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お念仏を申す生活法話

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どんな状況でもお念仏を申すところ阿弥陀さまがご一緒です

2021-04-16
 昨日は毎月一度の大海組のお寺の法中会がありました。
この一年コロナ禍で組の行事も殆どできていません。
 もう一年経ったのかということですが
去年の4月5月は全国の学校が一斉休校になり
県や市町村の公民館や図書館美術館などの公共施設が
全て閉鎖になりました。

 今は結構できています。
野球もサッカーも観客の制限はありますができています。
 昨日東京五輪開催について自民党の二階幹事長から
中止もやむをえないという発言があったそうですが
大方開催する方向で進んでいるようです。

 ところが感染者は去年に比べたらずっと増えているのです。
それも変異ウイルスといったものが次々に出てきて
これから感染者の増大も十分予想される
緊迫した状況が続いていくということです。

 去年予定していたことで
一年経ったら大丈夫と思っていたら今のこの状況です。
 来年こそはと一年経ったら
何かできるということではありません。

 私たちの思い期待はあっても
コロナ禍の現状を私たちの力でどうこうできる
都合のいいように変えられるということではないのです。

 そうした不自由な状況の中でも
私たちはこの一年生きてきたし
これからも生きていくのです。

 どのように生きていくのか
工夫です。
 去年出来なかったことが少しできていることは
そこに工夫があるからです。
 これまでの経験を学び生かして
工夫して行くのです。
 ピンチをチャンスに変える人間の英知であり
私たち人類の歴史の歩みがあったということです。

 今日は熊本大分の地震本震があって
5年ということです。
 もう5年になるのかということですが
目に見える復興はできつつありますが
家を無くし大切な家族を亡くされた方にとって
本当の意味での復興には程遠い状況が
これからも続いて行くのでしょう。

 これはいくら私たちが工夫をしようとも
私たちの思いをどれだけ寄せようとも
私たちにはどうすることもできないことかもしれません。

 そのなかで私たちがお念仏のみ教えに
聞かせていただくことの有難さです。
 揺れ動く私たちです。心惑う私たちです。
そういう私たちを見守ってしっかり引き受けてくださる
南無阿弥陀仏の大きなお慈悲の中に生かされて
生きて往くことができるのです。

 ナモアミダブツとお念仏申して
自分に都合いいようになったらいいですが
ナモアミダブツとお念仏を申しても
できないことってたくさんあります。

 どうぞ南無阿弥陀仏とお念仏を申すなかに
今この私ができることを精いっぱいさせていただく
今日の一日でありたいと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.16)


慚愧と歓喜のお念仏申す生活です

2021-04-15
 お経さまの初めに「仏説」とあります。
仏説の仏はお釈迦さまのことで
お釈迦さまがお説きになったお経ということです。

 浄土真宗の所依の経典は浄土三部経で
私たちに一番身近な『仏説阿弥陀経』は
「仏説阿弥陀経」で始まって「如是我聞」と続きます。

 如是我聞とか我聞如是といいますが
「私はこのように聞きました」という意味で
お釈迦さまが説かれたこのみ教えを私はこう聞きましたと
お経さまが始まるのです。

 毎朝拝読させていただくお正信偈さまは親鸞聖人が
浄土三部経に説かれた阿弥陀如来の本願念仏の救いの法
南無阿弥陀仏のお心おはたらきを
偈文にしたためてくださったもので
御文章さまは蓮如上人が他力の信心お念仏のお心を
お手紙にしたためてくださったものです。

 毎朝この私を必ず救うとおはたらきの
南無阿弥陀仏のお心を
この私がそのまま聞かせていただくのです。
 私の都合に合わせて聞くのではありません。
真実の経教の鏡にそのまま写しだされた
ありのままの私の姿を見せていただきます。

 生涯お念仏をよろこび申されて生き抜かれた妙好人
浅原才市同行はご自身を鬼の姿と見られました。
 
 どこまでも自己中心のものの見方考え方で生きて
欲の心は止まることを知らず次から次に湧き立ち
思い通りになれば周りの人を思うことなく有頂天になり
少しでも思い通りにならないことがあると
周りを責め立てる
まさに鬼の心を持ちあわせた凡夫の姿でありました。

