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お念仏を申す生活法話

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エースで4番ばかりでは野球のチームになれません

2021-04-06
 アメリカ大リーグの大谷翔平選手が
投手と打者の二刀流で同時に試合出場しました。
 剛速球を投げ込んで
打っては第一打席で特大ホームランです。
 野球の花は投手の三振そして打者のホームランです。
まさに投打の千両役者の大活躍です。

 投手で4番は子どもの頃の草野球の花で
高校野球も最近までは投手で4番がチームの中心でした。
 チームの中で一番野球センスが良い上手な人の代名詞で
逆にライトで9番は力が劣って下手な人の指定席という
ランク付けがかつてはありましたが
今は高校野球からして投打ともに分業制です。

 一人のエースだけでなく投球数の制限もありますから
この前の甲子園の明豊高校は投手三人の継投でした。
 同じ力量の投手が複数いるのが今は当たり前です。
そして守備もイチロー選手に代表されるライトです。
強肩で一塁から三塁に走る走者をアウトにします。
 打線もつながり重視の組み替えで
投攻守ともそれぞれ役割を分担して一つのチームです。

 試合は味方のエラーもあって
残念ながら大谷投手に白星はつきませんでしたが
最後はチームがサヨナラ勝ちして
大谷選手もナインと一緒に喜んでいました。

 私たちのこの社会も同じようなことが言えます。
皆がみんなエースで4番ではこの社会は成り立ちません。
 チームのナインがそれぞれの役割を分担するように
この社会を支えるいろんなお仕事の方が
それぞれいらっしゃるということです。

 共同社会に生きる私たちですが
この命そのものは分業ではありません。
 どんな職種の人も社会的な立場や役割は違っても
いのちはそれぞれ丸ごと平等です。

 どんな人もこの世に生まれて生きることは
老いていくことで病むこともあるし
必ずこの命を終えていかねばなりません。
 4番でピッチャーだけではなくて
ライトで9番だけではなくて
みんなそうです。

 生死の迷いのいのちを丸ごとそのまま救うと
阿弥陀さまは南無阿弥陀仏とおはたらきです。
 毎日拝読させていただく御文章に蓮如上人は
阿弥陀さまの本願念仏のみ教えを聞いて
お念仏申す身になってくれよとお勧めです。

 生まれ難い人間に生まれて
どうか仏法に遇ってくれよといわれるのです。
 仏法に遇って仏に成るいのちを生きていることを
自分だけではなくみんな等しく
仏に成るいのちを生きていることを聞かせていただいて
みんながお互いに敬い合い支え合い助け合っていくのです。

 私たちの生活ぶりはそれぞれ違います。
生業仕事はまさに分業の社会この人生です。
 生活の中心にお念仏の尊いみ教えをいただいて
お念仏申して本当に人間に生まれてよかったと
日々日暮しさせていただく有難さを思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.6)


今の私が自己ベストと仏さまはそのまま受け入れてくださいます

2021-04-05
朝一番の新鮮な空気を吸って若葉がとてもきれいです(2021.4.5.6:00)
 競泳の池江璃花子選手が日本選手権100mバタフライで
五輪標準記録を突破しリレーの代表が内定しました。

 2年2か月前に白血病を発症し10か月間入院治療に専念
昨年8月に競技復帰し次のパリ五輪をめざすということで
本人はもちろん周囲の関係者も私たちも
どこかで期待はしていたものの
見事な復活劇に本人も涙し大きな感動をいただきました。

 それにしても凄いことです。
今も毎日薬を服用し定期的に通院しているなかで
アスリートの最高の舞台オリンピックをめざすのです。

 恵まれた素質を生かす毎日の練習努力の積み重ねです。
それがスタートに戻るのですから
肉体的も精神的にも極限の辛さがあったと思います。

 池江選手は今を「第二の水泳人生」といいます。
これまでの競技人生で身についたものがあっても
まさに再スタートなのです。

 私たちは過去の成功体験に
しがみつくようにとらわれます。
周りからも過去の実績と常に比べられたりされます。
 あれだけできていたのに何でできないのかと
苦しみ悩みます。

 池江選手は過去の記録にとらわれるのではなく
今の記録を自己ベストとよんで
楽しみに励みにしたといいます。
 競技復帰以後レースを重ねるなかで
記録が少しずつ伸びて行きます。
 自己ベストの更新です。
かつて自分が出した日本記録からは遠く及ばない記録でも
自己ベストと前向きに受け止めていったというのです。

 仏法が私たちに教えてくださること
今の私が自己ベストと
仏さまはそのまま受け入れてくださるのです。
 生きるということは今を生きることで
今がベストなのです。
 過ぎ去った過去のことでもないし
まだ来ない未来のことでもないのです。

 過去の若い時分に戻ることはできません。
これから歳を重ねていきますと
老いを自覚し愕然とすることもあるでしょうし
急な病に倒れることもあるかもしれません。

 自分の思い通りにならないことが
たくさんこの身に起こってくるでしょうが
今が自己ベストといただけるのが
お念仏申して仏法に生きることだと思います。

 過去のことにとらわれるな
未来のことを思い煩うなと言われて
いろんな思いはからいのなかに生きているお互いですが
南無阿弥陀仏とお念仏申して
「私がいるよ大丈夫だよ。
 あなたのいのちそのまま引き受けたからね。
 安心して一緒に生きて往きましょう」と
喚んでくださる阿弥陀さまのおはたらきにまかせて
今が自己ベストと今日のいのちを輝かせて
今できることを精いっぱいさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.5)


人間に生まれて仏法に遇ってお念仏申す身になって阿弥陀さまのお浄土に生まれて来いよ!

