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お念仏を申す生活法話

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<お坊さんユーチューバー>のお話です

2020-09-11
 コロナ禍でお寺の法座が中止になったり
少なくなったりするなかで
お坊さんがユーチューブで法話を発信されている話題です。
 
 名づけて<お坊さんユーチューバー>というそうです。
誰もいないお寺の本堂でカメラに向かってお話をしますが
中々できることではありません。
 
 今もこうしてお話をしていますが
聞いてくださる皆さんがいるからお話ができるのです。
 生身の皆さんと私の今ここでのライブです。
皆さんの表情しぐさが気になります。
 頷いたりにこっとしたり下を向いたり目をつぶったりと
気持ちが高揚したり落ち込んだりして
原稿通りの話にならなかったりすることもあります。
 
 ユーチューブの法話発信にはいろんな見方があって
そんなことをしたら益々お寺にお参りする人が
いなくなるのでないかという心配ですが
お坊さんユーチューバーの見方は違います。
 お寺にお参りする人の数ではなく
これまでお寺にご縁がなかった人
本当にご法話を聴聞したい人にとっては
今までにない方策だというのです。
 
 お寺参りは門徒の務め義理参りという見方があります。
それはそれで大変有り難いことで
その姿を子どもや孫が見て育って
おかげで今のお寺参りの私たち皆さんがあることです。
 
 ただお寺の社会は門徒だけの小さな限られたもので
今は核家族で子どもや孫と同居するところが少なく
親の姿を見て育つというご縁は中々難しい状況です。
 
 そうした現状コロナ禍のなかで
ユーチューブでの法話発信です。
 門徒だけでなく不特定多数の人が対象です。
どんな人にも観て聴いてもらえるということです。
 
 お寺の敷居は高いと言われます。
お寺に仏教に興味があってお寺にお参りしたくても
お寺の門をくぐることが難しいというのです。
 そしてやっとの思いでお寺にお参りしても
何かキョロキョロ見られている感じがして居心地が悪く
「とても嫌だったもうお参りする気になれない」と
言われたこともあります。
 
 どこの誰々か門徒か門徒でないか
若い者がどうしてお寺にお参りかといった見方です。
 本当に窮屈な世界になってしまっているのです。
そしてお寺の内に居るものがそのことに気づくことなく
ただお参りが少なくなったと愚痴をこぼしているのです。
 
 誰でもどんな人にも開かれたお念仏のみ教えなのに
南無阿弥陀仏のおはたらきを広めるのではなく
邪魔をしているのではないでしょうか。
 
 これまでお寺に縁もゆかりもない人が
ユーチューブでご縁をいただき
こんなお寺に行ってこのお坊さんのお話を聞きたいなと
思ってくれたらしめたものです。
 その人自らの意思で目的をもってお参りするのですから
周囲の人がどのような見方をしようと関係ありません。
 
 コロナ禍でお寺がご法座のあり方が変わるチャンスです。
みんながみんな今すぐ早速できることではありませんが
これからのお寺ご法座のあり方を提案することが大事です。
 私自身スマホ一つ自由自在にできませんが
分からない知らないからと全て若い人に任せるのではなく
私にできることを一つでもさせていただきたいと思います。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.9.11)

何をもってコロナの収束を言うのでしょうか、その時私たちの生活はどうなるのでしょうか。

2020-09-10
 今はコロナ感染の時ですが
何をもってコロナの収束を言うのでしょうか。
 昨日のニュースでイギリスの製薬会社が開発している
ワクチンの臨床試験(治験)を一時中断したといいます。
 治験とは開発中のワクチンの有効性を試す実験で
健康な人にワクチンを接種するのですが
何か不都合があったということでしょう。
 
 ワクチンの開発は大変難しく巨額の費用もかかって
専門家がいうには通常ワクチンの開発実用化には
10年以上かかるとのことです。
 ワクチンの接種で事故が起こらないか
副作用がないか慎重にならざるをえないのです。
 
 ワクチンの実用化をコロナの収束と訴える
世界の政治指導者はワクチンの早期開発に前のべりです。
 アメリカでは11月までにワクチンは完成すると
大統領選をにらんだ自己保身の演説が聞えます。
 