 『浄土真宗の教章(私の歩む道)』の<生活>に
「親鸞聖人の教えにみちびかれて阿弥陀如来のみ心を聞き
 念仏を称えつつ、つねにわが身をふりかえり
 慚愧と歓喜のうちに、現世祈祷にたよることなく
 御恩報謝の生活を送る」とあります。

 才市さんの詩には
お念仏の真実の鏡にうつし出されたわが身の姿を
「あさまし あさまし あさまし」と振り返り
そのままが真実の光に遇わせていただく喜びを
「ナマンダブ ナマンダブ ナマンダブ」と
お念仏が出てくださるのです。
 慚愧(ざんぎ)と歓喜(かんぎ)のお念仏申す生活です。

 人から指摘されてああやこうやではありません。
お念仏申すなかに厳しいきついご指摘かもしれませんが
そのまま救う阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
生かされてあるお念仏の日暮らしです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.15)


お念仏のご法義に生かされて私たちのお寺を護る

2021-04-14
 高齢者へのコロナワクチン接種が始まりましたが
感染予防の最前線にいる医療従事者への接種も
予定より遅れて進んでいないと聞きます。

 この状況をみて専門家といわれる方が
ワクチンを平等に配分することに配慮するより
感染者が多いところを重点的に接種の対象にするような
柔軟な現実的対応が大事ではないかと
意見を述べていました。

 私たちは平等というとみんな一人一人が同じという
平等観があります。
 みんなが押しなべて平等感をもつことは大事ですが
そのなかで今何が一番大事なのか
何を優先的にすることが必要か考え行うことです。

 仏さまのお慈悲のお心おはたらきは
「平等施一切」平等に一切に施すのですが
「七子の譬」のお話です。

 七人子どもがいてその中の一人が病気になったときに
お母さんはその子一人にかかりっきりで
看病するといいます。
 お母さんの心は七人の子どもすべてに等しいものですが
今は一番病気の子どもに寄り添うというのです。
 仏さまのお慈悲のお心といただきます。

 私たちが生きているこの社会のあり様です。
民主主義の社会といわれ人権平等平和の理念をうたいます。
 大変尊いことであり私たちお互いが尊重して
生きる社会が望ましいのですが
現実は私たちそれぞれが自己中心のものの見方で生きて
人権といって他の人を無視し
平等といって他の人を差別し
平和といって他の人を排除している
ところがないでしょうか。

 お寺も一つの社会です。
ご門徒皆さんのお寺であり
お寺はご門徒皆さんによって護持されています。
 
 お寺に対する見方がご門徒さんそれぞれで異なり
変わってきています。
 お寺への思いをご門徒さんに感じる方もいれば
門徒を名乗るいろんな見方考え方の人がいます。

 平等施一切の阿弥陀さまのお慈悲お念仏のおはたらきは
ご門徒皆さんだけでなくすべての人に平等に
届けられています。

 日頃のお寺のご縁に遇ってほしいと思います。
阿弥陀さまのお念仏のみ教えを聞いていただきたいのです。

 お寺はご門徒皆さんのご懇念で
護持されてきました。
 護持の大本はお念仏のみ教えです。
お寺のご縁をいただく者すべてが
お念仏のみ教えに護られているご法義です。

 お寺の護持のために住職坊守の役割
ご門徒皆さんの役割があります。
 それぞれがお寺への思いをもって
お念仏を護り伝えるということです。

 仏さまのみ教えに誰彼を差別することも
排除することもありません。
 お念仏の平等のお慈悲のお心の中に
私たちお互いがあるということであり
この私自身がこれからも聞かせていただくことです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.14)


私たちの日々の生活のなかにお念仏の仏道が開かれています

2021-04-13
 ゴルフのマスターズで
松山英樹選手が日本人で初めて優勝し
優勝者にだけ贈られるグリーンジャケットを身に着けて
喜びを満面に爆発させていました。

