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お念仏を申す生活法話

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お月さまに手を合わす

2018-02-01
昨夜は皆既月食ということで、夜空を見上げた方が多かったのではないでしょうか。
新聞の見出しに<3年ぶりの天体ショー>とありました。
 
 太陽と地球と月が一直線に並び、太陽の光を反射する満月の月が次第に隠れ、赤銅色に変わっていきます。
 
 今でこそ天体ショーといって皆さんが楽しんでいますが、
昔の人はたまに起きるこの不思議な現象をどのように見ていたのでしょうか。
 おそらく不吉な予感がしたと思います。
煌々と光を放っていた満月が隠れていくのです。
日食は、日中に燦々と輝いていた太陽が欠けていき、辺りを瞬く間に闇の世界にするのです。
 何か不吉なことが起こるのではないかと、不安な思いでひたすら祈ったのではないでしょうか。
 
 今は科学の力でその仕組みが解明され、説明されて誰もが理解するところです。
ただ科学の力をもってしてもまだまだ解明できない、わからないことが私たちの周りにはたくさんあります。
 
 宇宙の摂理もそうですが、第一私が生きてるこの命、この体の仕組み自体が謎です。
このいのち、どこから来てどこに行くのか等など、謎は深まるばかりです。
 果たして科学で、人間の力で解明できることなのか。
解明しようとすること自体が人間のおごりとさえいわれます。
 
 私たちのいのちは大自然の大きな大きないのちのなかに生かされてあるといいます。
私が私がという自分中心の小さな小さなものの見方ではなくて、仏さまの教えという大きな大きなものの見方に立って
私たちは謙虚に大自然のいのちに向き合っていきましょうと教えてくださいます。
 
 お念仏のみ教えをそのまま聞かせていただきましょう。お念仏のお心おはたらきです。
南無阿弥陀仏「まかせよ救う」のお喚び声に、ナモアミダブツ「おまかせします」と手を合わせお念仏申しましょう。
 
 南無阿弥陀仏の大いなるいのちです。大自然のいのちです。
 
 皆既月食という大自然の営みにあって、月に向かって手を合わせ、大いなるいのちにありがとうとお礼を申します。
 
 日々の生活のなかでお念仏のみ教えを聞かせていただき、大いなるいのちに生かされてあることを思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.1)

小さな終わりに「ありがとう」

2018-11-13
 終活について、最近テレビでよく放送されています。
人生の終わりに臨んで、私が死んだ後のことを考えます。
 
 私たちは日頃からこうしたいああしたいと思いをいっぱい膨らませて生きています。
ただいつまでも元気で長生きできるということではありません。
 そのことも知ってはいますが、自分のこととして考えるとなると、まだまだ先の話と先送りしてきました。
 
 ただこの齢になって、死んだらどうなるのかと死んでから後のことを考えることが多くなります。
仏教では後生の一大事といいます。
 
 私たちは生と死を別々に分けて見ます。
いかに生きるかということは考えても、死について考えることは中々ありません。否考えようとしません。
死んでから先の話で、生きてる今は考えられないというのでしょうか。
死について考えると、暗くなる、怖いということでしょうか。
 
 仏教では生死一如(しょうじいちにょ)といって、生きることは死ぬことだと教えます。
そして生死の問題は、私に突き付けられた大きな人生の宿題だといわれます。
 大変しんどい宿題で、できたら後回しにして、今を楽しく生きようと思います。
ところが身近に家族が友人が死を迎えるということが起こってきます。
 
 愛する人との別離です。会ったものは必ず別れなければなりません。
どんな人の人生も始めがあれば必ず終わりがあります。
 そしてこの生死の問題は私たちの力ではどうしようもない、私の思い通りにはならないことを身をもって知らされます。
 
 私たちは、生で始まり死で終わると、生と死、始まりと終わりを分けて考えますが、 
生死一如の教えでは、生と死、始まりと終わりは、一つのものでつながっていると説きます。
 死でもって生は終わるのではなく、死は生の始まりであるといいます。
 
 今日は1月31日で、1月の終わりです。今は朝の時間で、今日の始まりです。
明日から2月の始まりです。今日の夜、一日が終わります。
 
 こうして小さな終わりと小さな始まりを繰り返して、私たちの人生があります。
日々小さな終わりと小さな始まりを繰り返し生活するなかで、命終える時を迎えます。
 
 どうこの命を終えていくのかは、どう今日一日を終えていくのかということに重なります。
日々の生活のなかで小さな終わりにしっかり向き合っていくことが大事です。
 
 今日の日の終わりに、あなたは自分自身に、家族に大切な人にどう向き合いますか。
 
 ある人は「ありがとう」と周囲に感謝して命終えていきたいと言われます。
いいですね。でも臨終のことはわかりません。意識がなくなってしまっているかもしれません。
痛みにもがき苦しんで亡くなっていくかもしれません。わかりません。
 
