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お念仏を申す生活法話

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お帰りなさい!マー君

2021-01-31
 昨日田中将大投手の楽天入団記者会見がありました。
7年在籍したニューヨークヤンキースから古巣へ復帰です。
 32歳ですが堂々たるものです。
渡米して異なる生活環境の中で苦労もあったと思いますが
野球の実績とともに人間的にも格段に成長した
ナイスガイの会見でした。

 会見で二つのことが印象的でした。
一つはイーグルスという言い方です。
東北楽天イーグルスが正式名称です。

 私は楽天という球団名がインプットされています。
対するソフトバンクです。
正式名称は福岡ソフトバンクホークスです。
 楽天とソフトバンクはIT企業のライバル関係です。
セリーグでは巨人と中日の新聞社の関係です。

 長いプロ野球の歴史の中で
人気低迷期にあったパリーグでは球団の身売りが続き
ホークスは元は南海で西武のライオンズは西鉄でした。

 いつの間にか野球を通して企業の宣伝網に
絡み取られている私たちですが
イーグルスという言い方がとても新鮮でした。
 実はイーグルスは現在の12球団で一番新しく
2004年に創設された球団の新しい球団名なのです

 アメリカ大リーグは地元の名前が冠につき
企業の名前はつきません。
 ロサンゼルスドジャース、シアトルマリナーズ
サンフランシスコジャイアンツです。

 もう一つは東京オリンピックの野球についてです。
大リーグにいたら出場はまずできませんでしたが
東京開催が一年延期になり日本球界に帰ってきて
オリンピックに出れるチャンスが出てきたのです。

 選ばれるのなら断る理由はないし出たい
金メダルを取りたいと明快です。
 田中が加わったら日本の金メダルも
ずっと現実味を帯びてくるなと
東京オリンピックが楽しみになりました。
 今はコロナ禍で東京開催の空気が沈みがちな中で
何か一つ夢をもらったような気がします。

 ご縁つながりということを思います。
今年が東日本大震災から10年の節目です。
 震災から2年後田中は開幕から無傷の24連勝の大活躍で
楽天が日本一になり東北の復興を盛り上げ渡米して
この節目に古巣に帰って来ることで東北は大歓迎です。
 東北だけでなく日本全体がお帰りなさいという感じです。
これからの活躍が大いに期待されるところです。

 ご縁つながりは田中投手だけのことではなくて
私たちもそうなのです。
 不思議なご縁でこの世に人と生まれて生きてきました。
まさにいろんなご縁を善くも悪くもいただいて
今ここに私は生きているのです。

 これまで自分の思い通りに生きてこれたかというと
思い通りにならないことが多くあり
思いがけないことにもあいました。
 思い通りに行けば善いご縁といい
思い通りに行かないと悪いご縁
こんなはずじゃなかったと自分の都合で思いますが
善くも悪くも後悔することがあっても
今のこの私なのです。

 そしてこの私をこれからも生きて行くのです。
多くの人に出会い楽しかったこと嬉しかったこと
苦しかったこと悲しかったこともあったけれども
今日のこの私からまた始まるのです。

 仏さまの縁起の法を聞かせていただくと
思い通りにいかなくて辛かったこと悔しかったことも
またご縁だったと振り返られそのまま受けとめられます。

 これまでの人生を振り返るなかに
やり直すことはできないこの人生も見直すことができると
南無阿弥陀仏の大きないのちのご縁つながりの中に
これからも生かされて生きていけると思うことです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.31)


家の灯りに人が生きる姿を想います

2021-01-30
 日の出が段々と早くなりこの時間も明るくなりました。
ただ6時の梵鐘を撞く時また皆さんがお寺にお参りする頃は
まだ暗いなかです。

 暗い中に灯りがついているお家を見ます。
家の灯りを見てお家の中のことを想います。

 朝早く起きていつもの時間でしょうか。
それとも今日は何か特別なことがあるのでしょうか。

 朝起きて電気をつけ朝の支度を始めます。
朝ご飯の準備でしょうか。
 今は夜寝る前にタイマーを入れておけば
眠っている間に炊飯ができています。

 私の子どもの頃はどうだったかと
皆さんもその当時のことを思い出しますか。
 台所に大きなかまどがありました。
祖母や母が家族のみんなより早く起きて
火をおこし薪をくべてお湯を沸かしご飯を炊き
味噌汁を作って朝ご飯の準備です。

