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お念仏を申す生活法話

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お盆の過ごし方

2018-08-07
 お盆参りが今日で三日目になります。もったいないことですが、体力の衰えか年々何だかしんどく感じます。
特に今年は異常な暑さで、クーラーが入っているお家にお参りしますと外に出たくないという気さえ起ります。
 
 そういうなかでほっとさせられるのが皆さんのお家のお仏壇のお飾りお荘厳です。
一年一度のお盆のご縁で、お家のご法事を迎えるように精いっぱいお飾りしましょうとお話していることですが
本当に見事にお荘厳ができていて有難く思います。
 
 ただお盆のお参りは一昨日の5日から始まりましたから
5日にお参りしたお家のお仏壇のお飾りがそのまま13日14日15日までもつかというと、難しいですね。
昨日も「こんなに暑いとお花までくたびれて早く枯れてしまいます」という話になりました。
 ただそこは工夫です。中休みを入れてお盆の本番に合わせたらいいと思います。
きれいにお荘厳されたお仏壇の前に家族親族が集まって一緒に食事をしたりお話するお盆ならではの光景が目に浮かびます。
 
 お盆のキーワードは「かえる」です。
お盆休みで懐かしい人が古里に帰ってきます。ご先祖有縁の仏さま方もいつも還って来てご一緒です。
みんないのちつながって一緒に童心に返ります。
 お仏壇のお荘厳に南無阿弥陀仏のお浄土のおはたらきをいただいて命終えて帰るいのちの古里をおもいます。
 
 お念仏申す身に荘厳されて、お盆の暑い中ですが、お念仏を申して過ごさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.8.7)

ご縁つながり

2018-08-06
 昨日夏の甲子園の高校野球が始まりました。
今回は百回目ということでテレビも特別番組で百回を振り返り球史に残る名勝負やレジェントを紹介しています。
 昨日の開幕第一試合に松井秀樹さんが始球式を行いました。
開会式直後の超満員の甲子園でそれも母校の星陵高校の初戦ということでした。
何かの巡り会わせということですが、対戦相手が大分代表の藤蔭高校だったことも何か思うところです。
 
 ニュースキャスターの方が「これも何かのご縁つながりですね」と言っていました。
百回大会ですから第一回目に出場した選手は皆さんもうすでに亡くなっています。
 長い歴史の甲子園大会ですが、高校野球を通じてその時どきの社会のあり様ということを振り返ることができます。
戦争がありました。4年間中断がありました。戦後最初の大会には選手がお米を持参して試合に臨んだといいます。
 
 幾多の困難もあったなかに百回目を迎えるということです。ご縁つながりです。
先人の志、夢が今ここにつながっているということです。
 
 甲子園の高校野球が日本の歳時記になったのはテレビが大きく影響しています。
昨日は甲子園で活躍したレジェントを紹介する番組がありましたが、殆どがテレビ開設後の昭和30年代以降の選手です。
それ以前にも熊本工業の川上哲治とか京都商業の沢村栄治とか蒼々たるメンバーがいて
今の高校野球の発展につながっているのです。
 
 テレビのすごさを改めて思います。
今はSNSの時代ですが、ちょっと前は家に一台あるテレビを前にして家族みんなで同じ番組を観ていたものでした。
テレビから発信されたものをそのまま同時に家族全員で受信していたことになります。
 
 私たちの浄土真宗でいいますと、毎朝お朝事でお勤めしているお正信偈さまです。
今日の蓮如上人の御文章さまにもありますが、北陸吉崎の地で始められたものが綿々と五百数十年伝わっているのです。
それこそ見たことも聞いたこともない私たちのご先祖が私たちに伝えてくださったものです。
 
 その大本は阿弥陀さまです。そして親鸞さま蓮如さまです。
毎朝親鸞さまの御文お正信偈さま、蓮如さまの御文御文章さまを拝読させていただき
阿弥陀さま親鸞さま蓮如さまにお礼をさせていただくことがそのまま私たちの次の世代に伝わっていくということです。
 
 野球は白球一つで、私たちはお念仏一つです。
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで私たちの救いは間違いないと仰せです。
お念仏申せよとお勧めです。お念仏の声が子や孫に世界につながっていく、伝えられていくのです。
 ご縁つながりの有難さを思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.8.6)

今日からお盆参りが始まります。

2018-08-05
 今日からお盆参りが始まります。ちょっと前のお盆参りはお盆の13日14日15日の三日間でした。
私がお盆参りを始めたのは小学2年生の頃でした。
13日はお寺から一番遠い遠見地区からお参りしますが、仲町の安達商店からバスに乗って行きました。
7時過ぎの朝一番のバスだったと思います。
未知の国に始めて行くような何か不安な新鮮な気持ちで、今日からお盆参りが始まるんだというワクワク感がありました。
 
 その当時は一日40軒50軒のお参りで夜遅くまでかかりました。
真夏の炎天下ですぐに汗びっしょりになり衣はぐちゃぐちゃで次から次とひたすらお参りしたものです。
 
 お寺に生まれてこの夏の盆参りはずっと欠かさずやってまいりました。
今はどこのお寺もそうですが、三日間でお参りするところは殆どありません。
8月を盆月として8月中にお参りすることが一般的になりました。
 
