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お念仏を申す生活法話

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「不断煩悩得涅槃」煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり

 今日16日は親鸞聖人のお命日で
「信心獲得の章」の御文章さまをいただきます。
 浄土真宗のご法義の要である他力の信心をうるとは
南無阿弥陀仏のいわれを心得ることだといわれます。
 
 このなかで浄土真宗の仏道を親鸞さまはお正信偈さまに「不断煩悩得涅槃」煩悩を断ぜずして涅槃を得ると述べられて
南無阿弥陀仏のおはたらき一つでどんな人も煩悩を断ずることなく救われて仏に成るとお示しです。
 
 一般に仏道は苦悩の原因である煩悩を断じてさとりを得ると
煩悩を断じたところが涅槃であり仏に成るというのです。
 
 浄土真宗の仏道はこの世でさとりを開き仏に成るのではありません。 
南無阿弥陀仏の他力の信心一つで阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏に成らせていただくのです。
 これは浄土真宗独自の教えであり他流の人に誤解をまねくので注意しなさいと御文章は結ばれます。
 
 阿弥陀さまは悪業煩悩を造り重ねてこの世に生まれ生きる私を見て取られ
必ず救うとご本願を起こし南無阿弥陀仏と成就されて今こここの私におはたらきです。
 
 親鸞さまは南無阿弥陀仏のおはたらき一つで誰もがみんなそのまま救われるというご法義を開いてくださり
阿弥陀さまの智慧の光明に照らし出されたご自身を煩悩具足の凡夫といただかれました。
 私たちはこの身を生きる限り煩悩をもって生きていくしかありません。
阿弥陀さまは煩悩にまみれた煩悩いっぱいの私と知らせてそのまま救うてくださるのです。
 
 阿弥陀さまの大きなお慈悲のお救いの中にある私ですが
私が今この世でさとりを開いているということではありません。
 縁があればどんな悪いこともできるこの私に変わりありませんが
他力の信心をいただいて阿弥陀さまのお浄土に生まれて
必ず仏に成ると正しく定まったなかま正定聚の位に今あるというのです。
 
 そのことを聞かせていただくとき
すえ通った善いことはできない私ですが
少しでも善いことをしようと私にできる精いっぱいのことをさせていただきます。
 
 どこまでも煩悩具足の凡夫ですが
お念仏に生きる凡夫と心に入れて今日一日もお念仏に生かされて生きてまいりましょう。                  
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.16)

南無阿弥陀仏のご縁に遇ってご信心いただきお念仏申す身にさせていただきましょう

 今日の御文章さまは「毎月両度の章」です。
毎月二度の寄り合い(法座)を開くのは「往生浄極楽の信心を獲得する」ことが目的で
「ただ酒飯茶ばかりにて退散するのではない」と
飲み食いだけで終わってしまっては寄り合いの本意ではないとのお心です。
 お念仏のご縁に遇って南無阿弥陀仏のご信心をいただきお念仏申す身になってほしいとの願いです。
 
 蓮如上人の当時毎月両度二度のご法座が開かれていたことです。
毎月25日と28日だったそうです。
 今日の御和讃は源空聖人法然さまを讃えるご和讃で
最後に「本師源空命終時~初春下旬第五日」とありました。
 法然さまのご往生は「初春下旬第五日」初春は1月下旬第五日は25日のことで1月25日だったということで
法然さまの御命日25日に寄り合い
もう一日は親鸞さまの御命日11月28日の28日にご法座が開かれていたのです。
 
 この御文章を書かれたのは蓮如さまです。
蓮如さまの祥月命日は3月25日で法然さまと同じ25日が御命日で
それ以降も25日と28日の毎月二度お勤めをされてきたということです。
 
 円光寺は親鸞さまの新暦の御命日1月16日の毎月16日に常例法座のお勤めをしています。
御正忌、降誕会、盆両彼岸はそれぞれの法要に合わせてということで毎月一度の寄合いです。
 「月に一度はお寺参りしましょう」とご門徒皆さんに呼びかけています。
ご信心いただいてお念仏申す身にさせていただきましょうとの願い一つです。
 
 お朝事参りの皆さんは日々毎日のご縁です。
お念仏申す身にならせていただいて御恩報謝のご縁です。
 阿弥陀さま、親鸞さま、蓮如さまありがとうございますと
この手が合わさりお念仏申しお礼をさせていただいて
共々に今日の一日を始めることができるということ
本当に有難いことです。
 
 一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.15)

『お育てにあずかって』

 昨日光国寺のご院家さんの著書が恵送されてきました。
5月にお勤めする予定だった住職継職法要の記念に書かれたもので
コロナ感染禍で法要は延期になりましたが
予定通りに出版され届けられたということです。
 
 大学卒業後5年間ハワイのお寺に開教使として赴任されご自坊に帰られて
私たち同世代の僧侶の第一線で教学の研鑽と布教にご精進されてこられました。
 私の3歳年上で同じ頃自坊に帰り同じ大海組のお寺ということで
ずっと親しくご教導いただいたことです。
 
 開教使時代のご法話を読ませていただきました。
23、4歳の頃だと思いますが法味あふれる内容で有難く
今に至るまでのご法話が大変身近にわかりやすく書かれてあり一気に読んでしまいました。
 
 あとがきで
「『さて、本のタイトルは何に?』と考えた時、如来さまはもちろんのこと
私を今日まで支えてくださった皆々さまのご恩に思いを致し
『お育てにあずかって』の言葉よりほかには思い至りませんでした」とありました。
 