 手間暇かかることですが
そこから家族みんなの生活が始まるのです。
家族がそれぞれ役割を決め手伝ったものです。
 家の灯りに人が生きる姿を想います。

 そしてこのお朝事です。
本堂に灯がともりお参りの皆さんを迎えて
ご一緒にお勤めをして仏さまにお礼をします。
 南無阿弥陀仏のお念仏の声が
毎朝お寺の本堂から聞こえてきます。

 阿弥陀さまのお喚び声です。
「いつも私が一緒だよ。
今日も一日お念仏申す生活をさせていただき
お浄土への人生を生きて往こうね」と
聞こえてきます。

 灯のともるお家はお寺は
私のことをいつも思うて下さる阿弥陀さまがいらっしゃる
私のいのちの古里帰る処です。

 今日も一日いろんなことがあるでしょうが
お念仏を申して生きて参りましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.30)


南無阿弥陀仏の言葉になった仏さま

2021-01-29
 新型コロナウイルスのワクチン接種がいよいよ日本でも
医療従事者から順次行われることになるようです。

 ワクチンを注射で体内に入れます。
注射と聞いただけで痛いと思うのが私たちのようで
そのことが一つ話題になっています。

 今はイギリスをはじめアメリカや
西欧の国々で接種が始まっています。
 ワクチン接種の映像が送られてきます。
見ると今度の注射は筋肉注射ということで
筋肉に届くように直角に注射を打っています。

 私も毎年インフルエンザの注射を打っていますが
インフルエンザをはじめ日本の注射は
皮下注射といって直角ではなくほぼ斜めに打つ注射です。

 イメージ的にどちらが痛いかというと
直角に打つ方でしょう。
 実際に送られてきた映像では
顔をしかめて受けている人がいました。

 この映像はあまり人に見せないでくださいと
専門のお医者さんが言って
今は注射針も進歩改善され極めて細くなり
殆ど痛さは感じないとまで言われていました。

 注射は痛いという先入観固定観念です。
それは実際にこの身で経験した本当のことです。
 小学校の頃何かの予防接種でしたが
ものすごく痛かったことを覚えています。
みんなも痛い痛いと言っていました。
 そのトラウマでしょうか私は注射されるときは
注射から目をそらし軽く目をつむるようになりました。

 最近は必ずといっていいほど
看護師さんが注射する時に「ちょっと痛いですよ」とか
声をかけてくれて少し安心するところがあります。

 言葉です。
声をかけてくれて気持ちがつながります。
 針を生身に刺すのですから多少なりとも痛いのです。
論理的には注射を打って痛いのは仕方ないから
我慢しなさいと説明はつきますが
「痛いね痛いね私もよくわかっていますよ」と
共感してくれる人にまかせられる安心です。

 言葉の力です。
「痛いの痛いの飛んでけ」とお母さんがケガをした
子どもの傷口に手を当てて言ってくれると
ケガの状況は何も変わりませんが
何か安心して痛さが和らぐような感じになります。

 阿弥陀さまは南無阿弥陀仏の言葉になった仏さまです。
南無阿弥陀仏は阿弥陀さまのお喚び声といいます。

 阿弥陀さまの御木像や御絵像に耳をあてても
阿弥陀さまの口から南無阿弥陀仏と
実際に声が出ることはありませんが
南無阿弥陀仏と聞こえてくるのです。

 今日も何度も何度も南無阿弥陀仏が聞こえてきます。
阿弥陀さまの声ですが
私の声でもあり隣の人の声でもあります。

 お念仏申してお念仏の声が聞こえてきます。
「我にまかせよ必ず救う」のお喚び声です。
「いつも私が一緒だよ。安心しなさい大丈夫だよ」と
お念仏の声に励まされて今日一日も生かされて
生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.29)


阿弥陀さまは私たちの善悪を問いません

2021-01-28
 今国会が開会中で国会審議の中継を観ていますが
いつもの与野党の駆け引きばかりが目に付いて
何とも厭な気持ちになります。

 野党議員は二人の与党議員が緊急事態宣言下に
夜銀座のクラブに行ったことを問題にして
そんな議員が所属する与党が
国民に自粛を求めて
言うことを聞かない者には罰則を科すような
法律をつくる資格があるのかと追求します。

 国民に選ばれた議員で構成される国会は立法機関で
様々な法律を審議し決定して施行します。
 与党野党といって全ての議員が
国民から委託された国会ですが
与党は野党に言うだけ言わしておけという態度だし
野党は与党議員の言動を注視し
週刊誌報道や言葉尻を切り取って
その人を責め立てることに終始します。

 国会は本来人間個々の言動の善悪を
互いにチェックする場ではありません。
 緊急事態宣言下の国家の危機です。
今はコロナ感染拡大防止のために国として何ができるか
与野党を超えて互いに英知をしぼって審議する時です。
 国民の生活と安全を守ると言われても
一体何をしているのかと思いたくもなります。

