浄土真宗本願寺派(お西) 浄華山 円光寺(大分県大分市)

 

お念仏申す生活法話

 
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お互いの違いを認め合って生きてまいりましょう
2018-06-17
 昨日自尊心のお話をしましたが、今朝の新聞の一面に自尊心と見出しにあってはっとしました。
玖珠町の久留島武彦童話記念館の館長さんについて書かれた記事です。
金成研さんという韓国の釜山出身の方で、日本の大学に留学し久留島武彦さんの研究をした縁で
去年オープンした記念館の初代館長に就任したということです。
 
 「町への誇りが自尊心に」とありました。
生まれ育った町への誇りが人生を歩む上でまた大人になって外に出たときのアイデンティティーになると書いていました。
 
 自尊心ということでお釈迦さまのお誕生のお話を思います。
お釈迦さまは生まれてすぐすっと立ち上がり七歩歩まれ右手を天に左手は地を指して
「天上天下唯我独尊」と言葉を発せられたといわれます。
 天の上にも下にもとはあらゆる世界のなかでということで、我独り尊しというのは、この私のいのちの尊さです。
人の世に<天下一品のいのち>を恵まれて生まれてきた、そのことが尊いことなんだよといわれるのです。
 
 これはお釈迦さまだけのことではなくて、私もあなたも皆さんお一人お一人が「天上天下唯我独尊」の
かけがえのないいのちを恵まれいただいてこの世に生まれ、今ここに生きているということです。
 
 皆さん、人に生まれたことに誇りをもって生きていますか。
何も頼みもしないのに何で生んだのかと親を悲しませ、お前のような子を生まなければよかったと言い返す・・・
我が物顔にいのちをもてあそぶ事件が後を絶ちません。本当に心痛みます。
 
 前述の新聞記事に、この記念館はたとえ一人でも来館すればスタッフが案内しますとありました。
何か当たり前のようですが、効率と成果が優先される今の世の中では中々難しいことです。
 
 久留島先生の精神ですとありました。
信じ合い、助け合い、違いを認め合うことだといいます。
 
 お釈迦さまのお心仏教の精神です。
お互いに認め合うといって難しいことです。
夫婦であっても親子であっても兄弟であっても無二の親友という者同士であっても
私たちはどこまでも自分を中心に生きています。
 
 だからこそナンマンダブツ、お念仏を申してくれよというんですね。
お念仏を申すところ「私がいるよ、大丈夫だよ」と私一人を目当てに呼んでくださる仏さまの声を聞いて
私だけでなく隣の人も隣の人もみんな共々に仏さまの大きな大きなお慈悲のなかにあると聞かせていただくなかに
お互いを認め合って私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。
 
 いのちに差別はありません。みんな等しく生まれて来たいのちです。そして仏さまに成らせていただくいのちです。
どんな人もお互いに仏さまのみ教えを聞かせていただくなかに、どうぞ今日の一日も生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.17)
 
許されて生きる
2018-06-16
 今の日本社会は若者にとって寛容でなく生きにくいというお話を聞きました。
 
 先日新幹線で殺傷事件がありました。犯人は22歳の若者です。
極悪非道な人間業とは思えない事件を起こした者とは見えない、あどけなさの残るどこにでもいるような若者です。
小さい頃からの人生の軌跡が報道されていますが、彼にとってこの社会はどんなものだったのでしょうか。
 
 この社会に生きる価値の基準が極端なまでに極限化し、「お金をどれだけ稼げるか」など二つ三つの基準で
人間の能力が判断されていると前述の話は続きます。
 本来人間には多様な能力があるのに、この基準に当てはまらないとその人は能力がゼロとみなされ
結果自尊感情にかけた若者が増えているといわれるのです。
 
 随分前から今は多様化の社会時代だといわれています。
ここに5人いますが、夫婦であっても親子でも兄弟でも、ものの見方は違いますし生活ぶりは人それぞれです。
 
 お互いに違いを認め合うなかにこの社会を共に生きることができたらいいのでしょうが
どこかで私たちは生きる基準を設定し、私のものさしで人ひとを見ているところがあります、見られているのです。
その基準に合った生き方が思うようにできたらいいのでしょうが、その基準に漏れる人も出てきます。
 