 29歳ということにびっくりしました。
何度も四大メジャー大会に挑戦し続け
落ち着いたゴルフスタイルに重ねて
ベテランの域に達しているような印象でした。

 19歳でマスターズに初出場しアマチュア優勝したことで
周囲の期待を一身に背負い
ずっとこれまで精進努力してきたといいます。

 そしてマスターズ制覇です。
テニスのウィンブルドンに並び称せられる
招待を受けた人しか出場できない権威ある大会で
これまで日本の名だたる選手が挑戦しては跳ね返されて
初めてその壁を破ったということです。

 喩えていっていいかと思いますが
仏道でいいますと難行苦行の聖道門の道です。
 それも最終的には一人しか到達することができない
仏道でいったら仏のさとりに到ることができない
救われないということです。

 外から見る私たちからいうと
ただただ凄いなあということですが
誰しもできないことであり
私が歩む仏道でいうと私には程遠いことです。

 仏に成る素質も思いも何もない
救われ難い私のことを阿弥陀さまが思い取り見抜かれて
どんな人も救われるすべての手立てを
南無阿弥陀仏に仕上げられて
念仏成仏の道をすべてのものに開いてくださったのです。

 いつでもどこでも誰にでも行き届いている
南無阿弥陀仏のお救いの法を
聞いてくれよと喚び続けてくださっているのです。

 ところが私たちはいつでもと聞いていつかは
どこでもと聞いてここではなくても
誰でもと聞いて私ではなくてもと聞いて
お念仏のみ教えに遇うことは難しいのです。

 今こここの私のためにお念仏の仏道が開かれていると
聞かせていただきます。
 この道を来いと阿弥陀さまが
この道を往けとお釈迦さまが
お念仏の声となってお勧めです。

 お念仏の仏道を歩ませていただくことで
私にできることを精いっぱいさせていただきましょう。
 私には到底できない凄いことだなと
外から見る難行苦行の仏道ではなく
私たちの日々の生活のなかに
お念仏の仏道があると聞かせていただきます。

 私たちの生活ぶりはそれぞれ違いますが
お念仏申しお念仏のお心を聞かせていただくなかに
今日も一日私にできる精いっぱいのことを
させていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.13)


お念仏申す身にお育てをいただく仏さまのご縁です

2021-04-12
皆さんをお迎えする玄関のお花です(2021.4.12.9:30)
 昨日は初七日と満中陰の二件のご法事がありました。
どちらもご遺族ご親族10人程の方がお参りでした。

 お念仏の声の大きさが違いました。
満中陰のご縁のお念仏の声がはるかに大きかったのです。
 七日七日のご縁をいただいて皆さんが声を出して
お念仏が出るようになったということです。

 初七日のお家も日頃お寺にご縁の方がお参りされていて
その方のお念仏につられて小さな声が聞こえてきましたが
お育てをいただくといいます。

 お朝事参りの皆さんは
今はすっかり大きな声でお念仏申せていますが
声に出してお念仏を申すことは難しいですね。

 ご法事のご縁にお寺から聖典を持参して
「ご一緒にお勤めしましょう!」といって
聖典の字は読めるのですが
お勤めが済んでナマンダブナマンダブというお念仏の声が
中々出ない聞こえてきません。

 お念仏の声は私の声ですが
そのまま仏さまの喚び声といただきます。
 阿弥陀さまのご本願のお心が
「必ず救うまかせよ」の南無阿弥陀仏のおはたらきとなり
私の心に届けられ私の口からお念仏が出てくださるのです。

 お念仏を申す身にお育ていただく仏さまのご縁です。

 阿弥陀さまは
「念仏申してわが浄土に生まれて来いよ」と
私を喚び通しに喚んでくださっています。
 そして私の背中を押すようにお釈迦さまが
「お念仏を申し信じまかせてこの道を往け」と
お勧めくださる往生浄土の道行きが用意されて
お育てをいただいているといただきます。

 49日間の長い中陰のご縁ですが
先に往かれた大切な有縁の方がまさに命がけで
仏さまに成ってくださって
私たちにお念仏を申す身になってくれよと
仏さまのご縁をつくってくださったといただきます。

 大切なお方とお別れする悲しいご縁です。
もっと長生きしてほしかったということですが
そのままこの私をお育ていただく
仏さまのご縁といただける
有難さ尊さを思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.12)


円光寺
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