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お念仏を申す生活法話

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3月は4月スタートに向けての準備期間です

 3月に入りました。春です。朝も随分明るくなりました。
春スタートというのは4月からですが、3月は4月スタートに向けての大事な準備期間になります。
 
 学校では3月に卒業式があります。
卒業といえば別れですが、別れは出会いの始まりで4月は入学入社ということです。
次のスタートに向けての卒業という大事な人生の節目です。
 
 何をするにしても種々準備することの大切さを思います。
いつも常日頃から準備しておくという準備もありますが、この時期だからこそ集中してするできる準備です。
 これまでの人生を振り返り、これからの人生を思い描くなかに
じっくり考えて次のステップに向けて準備をすることで新たなスタートがきれるということです。
 
 昨日一昨日と米朝首脳会談がベトナムのハノイでありましたが
結局は両者で合意ができませんでした。
 朝鮮半島の非核化と経済援助(制裁解除)という大きなテーマについての協議です。
本当に難しい問題だと思いますが、トランプ大統領はツイッターで金委員長のことを持ち上げ
どんなに困難な問題でも直接二人で会って話したら分かりあえると発信していました。
 
 ただそんな簡単なことではないことは世界中の誰がみても分かっていることです。
これまでの歴史が物語ります。朝鮮戦争北朝鮮の建国からいっても60年以上の歴史です。
近年では核実験の実施やミサイルの度重なる発射もありました。
 それぞれ立場の違う国同士です。それぞれの国を代表する人の思惑も違います。
これまで無視したり敵対していた者同士が分かりあえるには相当の準備と時間が必要だということです。
 
 それほどまでの準備とまではいかなくても、できるだけの準備をして
4月からの新たなスタートに備える一か月にしたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.3.1)

「オオモリって何ですか?」と尋ねられました

 ご法事のご縁でお勤めの後お茶をいただきます。
お参りの方と向き合ってこちらから言葉をかけることもありますが、こういうことを聞かれました。
 
 「ラジオで日曜日の朝『西本願寺の時間』を聞いています。
そのなかでオオモリと言われますが、どういうことでしょうか」という質問です。
 オオモリと聞かれて何かなと思っていましたら、それはボウモリじゃないのといってくださる方がいて
合点がいきました。
 西本願寺の時間のパーソナリティが徂徠真弓(そらいまゆみ)さんというお寺の坊守さんで
放送の最初にいつも「ジャズヴォーカリストで坊守の徂徠真弓です」と言われる声が
オオモリと聞こえて何のことかなとずっと思ってらっしゃったということです。
 
 浄土真宗のお寺では住職(ご院家さん)の連れ合いのことを坊守といって「坊守さん」と親しく呼ばれています。
坊守とは坊舎(お寺)を守ると書くようにお寺にあってご院家さんを支える心強いパートナーですというお話をしました。
 
 このたびのご縁で何といっても日曜日の7時から西本願寺の時間を聞いてくださっていることが本当に嬉しかったです。
その方はご夫婦でお店を自営していて多分朝早くから起きてラジオをつけっ放しにしてお仕事をしているのでしょうね。
 西本願寺というお寺の放送ということで気を付けて聞いてくださり耳に残った言葉がオオモリだったということで
そのことを尋ねてもらえるって本当に有難いことだなあと思いました。
 
 今は日々の生活のなかでラジオを聴くことはどれくらいあるでしょうか。
若い人になったらそれこそスマホです。
パソコンからもいろんな情報を必要なものだけ簡単に得ることができます。
本当に便利です。
 
 だからラジオをつけなくってもということですが、でもラジオを日常的に聴いている人もいるということです。
年輩の方になるとスマホやパソコンよりラジオやテレビです。
 
 そういうなかに一人でも多くの人に「西本願寺の時間です。今日もお念仏を申しましょう」と
徂徠さんの声がスーッと入ってくるということが
やっぱりラジオの力というのは捨てたもんじゃないなと思いました。
 
 それからその方が質問してくれたということです。
長い間オオモリって何だろうかと疑問だったと思います。
聞きたくても中々聞けなかったことがご法事のご縁でできました。
よかったですね。疑問が晴れてよかったですねと言いました。
 
 仏事のこと何でもどうぞお尋ねください。
ナンマンダブツとお念仏申すご縁があってお話ができたことを本当に有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.28)

