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お念仏を申す生活法話

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「明日ありと 思う心の あだざくら 夜半に嵐の 吹かぬものかは」

2021-03-22
仏旗はためく強風の中を桜の花のいのちを精いっぱい生きています
 昨日からずっと大きな風が吹いています。
昨日もそうでしたが
今朝もお仏飯をお供えするのに本堂に入ると
本堂のガラス戸がガタガタ音を立てていました。
(注/実は本堂の外の戸が開けっ放しになっており
 お朝事同行のMさんが気づいて閉めてくださいました)

 心配だったのは咲いたばかりの境内の桜の花のことです。
この大きな風でゆっくり花見ができないままに
早々に散ってしまっているのではないかと思って
6時の梵鐘を撞きに外に出て見たら
風が吹くなかにもしっかりお花がくっついていました。
 しばらくお花見ができます。
安心しました。

 全国的に今日も一日風が強いようです。
桜といえばはかない無常のいのちを思いますが
咲いたばかりの桜はそう簡単に散ってはいきません。
いのちのたくましさをまた思います。

 親鸞聖人がお坊さんになる出家得度をした
9歳の頃のお話です。
 夕刻差し迫って暗くなる中周りの者が
出家得度の剃髪の儀式を明日にしませんかと
勧められたときに
「明日ありと 思う心の あだざくら
 夜半に嵐の 吹かぬものかは」
と歌を詠まれてその時に剃髪されたというお話です。

 明日がある明日があると思っても
夜間に大きな風が吹いて明日の朝には
満開の桜も散ってしまうかもしれないということです。

 私たちのはかないいのちです。
明日があると誰しも思いたいですが
明日があるという保証はどんな人にもないんですね。
 確かなことは今を生きていることと
教えてくださるのが仏法なのです。

 仏法に遇うことは
有ること難いことなんだよとのお示しです。
 明日でもないし昨日でもなかったのです。
今日ただ今のいのち仏法に遇うことの有難さです。

 今まさに阿弥陀さまの大きなお慈悲のお救いの中に
生かされてあることを喜ばせて生きるなかに
本当の意味での私たちの明日があるのです。

 阿弥陀さまのお浄土です。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで生まれ往く
私たちの彼の岸お浄土です。

 春のお彼岸の最中です。
お浄土を憶いつつお念仏申して
今日も一日生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.22)


雨の日の納骨はいけないのですか?

2021-03-21
<みんなの「ぬりえ」作品展>です。皆さん見に来てください。(本堂に掲示しています)
 昨日から雨が降ったり止んだりです。

 昨日夕方電話があって
「ちょっとお尋ねしたいことがあるのですが」
ということでした。
 お寺のホームページをみて
電話をかけてきたそうです。

 今日納骨をする予定で
雨の時に納骨したらよくないと聞いたのですが
本当でしょうかという問い合わせでした。
 名前もお聞きすることもなく
そのままお応えしました。

 親鸞聖人は御和讃に
「かなしきかなや道俗の 良時・吉日えらばしめ
 天神・地祇をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす」
(悲しいことです。
 この頃の出家者や在家の者は
 日時の善悪・吉凶を選ばさせて、天地の神々を崇拝し
 占い・祭祀にはげんでいます)
とお示しです。

 仏教は日の良し悪しをいいません。
そうしたものにとらわれはからうところに
私たちの苦悩迷いの原因があると説かれます。

 浄土真宗は弥陀一仏の救いの法で
阿弥陀如来をたのむ一念に
お念仏申す身にさせていただくのですから
深く因果の道理をわきまえて
現世祈祷やまじないを行わず
占いなどの迷信にたよりません。

 電話ではそこまでのお話はしなくて
「そういうことは言いませんよ」とだけ言って
仏事のことはお参りしていただくお寺の御住職に
相談したらいいですよと言いました。

 同じ仏教でも宗派によってまたお寺の住職によって
言い方もいろいろあると思います。

 多分地域の周りの方が雨の日の納骨のことを言って
言われたら気になるのが私たちですから
聞かれたんだと思います。

 私もそのようなことをどこかで聞いたことがありますし
逆に雨の日の納骨が良いという話も聞きました。
 良い悪いと誰が言っているのかといったら
自己中心のものの見方考え方にはからいとらわれて
悩み苦しみ迷っている私です。

 そうした私を全てご承知の上で阿弥陀さまが
「あなたの命そのまま引き受けた。まかせよ救う」と
南無阿弥陀仏のおはたらきなのですから
「おまかせします阿弥陀さま」とお念仏申すばかりです。

 良い日も悪い日もありません。
確かに何かある時には晴れた日を望むのが私たちです。
でも雨の日もありますって。

 人生においてもそうです。
順風満帆な晴れの日を思いますが
波乱万丈といった強い風雨の日もありますってことです。

 お念仏申す日暮らしのなかに
雨の日には雨の日の生き方があるよと
いつもご一緒してくださる南無阿弥陀仏のおはたらきです。

 お念仏のお心み教えを聞かせていただきましょう。

 一回聞いて分かったではありません。
何回聞いてもウロウロ迷っている私です。
 だからお念仏申せよの思し召しです。
お念仏申すところ
「私がいるよ大丈夫だよ」のお喚び声に安心して
私たちの彼岸阿弥陀さまのお浄土への人生を
生きて往けるのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.21)


お彼岸のお中日です

2021-03-20
お彼岸のお中日に円光寺墓地でお勤めしました。傘の花がたくさん咲きました。(2021.3.20.7:30)
 お彼岸のお中日です。
この後納骨堂でお勤めをさせていただきます。
そして円光寺墓地にもお参りをさせていただきます。

