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お念仏を申す生活法話

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見送る子に「帰って来なさい」と母の声があたたかいです

 葬儀とは葬送の儀といって送るといいます。
大切な人を命終えて送ります。
 
 どこに?
昨日お話しましたがあの世に送るという不確かなところではありません。
 私たちが大切な方を送らせていただきまたこの私が往かせていただくところは
阿弥陀さまが決めてくださったお浄土ですから確かな安心があるのです。
 
 日常生活で家族を家から送るときに「行ってらっしゃい」と言います。
送られる方は「行ってきます」です。
 そこには送る方も送られる方も行くところがわかっているから
安心して見送ることができるのです。
 
 テレビドラマで故郷から遠く離れた東京とか大阪に就職で出て行く子どもを
母親が見送る場面を思い浮かべてください。
 母が子に「行って来なさい」と言います。
これは「行ってらっしゃい」と「帰って来なさい」を重ねた言葉だと聞きました。
 親の子への思い心情です。
見知らぬ土地でこれから生活するのにいろんなことがあるだろうと心配し
何かあったらいつでも帰って来いよと帰るところはここだという思いいっぱいが
「行って来なさい」という言葉になったというのです。
 
 阿弥陀さまのお浄土には往きっぱなしではなく還って来るのです。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで往って還って来るのです。
 往って還ってと南無阿弥陀仏の回向往相還相のおはたらきです。
南無阿弥陀仏のいのちの循環です。
 限りある人の命を生きている私たちですが
南無阿弥陀仏のおはたらきに遇って無量のいのち永遠のいのちを生きて往くのです。
 
 皆さんもこれまでに有縁の方を見送られたと思います。
人の命は終えましたから懐かしいお姿はこの目には見えませんが
南無阿弥陀仏のいのちとなって私のところに還って来ていると聞かせていただきます。
 この口からナンマンダブツとお念仏が出てくださいます。
先に往かれた大切な方々が南無阿弥陀仏と還って来て
今日もこの私を護り支えてご一緒してくださっているのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.23)

「父ちゃんが往ってるところに往かせてもらう」と覚悟が決まりました

 十数年前ガンの病気になって入院治療された方のお話です。
ガンと告知され入院したときにこの命も残り少ないと思い悩み大きな不安と苦しみのなかで
早く亡くなったお父さんのことを思い
「父ちゃんが往ったところに往かせてもらう」と覚悟ができて死が怖くなくなったということです。
 
 私たちの浄土真宗のご法義は阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏に成る教えです。
ただお浄土と聞いても阿弥陀さまのいらっしゃるところと聞いても何かピーンときませんが
そのお浄土に先に往かれた有縁の方々が往ってらっしゃると聞くと何か身近に感じて少し安心できます。
 
 私たちの理屈でいうと何でそんなことが言えるのか本当のことかと疑い心が起こりますが
生きとし生けるすべてのものを必ず救うとの南無阿弥陀仏のおはたらきがあると聞かせていただきます。
 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで私もあなたもみんな
お浄土という一つ処に生まれさせていただけると聞かせていただけるのです。
 
 私が善いことをしたから救われて生まれるところ
あの人と同じところに往きたいとかあの人が往ってるところには往きたくないとか
私の料簡が一つも入らない阿弥陀さまのおはからいおはたらき一つのお救いですから確かなのです。
 
 「娑婆の縁尽きてちからなくしてをはるときにかの土へはまいるべきなり」と
歎異抄に親鸞聖人の仰せです。
 彼の土です。ここ此の土ではありません。
最近よく「あちらにいく」とか「あちらの世界で」とか言われます。
この世に対するあの世です。
 
 ただ彼の土とあの世は違います。
私たちの人間関係でいいますと
私とあなたそして彼とか彼女といいます。
 この場合みんな個々の決まった人をいいます。
この人です。あの人ではありません。
 距離がずっと近い人です。
あの人といったら何か遠くのぼんやりした存在です。
 
 あちらの世界です。
ぼんやりした情緒的なあちらの世界ではなく
お浄土は阿弥陀さまがこの私を必ず救うと決めてくださった確かな世界であり
確かに確かに私たちが生まれ往くところそれがお浄土なのです。
 
 お浄土には私たちの懐かしい方々が生まれて往ってらっしゃる。
だからそのお浄土でまた再会再び会うことができると聞かせていただきます。
 
 南無阿弥陀仏のお念仏ひとつでいいんだよと
ナンマンダブツとお念仏申して来いよ必ずお浄土に生まれさせるとの仰せですから
「はい」と阿弥陀さまの仰せに順っておまかせをして
そしてこの世のことは命ある限り精いっぱいのことをさせていただけるのです。
 
 病気になってからではなく平生です。
平生今こそ後生の一大事の解決です。
 南無阿弥陀仏のおはたらきで覚悟を決めさせていただくのです。
そのこと一つお念仏を申すなかにまた聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.22)

「月影の いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞ住む」

 昨日月の話をしました。
法然聖人がよまれた歌に
「月影の いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ」があります。
 
 月の光が届かない人里はありません。
すべての里に届いていますが月を眺める人の心にこそ届いてあるというのです。
 月の光は闇夜を照らしてくれます。
月の光の有難さですが月を眺めて思う人はなかなかいません。
 
 お念仏のお心を歌でたとえて教えてくださっています。
阿弥陀さまの智慧の光明に照らされて
私たちは南無阿弥陀仏の大きな大きなお慈悲のお救いのなかにあるのですが
阿弥陀さまのお心を聞くことがなかったらもったいないことです。
 