2021-04-04
4月の誕生日のお花プレゼントです(2021.4.3.14:00)
 昨日は3回忌のご法事のご縁がありました。
お葬儀で初めてお寺のご縁をいただいたお家で
私と同い年の方です。
 ご往生されて2年です。
毎月命日にお参りさせていただいて三回忌ということです。

 コロナ禍で遠方の方のお参りはなく
お家の方と近いご親戚の5人の方でお勤めしました。

 昨日お話しましたが
ここ数日の雨風で桜の花も散っていきますが
その後に若い葉が出てまいります。
 いのちのつながりです。

 私たちの命というと
この世に生まれて亡くなるまでの命と
皆さん思われているのではないでしょうか。
 死んだら終いといういのちの見方です。

 人の命を恵まれこの世に生まれた意味です。
仏さまの大きな願いがかけられたいのちといわれます。
 人間に生まれてどうか仏法に遇ってほしい
お念仏を申す身になってほしいという願いです。

 仏法に私のいのちのあり方を聞かせていただきますと
私たちはこの人間に生まれるずっとずっと以前から
迷いの境界を何度も何度も生まれては死に
生まれては死にを繰り返してきたというのです。

 この人間の世界もまた迷いの境界で
人の命終えるとまた次の迷いの境界を繰り返すのですが
人間の世界に生まれた意味は
この人間界は仏法に遇うことができる世界だというのです。

 お釈迦さまが開かれた仏法です。
迷いの私がさとりの仏に成る浄土真宗のみ教えです。
 迷いの衆生を必ず救うと本願を起こし成就して
阿弥陀如来の仏さまに成って
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
この私を阿弥陀さまのお浄土に往生させて
さとりの仏にさせていただくと聞かせていただきます。

 人と生まれてお念仏の救いの法に遇って
私たちは死んだら終いのいのちを生きるのではなく
仏に成るいのちを生かされて生きるのです。

 桜の花が散ります。
その散り方は様々です。
 春のそよ風に舞うようにひらひらと散る桜もあれば
大きな風に吹かれて
大空に舞い上がるように散っていく桜もあります。
雨に打たれてポタっと散る桜もあります。

 それぞれの散り方生き方です。
散り方はそれぞれ違いますが
散っていく先は阿弥陀さまの大きな大地のお浄土です。

 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただき
次のいのちを育むのです。

 この目には見えないけれども
先に往かれた方が還ってみえて
仏法を聞いてくれよお念仏を申す身になって
浄土に生まれて来いよというおはたらきのなかに
今日のお朝事のご縁をいただきます。

 今日は10時から花まつりの会ということで
お釈迦さまのお誕生をお祝いするご縁をお勤めします。
 コロナ禍でいつもの白象パレードなどはできませんが
本堂に設置した花御堂にご安置の
お釈迦さまの誕生仏に甘茶をかけて
お釈迦さまのお誕生を皆さんでお祝いしましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.4)


法名をいただいて私たちは同じ「釋」を名乗る家族になります

2021-04-04
 昨日の雨と風で境内の枝垂れ桜が
すっかり散ってしまいました。

 桜が散るというと
何か空しいはかないということですが
桜の木には今若葉が光り輝いています。
 新たないのちがめばえ
つながっていくんですね。

 昨日は坊守の里にお義母さんを
米寿のお祝いに訪ねました。
 コロナ禍で私は一年ぶりの再会です。
88歳です。
 歳を重ねて体調が思うようになく心配も多いですが
お寺の住居で静かに療養生活を送っています。

 夜ニュース速報で田中邦衛さんの訃報を知りました。
先月24日に亡くなり88歳だったといいます。
 映画やテレビでおなじみの俳優さんで
つい最近まで見かけたような気がします。
 もう88歳だったのかということですが
この私もそういう年齢に近づいているんですね。

 田中邦衛さんですぐ思い出すのが
加山雄三さんの若大将シリーズの青大将役です。
 私が小学生の頃から始まった人気シリーズで
エレキギターを弾いて歌う青春スター加山さんが
最高に格好良くって
その引き立て役が青大将の田中さんでした。

 中学生の当時大分の町中に住んでいた従兄が家に来て
若大将の映画を観に行くとか話をするんです。
 羨ましかったですね。
だって大分の町に行くことって滅多にないし
映画館がどこにあるかも知りません。
 都会と田舎のギャップを感じたものです。

