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お念仏を申す生活法話

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どのように死んでいくのか

2018-06-05
 特別養護老人ホームにお勤めのベテランのお医者さんのお話です。
400人収容のホームで年間60人ほどの方を看取るということですが
特別な延命治療をしないで、治療を受けたい人は病院に移ってもらうといいます。
 
 人間最期は食欲がなくなり口から食べ物が入らなくなって大体10日ぐらいで亡くなるといわれます。老衰です。
病院での治療は食べないから死ぬということで栄養剤などを体に入れて治療を尽くします。
 栄養剤で命を永らえる治療はできますが、ずっと生き続けることができるかというと
いつか必ずこの命を終えていかねばなりません。
 
 患者さんの側からいうと、栄養剤を入れられてかえって苦しむといいます。
家族や周りの者は「もうちょっともうちょっと、頑張って頑張って」ということですが
食べられなくなるというのは、身体がもう食べなくてもいいと欲することだというんです。
食べたいのではなくて食べなくてもいいと身体はいっているといいます。
 
 こんなお話を思い出します。
この身体は借りものだというお話です。
ところが私たちはこの身体は自分のものだとして、特に若い頃はこの身体を我が物顔に酷使してきたというんです。
少々体調が思わしくないときも仕事に勉強にと頑張れ頑張れと身体にムチ打って生きてきたということです。
無理をしてきました。無理をしてこれからもずっと頑張れるかというと頑張れないんですね。
最後は力なくして終わるのです。
 
 人間死にます。私のことです。考えたくないことですが
命終わるということは借りもののこの身体を返すことだと考えると少し楽になりましたといわれます。
 
 先ほどのお話と通じるところがあります。
私たちは自然にあるがままに生きたいと言いながら、ああやこうやと欲が出て自分の思い通りに生きたいと頑張ります。
 食べたいという欲です。
ところが食べたいという欲もなくなり、もういいよと身体が言ってスーッと静かに老衰です。
 
 食べないと身体は衰弱して最後は息絶えます。
それこそ30年40年ほど前までは家で亡くなる方が多かったですね。
自然に老衰といわれる死でした。
 ところが今は病院で死ぬ人が殆どで、家族であっても身近な人の死に会うことが難しいといわれます。
人が死ぬということに慣れていないから、人の死が怖いといいます。
実は私のことなのですが、私たちの日常生活は死を遠ざけたものになってしまっています。
 
 今は医療が発達して色んな病気の治療ができるようになりました。
でもどんなに医療をつくしても最後の最期はみんな命終わっていくのです。
 
 どのように死んでいくのか。
生き方も人それぞれなら、死に方も人それぞれです。その人が生きたように死んでいくといわれます。
 阿弥陀さまのご本願のお救いの法に聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.5)

すべては仏さまのご縁です

2018-06-04
 昨日は円光寺長期振興計画の各地区門徒説明会ということで三区と一区で会をもちました。
総代さんと一緒に出席しました。
 日頃住職として法事や月参りの法務でご門徒皆さんとは面識がありますが
総代さんにとっては初めて会うご門徒さんもいらっしゃいます。
 
 日曜日の時間皆さんにお集まりいただいて本当に有難いことです。
お寺のことを思うお心一つでご出席いただいたことです。
 
 三区は公民館での開催でしたが、ご本尊の阿弥陀さまをご安置した小さなお仏壇をお供して参りました。
会の始まりそして最後に皆さんご一緒に阿弥陀さまにお礼をさせていただきます。
 このお朝事のご縁もすべてそうです。仏さまのご縁です。
 
 仏さまのご縁につながった私たちですが、皆さんそれぞれ生活ぶりが違います。
ものの考え方も違うなかで、お寺のことを一緒にこうしていきましょうというお話です。
 互いにこうやないああやないと自分勝手に言い合うことではありません。
ご本尊を中心にした会です。
皆さんのご意見を聞かせていただいてより良い方向にこれからのお寺のあり方を考えてまいりましょうということです。
 
 お寺の護持といいます。お寺を護るといっていろんな意味があります。
この目に見えることでいえば、この本堂や建物のことです。
ずっとこのままでより良くなればいいんですが、年月が経つと傷んできます、悪い箇所が多くなります
修繕をしないといけません、建て直すことを考える時もきます、というお話です。
 
 経費が掛かります。ご門徒皆さんで護持するお寺ですから、ご門徒皆さんにご懇志をお願いすることになります。
目に見える形で大変な問題ですが、ご門徒皆さんが心を一つにして同じ方向に向かっていきましょうということです。
 
 出席された方からこれからのお寺のあり方についていろんなご提案もいただきました。
これまでにも何かの会で話題になったことですが、話がいいところまで行っては次の一歩がでないことが多くあります。
ご門徒皆さんと日頃からこうしたお話をする機会がありませんが、何か背中を押してもらったようで大変有難かったです。
 
 ご門徒皆さんからいろんなご意見を聞かせていただいて思うのは、これは仏さまのご縁だなということです。
有難いご縁をいただきました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.4)

早寝早起きお朝事参り

2018-06-03
 朝が早く明るくさわやかになりました。
早起きの効用といいます。
昔の人は早起きは三文の徳といって、金を払ってでも早起きをしなさいと勧められました。
 