「祖母や父母をはじめ、恩師、法友、有縁の方々、光国寺ご門徒の皆さま
更にはハワイの仏教会メンバーの皆さま等々
数え切れぬほど多くの方々のお育てをいただいた歳月であったなあと感謝し
よろこばずにはいられません」と別記されています。
 
 私が生きてきた人生を振り返る時
そこにはいつも私と共に歩んでくれる人がいました。
 自分一人で生きてきたのではありません。
そうしたいろんな方々のお育てをいただいて今の私があるということです。
 
 これまで歩んできた人生は人それぞれ違います。
出会った人も違います。生活ぶりもそれぞれです。
 
 そうした私たちが『お育てにあずかって』と思い返すことができるのは
私たちは同じ中心をいただいているということではないでしょうか。
南無阿弥陀仏のお念仏です。
 お念仏のお育てにあずかって生きてきました。お念仏のお育てにあずかって生きています。
そしてお念仏のお育てにあずかってこれからもこの道を歩ませていただけるのです。
 
 お念仏の道です。阿弥陀さまのお浄土への往生浄土の道です。
お念仏のお育ては死んだらしまいのお育てではありません。
 人としての人生はいつか終わりを迎えますが
お念仏のおはたらきでそのまま阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただくのです。
 
 『生きる』(中川静村作詞)という詩をいただきます。
「生かされて生きてきた/生かされて生きている/生かされて生きていこうと/手を合わす南無阿弥陀仏」
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.14)

緊急事態宣言で私たちの日暮らしはどう変わりましたか?

 春の嵐になりました。
花散らしの雨とか風とかいって今満開の今年の桜も見納めということでしょう。
 
 昨日夕方電話があって「こういうご時世ですのでお参りはお休みしてもいいんでしょうか」と
コロナ感染のことで月参りをお休みするという問い合わせです。
 月参りはご門徒皆さんのそれぞれのご希望で申し込まれることですので
お休みすることもできますしお参りもさせていただきます。
 
 ある方からお葬式はどうしてますかと尋ねられました。
お葬式のご縁は待ったなしで延期することはありません。
 いつものようにお葬式のお勤めはさせていただきますが
お葬式のあり方はこの時期小さな小さな身内の方だけのごくごく内輪のお葬式です。
 葬儀社さんに聞くと通夜ぶるまいやお斎といった食事やお酒を出したりすることはないといいます。
三蜜です。狭い部屋で食事を囲んで皆さんがご一緒することは避けましょうということです。
 
 ご法事のことであげ法事といってお寺でのお勤めを申し込まれた福岡の方がいらっしゃいました。
福岡は今緊急事態宣言の指定地域になって大変です。
 数日前に電話があって延期しますということでした。
中止ではありません。
 仏事もそれぞれ工夫し対処しています。
 
 こうしたらいけないと禁止する非常事態宣言ではありません。
あくまでも要請です。
 これが難しい判断を迫られるということです。
お商売をしている方にとってははっきり止めてくださいと言われた方がいいという切実な声です。
 ただ止めるといってもそこに補償がないとという話になってくるので難しいということです。
最終的にはそれぞれの判断それぞれの責任です。
 
 私たちの社会は一人の人間が自分だけで生きてやっていける生活できるというものではありません。
お互いに支え合って生きている社会私たちの生活です。
 生活の補償という大きな政治判断も必要ですが
こういう事態だからこそ皆がお互いに支え合う助け合うことができないものかと思ったりします。
 
 まず私のところでできることです。
不要不急の外出をしないでステイホームです。
 家に居なさいです。
とにかく人との接触を避けていけば感染する感染させることはないということです。
 
 私たちの生活です。
全く家に閉じこもっていては食べること生きることにも事欠きます。
 仕事で外に出ないといけないこともあります。
人との接触を避けることが難しい仕事もあります。
 
 私にできることです。工夫です。
お念仏を申すなかに阿弥陀さまに相談してみて聞いてみて
私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.13)

今年は昭和46年にご往生された方の50回忌のご縁です

 昨日50回忌のご法事がありました。
昭和46年にご往生された方です。
 今は令和で令和2年です。平成でいいますと平成32年
そして昭和でいいますと昭和95年で昭和46年にご往生された方の50回忌ということです。
 
 当時私は大学に入学したばかりの1年生でした。
お寺の近くで私が小さい時分からいろんな思い出があるお家で
小学生の頃のことを思い出してお話をしました。
 
 高校1年生の子がお参りでした。
曾々祖母のご縁でひいひい孫にあたります。
 ひいひいばあちゃんに会ったことはありませんが
この人がいなかったら私がこの世に生まれていなかったということで大事な命の大恩人のご縁なのです。
 会ったことがないご先祖だからこそご法事のご縁に遇うことの意味があるということです。
先に往かれたお方の話をしてくださいそして聞いてくださいと言いました。
 
 ご法事は私たちのこれまでの人生の歩みばかりか私の命のルーツを訪ねていくご縁なのです。
いろんなことを思い出します。
 いろんなことがありました。いろんな人に会ってそして別れてきました。
懐かしく思い出すことも思い出したくないこともたくさんありました。
 そうした一つ一つのことが今の私になっているということです。
思い返せば全てがお育てをいただいたということです。
 
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりの中に共々に生かされて生きてきました。
50年前もそして今も私たちの口から出てくださる南無阿弥陀仏のお念仏です。
 お念仏の相続つながりのなかにこれからも共々に生かされて生きていけるのです。
 
 今日もこうして阿弥陀さまの御尊前に座らせていただき
ご一緒にお朝事のお勤めができました。
 阿弥陀さまの大きなお慈悲のなかに生かされて今日も一日生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.12)
円光寺
〒870-0108
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