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お念仏を申す生活法話

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三日続けてお葬儀のご縁です

 お葬儀が続きます。
今日はF家のお葬式で夜は他のお家のお通夜で明日お葬式と三日連続です。
大変珍しいことで一月にお葬儀が3件あること自体稀なことです。
 死の縁無量で予定されるものではなくたまたまご縁が重なったということです。
 
 3件とも葬儀社でのお葬儀ですがそれぞれ葬儀社が違って
葬儀社の対応もそれぞれ違います。
 
 お通夜お葬式に参りさせていただきます。
お坊さんは葬儀執行の中心です。
 葬儀社の配慮は特別なもので
お寺さん専用の駐車場があり控の部屋が用意されています。
 その接待も手慣れたものですが
長い間の習慣で当たり前になってしまっていて
ちょっといつもと違う対応にえっと思うこともあります。
 本当にちょっとしたことです。
 
 私たちの日々の生活のなかにもそんなことってありませんか。
人と人との関係つながりのなかで私たちは互いに生活しています。
 ちょっとしたことで気持ちが良くなったり悪くなったりということがありませんか。
本をただせば自分勝手にその時の気分で物事を見たり人を評価したりしているということです。
 そんな見方はそのまま私が見られている見方につながります。
 
 お葬儀のご縁です。
先に往かれたお方それぞれの生活ぶり歩まれた人生は違います。
 KさんFさんはお寺に深いご縁があった方ですが
明日お葬式の方は初めてのご縁の方です。
三佐のご出身で昔でいう分家の方です。
 今までお寺にご縁がなかった方ですがお墓もお仏壇もあるといいます。
仏さまへの思いがあったということでしょう。
 ようこそお寺にご縁をいただいたことを有難く思います。
 
 お家お家のご事情はそれぞれ違いますが
ご本尊の阿弥陀さまを中心にお葬儀のお勤めをさせていただきます。
 皆さん同じ浄土真宗のお葬儀です。
阿弥陀さまのご法義はお念仏のおはたらき一つでどんな人も同じお浄土にお参りさせていただけるという教えです。
 
 お通夜のご縁でご法話お取り次ぎさせていただきます。
そんな話初めて聞いたという人も多いと思います。
 大切な方とお別れする悲しみのご縁ですがそのまま仏さまのご縁といただいて聞いておきましょう。
今まで聞いていなかったから救われないということではありません。
 今です。今からです。
先に往かれた方を仏さまと仰いでいける有難さです。
 
 どうぞご縁ご縁にお念仏を申すなかに仏さまのみ教えを聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.1.30)

日頃から仏さまのお話を聞いておきましょう

 昨日はKSさんのお通夜のご縁にたくさんの皆さんご門徒衆がお参りされて
ご一緒にお正信偈さまのお勤めができました。本当に有難いことです。
 今日はFHさんの奥さんのお通夜で明日がお葬式です。
 
 日頃からずっとお寺のお朝事にお参りされていたKSさんFHさんの悲しみのご縁です。
ご遺族の方とお話をするなかで日頃のご縁の大切さを思います。
 仏法聴聞は日頃からということです。
 
 ご門徒皆さんに日頃からお聴聞させていただきましょうと日頃から言っています。
その時になってではありません。死んでから後ではありません。今です。
 私は住職僧侶ということでご門徒有縁の皆さんに常日頃から仏さまのお話を精いっぱいお取り次ぎしているつもりですが
その時になるとお寺で今まで何を聞いていたんだろうと思うほど世間の話になってしまうのです。
 世間の話とはみんなが言ってるみんながしているという話です。
 
 私たちのお寺のつながりはお念仏のつながり阿弥陀さまを中心としたつながり
阿弥陀さまのお救い南無阿弥陀仏のご法義のつながりです。
 私も皆さんも共々に仏さまのお話を聞かせていただくなかに日々の生活をさせていただいています。
そして日々の生活のなかにお葬式のご縁をいただきます。
 
 お念仏のご法義を聞かせていただきますと
この人の命はいつか必ず終わり人と人との別れがきますが
死んだら終いの命ではなくて
南無阿弥陀仏「必ず救うまかせよ」のお念仏のおはたらきに一つで
私たちは阿弥陀さまのお浄土に生まれ仏にさせていただけるというのです。
 
 このお葬式のご縁にあうとき周りの方々の声が聞こえてきます。
世間の話です。こうしなさいこうした方がいいよという身近な方が心配してくださる親切なアドバイスです。
 迷います。聞けば聞くほど迷います。日頃から仏さまの話を聞いていても迷います。
「困った時にゃお念仏に相談しなされや」という妙好人の言葉がありますが
そんな時はどうぞお寺に相談してください。
 