 他の人を見て言うことならばそのまま受け入れることはできても
この私のことと見られるとこれほど窮屈なことはありません。
 
 何をしても自分の思い通りに行かないと苦しみ悩み、迷う私がここにいます。
この私一人を救うために阿弥陀さまはすっとお立ちの仏さまになってくださいました。
 
 生きる価値基準に道徳があります。
人として生きる道を説くものです。人のために社会のために善いことをしなさいと教えます。
 
 善いことをしたら救うという宗教もあります。わかりやすいですね。うんと頷けます。
それで救いの条件を示されて、その通りにできたらいいのでしょうが、これが難しい。
 
 阿弥陀さまのお救いは善いことをしたら救うとはいいません。
世間でいう善いこと一つができない、世間の価値基準で能力ゼロと見捨てられるような私です。
この私をこそ必ず救うと南無阿弥陀仏のおはたらきの仏さまになってくださったのです。
 
 道徳では迷惑をかけるなと教えます。
仏法に聞かせていただくと、迷惑をかけるなとはいいません。迷惑をかけているということに気づいてくれよというのです。
 私たちが生きるということ自体が迷惑をかけて生きているということなのです。
どんなお金持ちもどんな優秀な学者さんもスポーツマンもどんな人でも
生きているということがそのまま迷惑をかけているというのです。
 私たちは迷惑をかけて許されて生きているのです。
 
 今の若者は自尊心を失って生きる自信がなくなっているという指摘です。
縁あってこの人の世に生まれ、恵まれたこのいのちです。
人間に生まれて今を生きているということ自体が尊いことなのです。
 
 自尊心がなくなると自暴自棄になって自らを傷つけ
他を尊ぶ心がなくなって「誰でもいいから」と他の人を傷つけることにもなります。
 
 私たちが生きているこの社会は自分一人で生きているのではありません。多くの人たちと共に生きています。
大きないのちのつながりの中で生かされて生きているのです。
それはお互いに迷惑をかけているということであり、それは支え合って許されて生きているということなのです。
 
 自らのいのちを尊ぶように他のいのちを尊んでまいりましょう。
色んなことが次から次とこの身に起こり思い通りに生きていけない人生ですが
南無阿弥陀仏とお念仏申すなかに阿弥陀さまのおよび声を聞かせていただき
阿弥陀さまの大きなお慈悲のおはたらきのなかに
人間に生まれてよかった、あなたに会えてよかったと共々に生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.16)
 
子や孫の世代に伝えていくもの
2018-06-15
 昨日は大海組の総代研修会がありました。大海組発行の「葬儀のしおり」の普及と徹底というテーマでした。
話し合い法座をもちました。私たちの班は6人の総代さんで70代から80代前半の方々でした。
 
 日頃子どもや孫とどういう会話をしていますかと話を聞きました。
核家族で同居より別居のお家が多く、遠く離れて遠方にいたりすぐ近くにいる方もさまざまですが
中々子どもや孫に接する機会がなく、孫が中学高校生にもなると話をするのも難しいということでした。
 
 そうした日々のつながりのなかで葬儀のしおりだけでなくお念仏のご法義をどう子や孫に伝えていくかです。
ご講師の先生からは後ろ姿が大事だというお話がありました。
子や孫はじいちゃんばあちゃんの後ろ姿を見ていないようでちゃんと見ているということです。
 
 昨日出席されていた総代さんも、今はお寺のお世話を率先してしてくださっていますが
子どもの頃若い時分はどうだったでしょうか。
仏教のことにどれだけ関心があったでしょうか。お寺との関係はどうでしたでしょうか。
 
 お寺参りの年頃です。親の後ろ姿を見るなかで自分がそういう年頃になっていくのです。
ただいい年頃になっても仏さまのご縁をいただくということは本当に難しいことです。
 
 話し合いの中でもう一つ、6人のうちの2人の方が娘さんはいるが他家に嫁いでいるということで
自分が亡くなった後のことを心配されていました。
 
 お葬式は浄土真宗でしてくれると思うけれども、嫁いだ先のお家の宗教もあって
後に残ったお仏壇やお墓をどうするのか、だれが見ていくのかということです。
 こうした問題はこれからたくさん寄せられてくるといます。
 
 一つこういうことで決めてということではありません。
その人その人そのお家お家でお話をさせていただくことが益々大事になってきます。
 
 私たちの中心、南無阿弥陀仏の仏さまのみ教えに聞かせていただくことです。
これといって私の思い通りになるということは難しいです。
 「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏の大きなおはたらきにおまかせするなかに
私はこの命終えていきますが、子や孫の次の世代にお念仏のみ教えが確かに伝わっていくように
私にできる精いっぱいのことをさせていただきたいと思いました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.15)
 