 円光寺は今日5日から始まって15日までの11日間、各地区を分けて新院と二人でお参りします。
一番暑い時期です。年々暑くなって今は酷暑といわれる暑さです。
 最後の方は夢遊病者のようにふらふらしがらお参りしていました。
ただお寺に戻るといつもと違って扱いがよかったことを思い出します。
「汗かいたやろ、早う衣を脱ぎよ」「これ食べよ、これ食べよ」と何とも扱いが良くて
お寺に生まれてある意味大変なこともあるけれども、ちょっと皆とは違うという思いもしました。
お参りをしていたら同級生にもたくさん会いますが、冷やかされることなどありません。
かえってお坊さんだからこそ何か特別な思いにもなったような気がします。
 
 お盆には古里に人が帰ってくるといいます。ご先祖の仏さまが還るといいます。
帰るところはそれぞれのお家であり、お寺です。
 お家の中心お寺の中心、御本尊の阿弥陀さまを中心に人と人との心が通い合うなかに
仏さまのご縁づくり、お盆参りをていねいにさせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.8.5)

「塵を払わん、垢を除かん」

2018-08-04
 今日は盆前の大掃除ということで、一年に二回御正忌報恩講さまの前とお盆の前に大掃除をしていただきます。
皆さんのお家でも毎日お掃除をしていることだと思います。
 
 お掃除ということで、お釈迦さまのお弟子周利般特(しゅりはんどく)チューダ・パンタカのお話を紹介します。
周利槃特は大変物覚えが悪くお釈迦さまのお説法を聞いてもすぐに忘れ、自分の名前さえ忘れる事があるということで
ある時お釈迦さまに「私はあまりにも愚かなのでもうここにはいられません」と仏弟子をやめようと申し出ます。
お釈迦さまは「自分を愚かだと知っている者は愚かではない。自分が賢いと思い上がっている者が本当の愚か者だ」と諭され
「塵を払わん、垢を除かん」と唱えながら毎日掃除をしなさいと言われたそうです。
 周利般特はお釈迦さまに言われたように毎日「塵を払わん、垢を除かん」と唱えながら1年2年10年20年と掃除を続け
ついには阿羅漢(あらかん)という悟りの境地に達したというお話です。
 
 お釈迦さまはこのお話を通して「悟りを開くということは何もたくさん覚えることでは決してない。
たとえわずかなことでも徹底して行うことが大切なのだ」と示されています。
 仏法を知識として覚えることが悟りを開くことではなくて、大事なことは一つのことを集中して行うということ
そのなかに見えてくるものがある、気づかされることがあるということなのです。
 
 「塵を払わん、垢を除かん」といって、塵や垢は外にあるものだけではなく自分自身の心の中にある煩悩の塵や垢です。「塵を払わん、垢を除かん」と唱えるままに仏さまのみ教えを聞かれてお悟りを開かれたということです。
 
 お朝事のお勤めにも通じるお話です。
蓮如上人は「仏法の法水に身を浸せ」と言われました。
 仏法に身を浸すことによって解るとか解らんとかいうことではなくて、仏さまのお心がいただけるということです。
信心いただけよとお勧めです。信心は私が努力していただくものではありません。
 仏法聴聞の場に身をおく。そのことをひたすら続ける。
仏さまのご縁をいただくなかに気づかされ目覚めさせていただける世界があるということを
周利槃特のお話に聞かせtいただきます。 
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.8.4)

いのち輝かせ合って生きていきましょう!

2018-08-03
 いろんな社会の問題が話題になっています。スポーツ界では昨年末から大相撲のこと
レスリング、アメリカンフットボールそしてボクシングと次から次に問題が噴出しています。
 昔からの狭い世界のなかでの旧態然とした古い体質が問われています。
この古い体質、伝統という言い方もありますが、現代の社会常識からは大きく逸脱したものになっています。
 ボスという一部の権力者がいてそれを取り巻く人たちが忖度し誰も何もものが言えない組織を作り上げ
いびつな人間関係のなかで異分子は排除され、ある時大きな社会問題となって広く知られることになるという構図です。
 
 旧態然とした組織の体質といいますが、私たちもそれぞれ体質というものをもちあわせています。
体質という意味とは違いますが、個性ということをいいます。
 人それぞれ個性が違うといいます。親子であっても夫婦であっても兄弟であっても友だちであっても
それぞれ違う個性がもって、その個性をお互いに認め合っていくなかに今は多様性の社会が求められています。
それぞれの個性を認める多様性の社会のなかでいきいきと個性を発揮して生きるということですが
今の私たちの社会はどうなっているのでしょうか。
 
 昨日東京医大の入試で男女差別といえることがずっと行われていたという報道がありました。
男女ともに同じ入試を受験しますが、女性について一律減点して男性の合格者を増やしていたということです。
 学校の入試要項に予め男女の合格者の比率を決め公表していたら問題はないそうです。
ただこれは女性の社会進出を促進する見地から女性の合格枠を決めて女性が入りやすくするためのもので
今回の東京医大の男性を優先的に合格させ女性の合格を抑えるということとは、その趣旨は全く異なります。
 
 このことは就職採用の現場でも取られている対応です。
例えば障がい者の方を積極的に就職採用しようと会社で採用枠を設けるといった動きです。
 
 多様性の社会をめざして各方面でいろんな取り組みがなされています。
一方で昔の古い体質が幅を利かせている状況が今の社会にあるということです。
個性を重んじるのではなく昔の体質を引きずっているというなかに私たちの今の社会があるようです。
 
 阿弥陀さまのお念仏の世界はすべてのものを分け隔てなく救うという世界です。
人それぞれの個性を尊びいのち輝かせ合って生きていきましょうという世界です。
 
 お念仏の教えに生きる私たちです。
日々の生活のなかでお念仏の世界を想いつつ日暮しさせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.8.3)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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