 早起きすると自分の世界が広がるといいます。
自分の世界といっていつも自分の世界を生きているようですが
みんなが目覚める日中は人に会うこともありしなければならない用事もたくさんあります。
 家にいてもテレビやラジオの音がいっぱいで
私たちの日常は騒音のなかで日暮ししているといっていいほど音であふれています。
 ちょっと早起きすると、静かな静寂のなかに身をおけ私の時間をいただけます。
 
 では早起きするにはどうしたらいいのかというと、早寝をしなさいといわれます。
早寝をすると遅くまでお酒を飲んだり食事をしたりすることがなくなり規則正しい生活ができるといいます。
 
 ただ早く目が覚めても、もう少しもう少しと布団の中にくるまっていたいものです。
ぱっと起き上がって次の行動をとるのが中々難しい。
 そこで何か早起きしてする自分の目標を決めるといいといわれるのです。
人からこうしなさいと言われることではなく、自ら目標を決めると早起きができるといいます。
 
 このお朝事のご縁を皆さんはどのようにいただいていますか。
私はお朝事のご縁があって決まった時間に早起きができます。
本来なまくらな性格ですが、皆さんがお参りされるということで、早起きしてお朝事の準備を整えます。
 
 早起きして心身を整える、整えさせていただけるというのが、このお朝事の効用だと思います。
心身を整えて今日の一日をスタートさせていただきます。
 今日の一日もいろんなことがあります。人それぞれの生活ぶりです。
そしてまた明日何か繰り返しのようですが、新しい朝を迎え皆さんご一緒にお朝事のご縁に遇うことができるのです。
 
 そういう私たちの日々の日暮しがあって、私たちの人生がいただけているんだなと有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.3)

王さんの結婚

2018-06-02
 王貞治さんが結婚されたということです。
78歳で、大分前に奥さんが亡くなり、その後胃を摘出する大手術をして
その頃から身の回りのお世話をしてくれていた60歳の一般の女性の方との再婚だそうです。
 
 素敵なことですね。コメントに「これからお互いに歳をとっていきますが、支え合っていきたいと思います」と。
そうですね。世界の王とよばれるスーパーマンも自分一人で生きていくことはできません。
それはお互いのことですが、支えられて生きているということなのです。
 
 王さんだけではありません。私たちがそうなんですね。
夫婦という関係でいつも何か当たり前にできていることも
一方が用事で一人暮らしを余儀なくされたときなど身をもって不自由を感じ、当たり前の有難さに気づかされます。
 それは夫婦だけのことではなく家族であったり友だちであったり、日頃の人と人とのつながりのなかで思うことです。
 
 その思うことが思い通りにできなくなるというのが歳をとるということです。
ただ歳をとるといって悪いことではありません。
歳をとって初めて気づかされるのが、人と人との縁ということです。
 
 私たちのご法義に引き寄せて言うならば仏さまのご縁です。
仏さまのご縁をいただく、仏法を聞かせていただきます。
 若いうちはやっぱり難しいですね。
仕事もあるし何でも自分のしたいことはいっぱいあるということで、まず仏法を聞く気になりません。
 
 しかし歳をとっていくなかで病むことが多くなってきます。
今まで感じなかった不安や迷いが生まれます。
 仏法に遇うご縁なのですが、これが中々難しい。
それこそ仏法を聞かずじまいに命終えていく人がたくさんいます。
 
 今皆さんは御仏前に座っています。仏さまのご縁をいただいています。
ただこのご縁に遇うまで色々ありましたね。時間もかかりましたが
前にお立ちの阿弥陀さまはこの私を喚び通しに喚び続けられずっとずっと待っていてくださったのです。
 
 そのお心を聞かせていただくなかで、どうぞ皆さんの隣の方隣の方に声かけをしてまいりましょう。
ご縁いただこう、ご縁いただこう、一緒にいこうねと。
 ご縁いただくなかに今まで見えなかったことが見えてくる気づかなかったことに気づかされて
人間に生まれてよかったと生きていき命終えて阿弥陀さまのお浄土に生まれて
仏さまに成らせていただくと聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.2)

新しい月の初め、気持ち新たに始めましょう

2018-06-01
 6月になりました。今朝6時の梵鐘をついていましたら、朝日がもうすでに空高く上がっていました。
光あふれるなかに今日の一日を始めさせていただきます。
 
 今年は早々に梅雨に入りました。6月は水無月といって、水が無いと書きます。
これは旧暦のよび名で、雨が少ないことをいうのでしょうが、いよいよこれから梅雨本番です。
 
 雨が続くと何か気分もうっとうしくなります。雨は往々にして嫌われ者です。
ただ雨が降らないと水不足が心配になります。水がないと私たちの生活は成り立ってはいきません。
 私たちが住んでいる地球を水の惑星というぐらいです。
水は私たちのいのちそのものであり、この身体の大部分が水でできているのです。
 
 太陽であり水であり、大自然の恵みをいっぱいいただいて、今日の一日を始めます。
6月に入りもう一年の半分近く過ぎたのか、本当に早いなと、同じようなことの繰り返しの生活を思いますが
ここは月が新しくなってまた気持ちも新たに生活を始めようということです。
 
 新しい月の初め、気持ち新たに今日の一日を始めましょう。
皆さんとご一緒にお朝事のお勤めをさせていただく有難さを思います。
 毎日の繰り返しのようですが、日々これ新たにお勤めさせていただき一日を始めます。
いろんなことがある毎日ですが、また毎朝お朝事のご縁にかえってこれます。
そしてまた皆さんとご一緒にお勤めさせていただけます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.1)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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