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お念仏を申す生活法話

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お念仏がこぼれる

2018-05-16
 本音が出るといいます。
心に積もり積もっていたことが何かの拍子にふっと出ることがあります。
心打ち解けた雰囲気のなかでということですが、皆さんはどんな時にそうした本音がでますか。
 
 例えば銭湯とかでいつもの気の許すお友だちとの何気ない会話のなかでふっと本音が出ることってありませんか。
他の関係者に聞かれるとちょっとまずいことでも、結構大きな声で聞こえてきます。
 
 先日はうちのカミさんの話でした。
年をとっても何着も新しい服を買ってくる、いい歳して誰も見る人がいないのに、金を使ってまでしてと。
わしなんかいつも同じものを着ているのに、という愚痴まで出てきます。
 すると話し相手が相槌をうちます。そして今度はその人の家のことになり、話はどんどんエスカレートしていきます。
顔が見えない人のことであり、聞く方は面白い。そしてつい「ああそやな」とうなずく私です。
 同じようなことを思っている人が周囲に隣にいることに何かほっと安心します。
 
 本音がこぼれるという言い方をします。こぼれるんです。おさえてもこばれるんです。
南無阿弥陀仏のお念仏です。お念仏がこぼれるといいます。こぼれるお念仏です。
 
 こぼれるということについて、皆さんはどんなことを想像しますか。
コップに水を注ぎ続けるとこぼれますね。
コップの容器自体がもう決まっていますから、決まった以上に注ぎ込まれる水は自ずとこぼれます。
蓋をしない限りこぼれ出ます。
 
 お念仏もそうです。阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のお名号のおはたらきです。
「まかせよ救う」のおはたらきがずっとずっと以前よりこの私の身にそそぎ込まれてあるのです。
諸仏諸菩薩もお念仏のお徳をほめたたえてお念仏をそそぎ込まれてあります。
 「おまかせします」と疑いの蓋が取られ阿弥陀さまのおはたらきにまかすところに
お念仏は満ち満ちてくださりそしてあふれるのです。お念仏がこぼれます。
 
 お念仏は私が申そうと力を入れて申したお念仏ではなくて本音のお念仏がふっと出てくださるのです。
阿弥陀さまの本音です。阿弥陀さまの真実まことがでてくださるのです。
 
 南無阿弥陀仏のご縁に遇うなかにナンマンダブツとお念仏申させていただきます。
隣の方も隣の方もお念仏を申すなかにお念仏申させていただくのです。
 私一人だけではなく隣の人も隣の人もみんな一緒にお念仏申させていただくなかに、大いなる安心です。
お念仏がこぼれます。阿弥陀さまのおはたらきに疑いの蓋をするのではなくそのまままかせてこぼれるままでいいのです。
 ご縁ご縁にお念仏を申して今日の一日も過ごさせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.16)

仏さまのご縁をいただいていよいよいのちつながっていきます

2018-05-15
 過疎の地域のお寺さんのお話です。一件お葬式ができると一軒門徒が減ると言われます。
一人暮らしのおじいちゃんおばあちゃんが亡くなって、
若い方子どもさんがいないことはないけれども遠方で家庭をもっていてお寺とのご縁が切れてしまうということです。
 
 これは過疎の地域のことばかりではありません。
私たちのところでも一人暮らしの高齢世帯が増えて、これから同じような事態が多くなることが予想されます。
 
 昨日一人暮らしのご門徒さんがお亡くなりになりました。
子どもさんご親族もいらっしゃいますが、ご事情があってお家のお仏壇やお墓を誰が守るのか
これからのご相談になりますが、一軒ご門徒が減るということです。
 
 ただ私たちの南無阿弥陀仏のご法義はこの命終わるというご縁でつながるご縁といただけるのです。
縁が切れるのではなくいよいよつながるというのがお念仏のご法義なのです。
 仏さまのつながりです。
親子とか夫婦とか兄弟とか親族とか、そうした私たちの人間関係の縁を支えてくださるご縁とでもいいましょうか。
 仏さまのご縁でいったら今日お参りの皆さんともみんなつながっています。
そのご縁つながりの中心に阿弥陀如来という仏さまをいただくという教えです。
南無阿弥陀仏のご法義を聞かせていただく尊いご縁なのです。
 
