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お念仏を申す生活法話

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お念仏の恩送りをしましょう

2021-02-25
 総務省の接待問題で関与した総務省幹部11人に
昨日減給処分がありました。
 菅首相の長男が勤める利害関係者の会社から
食事などの接待を受けていたということです。

 会食接待の内容と減給処分の一覧表が
出されています。
 一番多い方で7回、総額で多い方で12万円です。
元職員は一人で一回7万円超の接待です。
 一般感覚からして大きな金額です。

 減給処分は3か月10分の2が一番多かったですね。
どのくらい給与をもらっているか分かりませんが
接待を受けた金額よりはるかに多いと思います。

 金額の問題ではありませんが
あの時割り勘にしておけばと思い返しても
後悔先に立たずです。

 私たちの小さな社会でも接待というより
食事を奢ったり奢られたりということがあります。
 会社や学校の先輩後輩の関係で
「ここは私が払うから」
「そうですか。ありがとうございます」ということです。

 私も先輩に奢ってもらったことがあり
総務省の接待に比べたらわずかな金額ですが
助かったし嬉しかったです。

 そうした先輩の姿を見て自分が先輩になったときに
後輩に奢ることもありました。
 先輩から後輩へ貸す借りを超えた順送りです。

 今回の接待問題は利害関係があるなかでのことで
食事を奢る行為には
見返りを期待するはからいが見え隠れします。
 歪んだ関係での恩返しです。
あの人には借りがあるから借りを返すといったものです。

 恩返しとは本来
あの人に恩があるから何かの時に恩返しをしようと
自発的に行う行為であって
恩返しを期待すること自体が不純です。

 そして恩返ししたくてもその人がいなくなれば
恩返しはできなくなります。
 そこで恩送りということです。
人からいただいた恩を別の人に返す
送っていくという行為です。

 私たちの浄土真宗のご法義の要を
「信心正因称名報恩」といいます。
 阿弥陀さまのご本願のお心を聞かせて信心をいただき
お念仏申す身にさせていただくのです。
 阿弥陀さまの真実信心が私の救いの正因であり
私の口から出てくださるお念仏は
御恩報尽のお礼の念仏といわれます。

 阿弥陀さまの御恩に報謝するというのですが
私たちは阿弥陀さまから接待を受け続けているのです。
 この私にいつでも寄り添いそのまま無条件で救うという
南無阿弥陀仏のおはたらきです。

 こうしなさいこうしないと救わないという
条件付きの救いではありません。
 救うてあげるからお念仏をいっぱいしなさい
しなければいけないということでもありません。

 阿弥陀さまのお救いに遇うことができた御恩です。
その御恩に報いるとは
私がお念仏申す身にさせていただくことであり
有縁の人にあなたもお念仏のみ教えに遇ってほしいと
阿弥陀さまの御恩を送っていくことです。

 お念仏の恩送りです。
先輩から後輩へというように
先に往くものが後のものを導くということです。
 仏さまのご縁はお念仏の先人をたずねていくご縁であり
そのままお念仏が相続されていくのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.25)


御仏前に子、孫、曾孫の三代そろってご法事のお勤めです

2021-02-24
 昨日ご法事のご縁をいただきました。
お母さんお祖母ちゃん曾祖母ちゃんのご法事です。
 御仏前に子、孫、曾孫の三代6人がそろって
お勤めさせていただきました。

 コロナ禍でのご法事です。
親族有縁の方もたくさんいらっしゃいますが
内々でその家取りの直系の家族だけでということです。

 お一人の方のご法事のご縁ですが
子どもさんも何人もいらっしゃいます。
お孫さんももっといらっしゃいます。
そして曾孫さんももっともっといらっしゃいます。

 その人の命は終わりましたが
命のご縁はずっと広くつながっていることを
ご法事のご縁であらためて思います。

 昨日のご法事の曾孫さんは曾祖母のことを知りません。
会ったことがありません。
 鴨居にかけられた写真を指してお祖母ちゃんが
「この人が曾祖母ちゃんよ」と教えていましたが
曾孫さんは何のことやらきょとんとしていました。

