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お念仏を申す生活法話

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子や孫の世代に伝えていくもの

2018-06-15
 昨日は大海組の総代研修会がありました。大海組発行の「葬儀のしおり」の普及と徹底というテーマでした。
話し合い法座をもちました。私たちの班は6人の総代さんで70代から80代前半の方々でした。
 
 日頃子どもや孫とどういう会話をしていますかと話を聞きました。
核家族で同居より別居のお家が多く、遠く離れて遠方にいたりすぐ近くにいる方もさまざまですが
中々子どもや孫に接する機会がなく、孫が中学高校生にもなると話をするのも難しいということでした。
 
 そうした日々のつながりのなかで葬儀のしおりだけでなくお念仏のご法義をどう子や孫に伝えていくかです。
ご講師の先生からは後ろ姿が大事だというお話がありました。
子や孫はじいちゃんばあちゃんの後ろ姿を見ていないようでちゃんと見ているということです。
 
 昨日出席されていた総代さんも、今はお寺のお世話を率先してしてくださっていますが
子どもの頃若い時分はどうだったでしょうか。
仏教のことにどれだけ関心があったでしょうか。お寺との関係はどうでしたでしょうか。
 
 お寺参りの年頃です。親の後ろ姿を見るなかで自分がそういう年頃になっていくのです。
ただいい年頃になっても仏さまのご縁をいただくということは本当に難しいことです。
 
 話し合いの中でもう一つ、6人のうちの2人の方が娘さんはいるが他家に嫁いでいるということで
自分が亡くなった後のことを心配されていました。
 
 お葬式は浄土真宗でしてくれると思うけれども、嫁いだ先のお家の宗教もあって
後に残ったお仏壇やお墓をどうするのか、だれが見ていくのかということです。
 こうした問題はこれからたくさん寄せられてくるといます。
 
 一つこういうことで決めてということではありません。
その人その人そのお家お家でお話をさせていただくことが益々大事になってきます。
 
 私たちの中心、南無阿弥陀仏の仏さまのみ教えに聞かせていただくことです。
これといって私の思い通りになるということは難しいです。
 「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏の大きなおはたらきにおまかせするなかに
私はこの命終えていきますが、子や孫の次の世代にお念仏のみ教えが確かに伝わっていくように
私にできる精いっぱいのことをさせていただきたいと思いました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.15)

お念仏の鏡を見ましょう

2018-06-14
 「経教はこれを喩ふるに鏡のごとし」と中国の善導さまがおっしゃっています。
経教とは仏法、仏さまのみ教えのことで鏡のようなものであるとお示しです。
 
 皆さん今日鏡を見ましたか。
私のことでいいますと、朝起きて洗面をするのに鏡を見ます。
外に出かけるときは特に気をつけて鏡を見ます。
髪の毛が乱れてないか何か顔についていないかなど、鏡に映った私の姿を見てチェックします。
 
 仏法を聞くというのもちょうど鏡を見るようなものだといわれるのです。
仏法を聞くといって、教えの内容を理解し覚えるということでは本当に仏法を聞いたことにはなりません。
仏法を聞けば聞くほど私のありのままの姿が見えてくるといいます。
 
 仏法という鏡に映し出される私の姿とはどんな姿なのでしょう。
親鸞聖人は煩悩具足の凡夫と阿弥陀さまから見抜かれ知らされたといわれます。
朝から晩まで自分中心の心から離れられず、煩悩に振り回されて生きている愚かな私の姿です。
 
 阿弥陀さまは愚かな私を知らせてそのまま救うとおはたらきなのです。
仏法の鏡に映し出された私の姿を見るということは、そこに既に仏法の鏡があるということです。
鏡があるからこそ鏡によってありのままの私の姿を見せてもらえるのです。
 
 では仏法の鏡を見る、仏さまのみ教えを聞くといって
お寺にお参りしないと仏法聴聞のご縁がないとみ教えに遇えないのかといったら
いつでもどこでもお念仏の鏡を見ることができるのです。
 
