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お念仏を申す生活法話

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藤並ツ子さんの祥月命日です

2021-02-10
 今日2月10日は祖母藤並ツ子前々坊守の祥月命日です。
昭和35年の往生で今年が62回忌になります。

 昨日懐かしい写真の話をしました。
昭和27年の写真と昭和37年の写真でした。
 祖母が往生して2年後のことです。
その間の昭和36年には親鸞聖人の七百回大遠忌法要に
円光寺から大勢のご門徒衆が団体で
ご本山京都西本願寺に参拝しています。

 昭和35年36年37年と大きな出来事が続き
人の出入りも多くお寺は賑やかでしたが
色々と大変だったと思います。

 ツ子ばあちゃんです。
「坊や坊や」と私をすごく可愛がってくれたと
周りの方から事あるごとに何度も聞かされました。
 ばあちゃんに抱っこされた写真が残っています。
お寺のぼんちゃんです。
行く行くはこのお寺を継いでくれるという思いもあって
大事にお育ていただいたということです。

 事細かなことは記憶にありませんが
いろんな人から伝え聞くところでは
体も心も大変ふくよかな坊守さんだったといいます。

 戦前戦中戦後のお互いに生活に困窮していた時代です。
並大抵のご苦労ではなかった思いますが
じいちゃんのご院家さんと共にお念仏に生きて
お寺を護りご法義を伝えてくださったことです。

 ばあちゃんの口癖が「あがりよ」「たべよ」でした。
近所の人に声をかけては「あがりよ」とお寺の家にあげて
「たべよ」と何か食べるものをすすめたというのです。

 食べるものがない時代です。
お寺には仏さまのお供え物とかがあったのでしょうね。
 空腹を抱えたものには
これほどのご馳走はなかったでしょうし
そのことを鮮明に覚えているのでしょう。

 今ではとても考えられないようなことです。
知ってる人でも誰でも「あがりよ」と言って
家にあげたりすることはありません。
 玄関口や勝手口で話が済むことですし
配り物は顔を合わせなくても
ポストに入れたら済むことです。
 声をかけ合うことさえないのが今の近所付き合いです。

 逆に「あがりよ」と言われて警戒しませんか。
「あがりよ」と声かけできるのがお寺なのです。
どんな人もあがっていいよと
仏さまが開いてくださっているのです。

 また裁縫などの手芸も教えていたといいます。
近所の方から後々に
「お寺のおばあちゃんに大変お世話になった」と
よく言われたものです。
 裁縫を習ったことで家の事だけでなく仕事に役立ったと
門徒さんだけではなくたくさんの方から聞きました。

 お互いに助け合って生きるのが
当たり前のようにできていたのでしょうね。
 助け合っていかなければ
生きていけなかった時代だったのでしょう。

 今日食べるお米がないと
隣の家に借りに行くこともあって
貸し借りがお互いにできた社会だったと思います。

 今は人間関係が難しいです。
微妙な距離感であの人この人と付き合い方が違います。
 隣同士でも声をかけ合うことがはばかわれます。
生活が苦しくても「助けてくれ」と言いません。

 声をあげたら逆に
周囲から自己責任といわれ責められる始末です。
 だから黙っておくのです。
しかし何も問題の解決にはなりません。
困り果てて結局どうするのでしょうか。

 みんなが共に助け合っていく
共生社会からは程遠い現実です。
 この後「浄土真宗の教章」を唱和しますが
「自他ともに心豊かに生きることのできる社会」です。

 心豊かにといって心も体もです。
生きることは食べることです。
 お互いに生活できるように支え合い助け合って
自他ともに心豊かに生きるということです。

 小さい頃のばあちゃんの思い出ですが
過去の話ではなくこれからのお寺のあり方を
今も教えてくれているようです。

 61年の歳月が経ちました。
61年私も皆さんも生きてきました。
 そしてこれからもということですが
私もいつかはこの命を終えていかねばなりません。

 後のものに何を遺していくのか。
レガシーです。
 私たちは南無阿弥陀仏のお念仏のみ教えをいただいて
生きています。

 61年前も南無阿弥陀仏今も南無阿弥陀仏
そしてこれから50年100年後
世の中は移り変わり人も変わって行きますが
お念仏のみ教えはこれからも変わることなく
その時代社会に生きる人びとの生きる依りどころとなって
日々南無阿弥陀仏とおはたらきくださいます。