 ただ会ったことがない知らない人でも
私の命の大恩人なのです。
 だってご先祖のこの一人がいなかったら
私は今ここにいないのですから。

 数えきれないほど多くのご先祖の命のつながりの中に
私が今ここに生きているのです。

 NHKの『ファミリーヒストリー』という番組は
有名な俳優やタレントさんがルーツを訪ねる内容です。
 お父さんお母さんをはじめご先祖を何代もさかのぼって
わかる範囲で取材したものです。

 お父さんお母さんで二人です。
祖父祖母は四人います。
曾祖父母は八人で高祖父母は十六人ですが
番組でたどっていくのは代々一人です。

 いろんな事業をされて周りの人からも慕われた
立派な方が多く紹介されます。
 ルーツを訪ねる出演者も知らないことが多くあって
ご先祖の苦労話に感極まる場面もあります。

 私たちにも同じようにご先祖代々の方がいますが
曾祖父母の八人のことをどれだけ知っているでしょうか。
 私でいったら会ったこともないし写真もないし
名前も知らない人もいます。
 どんな人でどんなことをして生きてきたのか
その人の生活ぶりや人生の歩みはわかりません。

 人から慕われるような人だったでしょうか
悪いことをして周囲に迷惑をかけた人かも
わかりません。
 善い人悪い人というのではなく
そうしたご先祖の命につながって
今の私があるということです。

 この私に灌がれた命の水の流れを迎え取ってくださる
阿弥陀さまの大きなご本願の海のおはたらきです。
 南無阿弥陀仏のいのちのご縁つながりのなかに
私たちそれぞれの命の営みがあるのです。

 ご先祖からつながったこの私の命です。
この人間界に生まれて生きて
人人とつながって日々の生活しています。

 ご法事のご縁で御仏前に座らせていただき
ご一緒にナモアミダブツとお念仏申して
仏さまにお礼ができました。
 仏さまからいただいた尊いお念仏のご縁です。
南無阿弥陀仏のいのちにつながった私たちなのです。

 お念仏申して今日の一日も
仏さまからいただいたいのちを精いっぱい
生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.24)


「善導独り仏の正意をあきらかにせり」

2021-02-23
 今日から御和讃は高僧和讃の第五祖
中国に出られた善導大師を讃える御和讃に入ります。

 「大心海より化してこそ善導和尚とおはしけれ」
で始まります。
 海のように大いなる阿弥陀仏の慈悲の心によって
善導大師はこの世にお出ましになったといわれます。

 阿弥陀さまのお慈悲のお心とは
すべてのものを分け隔てなく救うというお心
南無阿弥陀仏のおはたらきです。

 阿弥陀仏の本願念仏のお救いを善導大師が明らかにされ
法然聖人が専修念仏の仏道と示してくださって
親鸞聖人は南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
賢者も愚者も善人も悪人も誰もが等しく救われる
本願他力のみ教えに出遇われたのです。

 歎異抄に
「ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと
よきひとの仰せをかぶりて信ずるほかに
別の子細なきなり」とある通りです。

 お正信偈さまの中で「善導独明仏正意」と
調声人が一音高く独唱します。
 善導独り仏の正意をあきらかにせりと
善導大師はただ独りこれまでの誤った説を正して
仏の教えの真意を明らかにされたというのです。

 仏とはお釈迦さまのことです。
お釈迦さまが説かれた阿弥陀仏の救いの法の真意を
明らかにしてくださったご功績を讃えます。

 さまざまな仏道がある中で
煩悩具足極悪深重の凡夫の身が念仏一つで救われていく
専修念仏の仏道です。

 今日からしばらく
善導さまのご事績をたずねてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.23)


とても温かい日曜日です

2021-02-22
 昨日は日曜日でご法事があって
遠見のご門徒のお家にお参りしました。

 遠見のバス停付近でリックを背負った
マスク姿のグループに出会いました。
 団体でウォーキングをしているようでした。
後からスマホで知ったことですが
大分市のウォーキング協会主催の
毎月開催されているイベントで
三佐海原周辺ウォークということです。

 ちょっと小高い遠見山というところに
上って下りてきていました。
 ご法事の後小一時間程してまた元の場所に戻ったら
まだ何人もその周辺を歩いていました。
 メインは「いのち山」だそうです。
津波に備えて造った避難場所でまさに「命を守る山」です。