 月を眺めて「本当にきれいだなあ有難いなあ」と心に思うように
仏法に遇わせていただいた人は「ああ有り難いことだなあ」とお念仏を申す人になるというのです。
 
 私たちの日々の生活を振り返るとき
当たり前当たり前と過ごしていることが何と多いことでしょう。
 当たり前ということが本当に有り難いと知らされるのが
今のコロナ感染禍のなかでの私たちの日暮らしではないでしょうか。
 
 今まで気づかなかったことに気づかせていただける
今まで見えなかったことが見えてくると
お念仏のお心おはたらきをいただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.21)

いのちみんなつながって私たちは一つのいのちを生きているのです

 不要不急の外出を自粛しステイホームで家に居なさいというなかで
遠く離れた家族や親しい友だちと会うことが難しいです。
 
 ただ実際に顔と顔を合わせて会うことはできなくても
パソコンやスマホで顔を見て言葉を交わすことができます。
 孫の元気な姿を見ておじいちゃんおばあちゃんも
ほっと安心しますね。
 
 日本だけではなく今世界中の著名なミュージシャンやスポーツ選手芸能人がSNSで発信しています。
家に閉じこもるようにいる人たちに「一人じゃないよ」と声をかけ
コロナ感染治療の最前線にいる医療従事者に敬意と感謝を表し
「みんなの思いを一つにしてこの状況を一緒に乗り越えていこう」というメッセージです。
 みんなつながっているという心強さを思います。
 
 仏教の縁起の法です。
あらゆるいのちのつながりの中に私たちは生かされて生きてあるという教えです。
「いのちみんなつながっていっしょ」です。
同じ地球に住んでる生きてる私たちは人間だけではなく命あるすべてのものが
元々一つのいのちを生きているということです。
 
 私たち人間のエゴ人間中心の思いはからいです。
どこまでも自分を中心に生きようとする私がいます。
 近年の国際政治の動向をみると自国中心主義が横行し
自国の利益を最優先にして壁を作りつながりを切り裂いて他者を排除する中でのコロナ感染の拡大です。
 ウイルスは国境を壁を軽々と乗り越えて瞬く間に世界中に広まり今も猛威をふるっています。
 
 つながっているということの安心です。
パソコンや電話もない手紙が唯一の通信手段だった時代
先人は大切な人とのつながりをどのようなことで思ったのでしょうか。
 
 東京オリンピックも一年延期になりましたが
昭和39年の東京オリンピックの時に三波春夫さんが歌った「東京五輪音頭」があります。
 その歌詞に「昨日ローマで眺めた月が今日は都の空照らす4年経ったらまた会いましょう」とあります。
月です。太陽といってもいいのですが太陽を見るのはまぶしいですから月がいいですね。
 遠く離れた大切な人を月を見て
「元気にしてるかな。今何してるかな。この月を見てるかな」と月に思いを重ねたのではないでしょうか。
 
 同じ月を見ることでつながっている。
その月を南無阿弥陀仏のお念仏といただきます。
 ナンマンダブツナンマンダブツとお念仏申すところ私たちはみんなつながってあるのです。
ナンマンダブツとつながってホッとする安心できるのです。
「いのちみんなつながっていっしょ」と私たちのお念仏のご法義をいただきます。
 
 南無阿弥陀仏のおはたらきつながりです。
阿弥陀さまが十劫という遥か昔からつながってこれからも無量といいます。
 先に往かれたご先祖有縁の方々も南無阿弥陀仏の大きないのちにつながってご一緒です。
ナンマンダブツとお念仏申すなかにずっとずっとつながってあるのです。
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりの中に共々に生かされて生きている私たちです。
 
 大変な状況ですが、今晩ゆっくりお月さまを見て大切な人を思いませんか。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.20)

コロナウイルスが教えてくれるもの~これでいいのか!

 非常事態宣言が全国に広がって初めての週末ということで
今朝の新聞全国紙地方紙二紙ともに最初の一面に「閑散」という文字が大きくでていました。
 いつもは賑わう町中に人が殆どいない本当に静かな異常な光景の写真が載っていました。
 
 緊急事態の中でも私たちは生きています。
家に居る方が多いと思いますがそれぞれの生活の場で生きていかなければなりません。
 
 人間だけではありません。
命あるものすべてが生きています。
 
 花の命です。桜の花はもうすっかり散ってしまいましたがすぐ若葉がでてきています。
これからも色とりどりのお花が私たちを楽しませてくれます。
 春です。いのち芽生えるときです。
いつもの年のようにお花がいっぱいです。いのちがいっぱいです。
 どんな状況にあっても私たちは共々に生きている
互いに生かされてあるということです。
 
 このたびのコロナウイルスのことであらためて
この同じ地球に生きる私たちは一つのいのちを生きていることを思い知らされます。
 この数年世界各地各国で自国中心主義の政治動向が顕著です。
その根底に人間中心自己中心の私たちのあり様があります。
 我がいのちのあり方について「これでいいのか!」と厳しく問われているような気がします。
 
 今は一刻も早くコロナ感染が収束してほしいと願うばかりです。
 閑散とした私たちの生活環境にあって
こういうときだからこそ私にできることを工夫して
日々心豊かに生きたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.4.19)
円光寺
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大分県大分市三佐3丁目15番18号
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