お念仏の鏡を見ましょう
2018-06-14
 「経教はこれを喩ふるに鏡のごとし」と中国の善導さまがおっしゃっています。
経教とは仏法、仏さまのみ教えのことで鏡のようなものであるとお示しです。
 
 皆さん今日鏡を見ましたか。
私のことでいいますと、朝起きて洗面をするのに鏡を見ます。
外に出かけるときは特に気をつけて鏡を見ます。
髪の毛が乱れてないか何か顔についていないかなど、鏡に映った私の姿を見てチェックします。
 
 仏法を聞くというのもちょうど鏡を見るようなものだといわれるのです。
仏法を聞くといって、教えの内容を理解し覚えるということでは本当に仏法を聞いたことにはなりません。
仏法を聞けば聞くほど私のありのままの姿が見えてくるといいます。
 
 仏法という鏡に映し出される私の姿とはどんな姿なのでしょう。
親鸞聖人は煩悩具足の凡夫と阿弥陀さまから見抜かれ知らされたといわれます。
朝から晩まで自分中心の心から離れられず、煩悩に振り回されて生きている愚かな私の姿です。
 
 阿弥陀さまは愚かな私を知らせてそのまま救うとおはたらきなのです。
仏法の鏡に映し出された私の姿を見るということは、そこに既に仏法の鏡があるということです。
鏡があるからこそ鏡によってありのままの私の姿を見せてもらえるのです。
 
 では仏法の鏡を見る、仏さまのみ教えを聞くといって
お寺にお参りしないと仏法聴聞のご縁がないとみ教えに遇えないのかといったら
いつでもどこでもお念仏の鏡を見ることができるのです。
 
 電車のなかで女性が鏡を取り出してお化粧している姿を時どき見かけます。
携帯用の鏡をいつももっているんですね。
 
 私たちにもいつも携帯用の鏡が備わってあります。南無阿弥陀仏のお念仏の鏡です。
ナンマンダブツとお念仏を申すそのままにナンマンダブツが聞こえてきます。
南無阿弥陀仏のお心をそのまま聞かせていただきます。
 ありのままの私の姿をそのまま見せてくださり、愚かな凡夫と知らせてくれてそのまま救うてくださるおはたらきです。
 
 今日の御文章さま『機法一体の章』のお心です。
機というのは私のこと、法は仏法です。
 阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のおはたらきに遇って救われようのない私が救われていくのです。
阿弥陀さまがこの私を目当てにいつでもどこでもご一緒なのだといただきます。
 
 お念仏を申して仏法の鏡に映し出される私の姿を見させていただきながら、お浄土への人生を歩ませていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.14)
 
米朝首脳会談
2018-06-13
 昨日はシンガポールで米朝首脳会談がありました。世界中が注目するなか一日中その話題でいっぱいでした。
米朝首脳です。トランプ大統領と金委員長、アメリカ北朝鮮を代表するトップが直接会って話をされました。
 
 国のトップ同士の会談ですからそれぞれの国益をはかるものですが
今回はそれ以上に世界の安全保障に重大な影響を及ぼすということで大きな関心をよびました。
 
 互いに相手を褒め合い会談の成功が大きく強調されていますが、どうでしょう。
トランプ大統領、金委員長ともに人物像が分からないところも多く、具体的な成果はこれからのことということです。
 
 トランプ大統領はビジネスマンらしく損得勘定をもって内政外交に取り組んでいます。
大変分かりやすい政治手法ですが、自国アメリカの損得を中心にすることで、外国との摩擦が生じています。
 一方金委員長は謎に包まれた北朝鮮の最高権力者でこれまで反体制者を次々に粛清していくなど独裁者と見られています。
核実験とミサイル発射を繰り返し今や世界の脅威とまでいわれています。
 
 その二人が初めて会っての今回の会談ですが
両者の思惑はそれぞれで、トランプ大統領は世界の平和に貢献することで存在感を強固なものにし
一方金委員長は北朝鮮の現体制の保証を求めています。
 体制保証といって、我が身の保障です。
国の内外でこれまでにしてきたことで身の危険を感じるような思い当たることがあるのでしょう。
 