 電車のなかで女性が鏡を取り出してお化粧している姿を時どき見かけます。
携帯用の鏡をいつももっているんですね。
 
 私たちにもいつも携帯用の鏡が備わってあります。南無阿弥陀仏のお念仏の鏡です。
ナンマンダブツとお念仏を申すそのままにナンマンダブツが聞こえてきます。
南無阿弥陀仏のお心をそのまま聞かせていただきます。
 ありのままの私の姿をそのまま見せてくださり、愚かな凡夫と知らせてくれてそのまま救うてくださるおはたらきです。
 
 今日の御文章さま『機法一体の章』のお心です。
機というのは私のこと、法は仏法です。
 阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のおはたらきに遇って救われようのない私が救われていくのです。
阿弥陀さまがこの私を目当てにいつでもどこでもご一緒なのだといただきます。
 
 お念仏を申して仏法の鏡に映し出される私の姿を見させていただきながら、お浄土への人生を歩ませていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.14)

米朝首脳会談

2018-06-13
 昨日はシンガポールで米朝首脳会談がありました。世界中が注目するなか一日中その話題でいっぱいでした。
米朝首脳です。トランプ大統領と金委員長、アメリカ北朝鮮を代表するトップが直接会って話をされました。
 
 国のトップ同士の会談ですからそれぞれの国益をはかるものですが
今回はそれ以上に世界の安全保障に重大な影響を及ぼすということで大きな関心をよびました。
 
 互いに相手を褒め合い会談の成功が大きく強調されていますが、どうでしょう。
トランプ大統領、金委員長ともに人物像が分からないところも多く、具体的な成果はこれからのことということです。
 
 トランプ大統領はビジネスマンらしく損得勘定をもって内政外交に取り組んでいます。
大変分かりやすい政治手法ですが、自国アメリカの損得を中心にすることで、外国との摩擦が生じています。
 一方金委員長は謎に包まれた北朝鮮の最高権力者でこれまで反体制者を次々に粛清していくなど独裁者と見られています。
核実験とミサイル発射を繰り返し今や世界の脅威とまでいわれています。
 
 その二人が初めて会っての今回の会談ですが
両者の思惑はそれぞれで、トランプ大統領は世界の平和に貢献することで存在感を強固なものにし
一方金委員長は北朝鮮の現体制の保証を求めています。
 体制保証といって、我が身の保障です。
国の内外でこれまでにしてきたことで身の危険を感じるような思い当たることがあるのでしょう。
 
 国の政治はその国に暮らす人々のためにあるものです。
国のトップは国民の幸せを思い平和な国づくりに尽くします。
 誰もが本当に仲良く暮らせる社会に生きたいのですが、自分だけのこと自国だけのことを考えると中々うまくいきません。
そこで政治です。経済、安全保障など多角的見地から他国と交渉して自国の利益をはかるのです。
 
 私たちの社会のあり様はさまざまな人によって構成されています。
自分一人で生きているわけではなく、互いに支え合って生きているのです。
 ただどこまでも私たちは自分を中心に物事を考え、自分の思い通りになることを願います。
善いとか悪いという問題ではなく、みんな自分を中心に生きています。
 
 この自分中心の思いが強くなればなるほど、自分の思い通りにならないことに腹を立て怒り
思い通りにならない他者を排除しようとする行動にまでなります。
 国と国との関係でいえば、その行く先が戦争です。
 
 トランプ流の損得勘定でいうと戦争ほど馬鹿らしいものはありません。
戦争は損ばかりで得はありません。破壊と建設の連鎖です。莫大なお金がかかります。本当にもったいないことです。 
 金委員長も戦争は望まないはずです。戦争は我が身を破滅させることだと知っているからです。
 
 一番大事に考えなければならないことはこの世界にそれぞれの国々に生きている人たちのことです。
 
 私たちの仏法です。阿弥陀さまのみ教えはあなた一人を救うというみ教えです。
あなた一人に向き合い、あなたのことをいつでもどこでも大事に思うているよ、必ず救うと南無阿弥陀仏とおはたらきです。
 
 あなたが救われなかったら私は仏にならないと誓われ、救いの法を成就されたお心を聞かせていただくなかに
私たちが共に生きるこの社会のなかで私にできる精いっぱいのことをさせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.13)

