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お念仏を申す生活法話

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あれから10年、3月11日です

2021-03-11
「みんなの花壇」に春のお花が咲きました。坊守さんが「ご門徒有縁の皆さんに気持ちよくお参りしていただきたい」と気をつけて季節のお花を植え替えしています。どうぞ見に来てください!
 東日本大震災から10年の3月11日です。
今日は被災地ばかりではなく全国各地で
亡くなられた方を追悼する式が行われます。

 鎮魂、慰霊といったり
仏教では供養といいます。
 広く先に往かれた方のことを
偲ぶということです。

 先に往かれた方を偲びお念仏申させていただきます。
お念仏申して供養する
鎮魂慰霊のためにお念仏申すということではありません。

 お念仏申すなかに
生前の人となりを偲び
先に往かれた南無阿弥陀仏の仏さまを
訪ねていくということです。
 仏さまからいったら
お念仏のご縁に導かれてあるということです。

 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
先に往かれた方も後に遺った私たちも共に生かされて
生きていると聞かせていただきます。

 先に往かれた方は私たちのこの目には見えません。
懐かしい声も聞くことはかないません。
 遠く離れていった大切なお方ですが
南無阿弥陀仏となっていつも私の傍にいてくれているのです。

 南無阿弥陀仏とお念仏を申して
阿弥陀さまのお浄土に生まれて来いよと喚び続け
再び俱に会うことができるお浄土を
阿弥陀さまがつくり用意をしてくださっていると
聞かせていただきます。

 それぞれの3月11日です。
皆さんもこれからそれぞれの生活を始めることです。
 お念仏申す生活のなかに私たちは日々安心して
共々に生きて往けることをまた聞かせていただく
3月11日です。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.11)


仏さまに背を向けるものもどんな人にも南無阿弥陀仏のお喚び声は届いています

2021-03-10
 町中のお寺さんでお朝事のお勤めをされるのに
毎朝7時から喚鐘をつくそうです。
 戦後本堂を新築して以来といいますから
半世紀以上も前からのことです。

 近年周辺の住民の方から
「お寺の鐘がうるさくて眠れない」という苦情があって
何とかならないものかということです。
 詳しい経過はわかりませんが
結局喚鐘を撞くのを止めたといいます。

 町に住む方々は入れ替わりが激しく職業もそれぞれで
昼寝て夜お仕事の方もいらっしゃいます。
 今のご時世社会のあり方です。

 もともとお寺は集落の中にあって
地域の皆さんの生活の中心でした。
 お寺の鐘は梵鐘にしても喚鐘についても
法要をお勤めするときの大事なお役目の鐘であり
時刻を告げる鐘ではありませんが
周囲で生活する皆さんにとっては
時刻を告げてくれることで親しみをもって鐘の音を
聞かれていたと思います。

 円光寺のお寺の梵鐘は6時に喚鐘は6時半に撞きます。
6時やな6時半やなそろそろ起きて朝の支度をして
学校に行こう仕事に行こうということで
それぞれの一日が始まります。

 お寺の鐘の音も今は聞く人によっては
騒音ということなのでしょう。
 逆にこうも思います。
騒音と思う人にも鐘の音は聞こえているということです。
 もっといいますと
仏法に背を向けて逃げて行くものにも
聞こえているということで
阿弥陀さまはどこまでも逃げる
私を追いかけて救い取るということです。

 阿弥陀仏のご本願のお救いは
すべてのものを分け隔てなく救う
誰一人取り残さないと南無阿弥陀仏のおはたらきです。
 背を向けて言うことを聞かない聞こうともしない
仏法を謗る者こそ阿弥陀さまの救いの目当てなのです。

 今日もこうして御仏前に座らせていただきます。
仏さまに背を向けて逃げ回っていた私です。
 どうかお寺に参ってくれよ
仏法に遇ってお念仏申す身になってくれよと
大きなお慈悲のお心おはたらきで摂め取って捨てないと
逃げる私を追いかけつかまえてこの身をそのまま
御仏前にはこんでくださったといただきます。

 鐘の音がやかましいと聞こえる人にも
お寺の鐘の音南無阿弥陀仏のお喚び声が届いているのです。
 阿弥陀さまのお心おはたらきを聞いていただき
お念仏申す身になってもらいたいと願って
これからもお寺の鐘を届けてまいります。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.10)


南無阿弥陀仏のいのちにつながってあなたがいつも隣にいてくれる

2021-03-09
 「先に逝かれた大切な人は今どこにいるのでしょうか」
という問いかけです。

 皆さんもご家族有縁の大切な人とお別れする
悲しいご縁に遇われたことがあるでしょう。
 ふと「今どこでどうしているのか」
と思うことってありませんか。

 東日本大震災で亡くなられた方が1万5899人で
行方不明の方が2529人といいます。
 大切な人が亡くなり行方不明になって
これまでの生活からいなくなったという現実です。