 昨日は春の陽気で温かくお天気に恵まれて
コロナ禍の巣ごもり生活から少し解放されて
気分転換になってよかったと思います。

 昨日のご法事は50回忌のご縁でした。
今年の50回忌は昭和47年にご往生された方のご縁です。
 49年が経ちました。半世紀です。
大切なお方とお別れして
49年間いろんなことがあったでしょう。

 そのなかで先に往かれた方は人の命は終えたけれども
仏さまのいのちと成ってくださって
南無阿弥陀仏のおはたらきでいつでもどこでも
後に遺った皆さんとご一緒ですよと
お取り次ぎさせていただきました。

 御仏前に座らせてもらいました。
手が合わさってナモアミダブツとお念仏申せて
仏さまにお礼ができました。

 仏さまからいただいた尊いご縁です。
それは今日だけのご縁ではなくて
昨日も一昨日もこれまでもずっとそうだったし
明日も明後日もこれからもずっとつながっている
有難いご縁です。

 この目には見えないけれども
数えきれないほどたくさんのご先祖有縁の仏さま方が
南無阿弥陀仏のおはたらきを私に届けてくださり
私の口からナモアミダブツとお念仏が出てくださるのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.22)


南無阿弥陀仏のいのちの物語です

2021-02-21
 お葬儀のご縁です。
私と同じ夜に生まれた方です。
 昭和27年の私は10月3日その方は10月4日生まれで
日付は違いますが同じ夜にということです。

 当時は産婆さんに取り上げてもらっていました。
出産が二人同時に重なって
後から聞く話ですが
裏町の産婆さんで円光寺に近いということも
あったのでしょうか
バタバタするなかで私の方に先に来られて私が生まれ
その後その方のところに行ってということです。

 自分が生まれた時のことを
誰も知ってる覚えている人はいません。
 周りの人から後から聞くことですが
そこにいろんな脚色が入って物語ができるのです。

 10月3日の金曜日でした。
その日の夜はきれいな満月だったと何度も聞きました。
この時節の満月は十五夜です。

 話を聞き重ねるなかで
私は月よりの使者と思っていました。
 おとぎ話のかぐや姫です。
小さい頃のテレビのヒーロー正義の味方月光仮面です。
 名前も「晃照」で日が光って照らすと書きますから
まんざらでもない物語です。

 スマホで調べました。
「昭和27年10月3日の月は?」と検索したらありました。
 ところが10月3日は満月ではなかったのです。
次の4日が満月でした。
 ただ見た感じは満月だったと思います。
満月にしておきましょう。

 それにしてもスマホって便利ですね。
ネットで検索すれば知りたい情報が
すぐ手元に入ってくるのです。

 ただこれまで思い込んでいたことが
間違いだったということも結構あります。
 講演会で講師の話をスマホで検索している人がいます。
講師の言うことが正しいのかどうかチェックもできます。

 スマホ一つで知識を全て習得したように思いがちですが
身についたものにならなければ所詮知識にすぎません。
 積み重ねた学習の過程が大事なのであり
それは何のための学習なのか考え創造することです。

 覚えようとしても覚えられず
忘れまいと思っても忘れることもあります。
 忘れたら思い出すこと
その手段がスマホのネットです。
 スマホを有効に使う
これも工夫考えることです。

 知識をもって考えることが大事なのです。
今日の話でいったら自分が生まれた時のことを
色んな知識を集めて物語ストーリーをつくることも
面白いと思うのです。

 人に言いふらすことではありません。
今日言ってますけどね。
 そういうなかに私のいのちの物語です。
最初があったら最後があるということです。
 命の誕生があれば終わりがある
生まれて来たら去って行かねばなりません。
 どこに?

 お念仏のみ教えに聞かせていただくと
私のいのちの物語は人の命終えたら
終わりではありません。
 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
命終えてそのままお浄土に往き生まれ
仏さまなってこの世に還って来て有縁の人を救うという
南無阿弥陀仏のいのちの物語のなかにあるのです。

 南無阿弥陀仏の大きないのちの物語のなかに
今日一日もお念仏申して
生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.2.21)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
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