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お念仏を申す生活法話

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お念仏のたのもしさ

2024-01-10
 母の容態が急変して救急車で病院に搬送され
懸命な治療をしていただきましたが
ついに命終えました。

 意識が無くなっても
耳は最後まで聞こえるといいます。
 病院の配慮で私たち家族のために
看取りの部屋を用意してくださいました。

 さて何と声をかけていいものか
もう頑張れない人に「ガンバレ」とは言えません。
「安やかにお眠りください」でもありません。

 お念仏のご法義に遇えて
本当によかったと思います。
 南無阿弥陀仏ひとつでどんな状況にあっても
どんな人も等しく救うという
阿弥陀如来の本願念仏のみ教えです。

 「お母さん、晃照です」とわが名を名乗りました。
「いつも一緒ですよ」「大丈夫安心ですよ」と
呼びかけました。
 何度も何度も「お母さんお母さん」
「いつも一緒ですよ」「大丈夫安心ですよ」と
呼び続けました。

 阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のお喚び声です。
我が名を名乗り南無阿弥陀仏「必ず救うまかせよ」と
いつでもどこでも誰にでもおはたらきの仏さまです。

 命終えるその時も南無阿弥陀仏のおはたらきが
母の耳に確かに確かに届いてくださっています。

 命終の時が来ました。
「お母さんありがとう」と
お念仏が出てくださいました。
 
「娑婆の縁つきて
 ちからなくしてをわるときに
 かの土にはまゐるべきなり」(歎異抄)
 (名残を惜しんでいても、この世の縁が尽きて
 生きる力がなくなり命終わるとき
 お浄土へまいらせていただくのです)

 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
阿弥陀さまのお浄土に往生させていただくのです。
 人の命終えて生まれ往くお浄土がある有難さです。
これほど力強くたのもしいお念仏のご法義はありません。

 お浄土に往生し南無阿弥陀仏のいのちとなって
これからも「いつも私が一緒だよ。大丈夫安心ですよ」と
喚んでくださるんですね。
「お母さんの仏さまありがとう」とお念仏申します。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.10)

大河ドラマ「光る君へ」

2024-01-09
 今年のNHK大河ドラマは
『源氏物語』の作者紫式部が主人公の
「光る君へ」です。

 大河ドラマといえば
源平・戦国・明治維新という
激動の時代の物語が主でしたが
今回は平安時代の貴族社会を描くもので
具体的な資料が少ない中で
どのような脚本になるのか注目されます。

 仏教的にいえば
鎌倉新仏教以前の仏教の有り様をみるうえで
非常に興味をひがれるところです。

 紫式部と共に今回のドラマの重要な役柄が
平安貴族社会で権勢を誇った藤原道長です。
そして陰陽師の安倍晴明です。

 当時は末法の時代に入る頃といわれ
お釈迦さまが説かれた仏法が廃れて
世の中が混沌とした不安な時代になるということで
浄土信仰が貴族社会をはじめ急激に広まって
一般化していきます。

 天変地異が続く中で
貴族社会の為政者たちは世の吉凶を占い
安倍晴明に象徴される陰陽師が登場します。

 藤原氏は一族の栄華栄耀をあの世までと
宇治に阿弥陀仏の平等院を建立することなどして
極楽浄土に生まれ往くことを願いますが
この辺がどうドラマに描かれるのか見所です。

 はるか遠く私たちの先祖が生きた時代です。
浄土教が民衆の中にどのように浸透していき
鎌倉の法然聖人親鸞聖人の他力信仰につながるのか
楽しみに観たいと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.9)

お寺の避難所

2024-01-08
 能登半島地震から一週間が経ちました。
日に日に甚大な被害状況が明らかになり
避難所に身を寄せている方々の
困難な生活が伝えられます。

 多くの地域で停電断水が続くなか
基本的な生活環境
ライフラインの復旧が急がれます。

 家屋が崩壊し余震が続くなかで
避難所の大きな役割を思います。
 全国各地から救援物資が届きます。
水や食料をはじめとした生活必需品です。
 家を失い大切な方を亡くし
悲しみ嘆き失意と不安な中に
「決して独りじゃないよ大丈夫だよ」と
思うてくださる人がいるということです。
 避難所はみんなが一緒に
支え合い助け合って生きる場所です。

