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お念仏を申す生活法話

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往生極楽の信心獲得のために開かれたお念仏のご縁です

2021-02-15
 昨日は仏教壮年会の総会で
皆さんにお参りいただきました。
 久しぶりにお会いする方もいらっしゃいます。
顔と顔を合わせるっていいですね。
何かほっと安心できます。

 御仏前です。
阿弥陀さまの御尊前に皆さんご一緒に座らせていただき
お勤めができ仏さまにお礼ができて
そして総会の話し合いも仏さまのご縁です。

 御和讃は高僧和讃で七高僧の第二祖
インドに出られた天親菩薩さまを讃えるところです。
 何度も「一心」という言葉がでてまいりました。
「世尊我一心帰命尽十方無碍光如来往生安楽国」と
天親菩薩が主著の『浄土論』の冒頭に
自ら一心に無碍光如来に帰命しますと述べられています。

 無碍光如来は阿弥陀さまのことです。
一心とは一つ心で二つも三つもないということで
今日の御和讃に他力と回向という言葉をいただきました。

 阿弥陀さまのご本願のお心
「我にまかせよ必ず救う」南無阿弥陀仏のおはたらきで
信心をいただく他力回向の信心が
浄土真宗のご法義の要なのです。

 如来より賜わる信心だから
誰もみんな同じ信心なのです。

 私たちはそれぞれ生活ぶりは違いますが
阿弥陀さまの大きなお慈悲のおはたらきのなかに
お互いに生かされて生きて
同じ阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただけると
そのこと一つ聞かせていただくお念仏のご縁が
今日のお朝事のご縁であり
昨日の仏教壮年会のご縁でもあるのです。

 往生極楽の信心獲得のために
ご法座のご縁が阿弥陀さまから私に開かれてあることを
今日の御文章さまに蓮如さまから重ねていただくことです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.15)


南無阿弥陀仏のご本願の船にご一緒させていただきましょう

2021-02-14
 昨夜遅く福島宮城で震度6強の大きな地震がありました。
被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます。

 地震があって大変だということですが
実は私たちは今も大変な中に生きているのです。
 大きな災害や想定できない事件に遭って
大変だと不安になりますが
日々刻々とあらゆるものが移り変わるこの世の中に
真実変わらない仏さまのみ教えに遇って
私たちは安心して日暮しさせていただきます。

 昨日から高僧和讃の龍樹菩薩讃に入って
今日は龍樹菩薩が仏道に難行易行の道があることを
明らかにしてお念仏の易行道を勧められます。

 難行道とは種々困難な行を修めて
仏になろうとする道で陸路の歩行の道に喩えられます。
 易行道は阿弥陀仏の本願力によって浄土に往生して
さとりを開く道で水路の乗船に喩えられます。

 陸路の道は私が一歩一歩確かめて歩くことで
充実した歩みのようですが
自らの力を頼りにするもので
これからの行方が定まらずずっと心配が尽きません。

 水路の船旅は船に乗ってしまえば
後は船にまかすだけですから易行の道ですが
船を信じるか疑うか大きな問題です。

 今日の最初の御和讃です。
「生死の苦海ほとりなし ひさしく沈める我らをば
弥陀弘誓の船のみぞ 乗せて必ず渡しける」
(苦しみに満ちた迷いの海は
 どこまでも果てしなく続いている
 その海に長い間沈んでいる私たちを
 阿弥陀仏の本願の船だけが
 必ず乗せて浄土に渡してくださる)
とあります。

 生死の迷いの海に沈んでいる私たちを
阿弥陀さまは見抜かれて
必ず救うとご本願の船を用意されて
南無阿弥陀仏「必ず救うまかせよ」と
喚んでくださっているのです。

 本願の船にまかせて乗れと言われて
乗るか乗らないか躊躇するのが私たちです。
 南無阿弥陀仏のお喚び声を聞いて
信ずるが疑うかです。

 船に乗ってしまえばもう船のはたらきに
まかせるしかありません。
 阿弥陀さまのご本願のお心を聞いて信じて
南無阿弥陀仏のおはたらきにまかせて
ご本願の船に乗せてもらって行く先は
阿弥陀さまが決めてくださったお浄土なのです。

 生死の苦海ほとりなしと
これからの人生も変わり行くなかに
何があるかわかりませんが
真実変わらない南無阿弥陀仏のおはたらきにまかせて
お念仏申してお浄土への旅を共々に
ご一緒させていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.14)