 ワクチンを開発するのは科学者であって
政治家ではありません。
科学と政治の役割をわきまえないで
コロナとの闘いを声高に言って
中国では「コロナに大勝利」の政治スローガンが踊り
人類がコロナに打ち勝った証としての
オリンピック開催が言われています。
 何か違和感があります。
 
 何をもってコロナの収束を言うのでしょうか。
私たちは収束までじっとしているわけではありません。
生活しています。今を生きているのです。
 コロナの前も今もそしてこの後も
私たちは食べることを欠かさず
今日もこうして生きています。
 
 そしてこのお朝事も毎日欠かしていません。
お念仏申して今日一日の生活を始めさせていただきます。
 仏さまのご縁をいただくご法座です。
阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のはたらき場所です。
 
 コロナ禍で「コロナだから」と行事が軒並み中止になり
お寺のご法座もまた中止になっています。
 コロナが収束した後です。
私たちの生活もご法座のあり方も変わっていくのでしょう。
 コロナ以前のように戻ると安心と思うのが私たちですが
今新しい生活様式が言われ新たな試みがなされています。
 
 果たして以前のようなご法座が
これからもできるのでしょうか。
 ご法座が命の私たちのお寺です。
ご法座のあり方お寺のあり方そのものを見直し工夫して
新しい様式に変わっていく今がチャンスかもしれません。
 
 誰彼に考えてもらうことではありません。
私たちのお寺です。
 今このコロナの時代にあってご一緒に考え
できること一つから始めてまいりましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.9.10)
 

一枚一枚切手を貼ります

2020-09-09
 昨日ご門徒さんにお彼岸のご案内を発送しました。
三佐地区はお世話人にご門徒のお家に届けてもらい
地区外のご門徒には郵送させていただきます。
 お寺の法要案内を主に二か月に一度年6回の郵送です。
今は三佐地区外の方が大変多くなりました。
 
 郵便局で切手をたくさん求めます。
郵便局の局員さんから
「スタンプも使えますが…」と言われました。
 切手を一枚一枚貼るのは大変です。
スタンプだったらそんなに時間もかかりません。
「(それは)わかっていますが…」とこたえて
切手を受け取りました。
 
 こだわりです。
以前はわざわざ記念切手を求めていましたが
同じ種類のものが少なく大きさなど使い勝手が悪くて
今は普通の切手にしています。
 
 何でそんなことにこだわるのかと思われるでしょうが
手間暇かかってもこだわりたいのです。
手間暇かかることこそ大事だと思うのです。
 
 スタンプは何か事務的機械的な感じがして
今は宛名も手書きのものではなく
だからこそせめて切手を貼ろうと思うのです。
 お寺からの仏さまのお便りです。
少しでも仏さまのお心を届けたいのです。
 
 郵便を受け取るご門徒さんの対応は様々だと思います。
円光寺の封書を見ただけで封を切らずにそのままにして
ゴミ箱に直行ということもあるかもしれません。
 
 阿弥陀さまのお便りは南無阿弥陀仏のお喚び声です。
「いつも私が一緒だよ安心しなさい。まかせよ救う」と
私をいつでもどこでも喚び続けてくださっているのです。
 声になってくださった仏さまです。
私が背中を向けて無関心を装っていても
あきらめることなく声をかけ続けてくださるのです。
 
 自分のことで精いっぱい生きることで精いっぱいで
お寺のことなど関係ないとうそぶく私がとても心配で
摂取の光明を放って
もうすでに抱き取ってくださってあるのです。
 大悲弘誓(だいひぐぜい)のお心です。
そのお心を少しでもお届けしたいと思うのです。
 
 切手を貼るには時間がかかりますが
阿弥陀さまのご苦労を思えば何のその
辛抱強く何度も何度も喚び続けられた
南無阿弥陀仏のお手回しのおはたらきがあってこそ
今この私がここ阿弥陀さまの御仏前に座っていることを
有難くいただきます。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.9.9)

猫ちゃんの仏さまのご縁です

2020-09-08
 大型で非常に強い台風10号という数日前からの予報で
備えをよくされていたということでしょうね。
 個々で小さな被害はあったと思いますが
大きな被害にならずに済んだということのようです。
 ただ周到に準備をした分後片付けがあって
台風一過の昨日も大変だったと思います。
 
