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お念仏を申す生活法話

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和国の教主日本のお釈迦さまと親鸞さまは聖徳太子さまを讃えます

 ただいまのご和讃は「正像末和讃」という大きなくくりの最後で
今日は途中から聖徳太子讃に入りました。
 このお内陣に向かって右の余間にご安置の聖徳太子さまを
親鸞聖人は和国の教主日本のお釈迦さまと讃えています。
 
 それも救世観音菩薩観音さまの化身と慕われていたといいます。
観音菩薩は慈悲のお徳おはたらきの菩薩さまです。
 ご和讃に多々お父さんや阿摩お母さんのように私にいつも寄り添って護ってくださると
親鸞さまは讃えています。
 
 一方親鸞さまは法然さまのことを勢至菩薩の化身といわれました。
勢至菩薩は智慧のお徳おはたらきの菩薩さまです。
 智慧の光を放って私たちを摂め取ってくださるのです。
 
 阿弥陀如来さまの脇侍が勢至菩薩と観音菩薩なのです。
智慧と慈悲をかね備えた阿弥陀さまのおはたらきが南無阿弥陀仏となって
私のところに至り届けられていると聞かせていただくのが浄土真宗のお救いの法です。
 
 南無阿弥陀仏ひとつで救われるというご法義です。
ナンマンダブツとお念仏申すところに「私がいるよ大丈夫だよ」と阿弥陀如来さま勢至菩薩さま観音さまが
智慧と慈悲のおはたらきで私たちを必ず救うてくださるのです。
 
 南無阿弥陀仏のおはたらきのなかに今もうすでに摂め取られ護られ生かされてあると聞かせていただき
この人の命終えますがそのまま南無阿弥陀仏のおはたらきでお浄土に生まれて
阿弥陀さまと同じおはたらきの仏さまにさせていただき
この迷いの世に還って来て迷いの衆生を救うというおはたらきをさせていただくのです。
 
 このいのちは死んだらしまいの命ではなく
ずっとずっと無限無量の南無阿弥陀仏のいのちなのです。
 お念仏申して南無阿弥陀仏のおはたらきのなかに
今日一日も生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.7)

心配するのがお年寄りのお仕事です

 昨日ご門徒の皆さんにお彼岸の変更中止のご案内をしました。
いつものようにお世話人さんに配り物をしていただきましたが
さっそく婦人会の清掃奉仕のことが書いていないということで問い合わせがありました。
 本当に円光寺はご門徒さんとの連絡がうまくいっていることをこの緊急時にまた有り難く思います。
 
 昨日は大海組の法中会という月に一度の会合がありました。
いろんな行事はことごとく中止ですが年度末の法中会は特に大事な会議で大切な話がありました。
 最後にあるお寺さんが「皆さんのお寺のお彼岸のお勤めはどうされますか」と聞かれました。
お互いに気にかかることです。
 何件かのお寺さんが日時を短縮したり工夫して勤めますということでした。
 
 後で知ったんですが5月に大きな法要をお勤めするお寺さんは3月の行事は全てしないということで
5月の法要に向けて最終的な準備を進めているそうです。
 ただこのたびの新型コロナウイルス禍です。
5月に予定通り法要ができるかどうか門徒さんから心配な声が上がっているということです。
 
 それこそ何年も前から計画し準備を重ねてきていよいよ最終段階に入ってのことで
ご院家さんはじめ門徒幹部の方は連日気が気ではないと思います。
 心配してもただ情勢を見守るだけのことで悩ましいことですが
ご門徒の皆さんの心配が本当に有り難いなと思うのです。
 
 総代さんはじめお寺の門徒幹部の皆さんはほぼ高齢者です。
60歳代以上の方々です。
 コロナウイルス感染の最も危険な方たちです。
そういう方々が心配してくださるのです。
 自分の心配ではありません。お寺のことです。
法要のことです。お参りしてくださるご門徒衆の心配をしてくださるのです。
 
 お年寄りは心配することが仕事なのだと思います。
若い者は若いうちは皆さんどうでしたか。
 何をするにつけても何とかなるどうにかなるって思っていませんでしたか。
何とかなったにしてもそこには多くの方々のおかげがあったのですね。
 歳を重ねて知らされる気づかされることです。
 
 このたびのコロナウイルス禍も若い人は軽症といいます。
そして重症患者はお年寄りの方持病を持たれた方といわれます。
 自分の心配が先なのにお寺のことを思うてくださる心配してくださる。
本当に有り難いですね。
 
 そういうお寺思いの方々があってのお寺です。
お寺を預かる住職にとってこれほど頼もしい皆さんはいらっしゃいません。
 それは大きな法要行事の時だけではなくて日頃なのです。
 
 このたびのお彼岸のこともご門徒皆さんのお寺への気持ちあつい思いです。
お互いにお寺を思うなかに円光寺の日常がこのお朝事のお勤めがあることをまた有り難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.6)

センバツ高校野球の行方

 全国の小中高校支援学校の99%が休校ということです。
昨日はセンバツ高校野球を開催するかどうかという会議があって開催する方向ということですが
中止を含めて無観客での試合という案が出ているようです。
 
 高校野球に限らずこんな時に何でするのかというのが大方の見方ですが
高校球児にとって甲子園は一生に一度の夢舞台ということです。
 今年は開催できなくても来年があるということではありません。
 