ゲーテの最期の言葉は「もっと光を」でした

 ドイツの有名な詩人ゲーテは「若きウェルテルの悩み」の作者でも世界中に知られていますが、83歳で亡くなられます。
その時言った「もっと光を」が最期の言葉として後世に伝えられています。
 悩み多き人生を達観するようにもっと光をと、希望をもって生きてくれよと
最後に私たちに言い遺してくれたのでしょうか。
 
 ところが「もっと光を」と言われた後に「そこの格子戸を開けてくれ」と続けられたそうです。
臨終の床です。部屋が閉め切られて暗かったのでしょうか。
明るい光を求めて「その格子戸を開けてくれ」ということだったのでしょうか。
 
 光は希望を表します。私たちがこの人生を生きるうえで光は大きな大きな安心となって私たちを支えてくださいます。
逆に真っ暗闇のなかでは私たちは不安を抱えそれが苦しみ悩み迷いとなってくるということです。
 
 私たちの阿弥陀さまのおはたらきは智慧の光明、摂取不捨の光明といわれます。
苦悩の迷いに沈む私たちをあらん限りの光明で照らしてくださりそのまま救うとおはたらきなのです。
 
 阿弥陀さまの智慧の光明に照らし出されたご自身の姿を親鸞聖人は煩悩具足の凡夫といただかれました。
法然聖人は愚者と言われています。
 阿弥陀さまの智慧の光にわが身の真実ありのままの姿を知らされそのまんま摂取不捨救われていくのです。
 
 ゲーテは「もっと光を」と言われました。
私たちはもうすでに阿弥陀さまの光のなかに摂め取られてあるのです。
そのことを「もっと聞けよ」とお勧めです。
 
 智慧の光明摂取不捨の光明のみ教えをわが身のこととして聞かせていただきましょう。
もっと聞けもっと聞けよとのご催促にお念仏申して
南無阿弥陀仏のお心おはたらきを聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.27)

沖縄で県民投票がありました

 沖縄の県民投票が一昨日あって、辺野古への米軍基地移設に反対する得票が72%の多数を占めたということです。
全有権者数の4分の1以上になり、予め条例で決めていたように
日本の首相とアメリカの大統領にその旨を報告するということです。
 実際の反対票でいいますと全有権者の37%だったそうです。
 
 今回の県民投票には法的な拘束力はありませんが、この数字をどのように見るかということです。
安倍首相が在任中にこれこそは成し遂げたいという政治課題が憲法改正です。
この憲法改正の国民投票は投票数の2分の1の賛成で成立します。
昨今の選挙の投票率は概ね半分前後なので、その2分の1でいったら4分の1です。
そのことからしても4分の1以上という数字はかなり高いハードルです。
 
 37%の反対の意思表示があってもそれ以外の63%の人は反対ではないのではないかという見方もありますが
ただ今回の県民投票は今の沖縄県民の民意そのものと受け止めるべきでしょう。
この前の県知事選挙の過去最高の得票数より今回の反対得票がはるかに多かったという事実です。
 
 昨日はテレビ各局のニュース特集で沖縄の人たちに投票前後の複雑な思いを聞いていました。
最初から賛成反対を決めていた人もいれば、「どちらでもない」という選択肢を含めて
最後まで悩んで悩んで投票した人、投票自体を棄権した人と様々でした。
 
 ただすべての沖縄の人の思いは本土の人にも本当に沖縄のことを考えてほしいということだったと思います。
沖縄の歴史は首里王国の時代から周囲の国々との交易と政争のはざまのなかにあって
太平洋戦争末期には地上戦(沖縄戦)があり住民の4分の1ともいわれる多数の犠牲者をだし
戦後長く占領下にあって日本への返還も一番遅れ、未だに米軍基地がいっぱいという現実のなかで
日暮らししている沖縄の人たちは「私たちは同じ日本人じゃないの」という思いで
これは沖縄のことだと無関心を決め込むのではなく自分たちのこととして考えてほしいという思いではないでしょうか。
 
 安倍首相はじめ政府関係者は口をそろえて「この投票結果を真摯に受けとめます」といいますが
昨日も埋め立て工事は進んでいたということです。
 よく沖縄に寄り添うということを言われます。沖縄のことをいつも考えていますというメッセージです。
ただ何かあると寄り添うという言葉で取り繕っているような印象がしてあまりいい感じがしません。
 