 だからこそ平生です。今です。一日の終わりに「ありがとう」の一言、南無阿弥陀仏の一声です。
 
 「ありがとう」とお念仏申して一日を終える。そして「ありがとう」とお念仏申して一日を始める。
小さな終わりと小さな始まりを繰り返しながら、「ありがとう」とお念仏申して人生を終える。
 そしてお念仏申してお浄土参りさせていただき、仏の無量のいのちに生まれて
南無阿弥陀仏のおはたらきを始めさせていただくのです。
 
 人それぞれに人生いろいろ、色んなことがありますが、
今日の一日もナンマンダブツとお念仏申すなかに「ありがとう」と生き抜かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.1.31)

年度末の会議

2018-01-30
 1月から3月にかけて年度末の会議が行われます。
4月からの新しい年度を迎えるにあたり、この一年を振り返り反省して、これから何をどうするかと協議します。
 
 私たちのお寺関係の会もこの時期そうした会議があります。
 
 前年度踏襲というように同じことを繰り返すことが一番安定しているようですが、
特に会社経営というところでは同じようなことをしていてはそれこそ明日がないといいますか、
そこで新たな方策、取組みを考え実践していきます。
 
 かといって何でもかんでもできるわけではありません。
今までの実績の上に何か一つでも新しいことに取り組むということです。
 それも一人ではできませんから二人三人皆さんと心を合わせてやっていくことが肝心です。
そのためにもその会の目標をみんなで確認することが大事になってきます。
 果たしてみんなが同じ方向に向かって進んでいるのかという確認です。
 
 私たちの人生の営みも同じことが言えます。
 毎日同じことの繰り返しのような生活ですが、歳とともに思い通りにならない我が身の事実に愕然とし
周りの状況も大きく変わって、思いもよらないことも起こってまいります。
 
 自分の思いの範囲内でのことは受け止めることができても、
想定外といわれるような状況の中で、私たちは戸惑い、立ち止まり、苦悩するようなことにもなります
 
 人生は人それぞれいろいろです。
同じ屋根の下で同じものを食べて生活している家族でも、その生活ぶりは違います。
生活ぶりが違うお互いが共に生きる社会ですから、それぞれの思いで不都合なこともたくさんでてきます。
 
 仏さまのみ教えに聞かせていただきます。
 
 お念仏のご法義は、阿弥陀さまの方で私たちの人生の方向を決めてくださっているという教えです。
 阿弥陀さまは、どこまでも自分を中心に自分の思い通りに頑張って生きようとするあまり、
思い通りにならない現実にぶち当たっては、迷い苦悩する私たちのすがたを見てとって、
私たちのいのちの行き先を阿弥陀さまのお浄土と決めてくださいました。
 お浄土に往生させていただく、お念仏の道を歩ませていただきます。
 
 一つの方向に向かって五人いれば、五人が同じ方向に向かって歩いていく。
その人ひとの生活ぶりは違いますが、一緒に往ける、一処に生まれるという往生浄土の人生です。
 
 ナンマンダブツとお念仏を申して来いよと、阿弥陀さまはよんでくださっています。
お浄土に向かって共々に、お念仏申して私にできることを精いっぱいさせていただく営みが、
私たちの日々の生活だと聞かせていただきます。
 
 どうぞお念仏を申す生活、お念仏を申すなかに今日の一日も生き抜かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.1.30)

子どもっていいな!

2018-01-29
 昨日ご法事があって、お正信偈さまのお勤めをしていましたら、後ろから子どもさんの声が聞こえてきました。
ずっと一緒にお勤めをして、念仏和讃という節のついた難しいところに入っても子どもさんの声がついてきました。
 
 お勤めが終わってご法話をさせていただき、お茶をいただきながら「ぼくってすごいね」と声をかけました。
小学校低学年の男の子です。しっかりお経本を持って読んでいたんでしょうね。
 
 子どもっていいな、と思います。
そのまま声が出るんですね。声になって出るんですね。その声が耳に入って覚えるんですね。身につくといいます。
 逆に大人になると中々声が出ません。文字は読めますから、そのまま声を出せばいいんですが、
声を出していいものかなどと、考えます。素直じゃなくなるというか、私がという、はからいにとらわれます。
私が邪魔をします。
 