お念仏の見守り隊

2018-06-12
 昨日は新院が留守で代わって月参りをさせていただきました。
月参りに行きますとお家の方とお話になります。何とも有難いご縁だなと思います。
 玄関で「ごめんください」と言ってそのままフリーパスでお仏間に向います。
そしてお仏壇の前に座りお灯明をあげお線香をたいてお勤めを始めます。後ろでお家の方もご一緒です。
お勤めの後お茶をいただきながらお話になります。
 
 一人暮らしの高齢者の見守りがいわれています。これから増々独居世帯が増えてまいります。
地域でいろんな見守り活動がされているようです。
 企業の協力もあって定期的に飲料物を届ける際に声かけをして安否を確認するといったことも報じられています。
 
 それ以上にこの月参りのご縁は直接安否が確認できお話ができるということです。
世間話ですが、仏さまのご縁ということです。
 僧衣をつけさせていただいているということです。お家の方もお念珠をもち式章をつけられていることもあります。
そしてその中心にお仏壇をいただいているということなのです。
 
 阿弥陀さまのお念仏のご法義に私もあなたもご一緒に遇わせていただいているということに安心できます。
安心していろんなお話になります。それこそ他の場所で他の人にはお話できないことも
仏さまの前だからこそ僧衣をつけている者にそうしたお話もできるのではないでしょうか。
 
 苦しみ悩みといって、中々親しい人にも言い出せないものです。一人で悩みを抱え込むということにもなります。
苦しみ悩みをふっと漏らす、愚痴をこぼせる場所が実はこの仏さまの御前なのです。
「いいよいいよ、あなたの思いのたけをどうぞ私に聞かせておくれ」と阿弥陀さまは胸を開いて促してくださいます。
その阿弥陀さまの大きなお心おはたらきに包まれて、私たちはお念仏を申して生きていけるのです。
 
 あらためてお念仏のご法義のすばらしさ、先人がつくってくださった月参りのご縁の有難さを思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.12)

お念仏申して一つになれる

2018-06-11
 昨日は朝から仏教壮年会の例会、午前中は玖珠の光林寺さんの仏教婦人会の皆さんがお寺にお参りになりました。
お昼からは円光寺の長期振興計画の説明会を二区と四区でもちました。
 
 昨日は述べ約90人の方とお会いしたということです。
それぞれの皆さんです。
 玖珠の方は初めてお会いした人が殆どです。ご門徒の方でも久しぶりにお会いした人もいらっしゃいました。
いつものお同行という皆さんもいらっしゃいました。
 
 そういうなかであらためて思うのは、初めてお会いをするという方もつながってあるということです。
もっというと、皆さんお念仏のお仲間、お友だちという言い方ができるのです。
 
 遠見公民館での四区の説明会ではご本尊の阿弥陀さまをお供しました。
会の初めに合掌礼拝お念仏申し、閉会にもまた合掌礼拝お念仏申して終わりました。
 南無阿弥陀仏でつながっているのです。
ここは大事なことで、それこそ90人いますとみんなそれぞれ顔が違います。生活ぶりが違います。
昨日の説明会でいったらいろんな意見がでます。皆さんそれぞれものの見方考え方が違うんです。
 でもそういう違いをこえて一つになれるという世界をいただくのが私たちのご法義なのです。
本当にすごいこと、有難いことだと思います。
 
 逆に私が私がといってどこまでも自分を中心に生きていたらそれこそ最後は独りぼっちです。
ただ私たちは経験値といって、これまで積み重ねてきたいろんな経験をもとに
周りの人に付いたり離れたりしながらああやこうやとやってきているわけですが
一つまかせる依りどころをいただくことの大事さがここにあると思います。
 
 ナンマンダブツ、お念仏を申すというなかに私たちは一つになれるのです。
初めて会った人も一つになれる。いやもう既に一つにつながっていたということなのです。
 
 このお朝事のご縁です。お念仏申して一つになってそれぞれの生活を始めさせていただきます。
お念仏申す生活です。今日は月曜日、新たな一週間を始めさせていただましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.6.11)
円光寺
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