 寄り添うということです。
私たちの阿弥陀さまはいつでもどこでもこの私に寄り添ってくださる仏さまになってくださいました。
 阿弥陀さまはあなた一人に寄り添っていくよと南無阿弥陀仏とおはたらきです。
あなた一人、あなた一人、あなた一人にです。
 どんなことがあっても決してあなたを見捨てることがないからいつも私が一緒だから安心して
あなたと共に生きていくよ、そしてあなたが命終えるとき私の浄土に生まれさせ仏にさせるよという
力強いおはたらきのなかに、私たちはみんな安心して生きていけるのです。
 
 仏さまの教えはあらゆるいのちのつながりのなかに私たちみんなが自他共に一緒に生かされて生きているという教えです。
そこに敵味方はありません。みんな一緒の御同朋なのです。
 日本だけではなく世界中で戦争があってほしくないというのが仏の願い、みんなの願いです。
武器も基地も要らないのです。
 
 でも私たち人類の歴史は有史以来ずっと略奪と戦争の繰り返しを続けてきました。
敵味方に色分けされ、血を分けた肉親同士もです。
 人間の欲望の極まりが戦争です。
これほど仏さまの願いから遠い遠い世界はありません。
 それは政治のことだからどうしようもない仕方がないあきらめるしかないと傍観を決め込むのではなく
だからこそ仏さまのみ教え仏さまの願いを聞かせていただくことの大切さを思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.26)

阿弥陀さまにおまかせの私の往生です

 昨日NHKのテレビで「大往生」という特集番組がありました。
103歳のお父さんを全盲の娘さんが看取るということでした。
在宅でということで80歳の在宅医の先生がずっと訪問看護されていました。
 
 大往生とよく言いますが、大往生と聞いて皆さんはどういうことを想像しますか。
多分一つはわが家でということでしょう。家族に見守られてということでしょう。
そして痛みもなく安らかに眠るように死を迎えるということを思われている方が殆どだと思います。
 
 ただそうありたいという思いはあっても中々その通りにはいきません。
何か大があると中があって小があるということですが、これは人間の私のものの見方であって
死の迎え方が人それぞれに違うし思い通りにはならないということなのです。
 
 これを苦というのです。思い通りにならないということです。
どのように死んでいくのか、その死にざまもそうですし、その生きざまも人それぞれ違います。
 
 往生に大中小はありません。
阿弥陀仏は苦悩に迷う私たちを見て取って、どんな人も平等に必ず救うというご本願を起こし
南無阿弥陀仏「必ず救うまかせよ」のおはたらきの仏さまに成ってくださったのです。
 その南無阿弥陀仏のお心おはたらきに信じまかせるなかに私の往生は決まるのです。
往生は私が決めることではなくて阿弥陀さまが決めてくださってあることなのです。
 だから本願を信じ念仏申す私たちは等しく阿弥陀さまのお浄土に往生できるのです。
阿弥陀さまのおはたらきに大中小の差別はありません。
 
 そのことを臨終のときに初めて聞くのではなく平生から聞いてくれよというのです。
平生業成といいます。平生、今ここにこの私の往生は決定していると聞かせていただくのです。
 親鸞聖人は現生正定聚といって今すでに正しく浄土に往き仏に生まれる仲間に定まってあると
阿弥陀さまの本願念仏のお救いの法を明らかに示してくださってあります。
 
 そうはいってもこの娑婆世間に生きる私たちは娑婆世間のことがいつも気がかりです。
いつも往生のこと阿弥陀さまのことを思うお浄土のことを思うということではありません。
 
 こうして皆さんお朝事にお参りをされました。
お寺参りはお浄土参りといただきましょうとお話しています。
 お寺にお参りするこのご縁のなかにどうぞ皆さんこの私の往生を思うてください。
阿弥陀さまのことを思うてください。
 
 そしてこの後皆さんお家に帰ります。お家に帰ると日々の生活が始まります。
まさに娑婆の生活です。
 ただこの娑婆の生活のなかに苦悩する私たちのために
阿弥陀さまの大きな大きな必ず救うまかせよの南無阿弥陀仏のおはたらきがあるということを
ご縁ご縁にお念仏申して聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.2.25)
円光寺
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