 お念仏申す生活を今日もこうしてお朝事のご縁で
皆さんと共に始めさせていただくことを
本当に有り難く思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.10)


古い写真にお念仏の物語を思います

2021-02-09
 先週古い写真の話をしましたが
昨日そのお家の七日日のご縁で
新しく現像された二枚の写真をいただきました。

 昭和27年と37年の法要の時の写真です。
写真に写っている人で分からない人がいます。
早速母に聞いて分かるように
後の者に伝えていこうと思います。

 当時の先人の生活ぶりに思いをはせます。
昭和27年3月の写真には私は写っていません。
その年の10月に生まれですから母のお腹の中にいました。

 当時三佐内でお寺から一番遠い遠見地区にあったお家で
2㎞ほど離れたお寺までの稚児行列です。
 いくつかの集落が転々と在り田圃や畑ばかりの中を
色衣で正装したお坊さんや稚児が賑々しく歩いて行きます。
 お寺だけの法要でなく三佐地区あげての大イベントで
大変盛り上がったことだと思います。

 法要までの準備も大変だったと思います。
打ち合わせの会合をするにも互いに連絡する手段も少なく
予め決めた時間にそれぞれが
文字通り万障繰り合わせ集まったのではないでしょうか。

 ご門徒皆さんのお寺へのあついご懇念を思います。
まだ戦後間もない頃で生活も大変だったと思いますが
私たちのお寺という思いがいっぱいだったことでしょう。

 当時の交通手段はどうだったのでしょうか。
叔父は国東叔母は宇佐のお寺からお参りです。
汽車で来て鶴崎駅から歩いたのでしょうね。

 近隣のお寺さんもお参りくださっています。
衣体の入った大きな法要カバンを持って
今だったら車ですぐ来れますが
今から考えたら大変なことも
当時は当たり前のようにできていたのでしょうね。

 その日の天気はどうだったか
一日の日程はどうだったか
親戚の者はみんなお寺に泊まって食事などして
近所のご門徒さんに内所のお手伝いを
何日も前からしてもらってなどと
いろんなことを想い起こします。

 何か楽しいですね。
ご縁の人がたくさん出入りするお寺の楽しさです。
 お念仏のご縁です。
南無阿弥陀仏のご縁につながって
その当時もそれからもお念仏の先人が
今ここに伝えてくださったお念仏のご法義です。

 当時はまだ古い木造の本堂でした。
あれから70年近く経って
お寺もこの周辺もすっかり変わりました。
 お寺を支えてくださるご門徒衆の顔ぶれも
生活ぶりも大きく変わりました。

 今日もこうしてご門徒皆さんとご一緒に
お朝事のお勤めができました。
 阿弥陀如来さまをご本尊と仰ぎ
南無阿弥陀仏とお念仏申す生活は
今も昔も変わりません。
 お念仏の道を歩まれた先人のお姿を二枚の写真に拝して
御恩報謝の気持ちいっぱいに
お浄土への人生を共々に生き抜かせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.9)


ひっくりかえる

2021-02-08
 6時の梵鐘を撞きに玄関から鐘楼に向かう時
山門の左上空南東の方角に三日月が見えました。

 朝に月を愛でるのも一興です。
いつも注意して見ているわけではありませんが
ふっと目に飛び込んできます。

 一週間ほど前には鐘を撞いて鐘楼から玄関に帰る時に
西の空に満月がきれいに見えました。

 月は日々形を変えて動いています。
同じ場所からこの目で見るから
月が動いていることがわかるということですが
実はこの私も月も動いているんですね。

 地動説といって宇宙の惑星はみんな太陽の周りを
周期的に動いているのです。
 科学的に証明されることですが
昔は天動説といって地球を中心に太陽や月や惑星が
地球の周りを動いていると信じられていました。