 今も迷いの中にある私たちです。
世間にあって私たちは悩み苦しみから逃れることができずに迷っているというのが仏さまの見方です。
 苦悩に沈む私を必ず救うと阿弥陀さまは南無阿弥陀仏とおはたらきです。
阿弥陀さまは迷う私を決して責めません。救いの条件も出しません。そのまま救うてくださるのです。
 救いの手立てを阿弥陀さまのところですべて仕上げて「われにまかせよ必ず救うそのまま救う」とおはたらきです。
阿弥陀さまがいつでもどこでもご一緒してくださってあると日頃から聞いておきましょう。
 
 皆さんそれぞれ日々の生活があります。
生活ぶりはそれぞれ違いますが今日もこうして
お朝事のご縁に円光寺の本堂阿弥陀さまの御尊前にご一緒させていただきました。
 
 お寺参りが阿弥陀さまのお浄土参りです。
昨日KSさんがお家から出棺する際にいつもお朝事参りに着けていた
門徒式章と愛用の聖典をお棺に添えさせていただきました。
 
 いつものお寺参りがそのままお浄土参りです。
お念仏申して「いってらっしゃい」とお見送りさせていただきました。
 今日の夕刻には白骨となって懐かしいお家のお仏壇阿弥陀さまのおそばに帰ってみえます。
懐かしいお姿はこの目には見ることはできませんが
確かに確かに南無阿弥陀仏の声の仏さまとなって還って来て
これからずっと私たちとご一緒くださいます。
 
 お葬儀の悲しいご縁です。
丁寧にお勤めさせていただき共々に阿弥陀さまのご法義に遇わせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.1.29)

私の悩みを聞いてくださる阿弥陀さまがご一緒です

 昨日大海組の総代研修会がありました。
座談の時間があって私の班は組内17寺中11寺の総代住職で話し合いをしました。
 お寺の活動そして運営はそれぞれのお寺で違います。
いろんな話になりました。
 よくお寺の代表者が集まるとお寺の自慢話になることがありますが昨日は違いました。
お寺の総代さんのさまざまな悩みを聞きました。
 
 少子高齢社会にあってお寺をめぐる環境は非常に厳しいものがあるとのご講師の問題提起を受けてということで
どの総代さんからもお寺参りが少なくなった若い人のお参りがない現状でお寺の先行きが不安だとの意見が出ました。
 総代さんのことでいったら次の総代のなり手がなくて困っているという話です。
うちのお寺もうちのお寺もということです。
 総代さんの悩みです。
 
 総代は門徒の代表お寺の顔だといわれます。
そう言われると総代として何か特別なことをしないといけないなどとちょっと力が入りますが
することの基本は一つですよというお取り次ぎです。
 
 ご法話のご讃題でお聖教のなかから
「聞というは仏願の生起本末を聞いて疑心あることなし」という御文をいただきました。
 仏法は聴聞に極まるといいます。
何を聞くのか。世間の話を聞くのではありません。仏さまのお話阿弥陀さまのお慈悲のお話です。
 何で阿弥陀さまが本願という願いを起こされ私を救おうとされたのか
救わなければならないこの私というのは何なのかということを聞くのです。
 それが私たちの中心で
ご本尊というかたちで本堂のお内陣の真ん中皆さんのお家のお仏壇の真ん中に阿弥陀如来さまがご安置されてあるのです。
 そのこと一つ聴聞させていただくなかに総代さんであったり
仏壮仏婦仏青子ども会のお役をつとめさせていただくということなのです。
 
 今日の皆さんもお役をつとめています。
お役というとまた力が入りますがおつとめです。おつとめさせていただくのです。
 世間のお仕事ということではありません。
仏さまのお手伝いをさせていただくのです。
 お念仏申すご門徒の皆さんの姿を見て周りの方々も私もお参りしようとなるのではないでしょうか。
 
 今日はKSさんのお通夜です。
KSさんはまさに日頃からお念仏申す生活をされていた方です。
 お朝事のご縁にいつもこの席に座られて私たち周りの者に教えてくださいました。
「一緒にお参りしようえ」と言ってくれてたと思います。
 その声が皆さんの心に届いてこの円光寺のお朝事の今日のご縁があると思います。
 
 私たちはみんな悩みをもって生きています。
お寺をあずかる住職の悩みです。坊守の悩みです。そして皆さんの悩みです。
 有難いことに私たちの悩みをそのまま聞いてくださる阿弥陀さまがいらっしゃることを聞かせていただきます。
お念仏申して今日の一日も生き抜かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.1.28)