 悲しみのご縁ですが、初めて仏さまのご縁に遇うという人もたくさんいるのではないでしょうか。
早い遅いではありません。今こそ仏さまのご縁をいただきましょう。
 どうか阿弥陀さまのお救いの法を聞いてくれよ、お念仏を申す身になってくれよという仏さまのお心をいっぱいいただいて今日はお通夜、明日はお葬式です。精いっぱいお勤めさせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.15)

納骨する日って決まっていますか?

2018-05-14
 今朝は雨上がりということもあって、朝日がぱーっと光り輝いて気持ちいい朝を迎えました。
 
 昨日は四十九日満中陰のご縁がありました。いつもはお勤めの後に納骨をさせていただいています。
ちょうど雨が降っていました。お家の方から「雨が降っていますが、納骨しますか」と聞かれました。
何かその様子雰囲気がちょっと気になってお話を聞きましたら「今日納骨しないといけませんか」と言われました。
 
 いつ納骨するか、決まりはありません。
49日間の中陰の期間、お仏壇の横に法名(位牌)とご遺影そしてお遺骨をご安置して七日七日のお勤めをします。
そして49日を迎える満中陰のご縁に親戚有縁の皆さんも一緒にお勤めをして、その後納骨することが多くあります。
 
 ただこのたびのご縁は、急に大切な方がお亡くなりになったということです。
今まで当たり前のように一緒に暮らしていた家族が生活の場から急にいなくなったということです。
心の整理がつかないというか、大切な人の死を受け入れられないというか
人の命を終えてその懐かしいお姿に会うことはかないませんが、遺骨というかたちが残っているということで
もう少しお家にご安置して一緒に生活したいということなのでしょう。
 
 納骨すると仏間の様子が平生に戻ります。大きな節目のご縁として、平生の生活に戻るということですが
それがそのまま死を受け入れることになるかというと、難しい。
 ご遺族の方にとってはいろいろと思い返すこともあると思いますし、これでこうだと思いきることはできません。
 
 それではいつ納骨するかということで、私の方からお盆前にはしましょうと提案しました。
というのは、どこかで納骨しないとそれこそいつまでもということで
これまでにも10年ぐらいずっと床の間にお遺骨をご安置していたお家がありました。
 
 墓地や納骨堂といった納めるところに納めたらいいのです。
そしてお墓にお参りして先に往かれたお方に会いに行けばいいと思います。
 
 凡夫の情です。こうなんですよこうしなさいと言わてもそのまま受け入れるには、時間もかかります。
時間がかかってもどこかで決めなければなりません。
 
 南無阿弥陀仏のご法義は人と人との別れはあっても、仏さまとなってずっとこれからもつながっていくというご法義です。ナンマンダブツとお念仏を申すところに先に往かれた大切なお方が仏さまとなって
私といつも一緒に生きてくださってあると聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.14)

母の日参りいたしましょう

2018-05-13
 今日は5月の第2日曜日、母の日です。
1908年5月10日にアメリカのアンナ・ジャービスという女性が亡くなられたお母さんの追悼会をされた
ことから始まったと言われます。110年前のことです。
 
 いつの頃からか日本に入って来て母の日にはお母さんにカーネーションを贈るような習慣ができました。
赤いカーネーションですが、早くお母さんとお別れした子どもには白いカーネーションをとも言われました。
 
 この母の日に因んで、あるお寺さんと関係業者がコラボして「母の日参り」ということを提唱しています。
母の日にお墓にお参りしましょうというのです。
 
 皆さんのなかには元気なお母さんもいらっしゃいますが、
この年代になりますと、先に逝かれたお母さんが多いのではないでしょうか。
 母の日はどうしていますか。お仏壇に白いカーネーションをお供えしていますか。
 
 お母さんは今どこに行ってらっしゃるのでしょうか。先に逝かれたお母さんにどこに会いに行けばいいのでしょうか。
お墓参りが提唱されるということでは、一つはお墓ですね。お墓にはお母さんのお遺骨がご安置されています。
 