 この目で見る太陽は東から昇り天上を動いて
西に沈んでいきますし
誰が見ても月も星も毎夜ある位置が違っていますからね。

 ただ地球自体が動いているということで
私たちの見る目が動いていたのです。

 16世紀にコペルニクスが地動説を唱え
17世紀にはガリレオ・ガリレイが
天文学で天動説を否定したのです。
 これに反発したのが当時の権威の象徴である教会です。
太陽を宇宙の中心とする地動説は
神を宇宙の中心絶対的なものとする考え方を
ひっくり返すものだったのです。

 「天と地と大地は神が創造した」という
聖書の内容を否定することで
ガリレオは宗教裁判にかけられ地動説は異端とされて
裁判の最後に「それでも地球は回っている」と
つぶやいたという逸話は有名です。

 天動説から地動説へと
ものごとの見方が180度変わってしまうことを喩えて
コペルニクス的転回といいます。

 太陽の周りを地球もその他の惑星も
全て動いているということで
仏教が説く諸行無常の法です。
 ありとあらゆるものは無常で常なるものは一つもない
常に移り変わっているという真理です。

 仏教はお釈迦さまが悟られた真実まことの教えです。
仏さまの教えは宇宙の法則道理なのです。
 お釈迦さまは宇宙の真実を悟られたのであり
創造されたのではありません。

 お釈迦さまは真実まことの仏の教えを人々に説かれ
お経さまとして後の世の私たちに伝えてくださっています。

 仏法に遇ってほしい真実まことの法を聞いてほしいと
私たちにお勧めです。
 日々変わり行くこの世の中にあって
自己中心のものの見方に固執し生きては苦悩し迷う私に
真実変わらない仏法を依りどころに
生きてくれよというのです。

 親鸞聖人は南無阿弥陀仏一つのおはたらきで
すべてのものが分け隔てなく救われる
お念仏の救いの法を明らかにしてくださいました。

 私が自力で学問修行を積んで悟りを開く仏道ではなく
阿弥陀仏のご本願のお心おはたらきにおまかせして
お浄土に生まれて悟りの仏に成る道です。

 自力の仏道から他力の仏道に
まさにコペルニクス的転回です。
 ひっくり返るのです。
私が私がという見方から仏さまがという見方に
ひっくり返るのです。

 冬の寒くて暗い朝だからこそ
月がくっきりは天上に見えます。
 月を眺めて天体ショーを楽しみながら
阿弥陀さまの大きな大きなお慈悲の中に生かされてある
お念仏申す身を有難く聞かせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.8)


「やあ久しぶり!元気やった?」

2021-02-07
 昨日NHKの『ブラタモリ』は湯布院が舞台でした。
湯布院がどうして全国的に有名な温泉地になったのかが
テーマでした。

 鉄道という交通手段です。
江戸時代には大分別府から湯布院を経て日田福岡に行く
街道があったということです。
街道の交通手段は徒歩です。

 明治に入って馬車ができ馬車道が整備されます。
そして鉄道です。
 馬車道に沿うように鉄道が敷かれるのですが
今の湯布院駅を中心とした町には
街道も馬車道も通っておらず
そこで鉄道を湯布院の町に引き込んで駅ができ
人の往来が増えて今の湯布院の繁栄に
つながったということです。

 私たちの三佐の町もどんどん変わってきています。
大きな看板のニトリがもうすぐオープンです。
その前にアベタウンというホテルと飲食店の複合施設が
一昨日できました。