 国の政治はその国に暮らす人々のためにあるものです。
国のトップは国民の幸せを思い平和な国づくりに尽くします。
 誰もが本当に仲良く暮らせる社会に生きたいのですが、自分だけのこと自国だけのことを考えると中々うまくいきません。
そこで政治です。経済、安全保障など多角的見地から他国と交渉して自国の利益をはかるのです。
 
 私たちの社会のあり様はさまざまな人によって構成されています。
自分一人で生きているわけではなく、互いに支え合って生きているのです。
 ただどこまでも私たちは自分を中心に物事を考え、自分の思い通りになることを願います。
善いとか悪いという問題ではなく、みんな自分を中心に生きています。
 
 この自分中心の思いが強くなればなるほど、自分の思い通りにならないことに腹を立て怒り
思い通りにならない他者を排除しようとする行動にまでなります。
 国と国との関係でいえば、その行く先が戦争です。
 
 トランプ流の損得勘定でいうと戦争ほど馬鹿らしいものはありません。
戦争は損ばかりで得はありません。破壊と建設の連鎖です。莫大なお金がかかります。本当にもったいないことです。 
 金委員長も戦争は望まないはずです。戦争は我が身を破滅させることだと知っているからです。
 
 一番大事に考えなければならないことはこの世界にそれぞれの国々に生きている人たちのことです。
 
 私たちの仏法です。阿弥陀さまのみ教えはあなた一人を救うというみ教えです。
あなた一人に向き合い、あなたのことをいつでもどこでも大事に思うているよ、必ず救うと南無阿弥陀仏とおはたらきです。
 
 あなたが救われなかったら私は仏にならないと誓われ、救いの法を成就されたお心を聞かせていただくなかに
私たちが共に生きるこの社会のなかで私にできる精いっぱいのことをさせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.13)
 
お念仏の見守り隊
2018-06-12
 昨日は新院が留守で代わって月参りをさせていただきました。
月参りに行きますとお家の方とお話になります。何とも有難いご縁だなと思います。
 玄関で「ごめんください」と言ってそのままフリーパスでお仏間に向います。
そしてお仏壇の前に座りお灯明をあげお線香をたいてお勤めを始めます。後ろでお家の方もご一緒です。
お勤めの後お茶をいただきながらお話になります。
 
 一人暮らしの高齢者の見守りがいわれています。これから増々独居世帯が増えてまいります。
地域でいろんな見守り活動がされているようです。
 企業の協力もあって定期的に飲料物を届ける際に声かけをして安否を確認するといったことも報じられています。
 
 それ以上にこの月参りのご縁は直接安否が確認できお話ができるということです。
世間話ですが、仏さまのご縁ということです。
 僧衣をつけさせていただいているということです。お家の方もお念珠をもち式章をつけられていることもあります。
そしてその中心にお仏壇をいただいているということなのです。
 
 阿弥陀さまのお念仏のご法義に私もあなたもご一緒に遇わせていただいているということに安心できます。
安心していろんなお話になります。それこそ他の場所で他の人にはお話できないことも
仏さまの前だからこそ僧衣をつけている者にそうしたお話もできるのではないでしょうか。
 
 苦しみ悩みといって、中々親しい人にも言い出せないものです。一人で悩みを抱え込むということにもなります。
苦しみ悩みをふっと漏らす、愚痴をこぼせる場所が実はこの仏さまの御前なのです。
「いいよいいよ、あなたの思いのたけをどうぞ私に聞かせておくれ」と阿弥陀さまは胸を開いて促してくださいます。
その阿弥陀さまの大きなお心おはたらきに包まれて、私たちはお念仏を申して生きていけるのです。
 
 あらためてお念仏のご法義のすばらしさ、先人がつくってくださった月参りのご縁の有難さを思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.12)
 
お念仏申して一つになれる
2018-06-11
 昨日は朝から仏教壮年会の例会、午前中は玖珠の光林寺さんの仏教婦人会の皆さんがお寺にお参りになりました。
お昼からは円光寺の長期振興計画の説明会を二区と四区でもちました。
 
 昨日は述べ約90人の方とお会いしたということです。
それぞれの皆さんです。
 玖珠の方は初めてお会いした人が殆どです。ご門徒の方でも久しぶりにお会いした人もいらっしゃいました。
いつものお同行という皆さんもいらっしゃいました。
 
 そういうなかであらためて思うのは、初めてお会いをするという方もつながってあるということです。
もっというと、皆さんお念仏のお仲間、お友だちという言い方ができるのです。
 