 私たちの阿弥陀さまのご本願のお救いの法は、「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のおはたらきです。
南無阿弥陀仏は「まかせよ救う」のおよび声です。
 「まかせよ救う」というんだから、私のところでどうこうはからうのではなく、
そのまま「はい、おまかせします」でいいんです。「はい」の一声でいいんです。
 その「はい」が南無阿弥陀仏です。今日も皆さんの口から声となってお念仏が出てくださいました。
南無阿弥陀仏のお念仏です。
 
 私が出そう出そうと思って出るお念仏ではありません。
ただ最初のうちは声に出そう、出さないとお念仏の声になりません。
仏さまのご縁をいただいて、お念仏を申す身にさせていただくのです。
 
 させていただくとは、仏さまがお念仏を申す私にしてくださるということです。
子どもに理屈で話すことではなくて、子どもは周りの人の後ろ姿を見て育ちます。
素直にそのままいただきます。
 子どもっていいな、と思います。
 
 もう一ついいなと思うのは、ご法事のご縁に子どもさんがご一緒するということです。
今はご法事とか人が集まるときには、子どもはウロウロするから声を上げて騒ぐからと周りに配慮して、
子どもさんが一緒にお参りしないご法事が多くなりました。
 
 小さい頃からご縁をいただくことの大切さを思います。
仏さまは子どもがどんなに騒いでも決して叱りません。
「ようこそお参りなさい」と微笑み喜んでくださいます。
 
 ご縁をいただくかどうかは、そのお家の皆さんの裁量です。
あの時ああしておけばよかったというお話ではありません。
 これからです。これからできるご縁、させていただくご縁です。
 
 仏さまのご縁をいっぱいいっぱいいただいて、ご一緒にお念仏を申す身にさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.1.29)

栃ノ心関、おめでとう

2018-01-28
 何かと話題の多い大相撲の初場所で、平幕の栃ノ心関が14日目で初優勝を決めました。
いつもの顔ぶれではなくて新鮮でしたし、本当に強かったですね。
 
 ロシアに接するジョージア(グルジア)の出身で、順調に出世して関脇まで上がりますが、
右ひざに大けがをして、一時は幕下の下位まで落ち、相撲をやめて母国に帰ろうと思ったこともあったそうです。
しかし思い返し体を鍛錬しけいこに励んで苦労して再入幕したというお相撲取りさんです。
 そんな話を聞くとまた感動します。
 
 その栃ノ心関が所属する相撲部屋が今問題になっています。
親方は愛弟子の快挙に感激して「今までやってきたことがよかったのかなと思った」と言われたそうです。
部屋の弟子から優勝者を出せたということで、大変名誉なことです。
 ところが部屋にはたくさんのお弟子さんたちがいて、
今回公になった傷害事件では、加害者被害者の二人が、相撲をやめていったということです。
 
 親方と弟子です。師弟の関係です。また親子の関係でもあります。
親方は親御さんから大事な子どもさんをあずかります。
相撲部屋という一種独特な世界に年若い子が、また異国の地からも入門します。
 だからこそ親方と弟子の関係は親と子の関係以上のものだともいわれます。
親は子どもを護る、保護する責任があります。どんなに出来の悪い子どもでも最後の最後まで護るのが親です。
 
 何人もいるお弟子さんのなかで、十両以上の関取になるのは一部で、大方は志半ばでやめていきます。
そうした弟子の面倒を最後までみるのが親方ですが、今回の傷害事件は、子どもから親が訴えられるという事態です。
 
 私たちのお念仏の先人は、ご本尊の阿弥陀さまを親さまと仰いでお慕いしてきました。
親という以上は、私たちは仏の子どもです。
 
 今日の御文章さまに「十人は十人、百人は百人ながら」とありました。
阿弥陀さまのお救いのご法義はすべてのものを分け隔てなく必ず救うというおはたらきです。
 阿弥陀さまは、あなたは悪いことばかりするから駄目だと排除したり、
こういう善いことをしたら救ってあげるよと条件をつけたりする仏さまではありません。
 
 世間からあんな悪人はと見捨てられるような子どもほど阿弥陀さまは心配で心配でならないのです。
それが十人は十人ながら百人は百人ながら救うという、阿弥陀さまの大きな大きなお心おはたらきなのです。
 
 一人として漏らさず救うとのお心を、親鸞聖人は
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」(歎異抄)といただかれました。
 
 この私一人のために、スーッとお立ちの仏さまになってくださいました。
「いつでもどこでも私が一緒ですよ」と南無阿弥陀仏の声の仏さまとなって私のところに来てくださいます。
 
 そのこと一つ心に入れて、お念仏申すなかに今日の一日も生き抜かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.1.28)
円光寺
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