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お念仏を申す生活法話

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月参りのご縁です

2024-02-02
 月参りのご縁で
ご門徒のお家にお参りしました。

 先に往かれたお家の故人の方の
月命日にお参りします。

 月忌ともいい
以前は殆どのご門徒のお家で
月に一度のご縁をいただいていましたが
今は仕事で留守をするお家が多くなり
月参りのお勤めが少なくなりました。

 年回法要の法事とは違い
親族や有縁の方々がお参りするわけではありません。
 お家の方が一人ご一緒にお勤めされることが
殆どです。

 お寺さんをお家に迎えることですから
仏間をそしてお仏壇をきれいにして準備をされます。
 月参りのご縁は日頃は中々手が届かない仏間を
お掃除するご縁にもなります。

 日常生活の中で仏さまのご縁をいただくことです。
お寺さんとご一緒にお勤めをしお茶を出して話になります。
 お天気の話や身近な出来事などに終始することが殆どですが
仏教仏事の話にもなります。

 先に往かれた仏さまがつくってくださった
御仏前でのお念仏のご縁です。
 いろんな相談事に及ぶこともあって
答えが出るようなことではなくても
安心して日頃の悩みを吐露できる居場所が
この御仏前です。

 「困ったときにゃ お念仏に 相談しなされや」と
お念仏の先人は言われます。
 お念仏申して往生浄土の道すがらを
共々に生かされて生きる
月に一度の月参りのご縁です。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.2.2)

ご法事の俱会一処のご縁です

2024-02-01
 親戚のご法事
年回法要のご縁にお参りしました。

 ご本尊の阿弥陀如来をご安置する
浄土真宗のお仏壇の御仏前でお勤めをします。

 有縁の方々がお参りです。
近くに居ても日頃は集まることがない親戚縁者も
ご法事のご縁で再会します。

 先に往かれた方を偲ぶご縁で
先人をたずねていろんな思い出話になりますが
会ってすぐ「久しぶりやねえ」「どうしてる」などと
お互いの近況報告会になります。

 何か先人を置いてけぼりにして
すまない思いもありますが
先に往かれた仏さまのご縁です。
 仏さまが私たちにつくってくださった
「俱会一処」のご縁です。

 お経さまに阿弥陀さまのお浄土を「俱会一処」と説かれ
先に往かれた方々と俱にお浄土で再会できると
聞かせていただきますが
ご法事のご縁が私たちの俱会一処のご縁です。

 ご法事のご縁で有縁の方々と久しぶりに再会し
またそれぞれ日々の生活にかえっていきます。
 生活ぶりはそれぞれ違いますが
お念仏を申す生活です。
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりの中に
これからも共々に生かされて
仏さまのご縁にまた再会いたしましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.2.1)

同じ「南無阿弥陀仏」ですが ※転載

2024-01-31
 久し振りに親戚の法事に出かけました。
その家は、京都の知恩院を本山とする浄土宗で
ほどなく住職が見えられ、読経が始まりました。

 他宗とはいえ、例えば真言宗や禅宗に比べると
同じ阿弥陀さまをご本尊とし
お念仏を称える宗旨ですから
よほど親近感を覚えます。

 読まれているお経も
『観無量寿経』や『阿弥陀経』など
耳に馴染んだものばかりで
人間とは妙なもので、「知ってる」と思うと
安心したりうれしくなったりするものです。

 ところが途中で何度か住職が
「さあ皆さん、ご一緒に、お念仏を大きな声で
十返称えて下さい」と、促されるのです。

 一同、手を合わせて大声で
「ナームアミダブ」と称えるのですが
それにはどうしても違和感があるのは
自分が浄土真宗で育っているからでしょうね。

 よく、浄土宗と浄土真宗は
どこが違うのですかという質問を受けますが
お念仏をどのように味わうかについても
大きな相違があるように思えます。

 浄土宗のお寺さんが
一緒に称えようとおっしゃるお念仏は
外に向かって
誰かに聞かせているような感じです。
 私の称えるお念仏を
阿弥陀さまに聞いていただくのでしょうか。

 浄土真宗はそのようなお念仏ではありません。
「われ称え われ聞くなれど 南無阿弥陀仏
 つれてゆくぞの 親のよびごえ」という
有名な言葉がありますが
誰に聞かせるのではなく
間違いなく救うという
阿弥陀さまの喚び声として
自分の心の内に聞いていくのが
私たちのお念仏です。

  ※菅純和著「仏事の小箱」
         『御堂さん』2024年2月号より

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.31)

 三七日のご縁です

2024-01-30
 母が往生して三七日のご縁です。
大切な人とお別れする悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただける有難さです。
 
