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お念仏を申す生活法話

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今年もサマースクールが始まります。

2018-07-31
 今日明日とサマースクールです。今年もたくさんの子どもたちが申し込まれています。
昨日の夕方電話があって、今からでもサマースクールの申し込みができますかということでした。
この二日間で4件の申し込みがありました。
保険の関係とかあって一週間前の24日までに申し込みしてくださいと文書でご案内していることですが…
 
 昨日はお祖父ちゃんからの電話でした。お孫さんが一緒に住んでいるのか遊びに来ているのかわかりませんが
友だち同士の話で円光寺のサマースクールのことが話題になったのでしょう。
友だちも楽しみにして行くということで、僕も行きたいなあと家に帰って相談したんでしょうね。
それで無理は承知で聞くだけ聞いてみろうとお祖父ちゃんから電話があったのではと想います。
 
 この人間社会は約束事で成り立っていますから、締切を決めておかないと社会は円滑にまわっていきません。
お役所仕事は最たるもので締め切りを過ぎたら事務的に駄目ですと一切の例外を許しません。
 
 ただ私たちの日常、人と人との関係では事務的にならざるをえないこともありますが
約束事を忘れるということもあって、できることはさせていただくという寛容さも人間関係を保つうえで大事なことです。
 
 昨日の子どもさん、友だちと一緒にサマースクールに行けることになって嬉しかったと思います。
サマースクールがこれからの人生で大きな思い出になってくれればと思います。
 
 ご縁です。仏さまのご縁です。ご縁をいただけよと言われます。
ご縁をいただけよと言うのは、中々ご縁をいただけないのがこのご縁なのです。
 そういうなかでサマースクールという仏さまのご縁をいただきます。
これからの人生の歩みの中で、お寺のサマースクールで友だちみんなと一緒に本堂に寝泊まりして生活した
阿弥陀さまという仏さまのお話を聞き仏さまに手を合わせてナマンダブナマンダブナマンダブとお念仏を申したと
思い出してもらえればと思います。
 
 今は日々の生活の中で手を合わすことがどれだけあるでしょうか。
サマースクールでは仏さまにお念仏申すとき、食事の時に何度も手を合わせてお礼をします。
 これからの生活の中でお家にお仏壇がなくても食事の時に手を合わせて
「いただきます」「ごちそうさま」「ありがとう」と言える人になってほしいと思います。
 
 そんな願いをもって今年もサマースクールを行います。
酷暑の中です。多くの人が集まるといろんなことがあると思いますが、すてきなサマースクールになるように
ご門徒皆さんにもお手伝いをお願いしたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.31)

お仏壇のある生活

2018-07-30
 今は核家族という家族の形態が一般的になっています。
親の家、子どもの家、孫の家とそれぞれの世代が違う家に暮らしています。
 元々家というのは一つでそこに三世代四世代の大家族が一緒に生活していました。
その家にはお仏壇があったというお話です。
生まれて気がついたらお仏壇がお家の中心にあったということです。
そのお仏壇におじいちゃんおばあちゃんはじめ家族みんながお参りし手を合わせていました。
 
 ところが今は核家族でお仏壇のないお家で生まれ育つ子どもさんが増えてきました。
お仏壇のないお家が当たり前になってきました。お仏壇がありませんから手を合わすこともありません。
 
 そしておじいちゃんおばあちゃんが亡くなってお家にあったお仏壇をどうするかという問題が起こってきます。
子どもが引き継いでいくということですが、子どものお家にお仏壇を移さなければいけません。
 そのままそのお仏壇を移せばいいのですが、そのお家の事情によって移す場所がない事態にもなります。
そのお家に合うようにお仏壇を新調することもあるでしょうが、お仏壇は必要なのかという問いがでてきます。
 
 皆さんが一般的にいただいているお仏壇はご先祖をおまつりするところだと思います。
ご先祖は大事にしないといけないお仏壇をご安置して大事にしないといけないということですが
ご先祖に対する意識が段々と薄くなってきているように思います。
 
 私たちの仏教浄土真宗のお仏壇は阿弥陀さまのお家お浄土を表します。
阿弥陀さまをご安置するお仏壇がお家の中心にあるということです。
そのお家に日暮しする家族の中心、心の依りどころがお仏壇なのです。
 
 お家に亡くなった方がいないからお仏壇は要らないとか言われますが
私が住まいするところにお仏壇をご安置して心の依りどころとするならば、どのお家にもお仏壇があってもいいのです。
 
 ただこれはどうも理屈にしか聞こえないようです。
やはりご先祖のお仏壇ということです。
 名前も知らない会ったこともないご先祖がいてこの私がいるということ
私のいのちの恩人のご先祖が代々送ってこられた大事なものがお仏壇といただかれたらどうでしょうか。
 
 お仏壇の大きさはそのお家お家に合わせていけばよいと思います。
阿弥陀さまのお仏壇をお家の中心にご安置して家族がこの私が手を合わすところをつくってくださったということです。
私が必要か必要でないとかいうことではなく、お仏壇は仏さまからいただいた大事な大事な宝ものなのです。
 お仏壇に手を合わせお礼をさせていただくなかに今日の一日も過ごさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.30)

西から東へ東から西へ

2018-07-29
 台風が来ています。今度の台風12号は今までの台風と全く違うといわれます。
私の中にある台風のイメージは鹿児島に上陸して九州そして日本列島を西から東へ縦断するコースをとるものです。
ところが今回の台風は西から東ではなく東から西へ進路をとって「今までの経験が役に立ちません」とまでいわれます。
 