 遠見公民館での四区の説明会ではご本尊の阿弥陀さまをお供しました。
会の初めに合掌礼拝お念仏申し、閉会にもまた合掌礼拝お念仏申して終わりました。
 南無阿弥陀仏でつながっているのです。
ここは大事なことで、それこそ90人いますとみんなそれぞれ顔が違います。生活ぶりが違います。
昨日の説明会でいったらいろんな意見がでます。皆さんそれぞれものの見方考え方が違うんです。
 でもそういう違いをこえて一つになれるという世界をいただくのが私たちのご法義なのです。
本当にすごいこと、有難いことだと思います。
 
 逆に私が私がといってどこまでも自分を中心に生きていたらそれこそ最後は独りぼっちです。
ただ私たちは経験値といって、これまで積み重ねてきたいろんな経験をもとに
周りの人に付いたり離れたりしながらああやこうやとやってきているわけですが
一つまかせる依りどころをいただくことの大事さがここにあると思います。
 
 ナンマンダブツ、お念仏を申すというなかに私たちは一つになれるのです。
初めて会った人も一つになれる。いやもう既に一つにつながっていたということなのです。
 
 このお朝事のご縁です。お念仏申して一つになってそれぞれの生活を始めさせていただきます。
お念仏申す生活です。今日は月曜日、新たな一週間を始めさせていただましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.11)
 
阿弥陀さまに安心します
2018-06-10
 今日は仏教壮年会の皆さんには朝早くから境内の掃除とこの後庭木の剪定をしていただきます。
よろしくお願いいたします。
 
 今日は日曜日ということもあっていろんな行事があります。
一つは玖珠のお寺の仏教婦人会の皆さんが20人ほど研修旅行でお参りされます。
 
 境内の清掃をしてくださってよかったです。
皆さんのお家でもお客さんがみえる時はきれいにお掃除しますよね。
きれいにしていないと、この家はこのお寺は何だと思われたら嫌ですね。
 円光寺さんに行ったらいつもきれいにしていると言ってもらえる思ってもらえるといいですね。
 
 そして午後からは先週も行いましたが、このたびの長期振興計画の説明会を二区と四区でさせていただきます。
 
 本当にこのお寺はご門徒皆さんのお寺であるということを思います。
一人の住職一人の坊守でできることは本当に限られています。
そのお役目お役目は色々皆さんそれぞれありますが
皆さんのお寺への思いを一つ処に寄せていただくことができるのがお寺ということです。
 お寺の中心ご本尊の阿弥陀さまのご縁につながった私たちなのです。
 
 今日玖珠から初めてお参りされる方は、円光寺ってどんなお寺かなと楽しみにして来られるのではないでしょうか。
どんなお寺の建物かなどんな雰囲気のお寺かなということです。
 
 私たちも他のお寺に初めてお参りするときはそんなことを思います。
どんなご院家さんかなどんな坊守さんかなということもあります。少し不安なこともあります。
 お参りしてみて思うことです。それぞれお寺の営みお寺の姿かたちは違いますが
本堂に入ってみたらほっと安心します。
 どのお寺の本堂にもまん真中に阿弥陀さまがいらっしゃるということです。
何か当たり前のようですけれども、阿弥陀さまがいらっしゃるというなかに安心できるのです。
 
 先ほど拝読の御文章さまのなかに「安心とは安き心とよめるなり」とありました。
阿弥陀さまのまことの心、信心をいただいて心やすらぐ、安心できるのです。
 
 それは皆さんのお家ではお仏壇というところです。
お仏壇の前に身をおく、座らさせていただけるのです。
 日々の生活のなかで色んなことがあるけれども
安心してナンマンダブツ、お念仏を申して生きて往ける今日の一日をまたそれぞれ送らせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.10)
 
仏さまのご縁に身をおきお聴聞させていただく
2018-06-09
 浄土真宗の仏道はこれこれ修行をしなさいとはいいません。
阿弥陀さまのお救いには条件がないといいます。
ただそのお救いを知ることがなければ救われているという気づきもありません。
 お聴聞が大事だよといわれます。阿弥陀さまのお救いを聞かせていただくのです。
南無阿弥陀仏のお心です。何で阿弥陀さまはご本願を建てられたのか、そのいわれをたずねていくといいます。
 
