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お念仏を申す生活法話

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古いお仏壇と聖典のいのちにお礼のお念仏です

2020-09-21
 先ほど喚鐘をつく時ちょうど東の空に向かいますが
太陽が真正面から昇って陽が光輝いてまぶしかったです。
 今日は清々しい秋の天気になりそうです。
 
 昨日は仏壇じまいのお礼のお勤めをしました。
一昨年お家で一人暮らしのお母さんが亡くなって
ずっと住む人がなくお仏壇がそのままでした。
 現在住いの福岡の家にお仏壇を申すということですが
住宅事情でお仏壇をそのまま移すわけにもいかず
コンパクトな小さなお仏壇を考えているとのことです。
 
 現役でお勤めをされている方で定年後は
大分に帰って来たいということです。
 ご本山のコンパクトなお仏壇を照会しました。
大分に帰った時には新しいお仏壇を申したらどうですか
と提案しました。
 
 お礼のお勤めです。
お家の中心にあってずっとご家族の方々を
見守ってきてくださった仏さまです。
 若い時分はお仏壇に手を合わせることが
中々できなかった私たちですが
どんな時にもお家の中心にお仏壇があったのです。
 歳を重ねて大切な方とお別れする悲しいご縁で
お仏壇に手を合わせるご縁をいただいて
今ここ仏さまの御前に座らせていただき
ご一緒にお念仏申す私にしてくださったのです。
 
 そして昨日はいつも法事に持っていく聖典を
新しい聖典に入れ替えました。
 前々から気になっていたことですが
聖典が古く手あかがついたり折り目がついて
痛んで破れたりともうボロボロの状態でした。
 特にこのコロナ禍で皆さんに不快感を与えていたら
ご法義に相済まないことです。
 
 古いものから新しいものへ新旧交代です。
ただ何でも新しいものがいいということではありません。
 古いお仏壇や聖典に先人の思いが偲ばれます。
確かに時間が経って使えば使うほど汚れて痛んできます。
 お仏壇はお灯もつけず香も炊かず
閉めたままでしたらきれいなものです。
 聖典もそのままどこかにしまい込んでいたら
ずっと新品のままです。
 
 仏さまのものを使わせてもらうことの有難さです。
お仏壇にお参りして聖典を拝読します。
 お念仏申すご縁をいただくほどに
仏さまのものは汚れて痛んでくるのです。
 有難いことです。
 
 今日明日とお彼岸のお勤めをさせていただきます。
どうぞ声をかけ合ってお参りしてください。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.9.21)

仏さまのお供えの栗ご飯をおすそ分けいただきました

2020-09-20
 昨日が彼岸の入りで秋のお彼岸ウイークになります。
世の中は昨日から4連休のGOTOトラベルキャンペーンで
全国方々に行かれる方がたくさんいらっしゃるようです。
 
 昨日は土曜日ということもあって
朝からピンポーンと本堂のチャイムが何度も鳴りました。
 納骨堂にお参りされる方々で
ピンポーンをここちよく聞いていました。
 
 お寺の納骨堂はお内陣の真下にあり
本堂から自由に出入りしてもらっています。
 どなたがお参りされたのかはわかりませんが
私たちが居る庫裡に声をかけてくださる方がいて
HEさんでした。栗ご飯をもってきてくれたのです。
 
 HEさんのお連れ合いが亡くなり
お母さんKSさんが亡くなって二度目のお彼岸を迎えます。
 春のお彼岸の頃は百か日前で
まだまだ落ち着かなかったと思いますが
初盆のお勤めが済んでこの度の秋のお彼岸です。
 栗ご飯を炊いて仏さまにお供えにみえたのでしょうね。
何かいいなあと思います。
 
 ちょっとこんなことを想像してみました。
このお彼岸の時期にKSさんがよく栗ご飯を炊いて
仏さまにお供えしHEさんにもおすそ分けしていたのかな
ご親族の皆さんがKSさんのお家に集まって
お仏壇の前でKSさんが作ったものをいただいて
にぎやかにご一緒されていたのかななどです。
 そのことを思い出してHEさんが栗ご飯を炊いて
仏さまにお供えし皆さんにおすそ分けするのかなと
思ったりです。
 