老若男女の違いを超えて大きな乗物にご一緒しましょう

2021-02-13
 今日から高僧和讃に入ります。
インド中国日本に出られた七人の高僧方によって
お釈迦さまが説かれた阿弥陀さまの本願念仏のみ教えが
親鸞さまのところに届けられた喜びを
ご和讃にまたお正信偈さまに讃嘆されています。

 第一祖はインドの龍樹菩薩で
お釈迦さまから約七百年後の方です。
 龍樹菩薩は第二の釈迦といわれ
お釈迦さまのお心を開いて
大乗仏教の基盤を確立されました。

 御和讃に「有無の邪見を破すべしと」とあります。
お正信偈にも「悉能摧破有無見(しつのうざいはうむけん)
有無の邪見をすべて打ち破りと
親鸞さまは龍樹菩薩のご功績を讃えています。

 有無の邪見とは有るか無いか
一方に偏ったものの見方で
それを邪見間違った見方とお示しです。
 有無の邪見にとらわれるところに
私たちの苦悩のもとがあるというのです。

 お釈迦さまが悟られた真実の見方は如実知見といって
ものごとをありのままに見る見方です。
 私のはからい偏見が一切入らない見方ですが
私たちは私の色眼鏡でものごとを見ては
善悪の判断までするのです。

 東京五輪組織委員会の会長問題が
二転三転しています。
 男で有るとか無いとか女で有るとか無いとか
年寄りで有るとか無いとか若い者で有るとか無いとか
私たちのものの見方はそれぞれ違いますが
自分の都合に合わせて
ものごとを見ていることは同じです。

 共々に仏法に聞かせていただきましょう。
大乗の教法です。
 衆生をさとりに向かわせる大きな乗物のことで
自らさとりを求めるとともに
ひろく一切衆生をも救済しようとする
自利利他の教えです。

 すべてのものが救われなかったら
私はさとりを開かないと誓われた
阿弥陀仏のご本願のお心そのものです。

 私もあなたも私たちみんなが一緒に乗っていける
大乗大きな乗物の教法です。
 老若男女の違いを超えて
共に救われていくお念仏のみ教えを
今こそ聞かせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.13)


勢至菩薩観音菩薩とお慕い申し上げてお念仏の道をご一緒です

2021-02-12
 今日の御和讃は八首でした。
通常は六首で、七首の時もありますが
この八首というのが一番長いです。

 大勢至菩薩和讃八首といって勢至菩薩を讃えるものです。
阿弥陀如来の脇侍の菩薩さまです。
 智慧の菩薩の勢至菩薩と
もう一方が慈悲の菩薩の観音菩薩です。

 御和讃の最後に「源空聖人本地也」と記されています。
親鸞聖人が源空聖人法然さまを勢至菩薩の化身と
敬い慕われていたということです。

 ところで奥さんの恵信尼さまが夢で
お二方の菩薩さまの夢を見たというお話です。
 一方は勢至菩薩で法然さまのことであり
もう一方は観音菩薩で親鸞さまのことだという夢です。

 翌朝その夢のことを親鸞さまにお話されたそうです。
法然さまが勢至菩薩さまということについて
親鸞さまは肯定されます。
 しかし親鸞さまが観音菩薩だという夢のことは
恵信尼さまは生涯親鸞さまに打ち明けることなく
ずっと親鸞さまを観音菩薩の化身と思い
敬いお慕い申し上げてきましたと
親鸞さまがご往生の後で娘の覚信尼さまに送った
手紙に書かれています。

 阿弥陀さまの大きなお慈悲のおはたらきのなかに
親鸞さまは法然さまのことを勢至菩薩と
恵信尼さまは親鸞さまのことを観音菩薩と
お慕い申し上げ
南無阿弥陀仏のお念仏につながって
日々麗しく日暮らしされていかれたことを
有難く聞かせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.12)


「おかしい」と思うセンスを大事にしましょう

2021-02-11
 昨日は前々坊守のお話でした。
浄土真宗のお寺は住職坊守が
代々世襲されてきた寺族の歴史があります。

 親鸞聖人は結婚されて恵信尼さまという奥さん
そして子どもさんの家族がありました。
 家族との日々の生活の中で
お念仏のご法義につながって共々に生きてこられたのです。
 まさに在家の仏道であり
それは僧侶だけでなく門徒の仏道でもあります。