 日曜日のお参りは法事は延期になり他は休みにして
昨日の法務は控えさせていただきました。
お朝事もお休みしました。
 そうしたなかで朝お葬式の連絡があって
昼お参りに行きました。
 
 お勤めの後「お幾つでしたか」と聞きましたら
「23歳でした」と答えられその後に
「人間の年でいったら108歳です」と言われました。
 ペットの猫ちゃんのご縁だったのです。
そのお家の猫ちゃんのお葬式はこれで2回目です。
 3匹の猫ちゃんがいて
一番長寿の猫ちゃんが亡くなったということです。
 
 電話口からもう涙声です。
お家にお参りしますと大勢の人でいっぱいです。
 昨日は学校がお休みで子どもたちも多く
15人ほどのお参りでした。
 皆さん黒っぽい服を着ていました。
悲しみのご縁では当たり前のようですが
今は少人数の簡素なお葬式が増えている中で
何か珍しい感じさえしました。
 
 少しお話をしました。
猫といっても阿弥陀さまの救いの目当てで
私たちと同じ十方衆生です。
 生きとし生けるもの全てを分け隔てなく必ず救うと
南無阿弥陀仏のおはたらきです。
 お仏壇の真ん真ん中にご安置の
阿弥陀如来さまのお慈悲のお救いです。
 
 今皆さんがここ阿弥陀さまの御仏前に
お参りされていることこそ
仏さまのおはたらきですというお話です。
 この私を仏さまの御前にはこんでくださったのは
誰でしょう。猫ちゃんです。
 ただの猫ではありません。
仏さまが猫の姿になってくださってのおはたらきです。
 
 どこまでも私が私がと自分中心に生きて
御仏前に座ることなどないしぶといこの私を
御仏前に座らせてお念仏申させてくださったのです。
 
 猫ちゃんの仏さまのご縁です。
家族同然に一緒に生きた猫ちゃんの悲しいご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただいて
お念仏申すなかに共々に
これからも生かされて生きてまいりましょう。
 
 人猫犬とそれぞれにみんな違います。
私たち人間もそれぞれに生活ぶりは違いますが
生きとし生けるいのちをすべて
それぞれに等しくそのまま救うとおはたらきの
仏さまがいらっしゃると聞かせていただき
今日も一日お念仏申す生活をさせていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.9.8)

「後生の一大事油断あるまじく候」

2020-09-06
 嵐の前の静けさと言います。
台風がどこかに逸れて行ったのかと思ったら
予報通り勢力はそのままで九州の方に向かっています。
 
 大型で非常に強い台風という形容詞がついていますが
もう一つ今までに経験したことがないという凄い文句です。
 とにかくできる限りの備えをしましょう。
 
 昨日少しふれましたが
「後生の一大事油断あるまじく候」という
越中赤尾の道宗という蓮如上人の頃のお同行の言葉です。
 後生の一大事とは後生は今生の後のことで
この命終えてどうなるのか命のゆく先の解決を
油断なく聞いておきなさいと
仏法に遇うことを勧められるのです。
 
 今日は忙しいから明日聞けばいいとか
まだ若いから歳をとってから聞けばいいからと
油断していたら
若くて健康な人もどんな人もいつどんな形で
この命を終えていくか分からないのだから
仏法を聞かずじまいに命終えるのは空しいもったいないと
今日この時に仏さまのご縁に遇って
早く後生の一大事の解決をして
お念仏申す身になってくれよというのです。
 
 阿弥陀如来のご本願のお力おはたらきをいただいて
お念仏申す人生を歩ませていただき
命終わってそのまま阿弥陀さまのお浄土に生まれて
仏さまに成らせていただける南無阿弥陀仏の救いの法です。
 死んでから後では間に合いません。
仏さまのご縁に遇って今聞けよとのご催促なのです。
 
 台風が来てからでは間に合いません。
油断なく今できることを精いっぱいして
台風10号に備えましょう。
 
 明日の朝に最接近との予報です。
明日のお朝事はお休みさせていただきます。
 どうぞ皆さんお気をつけください。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.9.6)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
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