 お寺でご法話を何度も聞かせていただきます。
そのまま聞きなさいといわれますが、私たちは素直に聞くということが難しいです。
 
 今日の御和讃に「善知識にあうことも 教うることもまた難し
よく聞くことも難ければ 信ずることもなお難し」とありました。
 
 お聴聞というけれども聞くことは難しいといいます。
素直に聞くことを邪魔するものがあるといわれます。
何が邪魔をしているのか、他の人が邪魔をしているのではなくて、私がという我執が邪魔をするというのです。
私がととらわれはからう心が邪魔をしてそのまま素直に聞けない
私の都合に合わせて聞くというのが、どうも私が聞くということの正体のようです。
 
 世間の話を聞くこともそうです。
自分を中心に自分に関心があること、例えば健康のこととか料理や旅行、趣味のこととか金儲けのこととか
そういう話はすーっと聞こうとします。
 ただ仏法を聞く、仏さまの教えを聞かせていただくことは難しい、難中の難です。
仏さまの教えって私には関係ないことなのでしょうか。歳をとってからの話、死んでからの話でしょうか。
 
 今ここ仏さまの御前にお座りの皆さんはもう既に仏法聴聞のご縁に遇われています。
身をおくということです。御仏前に身をおきそのまま聞かせていただくのが、信心です。
 信心をいただくといいます。
阿弥陀さまのまことの心をそのままいただいて私たちの往生が決まる、いや決めてくださってあるのです。
 
 聞くということは難しいことですが、仏さまのご縁に身を寄せ身をおくなかに
どうぞお念仏を申して今日も阿弥陀さまのおよび声を聞かせていただく一日でありたいと思います
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.9)
 
お寺の研修会~貧困の克服に向けて
2018-06-08
 昨日は別府の別院で大分教区のお寺の研修会がありました。
お寺といえば法話会ですが、このたびは研修会です。
 
 今私たちの宗門では御同朋の社会をめざす運動(実践運動)を推進しています。
阿弥陀さまの本願念仏のみ教えに共に生きる私たちが
現実社会の課題に向き合うなかでお念仏のみ教えを伝えていきましょうという取り組みです。
 
 7年目に入って、今年から重点プロジェクトの目標を「貧困の克服に向けて」とすることについて
宗門内の全教区のお寺、門信徒僧侶に周知するための研修会です。
 
 今は格差社会といい貧困問題は重大な社会問題の一つです。
特に子どもの貧困は深刻です。
 子ども7人のうち一人の割合で、家庭の事情で十分に毎日の食事ができていないとか
孤食といって子どもが一人で食事をするといった実態がたくさん報告されています。
 
 そうしたなかで今子ども食堂が全国的に展開され大分県内でもこの鶴崎でもしていると聞きますが
お寺という場所を開いて子ども食堂をしませんかという一つの提案がありました。
 
 参加者の殆どがお寺の住職さんでしたが、いろんな意見がでました。
象徴的な意見として、貧困といってお寺もまた貧困問題を抱えているということです。
 特に過疎地にあるお寺は門徒も減り住職は一般の仕事に就いて
法事などの法務を土曜日曜とか仕事が休みの日に合わせているということで
現状のお寺の護持で精いっぱいで余裕がないとの声です。
 お寺で子ども食堂などの取り組みができるのはよほど恵まれたお寺であり
お寺の格差があるなかでお寺の現実に向き合い寄り添ってほしいという意見です。
 
 みんなで一緒にということは中々難しいけれども、その思いを共有することは大事なことです。
一つの思いをもって私に何ができるのかということです。
 例えば円光寺でできることです。住職坊守というお寺のものだけでできることは一つもありません。
ご門徒皆さんのご加勢お手伝いがあって初めてできることです。
それも皆さんが一つ思いをもってということです。この一つ思いが大事なのです。
 
 南無阿弥陀仏のお救いの法、お念仏につながった私たちです。
一人でも多くの方にこのお念仏のご縁を届けていくということを心に入れて
そして思いのある方時間の許せる方が集まって何かをしましょうということでないと
ただ子ども食堂をしましょうしましたでは、私は善いことをしてます、あれもしてますこれもしてますと
私はということになると、これはちょっと違うなということです。
 
 みんなで一緒に取り組んでいきましょうということは今は本当に難しいです。
やはり思いのある方が一つ一つ実践していくなかに
それを見た方知った方が「ああいいことやなあ。私も一緒に参加しよう」と
みんなで一緒にやっていこうという取り組みができたらと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.8)
<<円光寺>> 〒870-0108 大分県大分市三佐3丁目15番18号 TEL:097-527-6916 FAX:097-527-6949