 私たちの人間関係でいえば
あいつの言うことは絶対に聞かない
あいつの言うことには何でも反対するといったものを
国会にそのまま持ち込んでいるような愚かな姿に見えます。

 今日もまたワイドショーで国会のことを取り上げ
コメンテーターが国民受けする気の利いた
思い思いのコメントを寄せると思いますが
そうしたワイドショーのコメントそのままに
野党議員が菅首相に対して
「あなたの言葉には力がない
そんなことでは国民がついていかない
本当にあなたは首相として大丈夫ですか」
と詰め寄った場面ではさすがに菅首相は
「私は首相として精いっぱいやっています。
悩みながらもやっています」と切り返しました。

 誰しも先の見えないこのコロナ禍にあって
それぞれの立場で皆さん精いっぱいやっていると思います。
 確かに人それぞれに個性があり
演説をさせたら素晴らしいパフォーマンスで
聴衆を引きつける人がいますし
言葉足らずといわれても地道に実績を重ねる人もいます。

 菅首相は先の強烈な批判に
「それはあまりにも失礼ではないですか」と
いつになく感情を露わにしていましたが
気持ちはよくわかります。

 同じ社会に生きる私たちです。
どんな人もいのちあるものは
みんなつながっているのであり
お互いに敬い合って生きることが
仏さまの教えの根本です。

 私たち人間がすることで善いこと悪いことといっても
その善悪のものさしは私のものさし私の都合はからいです。
 私たちの善悪は私の都合で
善かったり悪かったりするのです。
 人それぞれで善悪のものさしが違うことを心に入れて
お互いの思いを尊重し合っていくことが
私たちの社会のあり方の肝要だと思います。

 阿弥陀さまは私たちの善悪を問いません。
善いことをしなさい善いことをしたら救うと言いません。
悪いことをしたら救わない罰するとも言いません。

 阿弥陀さまは私が生まれるずっと以前から
私のことを見て取って思うてくださり
南無阿弥陀仏となって私を喚び通しに喚んでくださって
「我にまかせよ必ず救う」とおはたらきなのです。

 私もあなたもどんな人もみんな
阿弥陀さまの大きなお慈悲に抱かれてお互いに
私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.28)


親鸞さまのお言葉は私の身近な法語です

2021-01-27
 仏さまのお言葉を法語といいます。
お正信偈さまは親鸞聖人が書かれたものですが
私たちにとってはより身近な法語です。

 とはいえ漢字ばかりですからそのまま聞いても
すっと耳に入ってくるというものではありません。
 親鸞さまの当時も今の私たちと同じように
仮名交じりの日常会話でした。

 歎異抄というお弟子の唯円坊が
書かれたといわれるお書物に
親鸞さまの常日頃の仰せがたくさん載っています。
 同じお念仏のみ教えを聞かせいただく私たちにとって
大変身近な法語として温かくもまた厳しくも
聞こえてきます。

 歎異抄第二条に関東からお弟子さんたちが命がけで
京都の親鸞さまをたずねてくる場面が記されています。
 その目的はただ一つ親鸞さまに往生極楽の道を
聞かせていただくためだったのです。
 まさに浄土真宗の肝要です。

 当時関東のお同行の間でお念仏のお救いについて
様々な異義があって
その不審を直接親鸞さまに聞こうとされたのです。
 親鸞さまのお答えは
「親鸞におきては ただ念仏して 
弥陀にたすけられまいらすべしと よき人の仰せをかぶりて 
信ずるほかに 別に子細なきなり」でした。

 親鸞さまが常々仰せられてることで
その他のことは知らないと言うのです。

 私は法然さまから「ただ念仏して阿弥陀さまに救われ
往生させていただくのである」と聞かせていただき
それを信じているだけだというのです。

 浄土真宗の肝要は
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで救われるという
往生極楽の仏道のご法義です。

 南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただき
南無阿弥陀仏のおはたらきにまかせて
往生浄土の仏道を歩ませていただき
命終えて浄土に生まれ
南無阿弥陀仏の仏と成らせていただき
この世に還って来て
衆生を救うおはたらきをさせていただくのです。

 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
生かされて生きて往く仏道を歩ませていただくことに
ぶれがないのです。

 私たちの日々の生活は
迷いの中にあって揺れ動いています。
 そんな私をしっかり抱き取ってくださってある
南無阿弥陀仏のおはたらきにまかせお念仏申して
今日も一日往生浄土の道をご一緒させていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.27)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
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