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お念仏を申す生活法話

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吸う息吐く息お念仏

 「前念命終(ぜんねんみゅうじゅう)後念即生(ごねんそくしょう)という先師の御文があります。
お念仏申すなかに命終えてそのまま阿弥陀さまのお浄土に生まれるというのです。
 親鸞さまはこの御文を命終わるその時にということではなく今日の一日この一瞬ということでいただかれています。
 
 御文章さまのなかに蓮如さまは「人間は出ずる息は入るをまたぬならいなり」と人の命のはかなさをお示しです。
私たちは息をして生きています。息が止まると死にます。
 私が吸って吐いてという息ですが、私が息をしているという意識はほとんどないと思います。
何で吸うのかといったら吐いてるからです。吐くことも吸うことも自然のいのちのはたらきがあるということです。
 吸う息吐く息そのままにお念仏申します。
南無阿弥陀仏の大きないのちのおはたらきが吸う息吐く息となってこの口からお念仏がでてくださいます。
 
 先の御文章は「あいかまえて油断なく仏法をこころにいれて信心決定すべきものなり」と続き
仏法を聴聞して信心を決定するように心がけなさいとお勧めです。
 阿弥陀さまの「必ず救うまかせよ」のご本願のお心を聞きお念仏申す身にさせていただきましょうというのです。
この命終わって阿弥陀さまのお浄土に生まれ仏さまに成らせていただけると聞かせていただきます。
 
 親鸞さまのご臨終の様子に「念仏の息たえおわりぬ」とあります。
ナンマンダブツと命終えてナンマンダブツとお浄土に往きて仏に生まれるというのです。
 
 今日のこの一日もそうです。
ナンマンダブツとお念仏申して新たないのちを始めさせていただき
ナンマンダブツとお念仏申して今日の一日を終えていくのです。
 
 何か毎日がその繰り返しのようですが、南無阿弥陀仏の大きな大きなおはたらきのなかに
確かに確かに阿弥陀さまのお浄土に生まれ往く一日を生かされて生きているということです。
 
 お念仏を申すなかに今日の一日も生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.22)

阿弥陀さまのお慈悲に抱かれて老病死の我が身を生きる

 水泳の池江選手そしてタレントの堀ちえみさんとがんの公表が続いています。
数十年前には本人にがんを告知することの是非が問題になっていました。
 告知をすることで本人が精神的に落ち込み病状に支障をきたすということで
告知をしないでがんであることを隠し周りの家族も大変だったと思います。
 今は本人家族の前でお医者さんが直接病状を説明するケースが多くなったと聞きます。
 
 現在各分野で活躍している著名な方が病気になって長く表舞台からいなくなると
皆さんが心配し色んな憶測も広がることにもなりますから、がんであることを公表する意味はあると思います。
但しそれはあくまでもご本人が決めることで公表しないといけないということではありません。
 
 ご自身のブログで公表されたお二人のコメントには共通して
がんという病気に向き合い闘って必ず戻ってきますということが語られています。
病気としっかり向き合って治療に専念される決意が伝わってきて本当に感心させられます。
 
 今は2人に1人ががんになる時代になったともいわれます。
以前はがんと聞いただけでガーンと頭をたたかれたような感じですぐ死を連想したものですが
今は治療法もたくさん開発され医療技術も格段に進歩してがんは治らない病気ではなくなりつつあります。
 
 ただがんの進行状況にもよりますが、頑張って治療を受けても回復が難しい方もいらっしゃいます。
そこで緩和ケアということが今いわれています。
がんと闘うのではなくがんと共に生きるといった言い方ができると思います。
 
 先日大分のホルトホールで田畑正久先生のお話を聞きました。
田畑先生は外科医の先生でがん治療の手術を何度もされている先生です。
 その田畑先生が仏教に学ぶなかで老病死の解決を聞かせていただくと言われます。
それは老病死に立ち向かい乗り越えていくのではなく
南無阿弥陀仏におまかせして老病死の我が身を生きていくことだいうのです。
 
 老いということも病ということも死ということも我が身のことなのです。
いつまでも若くありたい健康でありたい長生きしたいと老病死の我が身のことを
受け入れずはねつけ闘って対決しても最後は死んでいきますから
結局は不幸の完成でこの人生を終えることになると言われるのです。
 
 先のお二人に寄せられる周りの方々のあたたかいメッセージにお二人は心強く勇気づけられることだと思います。
ただ頑張ってと言って見守るしかありません。
病気に向き合うのはご本人なのです。そっと見守ってほしいということではないでしょうか。
 
 阿弥陀さまの大きなお慈悲のお心を思います。
南無阿弥陀仏のおはたらきとなって「あなたの苦しみは私の苦しみです。あなたの悲しみは私の悲しみです」と
そっと私に寄り添ってくださり「まかせよ救う」と力強いお念仏の声となってくださっています。
 大きな大きな阿弥陀さまのお慈悲に抱かれて老病死の我が身を生き抜かせていただきます。
安心して老いていける、安心して病んでいける、安心して死んでいける
往生浄土のお念仏の道を今日も共々に歩ませていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.21)

風邪をひきました

 ちょっと風邪気味で病院に行きました。
診察してもらい薬をもらって家に帰り、起きていると何やかんやしてしまいますので早く布団に入りました。
温かくして布団に体を横たえました。
 次第に眠気がさしていつの間にやら眠っていたようです。
体を横にする横にできることの有難さを思います。
 