 とはいっても共同生活していく上で
様々な困難が起こってきます。
 各人のプライバシーの確保であり
個々の思い通りにならないやるせなさです。

 自分中心の思いはからいを
ぐっと抑えて生きるのですが
無理なことには限界があります。
 困難な生活の中にも私の心の依りどころ
安心できる場所であり時間が必要です。

 避難所は学校や公民館など公共の施設が多いのですが
お寺も避難所の役割が求められると思います。
 お寺は地域に開かれた社会的資源という発想です。
日頃から地域のご門徒有縁の方々が出入りし
大人数に対応する広い空間と施設が揃っています。

 ただ災害時の対応については事前の準備が必要です。
行政機関とも十分連携することも大事です。

 日頃から皆さんにお寺に親しんでもらうことで
緊急時にそれぞれができることをさせていただく
みんなのお寺になりたいものです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.8)

初事

2024-01-07
 新年明けて
初めて行う初事です。

 日頃いつもしていることも
今年初めての事となると
ちょっと心構えて新鮮な気持ちで臨みます。

 私たちのお寺では
毎年1月2日に初法座をお勤めします。
 ご門徒皆さんがお寺参りの初事です。
この一年も何度もお念仏のご縁をいただいて
仏法聴聞していただきたいと思います。

 浄土真宗の聴聞の心得に
一、このたびのこのご縁は、初事と思うべし
一、このたびのこのご縁は、我一人のためと思うべし
一、このたびのこのご縁は、今生最後と思うべし
                   とあります。

 お聴聞を初事と心得るというのは
同じ話の繰り返しであっても
初めてのように繰り返し聞きましょうということです。

 仏法のお話は真実変わらないお話です。
一方私たちの日々の生活はというと
生活環境も変われは
私の心の有り様は日々刻々と変わって行きます。

 自分中心の思いはからいで生きるなかに
ああでもないこうでもないと悩み苦しみ
迷いを繰り返す私たちです。

 そんな私たちを見抜かれて
阿弥陀如来は「われにまかせよ必ず救う」と
南無阿弥陀仏のおはたらきです。

 「いつも私が一緒だよ」と
いつでもどこでもどんなことがあっても
私に寄り添ってくださる仏さまです。

 お浄土から「そのまま来い」と喚んでくださり
往生浄土の道すがらを共に歩んでくださる仏さまです。

 南無阿弥陀仏の御声に喚び覚まされ励まされて
私たちはこの身このままこの道を歩んで往けるのです。

 今年も一年ご縁ご縁に初事と心得て
仏法聴聞お念仏申させていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(20024.1.7)

「服装に関係なく」 ※転載

2024-01-06
 お寺にお参りするのに、どんな服装がいいのか
友人同士でちょっとした論争がありました。

 「おまえ、それは少しラフ過ぎるだろう」
その一言がきっかけでした。

 別にネクタイをしろとは言わないが
身だしなみだけはちゃんとしていかないと失礼だと
そう指摘されると
それがカチンときたのか
「仏さんにお参りするのに
服装がどうのとか気にするほうが失礼だ」と
言い返したのです。

 そう言えば、昔、妙好人(みょうこうにん)として知られる
讃岐の庄松(しょうま)さんは
本堂でゴロリと寝ころんでいるのを咎められると
「親の家だから遠慮はいらない」と
意に介さないでいたという話があります。

 阿弥陀さまを
親さまとして全面的に信頼しきっている
庄松さんにとっては
親の前で遠慮するほうがおかしい
ということなのでしょう。

 その点で言えば
確かに服装がどうのとか気にすることは
仏さまに失礼だということになります。

 しかし、尊い親さまである
阿弥陀さまがいらっしゃる
御堂にお参りするのだからこそ
きちんと身なりを整えようという心も
これまた素晴らしいのです。

 要するに、どちらも間違いではなく
両方共に、それぞれが仏さまやお寺を
敬っておられる姿なのです。
 それに何より、お二人共、お寺にお参りすることを
喜びにされているのがありがたいです。

 アンケートによると
お寺は敷居が高いと思われがちですが
親の家です。
 服装に関係なく、遠慮なしにお参りください。

    ※菅純和著「仏事の小箱」
        『御堂さん』2024年1月号より

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.6)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
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