 私の継職法要の時に記念誌を出しました。
過去の資料が余り無いなかで確かなもので
四百年に及ぶ円光寺の歴史を箇条書きにしたものですが
あるお坊さんから
「(記念誌に)歴代の住職の名前は載っているが
坊守の名前がありませんね」と指摘されました。
私はその時何を言われているのがピンときませんでした。

 今森発言の波紋が広がって
連日新聞テレビ報道で男女平等のことが言われています。
 その観点からするとお寺もまた男社会ということです。
お寺の住職というと男性というのが
皆さん一般の認識ではないでしょうか。
 お寺に男児が生まれたら跡継ぎができたと喜ばれます。
女児が生まれたらどうでしょうか。

 今は女性の住職が増えてきました。
その大きな理由は男女平等に目覚めたというより
後を継ぐ男性がいないというお寺の事情です。
 お寺の娘と結婚したご養子が
住職になることが多かったのですが
今は結婚しても住職にならない方もいらっしゃいます。

 男だから女だからというのではありません。
お寺に生まれたからどうかでもありません。
 仏さまのご縁といただいて
思いをもった方が住職になれば
それはそれでいいのだと思います。

 ただ住職一人でお寺の何もかもができる
ということではありません。
 坊守にも大きなお役目があるのですが
お寺の規則があって「坊守とは住職をたすけ」とあり
一方住職には「坊守をたすけ」という文言はないのです。
 坊守はあくまでも住職の補佐役ということです。

 今の社会の感覚からいったら
お寺は時代に遅れているという感覚でしょうね。
 今生きている時代社会を感じ取る感覚センスです。
言論はじめ視聴覚に至る全身で受け取る肌感覚です。

 森発言に対して社会の受け止めは
批判的な声が多いのですが
森さんの周辺からは擁護する発言が次々に出てきています。
 映像とともに伝えられるそうした発言を見て聞いて
皆さんはどう思いますか。
「おかしい」と嫌になることってありませんか。
「いいね」と共感することも含めて
それがセンスです。

 私たちがこれまでこの社会に生きてきたなかで
様々な経験そして学習を通して培ってきたものです。
 嫌だなと思う感覚センスは大事ですが
それは単にその人を批判し排除することではありません。

 その人の意見ものの見方考え方と受け止めるなかで
自分のなかにもそうしたものがないか見直すことでもあり
その人の考え方を改めてもらうことがなければ
何か辞めるとか辞めないとかいう話になっていますが
もっと根本的に大事なことは
日本の社会が本当の意味で男女平等になっているのか
という問いかけだと思います。

 口ではもっともらしいことを言いますが
実際にそうなっているのか
自分自身が問われるところです。

 一つの発言で嫌だなと感じる人がいることを
生きにくい社会になっていないかと
私たちのものの見方考え方が問われています。

 お念仏のみ教えを聞かせていただきます。
仏さまの教えは仏さまのものの見方です。
 仏さまの教えに遇って聞かせていただくなかに
自分中心の見方で生きてきた私が
今まで見えなかったことが見えてきて
気づかなかったことに気づかされるということです。

 仏さまのみ教えを共に聞かせていただいて
「そやね。そやね」と気づかされるなかに
お互いに敬い合い支え合って
共に生きる社会でありたいと思います。

 お寺はお念仏のご法義を聞かせていただき伝えていく
お念仏聞法の道場です。
 お念仏のご縁につながって住職坊守の役割
門徒さんの役割がそれぞれあります。
 お念仏の家族としてお互いに敬い合い
お念仏申して生きてまいりましょう。

 森さんが辞めたら後継者がいないと
「余人に代え難い」と森さんを持ち上げる発言ですが
そうでしょうか。
 その人が一人頑張ってやってきたことではなくて
たくさんの方がそれぞれの役割を果たして
今もみんなでできているということです。

 このお寺もそうです。
お念仏申す思いをもった先人がいらっしゃって
お念仏のみ教えを伝えてくださったのです。

 昨日のお話でいうと
昭和35年にご往生された前々坊守さんであり
住職さんご門徒さんそういう方々の思いが
今日このお朝事のご縁に届けられていることを
また有難く思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.11)


円光寺
〒870-0108
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