 こうしてご本尊の阿弥陀さまに向いてお勤めしますが
その先はちょうど納骨堂の中心のお内仏にあたります。
 本堂からそのまま納骨堂の阿弥陀さまに
お参りができているということです。

 朝一番にお仏飯をお供えに納骨堂に行きますと
納骨堂がお供物でいっぱいで賑やかです。
 お彼岸お盆そしてお正月に
有縁の方々がお参りされお供えをします。

 お彼岸のお供物の定番は
春はぼたもちで秋はおはぎですね。

 いつかこんな掲示伝道の言葉を書きました。
春三月に「お供えは ぼたもち いいね 春彼岸」と
秋九月には「お供えは おはぎも いいね 秋彼岸」です。

 時節のお供物を見るたびに季節の移り変わりを思います。
その中心に真実変わらないご本尊の
阿弥陀さまをいただきます。
 南無阿弥陀仏のお念仏のみ教えを依りどころに
共々に生かされて生きていると聞かせていただきます。

 お彼岸のお中日のご縁です。
お昼の1時半から彼岸会法要ご満座のお勤めを
させていただきます。
 どうぞお誘い合わせお参りください。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.20)


自分探しのお念仏の旅にお寺にお参りしませんか

2021-03-19
菜の花が咲く近所の川べりです(2021.3.18.15:00)
 大分で桜の開花宣言がありました。
境内の枝垂れ桜も開花しました。

 春になりました。
今日明日と春のお彼岸のお勤めをさせていただきます。

 秋は鐘楼の前に彼岸花が咲いてお彼岸を迎えますが
春のお彼岸は菜の花ですね。

 桜の開花より少し前で今は菜の花が満開です。
空の青に黄の菜の花が映えます。
彼岸花は赤に青です。
 本当に色鮮やかに気持ちも新たにさせてくれて
私たちを楽しませてくれます。

 春を探しに行きましょうと
誘ってくれてるようです。

 梅の花、桃の花、菜の花そして桜の花次々に咲いて
春うららかな気分にさせてくれます。

 お彼岸の仏法聴聞のご縁です。
阿弥陀さまのお浄土を訪ねていきましょう。
 ご先祖有縁の方々が往ってらっしゃる
私たちのいのちの古里です。

 自分探しのお念仏の旅です。

 私たちは自分のことは私が一番知っている
分かっていると思っていませんか。
 そうでしょうか。

 自分の都合のいいように見ては分かっていると思い込み
本当のところは自分のことが
一番分かっていないのがあなたですよというのが
仏さまの思し召しです。

 御仏前に座って仏法に聞かせていただきます。
仏法の真実の鏡の前に座るということです。
 自己中心の煩悩にとらわれ苦悩し迷う
ありのままの私のすがたをそのまま見せてくださいます。

 そんな私が心配で心配で見捨てることができないと
阿弥陀さまは「必ず救うまかせよ」と
南無阿弥陀仏の仏さまに成ってくださったのです。

 自分探しのお念仏の旅にお寺にお参りしませんか。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.19)


仏教は仏法の下の平等の教えです

2021-03-18
 札幌地方裁判所で同性婚を認めないのは
憲法に違反するという判決が示されました。

 今後高裁に控訴されることが予想され
確定したものではありませんが
今までにない司法の判断で
画期的な判決と評価する一方で
様々な見方意見があります。

 広く人権に係る世界的な潮流
現代の社会の動向を感じます。

 森オリパラ前会長の女性蔑視発言に端を発した問題では
「多様性と調和」という
オリンピック憲章が注目されました。

 多様性とは同じ社会に生きる人
それぞれの様々な違いです。
民族が違います、言語が違います、国が違います。
宗教が違います、思想信条ものの見方考え方が違います。
職業が違います、生活ぶりも様々です。

 様々な違いをもった者同士が
同じ社会に生きるときに
調和です。
 お互いの違いを認め合い尊重し合って
共に生きる世界が求められます。

 日本は男社会といわれてきました。
社会のあらゆるところで
そうした素地がまだまだ残っているなかで
今回の判決にただ賛成反対と言うだけでなく
同性カップルをはじめ性的少数者が生きにくい
現実社会のあり方を注視したいものです。

 今回の判決は日本国憲法第14条の
「すべての国民は、法の下に平等であって
   人種、信条、性別、社会的身分又は門地により
 政治的、経済的又は社会的関係において
 差別されない」
法の下の平等に違反するとの判断でした。

 仏法を聞かせていただくようです。
仏教はまさに仏法の下の平等の教えです。
 阿弥陀仏さまのご本願の救いの法です。
阿弥陀さまのご本願はすべてのものを
分け隔てなく救うという大きな願いです。

 男女、貴賤、道俗を選ばずと
若者も老人も、健康な人も病気の人も
いろんな違いを認めてそのまま救うというのです。
 善人も悪人も救うといいます。
阿弥陀さまのお救いに条件は一切ないのです。

 阿弥陀さまは一切衆生を必ず救うとご本願を成就し
南無阿弥陀仏のおはたらきの仏さまに成って
私たちに本願を信じ念仏申す身になっておくれと
喚び続けてくださっているのです。

 性的少数者は親や家族からも理解されず
この社会からも疎外されて生きにくいと訴えます。

 同性婚が社会的に認められないことで
大きな不利益を被っているといいます。
 一緒に生活していても財産分与や相続ができないとか
身近な例でいえば
入院手術する時に家族の承諾署名が必要ですが
パートナーの署名は認められないのです。

 『浄土真宗の教章』には
阿弥陀如来の本願を信じ念仏を申す者は
「自他ともに心豊かに生きることのできる
社会の実現に貢献する」とあります。

 多様性が尊重され
全ての人々がお互いの人権や尊厳を大切にし
生き生きとした人生を享受できる社会の実現に向けて
お念仏のご法義を聞かせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.18)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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