 納骨堂のお家のお墓納骨壇に皆さんがお参りされます。
先に往かれた大切なお方に会いに行くんですね。
 会いに行くところがある有難さです。
ナンマンダブツとお念仏申してお礼をさせていただきます。
 
 南無阿弥陀仏のいのちに共々につながった
私たちのお念仏の営みお念仏申す生活です。
 私たちは死んだらしまいの命を生きているのではなく
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
人の命終えて阿弥陀さまのお浄土に生まれ
仏さまに成らせていただく
南無阿弥陀仏のいのちを今ここに生きていると
聞かせていただきます。
 
 お念仏のご縁つながりのなかに今も命終えた後も
私たちは共々に南無阿弥陀仏のいのちの物語を
これからもずっと紡いでいくのです。
 
 人それぞれの物語ですが
南無阿弥陀仏のいのちのおはたらきにつながって
お念仏の生活をさせていただきます。
 
 そして誰もがみんな必ず命終える時が来ますが
南無阿弥陀仏のおはたらきでお浄土の仏さまとなって
迷いのこの世に還って来て人々を護り救うというのです。
 
 おすそ分けの栗ご飯をいただいて
色んなことを思い浮かべあったかい気持ちになりました。
 
 朝方急に冷え込んできました。
あわてて布団を一枚重ねました。
 お念仏の布団です。
私をそのまま包み込んでくださる
仏さまのお慈悲のぬくもりです。
 
 お念仏の布団にくるまって
ゆっくり安心できる居場所があることを
またお彼岸のご縁に聞かせていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.9.20)

七日七日のご縁に一堂に御仏前に座りお念仏申させていただきます

2020-09-19
 お葬式のご縁で七日七日のお勤めをさせていただきます。
いつものご法事のように聖典をお持ちして
ご一緒にお勤めをいたします。
 
 今はコロナ禍ということもあって
ご親族がお参りするところが本当に少なくなりました。
 お寺によくご縁のある方がお参りされますと
皆さんのお勤めの声が結構聞こえますが
今までご縁がなかったお家に行きますと
声が中々出なくて聖典をめくる気配だけが
聞こえるような感じです。
 
 お勤めの後でご法話をさせていただきます。
これまでの経験から初七日から満中陰までお話を決めて
何度もご縁に遇った人は同じ話を何回も聞くことですが
初めてお聴聞される方もあり
聞くも初事話すも初事とお取り次ぎさせていただきます。
 
 浄土真宗のみ教えがそのまま形となっている
阿弥陀さまのお浄土を表すお仏壇のお話です。
 昨日は3七日のご縁でご本尊のお話をしました。
お茶をいただくなかでお家の方が
「念仏したらそれでいいんですね」って言われました。
 ちょっとびっくりしました。
これまでお寺にお参りされたことがない方で
ご法話を聞いてそのままの感想だったと思います。
 
 浄土真宗のみ教えは念仏一つで救われるご法義です。
私がこの口で称える念仏ですが
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで救われるということです。
 阿弥陀さまのご本願のおはたらきが南無阿弥陀仏となり
私に届いて私の口からお念仏が出てくださるのです。
 
 私が今こうしてお念仏申すところに
もうすでに阿弥陀さまの「あなたを必ず救う」という
お手回しのおはたらきが届いているということです。
 
 お念仏の大本は阿弥陀さまのご本願です。
十方衆生すべてのものを分け隔てなく必ず救うという
南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただき
お念仏申す身になって私が救われていく
お浄土への人生を歩ませていただくのです。
 
 ご法義のお話は話して聞いて覚えて理解して
わかったということではありません。
 どうぞこれからも聞いてください
ご縁ご縁に何度も何度も聞いてくださいと申しました。
 
 仏さまのご縁です。
大切なお方とお別れする悲しいご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただいて
今日も皆さんご一堂に御仏前に座らせていただけることを
また有難くお礼申させていただきます。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.9.19)

「信を獲れ信を獲れ」と蓮如さまのご催促です

2020-09-18
 お朝事で毎日御文章さまを拝読させていただきます。
私たちにお手紙くだされた蓮如上人のお心は
他力の信心をいただいてお念仏申す身になってくれよ
ということに尽きます。
 