 先にお浄土に往かれた方は
今は仏さまとなって私たちの世界に還って来て
私たちを護り救う
南無阿弥陀仏のおはたらきをしてくださっていると
浄土真宗のみ教えを聞かせていただきます。

 さて皆さんが仏教に向き合うときにわかりにくいのが
同じ仏教なのにいろんな宗派があって
それぞれ違うということではないでしょうか。

 私のこの目で見えるお仏壇が宗派宗派で違います。
真ん真ん中にご安置する仏さまが違います。
 ご本尊と申します。
最も尊ぶべき仏さまです。

 仏さまなら何でもいいのではありません。
ご本尊の仏さまに迷いの私がさとりの仏に成る
教えがこめられているのです。

 私たちの浄土真宗のご本尊の仏さまは
阿弥陀如来さまです。
 このご本尊のおすがたですが
三つのおすがたがあります。
 お木像とご絵像の阿弥陀さま
そして南無阿弥陀仏のお名号のおすがたです。

 こんなお話をすると
「どれが一番いいのですか」という質問を受けますが
どれも同じ「われにまかせよ必ず救う」という
阿弥陀さまのおはたらきをあらわしているのです。

 この目にすっと入ってくる阿弥陀さまのお姿は
すっと立っています。
 お立ち姿の阿弥陀さまです。
私たちのご本尊の阿弥陀さまは立っていますが
臼杵の石仏に行きますと
立っている阿弥陀さま(立像)と
座っている阿弥陀さま(座像)がいらっしゃいます。

 実は立っていることに意味があるのです。
座っちゃおれなくて立ちあがったのです。
 なぜ?
迷っている私の姿を見たからです。
 ただ向こうの方に立っているのではなく
私のところに来てくださっているといいます。
「われにまかせよ必ず救う」のおはたらきです。

 南無阿弥陀仏のお名号をなって
私に至り届きおはたらきくださっていると
私の口から出てくださるお念仏です。

 阿弥陀さまがいつでもどこでもご一緒です。
私がどんな状況にあっても
苦しい時も悲しい辛い時も
楽しい時嬉しい時もです。

 「いつも私が一緒だよ。大丈夫安心して
あなたのいのち精いっぱい輝かせて
一緒に生きて往きましょう」と
喚んでくださる阿弥陀さま
そしてご先祖有縁の仏さまです。

 お念仏申しお念仏の声を聞きつつ
往生浄土の人生を共々に生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.30)

今日は「アレ」しよう!

2024-01-29
 昨日の大阪国際女子マラソンで
前田選手が29年ぶりに日本記録を出しました。

 前田選手は東京五輪にも出場した実力者ですが
東京五輪の成績が振るわずその後も低迷して
去年のパリ五輪選考レースでも
出場内定枠の2位までに入ることができず
今回は五輪出場をかけた最後のチャレンジでした。

 大会前に前田選手に今回の目標を聞いたところ
「アレです」という答えだったそうです。
 昨年プロ野球でセリーグ優勝そして日本一になった
岡田阪神監督の「アレ」です。

 前回の五輪選考レースでは
「優勝してパリ五輪出場を決める」と宣言し
それがかえってプレッシャーになったという話です。

 「アレ」とは、五輪出場資格記録
大会優勝、大会新記録
日本記録の更新など色々考えられますが
本人の胸の内にしまってのレースでした。

 ペースメーカーの設定は五輪出場記録でしたが
20キロ過ぎでペースメーカーを置き去りにして
トップに立ちます。
 結果は2位でしたが
見事日本新記録の樹立です。

 レース後「アレは日本新記録の更新でした」と
明かしました。

 「アレ」ということで
必要以上に結果に執らわれずリラックスして
自分の力を出し切れたということでしょう。

 具体的に目標を抱え込まないで
今できることをさせていただく
そして結果は結果として受け止め
次のステップにするという姿勢です。

 中々できることではありません。
自分の力や立ち位置を考えず
いたずらに目標を立てては
結果が出ないと周りのせいにし
できなかったことをいつまでも悔やむ私がいます。

 今日も一日が始まります。
あなたの今日の「アレ」は何ですか?

 欲張りな私はいくつもの「アレ」を目指します。
そして時間が経つうちに
「明日があるさ」と先延ばしにしては今日一日を終えます。
 何か同じことの繰り返しのようですが
何か一つの「アレ」ができたらと思います。

 人生の「アレ」です。
「人間に生まれて何のために生きているのか」
わが人生の目的です。
 このいのち「どこに向かって生きているのか」
仏法に聞かせていただく一大事です。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.28)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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