 常に脇役で独特な演技で親しまれた田中さんですが
代表作は主演したテレビの『北の国から』です。
 さだまさしさんのテーマ曲から始まる
北海道富良野を舞台にした20年に及ぶドラマです。

 純と蛍の二人兄妹の成長と共に歩む
田中さん演じる父五郎の人生の道行きに
自分の人生を重ねて見られた方も
多かったのではないでしょうか。

「家族に見守られて安らかな最期でした。
医療関係者の皆さんに大変お世話になりました」と
田中さんのご遺族のコメントです。

 お義母さんをお見舞いして思うことです。
医療福祉のスタッフが毎日のケアプランをつくって
お世話をしてくれています。
 どんなに元気な人もいつまでも
若い時のように生きることはできません。
 歳を重ねるなかで自分の思うことができなくなります。
そこだけ見ると何か悲しくなりますが
そこに家族がいて多くの人の支えがあって
一日一日を命輝かせて生きることができるのです。

 あらためて家族ということを思います。
これは血縁の家族ということだけではなくて
私たちのお念仏のご縁つながりの家族です。

 先日法名のお話をしました。
「釋〇○」と法名をいただいて釋と名乗ります。
 俗名の姓名でいったら姓です。
同じ釋の姓を名乗るということは
みんな同じお釈迦さまの家族になるということです。
同じ釋を名乗る私たちは互いに兄弟なのです。

 南無阿弥陀仏につながったお念仏の家族です。
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
私たちは共々に生かされて生きる家族と
教えていただきます。

 お念仏の家族に支えられ育てられて
私たちは人の命はいつか必ず終えますが
桜の花は散っても桜のいのちはつながって
次に若い命の青葉を咲かせるように
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
これからもご一緒させていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.3)


「夢をあきらめないで」明豊ナインありがとう!

2021-04-02
 甲子園の選抜高校野球で明豊高校が準優勝しました。
地元大分合同新聞の朝刊第一面いっぱいに表彰式の後
三塁側応援団の前を堂々と胸を張り手を振って行進する
選手たちの姿が頼もしかったです。

 大分県の高校としては54年ぶりの決勝進出ということで
54年前の昭和42年の春がよみがえりました。
 半世紀以上も前のことで私が中学3年になる春の時分で
三月前の昭和41年12月31日に祖父照哲前々住職が往生し
ちょうど百か日を迎える頃のことです。

 津久見高校が大分県勢で春夏通じて初めて決勝に進出し
初優勝したことで大変なニュースになりました。
 ドロップのエース吉良投手のことを鮮明に覚えています。
縦に大きく落ちる独特のカーブです。
ピンチの時要所要所でドロップが効果的にきまって
三振を取っていたことを思い出します。

 当時はサッカーより野球が子どもの人気の的で
将来の夢も野球選手が圧倒的でした。
 プロ野球では巨人が黄金期を迎える九連覇初めの頃です。
華麗な守備と勝負強い打撃の長嶋選手と
一本足打法のホームラン王の王選手の
ON砲が全国の野球ファンを熱狂させていました。

 誰もがあこがれ大きな話題になる野球のことで
大分県から日本一の優勝チームがでたことが
自分のことのように嬉しかったし誇らしかったです。

 お寺のことでいえば当時は古い本堂と庫裡の佇まいで
数年前までしていた学習塾の教室が二棟残っていて
トタン屋根の自転車置き場にブロック塀があって
時間があるとその塀に軟式ボールを投げてはゴロを取って
私だけの格好の野球練習場でした。

 吉良投手のテレビの映像を頭に描きながら
ドロップのまね事をしました。
 カーブの握り方もよくわからないのに
緩く投げたらボールが落ちてという感じで
もうすっかり甲子園の優勝投手になった気分でした。

 明豊高校の今回の活躍で
往時のことが今またよみがえります。
 仏事でいったら年忌法要です。
54年って50回忌を過ぎていますが
思い出すことってあるんですね。

 50回忌をお勤めする時に思い出させてくれます。
その人が50歳以上でないとということですが
ご法事のご縁の有難さは
歳を重ねれば重ねるほど趣が深まってくるということです。

 あの時あの頃どんなことを思って生きていたかなと
今日の私の話でいったらいよいよ中学3年になって
高校受験を迎える頃です。
 15の春です。
これからの人生の進路をどうしたものかどうなるのかと
いろんなことを考え思い悩むこともあったと思います。

 あれから54年です。
多くの人に出会いいろんなことがありました。
 自分の思い描く人生はその都度軌道修正の連続で
振り返ってみれば何か遠くに来たような思いですが
右に行ったり左に行ったり立ち止まったりしながら
今の私があるのです。

 御仏前に座らせていただく私があるということです。
仏さまの量り無いご縁をいただいて
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に生かされて
今こここの私を生きているということです。

 これからも計り知れないいろんなことがあるけれども
南無阿弥陀仏とお念仏を申してもうしばらく
人生の歩みをさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.4.2)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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