 どういうことでしょうか。
今までの台風は上陸すると次第に勢力も弱まり速度を速めてそのまま東に進み台風一過は一変晴れ渡ります。
ところが東から西へと逆に進む今回経験する台風は上陸しても速度は速くならずまさに逆行するわけです。
そして台風一過はまだ風も強く雨も残って要注意ということです。
 
 今年は30年に一度とか50年に一度経験するようなという大雨警報が何度も何度もでました。
今までに経験したことがない、これまでの経験が役に立たないということで最大限の注意を促しているのですが
私たちは中々自分のことと受け止めることができず、今までの経験値から自分なりの判断をして
その結果大きな災害を被るということになってしまいます。
 
 話は変わりますが、西から東へということで仏教の歴史を思います。
お釈迦さまのインドから始まってシルクロードを通り中国朝鮮半島を経て仏教が日本に入ってきます。
今はアメリカやヨーロッパにも伝わっていっています。
 
 ところが仏道はというと、三蔵法師と孫悟空の『西遊記』にあるように西へ西へとお釈迦さまの国インドを目指します。
浄土真宗の仏道は阿弥陀さまの西方浄土に生まれてさとりの仏さまに成らせていただくという仏教です。
 
 西から東へといい東から西へといい、私たちは一人としてずっとこのままここにとどまることはできません。
すべてのものは無常の世に生きていると仏さまは教えてくださいます。
 刻一刻と移り変わる生死の迷いのなかにあって苦悩する私たちに
南無阿弥陀仏のお念仏のみ教えを聞かせていただきます。
 
 自分の経験値も何も頼りにならないなかにあって、迷い苦しみ悩む私たちにそっと寄り添い
南無阿弥陀仏「いつも私が一緒だよ」とおはたらきくださり
共に生きてくださる仏さまに成ってくださいました。
 今日一日も台風の中お念仏申して生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.29)

真夏のお葬式

2018-07-28
 昨日は長光寺の前住さんのお葬式でした。
お寺のお葬式は御本尊の阿弥陀如来さまをご安置する本堂で執り行われます。
 
 連日暑い日が続きます。真夏のお葬式です。本堂といってエアコンがあるわけではありません。
扇風機は回っていますが、たくさんのお坊さんたちが普段とは違う正装の色衣をつけて出勤します。
瞬く間に汗が噴き出すように出てきます。
 
 そうしたなかでお葬式が本堂でできる有難さを思います。
お寺の本堂は御本尊の阿弥陀さまを中心としたお浄土の世界を表します。
お浄土からの南無阿弥陀仏のおはたらきがお念仏の声となって本堂いっぱいに響き渡ります。
 
 ご門徒有縁の多くの方々がお参りでした。
お正信偈さまのお勤めです。お葬式のお勤めはちょっと節が違ってお坊さんが主になりますが
一昨日のお通夜のお勤めはいつものお正信偈和讃六首引きのお勤めで
お参りの皆さんご一緒にお勤めできることの有難さをあらためて思います。
 
 御本尊の阿弥陀さまはこの暑いなかにあってもスーッとお立ちです。
寒いなかにあっても昼も夜も四六時中いつものところにスーッとお立ちになって
私たちに南無阿弥陀仏とお念仏を申してくれよ、お念仏を申して我が浄土に生まれて来いよと
南無阿弥陀仏のおよび声となっておはたらき通しです。
 
 先に往くものも後に残るものも皆同じ南無阿弥陀仏の大きなお慈悲のなかに生かされて
人の命終えてお浄土に往生されていただきいよいよ仏さまと成って私たちのところに還って来て
これからも共々に生きてくださることを有難く思ったことです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.28)

ご縁をいただく

2018-07-27
 大在の長光寺の前のご院家さんがご往生され、昨日がお通夜今日がお葬式ということです。
昨日は夕方6時からのお通夜のお勤めでしたが、方々からご門徒有縁の皆さんがたくさんお寺にお参りする姿を見て
お寺というのは本当にご門徒皆さんに支えられてあることを思います。
そしてご院家さんのお役目を十分果たされてご往生されたのだなと有難く思いました。
 
 学生生活を終えてお寺に帰り何もわからない私に最初に声をかけてくださったのが長光寺のご院家さんでした。
長崎での仏教青年会の全国大会にお誘いいただきました。
県内各地の皆さんと一緒に電車に乗って参加しましたが、そこで多くの方に出会いました。
そこから私の今日の活動が始まったということを懐かしく思い出します。
 
 ご縁といいますが、じっとしていてご縁ということではありません。
自ら進んでということもご縁ですが、やはり声かけですね。
声をかけられてご縁をいただけるということではないでしょうか。
 
 私たちの円光寺というお寺を中心としたご縁もそうです。
今日は小学4年生のお友だちが朝のラジオ体操からおじいちゃんと一緒にお参りしてくれました。
 一つのご縁が花開き私たちの人生を彩ってくださることを思います。
 
 仏さまのご縁です。私が私がと私が頑張ってつくるご縁ではありません。
仏さまのお手回しといいます。仏さまの大きな大きな南無阿弥陀仏のおはたらき一つにご縁をいっぱいいただきます。
 
 長光寺のご院家さんは人の命は終えましたが、これからも仏さまのいのち南無阿弥陀仏のおはたきとなって
私たちにご縁をいっぱいいっぱいつくってくださることだとまた有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.7.27)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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