 現代の身近な交通手段は自動車で
縦横無尽に走る道路がある所が集客のポイントです。

 三佐は道路交通の要所です。
アベタウンは大分東警察署の跡地です。
 三佐田の交差点を起点に北は昭和電工へ南は鶴崎の町へ
東西には40Mと俗称される臨海産業道路が走っています。
 三佐は人がたくさん集まる
うってつけの便利な場所なのです。

 それで三佐は人が増えているようですが
実際に住んでいる人はそんなにいません。
 昔からの人もいるのですが
いろんなものができ人や車の出入りが多くなるなかで
旧知の人に会うことが難しくなりました。

 これからはアベタウンやニトリで「やあ久しぶり!」と
近所の人に会うこともあるのではないでしょうか。

 こうした賑やかな三佐の現状のなかで
お寺が埋もれた存在になっているように感じます。
 お寺は本来門徒さんだけでなく
地域の皆さんが寄り合う所でした。

 今のお寺は何かの時だけのお寺になってしまっています。
お葬式や法事の時にお願いするお寺です。

 仏教お念仏のご法義は死んでから後だけではなく
生きてる私たちのために開かれたご法義です、
 日常生活の中で皆さんが行き来できる所が
お寺なのです。

 お寺に参って「やあ久しぶり!」と
互いに声をかけ合うのもいいですね。
 私たちは皆さんそれぞれ生活ぶりが違いますから
一緒に何かを共同ですることは中々難しいです。

 だからこそお寺に参って
阿弥陀さまの前に座らせていただき
手が合わさってナンマンダブツとお念仏を申すなかに
横を向いたらお互いに「やあ久しぶり!元気やった?」と
声をかけ合いつながっていけるような
お寺が皆さんの居場所になっていきたいと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.7)


わが身のあり様が問われます

2021-02-06
 森さんの女性蔑視発言について
日本の組織社会のあり方を思います。
 東京五輪組織委員会のことですが
昨日の動きを見ていると組織を守るという流れが
大きく調整されたように感じます。

 森発言を受けて謝罪会見直後の
テレビ番組では
森さんは会長を辞めて裏側から五輪を支えることで
誰が会長辞任を迫るのかとの意見が続出しましたが
昨日の番組では
森さんは本当はいい人なんだ
森さんがいないと五輪はできなくなるといった
旧知の人たちの声が大きく取り上げられ
菅首相はじめ政府の関係者からも
謝罪をしたし一件落着という幕引きの様相です。

 ただ批判や反発の声は収まりません。
森さんと日頃関係のない一般の人たちです。
 SNSへの投稿を中心に世論です。
トップがこんな発言をする日本は
世界からどう思われているか
恥ずかしい辞任してほしいといった最大級の批判です。

 ただこのことを組織に持ちかえると
組織の自浄作用も吹き飛んで
いかにして組織を守るか維持していくかという
分別が見事なまでに早速はたらくのです。

 組織の誰もが関係者が
みんな黙り込んでしまいます。
 今回の森発言で会議の出席者に笑い声が起こり
その場で苦言を呈する人がいなかったといいます。
 森さん個人の問題も重いですが
それ以上に組織の問題です。

 森さんを担いでいる人周りの取り巻きです。
みんな敢えて発言しません。
 その場の空気に決して逆らわない
分別をもったわきまえた人たちです。

 ものを言わない言わせない会議は
ただの通過儀礼で到底会議の体をなしません。

 このお寺の組織についても反省させられます。
お寺を守るといって何を守るのかです。
 お寺の建物の護持もそうですが
第一に私たちのお念仏のご法義です。

 ご法義中心のお寺になっているか
阿弥陀さまのお心にかなったことができているのかと
お念仏に聞かせていただきます。

 往生浄土と阿弥陀さまが決めてくださったお念仏の道を
共々に歩ませていただく私たちはお念仏の同朋です。

 いろんな問題をかかえるこの現実社会にあって
お念仏申すなかに謙虚にわが身を振り返り
私にできる精いっぱいのことをさせていただくことです。

 果たして私のあり様はどうなのか
お念仏に聞かせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.5)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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