 そしてお寺です。浄土真宗のお寺のお内陣、お仏壇は阿弥陀さまのお浄土を表します。
かといって、お寺がお浄土ではありません。お寺はお浄土の入り口、お寺参りがお浄土参りといただきます。
 
 円光寺ではお葬式の後火葬されてお遺骨をお供してお寺にお参りしていただきます。長年の習わしです。
還骨のお勤めをします。お遺骨となってお寺に還ります。
 
 住職がお遺骨を抱きかかえてお浄土を表すお内陣の中心阿弥陀さまの真横にご安置します。
いつもお遺骨をお内陣にご安置しているわけではありません。
浄土真宗のお寺にお参りするとお遺骨やお位牌がいっぱいあるということではありません。
還骨の時だけの特別なことです。
 
 阿弥陀さまの横にご安置するというのは
先に往かれた方は阿弥陀さまのお浄土にお参りされてこれからはいつも阿弥陀さまのおそばにいらっしゃるということです。
 
 この目には見えませんが、阿弥陀さまのお浄土にお参りされているといただいて
お浄土のお母さんの仏さまに会いにお寺に参りさせていただくのです。
 
 お墓参りもいいです。お家のお仏壇にお参りをするのもいいです。
お参りするところがある、手を合わせお念仏申してお礼ができるところがあるという有難さです。
仏さまがそういう処をつくってくださったということです。
そしてお母さんのことをいっぱいいっぱい思うてください。
 
 母の日はお母さんに感謝をする日といいます。
感謝するんだったら母の日だけでなくて毎日感謝していいんですが
平生いつもは自分のことで精いっぱい生きることで精いっぱいの私ですから
この日は特別と日を決めて、お寺にお墓にお家のお仏壇にお参りしましょう。
 お仏壇に手を合わせてお花をお供えしてお母さんの仏さまを偲び感謝のお念仏を申しお礼をさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.13)

仏さまのご縁に遇わせていただく

2018-05-12
 昨日一昨日と平日ですが、ご法事がありました。
祥月命日のご縁で、お参りの方も極々身近な方でした。
 
 お勤めの後お茶をいただきます。お茶をいただきながらお話になります。
お坊さんが一方的に話すのではなくお互いに話し合うということです。
 
 お話を聞きながら二軒のお家ともいつもと様子が違うように感じました。
いつも元気におしゃべりされる方が少し落ち込んでいるというか、ちょっと自嘲気味にお話されるので
「どうかしましたか」とお聞きしましたら
一軒の方は最近お姉さんが短期間の療養で亡くなられたと言われ
もう一軒の方は昨日年下の元同僚のお葬式だったというお話です。
 
 それぞれ60代70代の方ですが、身近な親族や友だちが亡くなるということで、自分自身のことを重ねて思うんですね。
この命です。いつまでも若く健康でいられたらいいんですが、そうはいかない。
そのことは知っています。いずれはこの命を終えていかねばならないということです。
ただ有縁の人の死をどう受け止めていいのか、わからない、受け入れたくない私がいます。
 
 悲しみのご縁ですが仏法聴聞のご縁といただきましょうとお話しました。
私たちの仏さま、阿弥陀如来さまは「いつでもどこでも私が一緒ですよ。
必ずあなたを救いますから私の名を称えて聞いてください」とおはたらきの仏さまに成ってくださいました。
 
 平生いつでも称えられるお念仏のご縁ですが、
私たちは日々の生活にずっと追われるように人生を過ごしてまいりました。
 この人生、いつまであるのかわかりません。今日かも明日かもわかりません。
わからないからこそ今このご縁に聞かせていただくことが大事なのです。
 
 ご法事のご縁をいただきました。仏さまからいただく仏さまのご縁です。
阿弥陀さまのご縁ですが、私の身近な仏さま、ご先祖有縁の仏さまからいただけるということです。
この命の行く先、この命のあり様を聞かせていただく仏さまの尊いご縁に遇わせていただきます。
 
 もちろん今日のお朝事のご縁も仏さまのご縁であります。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.5.12)
円光寺
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