切な家族を失うことにもなります。我が身かもしれません。
 
 無常とは常が無いと書きますが、日々刻々と変わり行くということです。
それは私がこの目で見ている外のことばかりではなくて、自分自身が変わり行くということなのです。
 
 生老病死の身を生きる私のことです。
生きるということは老いること病むことそして命終えていくということです。
まさに「朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身」なのです。
 
 確かな当てもなく明日がある明日があると迷いのなかに生きるのではなく
真実変わらない仏法を依りどころに生きてくれよと仏さまは呼びかけおはたらきです。
 
 仏さまのご縁に遇わずじまいにこの人生を空しく終えていくことほどもったいないことはありません。
火宅無常の世にあってそのまま来いと呼び通しに呼んでくださる南無阿弥陀仏のお呼び声を聞かせていただき
ナンマンダブツナンマンダブツとお念仏を申すなかに今日一日も生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.9)

今日も一日が始まります

 毎朝6時の鐘をついていますと、今は暗い中を山門鐘楼の前を通る人は滅多にいませんが
昨日は自転車でちょっとこちらの方を振り向いて行かれる方がいらっしゃいました。
今日は近くの事務所に歩いて前を通られた方がいます。
 
 ほとんどのお家の灯はまだついていませんが、なかに灯のともったお家が何軒かあります。
今日一日の生活が始まるんだなと、朝の支度をしている人を想います。
 
 人それぞれの生活です。
その生活ぶりはそれぞれ違いますが、お念仏の尊いご縁に遇わせていただきますと
人それぞれの生活がそのまんま一つ処につながってお念仏の道を歩まさせていただけると有難く思います。
 
 ナンマンダブツナンマンダブツとお念仏申させていただきます。
お念仏申して今日の一日が自分の思い通りに生きることができるのではありません。
 お念仏申して自分の思い通りにならないことに遇うこともあるでしょう。
でも大丈夫、ナンマンダブツナンマンダブツと阿弥陀さまがいつでもどこでもこの私にご一緒してくださってあるのです。
 「いつも私が一緒だよ。我にまかせよ必ず救う」と南無阿弥陀仏の大きな大きなおはたらきのなかに
このいのち輝かせて今日も一日精いっぱい生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.8)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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