 10年経って行方不明の大切な人を
探し続けている方がいます。
 ある方は葬儀を済ませて
形見のものをお墓に納めてお参りしているといいます。
 それぞれの今です。

 浄土真宗のみ教えを聞かせていただきますと
先に往かれた方は阿弥陀さまのご本願のおはたらきで
阿弥陀さまのおさとりの世界であるお浄土に生まれて
さとりの仏さまになってくださっているといわれます。
 そしてすぐさま私たちの世界に
還って来るというのです。

 この目に見ることができず遠く離れているようですが
この私を必ず救うという南無阿弥陀仏のおはたらきで
いつも私の傍にいてくださっているといいます。

 私たちの思いはからいものの見方でいったら
そのまま受け入れられないことで
この目で見えることは死んだら火葬されて
遺骨になっているということです。

 今どこにいるのでしょうか。
お浄土に生まれているのでしょうか
いないのでしょうか。

 私たちがあれこれ思うことではありません。
お浄土は苦悩の凡夫をそのまま救うと
阿弥陀さまが決めて用意してくださっている
私のいのちの古里と聞かせていただきます。

 大切な方とお別れする悲しいご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただきましょう。

 阿弥陀さまのご本願のお心を聞かせていただくとき
先に往かれた大切な方もお浄土ならば
後に遺ったこの私も同じお浄土に生まれさせていただき
いのちの古里で再び会うことができるのです。

 南無阿弥陀仏とお念仏を申すなかに
先に往かれた方を偲び私と共に生きてくださっていると
聞かせていただけるお念仏の救いのみ教えです。

 このお朝事のご縁です。
これまでご一緒くださったお同行が
たくさん先に往かれました。
 毎朝お勤めするなかでふと思うことがあります。
懐かしい声が聞こえます。
 皆さんの声ですが先に往かれた方々のお念仏の声です。
南無阿弥陀仏の声となって
いつも私と共に生きてくださっているのです。

 先に逝かれた大切な方を
ある人は仏間の写真を見て偲び
ある人はお墓にお参りして偲び
形見のものを見て偲ぶ人も
歌を歌ってしのぶ人も
それぞれです。

 お念仏申して先に往かれた方を偲ぶ
南無阿弥陀仏の声がわが身について
これからもずっとご一緒くださる有難さです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.9)


南無阿弥陀仏の尊いいのちをいただいてお念仏申す身にさせていただきます

2021-03-08
 東日本大震災から10年のテレビの特集で
『思い出レシピ』という番組を観ました。

 未曽有の大震災大津波で大切な家族を亡くされた方
帰る家を失って不自由な避難生活を余儀なくされた方が
たくさんいらっしゃいます。

 当時を振り返って大きな悲しみと過酷な現実のなかで
被災地の皆さんがお互いに声をかけ合うことを
ためらう空気があったといいます。
 10年の時を経てやっとこれまでの思いを
話し始める人がいます。

 震災後の日々困難な中にも
皆さんは欠かさず食事をして生きてきました。
 忘れられない食事の思い出です。
 
 避難所で泣きじゃくる2歳の子どもに
老夫婦があめをくれたというお話です。
 避難生活の中で大変貴重なものですが
あめをもらって泣き止んだ子どもが
今おかげさまで成長して12歳になりましたと
会って報告してお礼を言いたいといわれます。

 震災当日東京で会社勤めしていた方は
帰宅するにも電車もバスも全て止まって泊まる所もなく
とぼとぼと歩き続けるなかでお腹がすいたといいます。
 どのお店も閉まっていたり満員だったりで
やっと一軒のカレー屋さんに入れたといいます。
 疲れた身体を椅子にまかせてやっと安心できて
食べたカレーが美味しくて忘れられないというお話です。
 
 番組でほっこりした話題が
ある避難所の食事のエピソードです。
 全国各地から避難所に早速送られてきた
主な支援物資が食べ物や水です。
 食べることが肝心要の避難所生活で有難いことですが
おにぎりやパンそして弁当が毎食何日も続きます。

 そこで避難された有志の方がエプロン隊を結成して
支援物資を考え工夫し調理して
毎日食事を皆さんに振る舞ったというお話です。
 そのレシピが百食といいますから
日替わりメニューで皆さん毎日の食事が
待ち遠しく楽しみだったと思います。

 食事は私の前に運ばれてきた食べ物を
私が食べるという行為ですが
食べ物の尊い命をいただくことであり
そこにたくさんの人の思いが届けられているのです。
 作物を生産してくれた人それを運搬してくれた人
そして食事を作ってくれた人など
多くの人の思いがいっぱいつまった食事なのです。