 私が高校2年の時全国的に学生運動が盛んで東大闘争がありました。
その影響で東京大学の入試が一年中止になったのです。
 子どもの頃から東大目指して勉強一筋に頑張ってきた人にとって天と地がひっくり返ったような大変なことで
やむなく他の大学を受験された方もいれば一年浪人して翌年東大を受験した方もいました。
 とにかく何が何でも東京大学というのでしょうか。
そして他の大学に合格して一年過ぎてやっぱりどうしても東大だということで受験した人もいたそうです。
 そのことを思い出しました。
 
 この東大入試のことと今回の高校野球ことが違うのは東大入試はまた来年チャンスがあるのです。
再来年も再々来年もあるのです。
 ところが高校野球については高校三年生までのチャンスです。
それもセンバツは選ばれた高校だけ夏は地方大会を勝ち抜いた高校だけがあこがれの甲子園でプレーできるのです。
 
 どんな結論が出るのでしょうか。
何とか開催する方向でという関係者の気持ちはよく伝わってきますが
今の情勢でいくとどうでしょうか。
 
 この一週間で皆さんの生活は変わりましたか。
私のことでいうと大分変わりました。
 今日久しぶりに会合があります。
それこそいろんな行事が中止中止中止です。
 そういうなかにあってやっぱり私たちは生きている生活をしているのです。
その生活、何のために生きているのかということを一つ考える見直してみる機会なのかなとも思ったりします。
 
 私たちはそれぞれ生活ぶりは違いますが今ここ同じ日本で同じ時代を生きている者同士です。
自分だけがよければいいということではお互いに生きにくい窮屈な日暮らしになってしまいます。
他の人隣の人に少しでも思いを致す日暮らしでありたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.5)

仏智の不思議を疑惑して

 今拝読のご和讃は「誡疑和讃」といって仏智疑惑を戒めるものです。
「仏智の不思議を疑惑して」とあります。
仏智とは阿弥陀さまの智慧本願のお心
念仏ひとつで必ず救うというお慈悲のおはたらきです。
 
 阿弥陀さまは「我にまかせよ必ず救う」と南無阿弥陀仏とおはたらきですが
仏智不思議の本願を疑って念仏する功徳によって浄土に往生しようとする自力の人は
浄土の片隅の辺地に生まれて阿弥陀さまの救いの大慈悲をいただけないというのです。
 
 辺地の浄土は七宝の獄といって七つの宝でできた疑城胎宮といっいます。
本願を疑う罪で入る牢獄ですが
七宝で飾られお母さんのお腹の中に居るような居心地のよいところなのです。
 また金鎖につながれるとあります。
鎖につながれるのは嫌ですが金の鎖です。
 
 七宝の牢獄に居て金鎖につながれるとは
今の私たちの有り様をズバリおっしゃっているのではないでしょうか。
 
 あくなき欲望を募らせて金銀財宝地位や名誉を求め
実はそれらにとらわれはからわれて真の自由がない不実の身を生きる私たちのすがたです。
 
 仏智に目覚めてくれよとの阿弥陀さまの仰せです。
生きとし生けるすべてのものを分け隔てなく必ず救うと本願をおこし
南無阿弥陀仏と成就されたお心を聞いてくれよとおはたらきなのです。
 
 南無阿弥陀仏のお名号ひとつのおはたらきで私たちは真実報土のお浄土に生まれさせていただき
仏智のさとりをいただくのです。
 
 他力の念仏ひとつで救われるそのこと一つお聴聞させていただきましょう。
お念仏申して往生浄土の道を歩ませていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.4)

今日はひな祭りです

 今日3月3日はひな祭りです。
このように今日は何の日というのは決まっていることです。
 お彼岸でいえばお中日は春分の日秋分の日と年に二回あります。
お寺ではその日にお彼岸のお中日の法要をお勤めさせていただきます。
 
 このたびの新型コロナウイルスの感染防止のために
全国的には昨日から大分は今日から学校が一斉に休校になります。
 昨日今朝のニュースを観てもそれぞれの現場での対応が違ってあるようです。
学校が休校になって生活の中から子どもがいなくなるのではなくて
子どもも親御さんもまた生活をしているということです。
 
 その居場所が平生は学校だったのがどこにということです。
学童保育や塾ということも聞きますし低学年に限って学校を開放する対応もあってさまざまな工夫をされています。
 そのお家お家でいろんな対応を考えるということは大事なことだと思います。
日頃は学校にまかせるということでよかったのです。
まかせておけばいいというところがどこかにありますよね。
いやまかせないと子どももそうだし親もまた仕事が生活ができないということでもあるのです。
 
 そうしたなかで今日はひな祭りというお話をしたのは
私たちの日々の生活には誕生日のように決まった特別な日があるということです。
 今日は何事があるから今日の誕生日は明日にしましょう明後日にしましょうということではないですね。
何年分もまとめてしましょうということでもありません。
 
 このたびのことでいろんな行事を中止休止することもよくわかります。
ただそういうなかにあっても私たちは生きている生活をしているのです。
 日々の生活の中でその日その日の大切さを思います。
それぞれの日暮らしを思いやることの大切さです。
 
 生きるということは考えること工夫することだと思います。
南無阿弥陀仏とお念仏申して阿弥陀さまのお心を聞かせていただき
私にできることをさせていただこうと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.3.3)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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