「信を獲れ信を獲れ」と言われます。
獲るというと私がと力が入りそうですが
阿弥陀如来の本願力ご本願のおはたらきにまかせて
南無阿弥陀仏のお心を聞くことなんだよというのです。
 念仏一つで救われるとのご教示で
お念仏のご縁に遇うことを勧められるのです。
 
 毎月18日に拝読させていただく「大坂建立の章」は
蓮如さまのお心持ちを強くいただくところです。
 84歳になって夏から体調が悪くなり
冬には往生するであろうと思うなかで
「あわれあわれ存命のうちに
みなみな信心決定あれがしと朝夕おもいはんべり」と
生きているうちにみんなが信心決定するようにと
いつもそのことばかり思っていますと述べられて
最後に「あいかまえてあいかまえて
この一七箇日報恩講のうちにおいて信心決定ありて
われひと一同に往生極楽の本意を
とげたまうべきものなり」と
今日11月21日から勤まる七昼夜の報恩講にお参りされて
どうかどうか誰もがみんな信心を決定して
共々に浄土往生をとげたいものですと結ばれるのです。
 
 蓮如さまのお心持ちがそのままいっぱいです。
一人でも多くの人ではありません。
みなみな信心決定してほしいというお心です。
 信心決定することこそ阿弥陀如来や親鸞聖人のご本意に
沿うものであるとの蓮如さまのご催促をいただいて
お念仏を申すなかに今日の一日も
生き抜かせていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.9.18)

寄合と談合のお念仏のご法座です

2020-09-17
 蓮如上人はお念仏のみ教えを私たちに
どう届ければいいのかいろんな工夫をされて
寄合と談合というお念仏のご法座のかたちを
つくってくださいました。
 
 今はコロナ禍で人が多く集まることは憚れますが
人人が集まって話をすることは
今も蓮如さまの当時(室町時代)も同じように
庶民の日常の楽しみだったと思います。
 
 蓮如さまは人々が楽しみに集まる講に着目して
お念仏の講をつくって皆さんに勧められたのです。
 蓮如さまが直接各地の講に参るということではなく
南無阿弥陀仏のお名号を揮毫してそれぞれの講に送り
講が開かれるお家の中心に掲げてご本尊としました。
 
 ご本尊を中心としたお念仏の講です。
講にお参りした皆さん一緒にお正信偈さまのお勤めをし
後で車座になってお茶を飲みながら色んな話になります。
 楽しい世間話のなかに
お念仏のご法義の話になります。
 
 お念仏のお話はお坊さんがするもので
ご門徒衆はご法話を聞く人というイメージが
皆さんどこかにありませんか。
 蓮如さまは平座同座ということを言われて
お坊さんもご門徒さんもそれぞれ役割があるけれども
一堂に阿弥陀さまの御前に座らせていただく
お念仏のお同行だといわれるのです。
 
 そして「物をいへ物をいへと仰せられ候。
信不信ともにただ物をいへと仰せられ候。
物を申せば心底もきこえ又人にもなをさるるなり。
ただ物を申せ」といわれました。
 
 黙っていると自分の聞き違いなり
理解不足を直してもらうことができません。
ものを言って、自分の意見を言い張るのではなく
みんなに直してもらうことが
何ごとにつけても大切だといわれるのです。
 
 お念仏のご法義にもとるようなことがあったら
直してもらえるというのです。
 談合です。
お互いにものを言い話し合うのです。
自分の主義主張を述べるのではありません。
 ご本尊を中心としたお念仏のご縁です。
南無阿弥陀仏のご本尊のお心おはたらきを
皆さんお互いに聞かせていただくのです。
 
 お念仏の講ご法座の最後に蓮如さまのお手紙の
御文章さまを皆さんで拝読します。
 浄土真宗のみ教えの肝要です。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つでどんな人も等しく
そのまま必ず救われるとのご法義です。
 
 お念仏一つで救われると聞かせていただき
お念仏申して今日の一日も生きてまいりましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.9.17)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
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