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お念仏を申す生活法話

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お念仏申す身を無量の龍神が護ってくださる

2021-04-11
青空に青葉が映えて生き生きしてます(2021.4.11.15:00)
 本堂のお内陣は阿弥陀さまが中心にまします
お浄土のお荘厳です。

 阿弥陀さまが迷いの境涯を経巡るこの私を必ず救うと
南無阿弥陀仏のおはたらきで
人の命終わるそのままにお浄土に往生させて
さとりの仏さまに成らせていただく浄土真宗のみ教えを
私の目に見える形で表し示してくださっています。

 外陣とお内陣の境の欄間には
龍の彫りものがあります。

 現世利益和讃に
「南無阿弥陀仏をとなふれば 難陀・跋難大龍等
   無量の龍神尊敬し よるひるつねにまもるなり」
(南無阿弥陀仏を称える身になると
 難陀龍王や跋難陀龍王など
 数限りない龍王も尊び敬って
 昼夜を問わず常に護るのである)
とあります。

 龍神は龍宮に住む龍で水神や海神と伝えられ
仏法を護持する鬼神であるとされます。
 末法の仏教衰退の時代にあって
釈尊が説き残された教えの経巻を
大海の底にあるとされる龍王の宮殿龍宮に
隠しおさめて護持するというのです。
 
 この末法濁世の時代にあって
阿弥陀仏が智慧と慈悲のお心からおこしてくださった
本願念仏のみ教えだけが残り
すべてのものを分け隔てなく救うと
南無阿弥陀仏のおはたらきとなって
私のところに届けられていると
この私の目に見えるすがたで
お浄土の様相を見させていただくなかに
いよいよお念仏を申す身にさせていただくのです。

 南無阿弥陀仏とお念仏申すそのままに
無量の龍神が常に護ってくださると聞かせていただき
今日の一日もお念仏を申す日暮らしを
させていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.11)


仏法聴聞のご縁を三食の食事に喩えていただきます

2021-04-10
庫裡仏間の生け花です(2021.4.9.16:00)
 仏法聴聞のご縁を三食の食事に喩えて
味わわせていただきます。

 朝昼夕と一日三度の食事をいただきます。
朝は朝食昼はランチ夜はディナーという言い方もあって
それぞれ食事の内容からして趣が異なります。

 朝食はご飯に味噌汁とかトーストにハムエッグとか
お家お家で定番メニューが決まっています。
 お家のお昼は夜の残り物でしょうか。
そして一番の楽しみが夕食です。
仕事を終えてお家に帰りお風呂に入って
お酒でも飲んでゆっくり時間をかけていただきます。

 生きるために食べるのか食べるために生きるのか
生きることは食べることです。

 仏法聴聞も食べることで生きることだと
仏法を聴聞して本当に生きることができると
仏法聴聞させていただきます。

 このお朝事は朝食です。
お正信偈さまと御文章さまを拝読させていただく
定番メニューのお勤めです。
 お参りされるお同行もいつもの皆さんです。
お念仏の家族の毎日毎朝の食事仏法聴聞のご縁です。

 お昼のランチです。
お昼時に町に出ると職場の同僚やお友だちが連れ添って
ランチに行っています。
 日頃からお互いに声をかけ合う仲間です。
「ランチに行こう!」と誘い合って食事をし
おしゃべりをします。
 お寺の法話会です。
お念仏のお仲間に「お寺に行こう!」と声をかけあって
仏さまのお話おしゃべりもいいですね。

 そして夕食ディナーです。
お寺のご縁でいったらご法座ご法要です。
 日頃はお寺にご縁のない人にもご縁に遇ってほしいと
ご門徒有縁の皆さんに広くご案内します。

 お寺で食事をする気持ちで
お朝事の朝食、法話会のランチそしてご法要のデイナーに
ご一緒させていただきましょう。

 人間に生まれて生きるということは食べることです。
仏法聴聞の食事のご縁をいただいて
どうかお念仏を申す身になってくれよと
親鸞聖人蓮如上人のお勧めです。

 皆さんの周りの方にも声をかけられ共々に
ご縁ご縁にお寺にお参りさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.10)


お寺参りのお姿がそのままお浄土参りのお姿です

2021-04-09
緒方町原尻の滝とチューリップ畑です(2021.4.9.13:00)
 葬儀で喪主を務めることは人生で一度か二度のことです。
急な葬儀のご縁で初めて経験するばかりで
どうしていいのか分からないことが多いと思います。

 以前は親戚や近所の年配の方に聞けばよかったのですが
今は日頃の人間関係が薄くなり相談事もしなくなって
葬儀でいうと葬儀社の方の言われるままに
することが多いのではないでしょうか。

 葬儀は大事な仏事のご縁で
ここはお寺の出番です。
「分からないことは何でも聞いてください」と言いますが
中々聞きづらいお寺との関係になっているようです。

 先日のお葬儀のご縁で
「納棺のとき白い旅装束を着せないといけないのですか」
と尋ねられました。
 葬儀社から「特に着せたいものがなければ
白装束にしましょう」とお話があったというのです。

 お寺から事前に届けていた<葬儀の心得>を読むと
「特に白装束にする必要はない」と書いてありましたね
とも言われました。
 葬儀社から言われて不安になって
確認の意味で聞かれたのでしょう。