往生めでたし

 昨日の夕刻KSさんがご往生されました。
昨年末に骨折され入院されてその後リハビリのために施設に移ったということで
家族の方からはそんなに悪いとは聞いていませんでしたのでびっくりしました。
 
 百歳になったばかりで先日ご家族ご親族でKSさんを囲んでお祝いをされたそうです。
1月14日が戸籍上の誕生日で実際は4月6日に生まれたと言われていました。
 百歳と二十日のご生涯でした。
大変なご長寿ですが何よりもこの円光寺にとって大切なお方でした。
 
 このお朝事は43年前に本堂新築を機縁に前住職がご門徒皆さんに呼びかけ始めたことですが
大変多くのお同行が毎朝6時半にお参りされました。
 その中の一人がKSさんで
当時のお同行はすでに往生されています。
 
 KSさんは4年前の1月に向拝の階段で転んで入院しそれ以来お朝事にお参りではありませんでしたが
一番前列のその席がKSさんの指定席です。皆さんが座ってらっしゃるところも指定席です。
 いつもKSさんの席の隣にKKさんが座ってということでいつものお朝事の光景でした。
 
 今はKSさんもKKさんもFHさんもいらっしゃらなくてちょっと寂しんですが
これも世の習いでいつまでもというわけにはいきません。
 私のことです。いつか必ずこの命を終えていかねばなりません。
ただ私たちのお念仏のご法義を聞かせていただきますと「往生めでたし」といいます。
 関東のお同行が亡くなったという知らせが京都の親鸞聖人に届きます。
その時の返事の御文に「往生めでたし」と書かれているのです。
 百歳を超える長寿で亡くなられても有縁の方の死に際してめでたいなどとは不謹慎極まるということでしょうが
浄土真宗のご法義を常日頃から聞かせていただくと往生めでたしなのです。
 
 往生とは往き生まれるということで
人の命は終えるけれども阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のおはたらき一つでそのまま阿弥陀さまのお浄土に往き生まれて
さとりの仏さまに成らせていただくというみ教えなのです。
 お浄土には懐かしい方々が待っていらっしゃるといいます。
お浄土を俱会一処の世界といいお浄土で仏と仏としてまた会うことができるというのです。
 そしてずっとお浄土に往きっ放しではなくてこの娑婆世界に還って来るといいます。
後に残った有縁の者が心配で心配で「あなたも一緒にお念仏を申してお浄土にお参りしようえ〜」と
南無阿弥陀仏のおはたらきしてくださるのです。
 
 常日頃のKSさんがそうでした。
大きな声を出して先頭を切ってこうしようああしようという方ではありませんでした。
 ただ常にいつもいらっしゃっいました。
私たちのそばにご一緒にいらっしゃっいました。
 本堂のいつもの席にいらっしゃっいました。
そして今もいらっしゃいます。
 
 KSさんのお念仏の声はずっと聞こえてまいります。
これからも私たちに「一緒にお参りしましょうえ」と喚びかけてくださいます。
 円光寺にお参りしようえお浄土にお参りしようえと声かけ導いてくださるお念仏の声に
励まされ支えられてこれからもお朝事のご縁を共々にいただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.1.27)

阿弥陀さまのご尊前に座らせていただきます

 今日もこうして御仏前に座らせていただきお勤めをさせていただきます。
真正面にお立ち姿の阿弥陀さまを拝見します。
 この本堂でいいますとお内陣、皆さんのお家のお仏壇は
阿弥陀さまのお浄土のおすがたを表しています。
 
 この私が往き生まれるところを阿弥陀さまがお浄土と決めてつくってくださいました。
お浄土を真実の依りどころとする浄土真宗のみ教えです。
 南無阿弥陀仏のお名号となってお浄土から「必ず救うまかせよ」とおはたらきです。
そのこと一つ聞かせていただきお念仏を申させていただきます。
 
 聞いたから救われるのではなくて
もうすでに私たちは阿弥陀さまの大きな大きなお慈悲のなかに抱かれ生かされてあると聞かせていただくのです。
 
 南無阿弥陀仏のおはたらき一つでお浄土への道を歩ませていただき
この命終わる時に浄土に生まれさせていただき仏に成らせていただけるのです。
 
 この凡夫の目に見えるおすがたでお念仏のみ教えを毎日説いてくださってあるのです。
南無阿弥陀仏と喚んでくださってあるのです。
「必ず救うまかせよ」の南無阿弥陀仏の力強いお喚び声おはたらきを聞きまかせて
お浄土への道を歩ませていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.1.26)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
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