 私のいのちを育むために
多くの命と多くの人がつながっていることを思うとき
一人じゃないってみんなのいのちに支えられて
生きて行こうと生きる力をいただけるのも
食べるということです。

 食べることはどんな悲しい時でも
欠かすことはありません。
 お念仏申すこともいつでもどこでも
欠かさず申せます。
 阿弥陀さまのお慈悲のお心を
私たちが保ちやすくいつでもどこでも称えやすいように
南無阿弥陀仏となってくださったのです。

 昨日のご法事のご縁で
「宗派の違うお葬式にお参りした時に手を合わせたら
 思わず南無阿弥陀仏とお念仏が出たのですが
 いいのでしょうか」と聞かれました。

 有難いことです。
南無阿弥陀仏がこの身に満ち満ちてご縁をいただくなかに
私の口からお念仏がこぼれ出てくださるのですから
慌ててしまうことはできません。
 私の力ではどうしようもありません。
南無阿弥陀仏は阿弥陀さまのおはたらきですから
そのまままかせるほかにないのです。

 何を食べたか忘れても栄養分はそのまま身につきます。
阿弥陀さまのご本願のお心を聞いて忘れても
お念仏はこの身についてくださるのです。
 食べることを欠かさないように
お念仏申してお念仏のお心を聞かせていただきましょう。

 嬉しい時も悲しい時もどんな時も
阿弥陀さまがご一緒してくださる
お念仏申す生活をこれからもさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.8)


あれから10年そしてこれから10年

2021-03-07
 東日本大震災から10年が経つということで
昨日そして今日と震災関連の特集がテレビであっています。
 実際に起こったこと
そして夜はドラマという形でありました。

 被災され帰る家を失い大切な人と別れた
多くの人たち一人一人の人生10年の歩みです。

 震災後当時小中学生が撮ったビデオレターをもとに
10年後の彼らをたずねる内容でした。
 大震災に遭遇するなかで子どもなりに思ったこと
将来の夢です。

 サッカー選手になりたいとかケーキ屋さんになりたいと
どこの子どもたちも思い描く夢ですが
そのなかで将来何らかの形で
震災の復興を手伝いたいことが
多く語られていました。

 10年経ってからの現実はというと
それぞれに頑張って生きてきましたが
必ずしも夢の通りにはなっていないようです。

 そうですよね。
この10年は長い人生の中でも
幾つもの選択を迫られる時期で
高校大学に進学することも就職することもあって
現実的な将来の進路に悩み迷うことも
多かったと思います。

 その中の一人
被災した地元を離れ東京に出た方のことが印象的でした。
東北出身を隠すように言わないようにしているといいます。
「大変だったでしょう」「頑張ってね」という
周囲の言葉が
いつの間にか大きな心の負担になっていたというのです。

 また去年の春大学に進学した方は
この一年コロナ禍で大学に行くことができず
アパートの小さな部屋でリモートで講義を聞き
一日中人と触れ合うことなく生活をしているといいます。

 思い通りに行かないことで
どうしていいのかわからないという現実です。

 また違う番組では社会学の大学教授が
10年間ずっと同じ被災地に出向き
地元の方と生活を共にしたり交流をはかって
被災者の思いを聞き取っていく中で
故郷がなくなっていくことを深刻に思うといいます。

 故郷って皆さんにとってどういう所でしょうか。
「うさぎおいしかの山 こぶなつりしかの川」と
童謡『ふるさと』に歌われた場所でしょうか。
 それは単なる場所ではなくそこには人がいるんですね。
故郷は私の帰りを待ってくれてる人がいる所です。

 その懐かしい故郷から遠く離れた所に移住する方が
この10年で増えたというのです。
 その一つの象徴がお墓だといいます。
墓じまいが増えてきているというのです。

 故郷から出ていく方もお墓があることで
帰ってくる故郷があるということですが
故郷のお寺ということを重ねて思います。

 東日本大震災でお寺も全壊半壊といった
大きな被害に遭いました。
 10年経ってお寺が全て再建されたわけではありませんが
お寺は遠くに移転することなく残っています。
 故郷のお寺を残していこう再建していこうという
ご門徒檀家地域の皆さんの思いです。
 お寺を故郷に重ねて思ってくださっているのです。
 
 あれから10年です。
80歳の方が「この10年は私の人生の半分以上だった」と
ポツンと言っていました。
 時間的にいったら80年の人生の8分の1ですが
それ位変化の激しい重い10年であったということです。

 その10年の歩みがあって今の私があるのです。
若い方もお年寄りも私たちもみんなそうです。
 そしてこれから何年生きられるか分かりませんが
これからの10年です。

 10年後の私にビデオレターを送ってみませんか。
私たちの心の古里である円光寺の
10年後も思っていただいて
これからもご縁ご縁にお寺にお参りしてください。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.3.7)


円光寺
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