 いつものお姿というか
お気に入りの服など着せたらどうですかと答えました。

 お葬儀のご縁でお浄土参りです。
お寺参りの普段のお姿でいいのです。
 いつものお寺参りです。
お念珠に式章そして聖典を持ってということです。

 昔からお念珠を手にかけることはよく見ますが
式章をかけてほしいと思います。
 皆さんはお念珠に式章、聖典が身についていますが
日頃お寺参りのご縁がないと何かにわか仕立てで
ちょっと違和感がありますね。

 お寺参りの姿がふっと浮かぶお姿がいいですね。
皆さんが毎日お朝事にお参りされているお姿そのままです。
ご家族や周りの方が見てらっしゃるということです。

 お寺参りのそのままがお浄土参りです。

 お葬儀の初めてのご縁で分からないことは
どうぞお寺に聞いてご相談してください。
 葬儀社のご縁は葬儀の時だけのことです。
お寺のご縁はこれまでもそしてこれからもずっと続く
仏さまからいただくご縁なのですから。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.9)


仏さまのみ教えにこの私に生まれた意味をたずねていきましょう

2021-04-08
 今日4月8日はお釈迦さまの誕生日です。
お釈迦さまは生まれてすぐ7歩あゆまれて
「天上天下唯我独尊」と
人間に生まれた宣言をされました。
 尊い命を恵まれて人として生きる
人生の歩みが始まるということです。

 今日は学校の始業式です。
春四月、始まりのときです。

 始まりがあるということは
終わりがあるということです。

 人に生まれて生きて
この命終わるときがきます。
 そのことだけでいいますと
何かもの悲しい考えたくないことですが
仏法に遇って
この命終えてそのままお浄土に生まれて仏に成るいのちを
今生かされて生きていると聞かせていただきます。

 生きることは老いることで
歳を重ねていくと今までできていたことができなくなって
虚しい思いに切なくなりますし
病気になってベッドから離れることが
できないことになるかもしれません。
 そしてどんな人も命終えていかねばなりません。

 お釈迦さまは「人生は苦なり」と
自分の思い通りにならない人生だと
80年のご生涯をかけて私たちに明かしてくださいました。

 昨日お葬式がありました。
今は家族葬といわれる小さなお葬式で
弔辞は殆どなくなりましたが
お孫さんからお祖母ちゃんへ
「おばあちゃん、あなたの孫でよかったです」と
お別れの言葉がありました。
 お父さんお母さんあなたの子どもでよかったですと
そんな言葉で見送られるといいですね。

 この私がこの世に生まれたことについて
誰も両親や祖父母の良し悪しを選ぶことはできません。
 生まれたことに大きな意味があるのです。
その意味をたずねていく道すがらがこの人生だと思います。

 自分の料簡でたずねていくのではありません。
そしたら不平不満が後から後からいっぱい出てきます。

 仏さまのみ教えにたずねていくのです。
両親も祖父母もみんな互いに
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
生かされて生きているということで
縁あって偶々それぞれに
この私のいのちを生きているのです。

 お念仏を申す日暮らしのなかに
わがいのちのあり方をたずねてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.8)


お葬儀のご縁で御仏前に座らせていただく有難さです

2021-04-07
 昨日今日とお通夜葬儀のご縁です。
今のコロナ禍ということもありますが
家族葬ということが一般的になりました。

 家族葬と特段言わなくても
お参りする方が少人数のお葬儀ということです。

 コロナ後もこうした傾向が変わらず
定着するのではないでしょうか。
 それだけに今一度お葬儀をお勤めする意味を
ご門徒有縁の方々と共に確認させていただくことが
大事だと思います。

 お葬儀は一人の人間がこの世に生まれ生きて
命終えていくその人にとって一生一大事のご縁です。
 自分自身のことですが
家族や有縁の方々の葬儀にあうなかで
生死に向き合いいのちのあり方を考える大切なご縁です。

 大切な方とお別れする悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただきましょうと
ご法話お取り次ぎをさせていただきます。

 仏さまのお話を聞くことって
私たちの日常生活の中でどれほどあるでしょうか。
 葬儀のご縁で御仏前に座らせていただき
ご法話聴聞させていただくのです。

 家族葬であっても社葬という大きなお葬式であっても
どんなお葬式も同じお勤めです。
 先に往かれたお方のご生涯が生活ぶりがどんなものでも
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中にみんな一味平等なのです。
 いろんな川が海に流れ込むと同じ一味になるように
阿弥陀さまは大きな広いお心で「お前の命引き受けた」
南無阿弥陀仏とおはたらきくださるのです。

 お葬儀のご縁で御仏前に座らせていただく有難さです。
お寺のご縁に遇うことが難しい私たちの生活です。
 阿弥陀さまはそうした私たちをもうすでに見抜かれて
お念仏一つで救われるみ教えを
明らかにしてくださったのです。

 南無阿弥陀仏とお念仏を申して来いよと喚ばれて
私たちはそのまま往かせていただきます。
 阿弥陀さまは私たちが往き生まれる世界を
極楽浄土西方浄土と用意をしてくださっているのです。

 私たちの懐かしい方々が先に往ってらっしゃる
阿弥陀さまのお浄土です。
 お浄土で仏と成って
南無阿弥陀仏と私のところに還って来て
私のいのちをそのまま引き受け支えてくださり
この私の口から南無阿弥陀仏と
お念仏が出てくださると聞かせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.7)


円光寺
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