 不断念仏行という親鸞聖人が比叡山でされたであろうという仏道修行があります。
不断念仏行は常行三昧堂というお堂に90日間籠ってご本尊の阿弥陀仏の周りをずっと行道歩くのです。
それも口にナマンダブナマンダブと念仏を称え心にも阿弥陀さまを念じてといいます。
その仏道修行のなかで煩悩の心を離れて見仏、仏さまにあえるといいます。さとりへの道きびしい仏道修行です。
 
 とてもとても一日たりともそうした仏道修行ができない私を思います。
風邪をひきこうして身を横たえることしかできない今の私です。
 そういうなかにあってもナンマンダブとお念仏申せます。
 
 阿弥陀さまのお念仏はこうしてこうしてこうしなさいと条件を付け
お念仏しなさい何回しなさいというお念仏ではありません。
 阿弥陀さまの方から私のところに来てくださってあるお喚び声だといただきます。
「いつも私が一緒だよ。まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のお念仏です。
「風邪をひいて大変ね。まあここはゆっくり休みなさい」と
何か自分に都合のいいように聞いているみたいですが、お念仏申すことしかできない私です。
 
 どんなに頑張って頑張って頑張ってもできないことってたくさんあります。
まあそこはおまかせするということでしょう。
 風邪をひいて布団に身を横たえゆだねることしかできない私です。
ナンマンダブとお念仏を申し阿弥陀一仏におまかせして
時間はかかりますがまた元の体調になって普段のことをさせていただきたいと思います。
 
 起きるとまた色んなことを思って何やら始めてしまいます。
今日のところはゆっくり体を横たえお念仏申すなかに過ごさせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.20)

白骨が教えてくださること

 納骨のご縁がありまして、誰のお遺骨か分かるように骨壺の蓋の裏にお名前を書いていただきました・
白骨が見えました。私もよく知っているお世話になったご門徒さんの白骨です。
 
 「朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり」の御文章さまのお言葉をいただきます。
納骨してしまうと骨壺という形でお遺骨を拝しますが、中には有縁の方の白骨が納めてあるのです。
白骨を見せていただくなかに大切なことを教えていただきます。
 
 白骨が私たちに教えてくださることです。
白骨は我が身の行く末のすがたそのものです。
この身いつ命終えて白骨になれる無常の世を生きているのに
何かウカウカ毎日を過ごしてはいないか空しい人生を送ってはいないか。
 念仏申して生きて往けよ。
南無阿弥陀仏「必ず救うまかせよ」のおはたらき一つに
念仏申すなかにこの命は終わるけれどもそのまんま阿弥陀さまのお浄土に生まれ往くことができるんだよ。
そのことを聞けよ聞けよ聞いてくれよ知ってくれよという白骨の叫びのように思いました。
 
 私たちのご先祖でいいますと、たくさんの方々が白骨となって土に還り私を支えてくださってあります。
あらゆるいのちのつながりのなかにこの命をまさに生かされて生きてあるということを
納骨のご縁にまた教えていただきました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.19)

大分の町中で公開講座がありました

 昨日は大分の町中ホルトホールで大海組の仏教壮年会連盟主催で公開講座がありました。
初めての試みでどれほどの来場があるのか少し心配していました。
講演が始まって少し遅れて会場に入りましたが、300人収容の大会議室がほぼいっぱいでした。
 正直びっくりしました。
大海組内の17のお寺さんの関係者もたくさん来られていたと思いますが
公開講座ということで初めてのご縁の方も多くいらっしゃったと思います。
講座終了後出口に立って見てますと、結構知らない人が多かったです。
 
 何でこんなに多くの人が集まったのかと思います。
テーマが終活ということで年齢的に60代後半70代80歳近い方が大多数でした。
人生の終わりに臨んで皆さんそれぞれに求めるところがあるということなのでしょう。
 終活についての講座は今盛んです。
ただ病気になって延命治療をどうするかとかお葬式は遺産相続はといった実務のことが殆どです。
大変大事なことでそれこそ元気なうちにこうした課題に取り組むことも肝要です。
 
 ただ今回の終活講座はお医者さんが仏教を語るということで大変興味深い内容だったと思います。
老病の現場におられるお医者さんが生死の問題を仏さまの教えを通して語るということです。
 人生の終わりに臨んで仏さまは何をどう教えてくださってあるのかということです。
「何のために生きいているのか?」「死んだらどうなるのか?」という人生そのものの問いです。
 
 若くて健康で忙しい中に中々考えることのない、しかし避けて通れない大事な生死の問題です。
仏さまの教えを聞くことでいえばお寺のご法座のご縁に参ってお坊さんに聞けばいいのですが
お寺は入りにくい所でお坊さんからというと何か敬遠してしまうようなことだと思います。
 
 今回の公開講座はお寺ではない所でお坊さんではない方ということでのご縁でした。
私もお寺のお坊さんとして何か情けないような気もしますが、今のお寺お坊さんのおかれた現実だと思います。
 
 お坊さんもただお寺にお参りしてください、仏教のお話を聞いてくださいと
お寺で待ちの姿勢を決め込むのではなくお寺から飛び出して仏さまのご縁をつくっていくことが
これから益々大事になってくるように思います。
 
 ただお寺の力も捨てたものではないと感じたことでもあります。
お寺からの呼びかけです。
「一緒に公開講座にいきましょう」と声かけをしてご門徒有縁の皆さんもご縁をいただけたということです。
 そして仏教壮年会のご門徒皆さんの力です。
自分たちの会の取り組みとして準備を重ね当日は種々お手伝いくださいました。
一人一人が自ら仏さまのご縁といただいて積極的に参画してくださったことです。
 
 昨日のご縁は大きな意味でこれからのお寺のあり方仏教のあり方を見直す機会になってよかったと思いました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.18)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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