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お念仏を申す生活法話

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季節の移ろいのなかで

2018-02-12
 今日から御和讃が最初の「弥陀成仏のこのかたは」で始まる御和讃に戻ります。
いつもお正信偈さまのお勤めをさせていただくときにいただく御和讃であります。
 
 今日からまた53日間かけて御和讃の繰り読みをして最初に戻ってまいります。
 
 前回お朝事のお勤めで「弥陀成仏のこのかたは」の御和讃を拝読したのは、去年の12月のことでした。
今日から53日を経て、次は4月6日になります。
その頃はすっかり温かくなって、境内のしだれ桜も満開ではないかなと思ったりします。
 
 季節の移ろいです。
寒い冬から温かい春へと、暑い夏へと、涼しい秋へと季節が巡ってまいります。
 
 四季折々の風情のなかを、こうして毎朝6時半の定時に皆さんご一緒に、
阿弥陀さまの御前に座らせていただき、お朝事のお勤めをさせていただきます。
 
 親鸞聖人からお正信偈さま、御和讃のお手紙を、蓮如上人から御文章のお手紙を拝読させていただきます。
南無阿弥陀仏「まかせよ救う」の阿弥陀さまのお心おはたきををいっぱいいただいて、
今日の一日もお念仏申して始めさせていただける身の幸せを有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.12)

いつもと違う日曜日の朝

2018-02-11
 今日は日曜日で、ご法事が重なって3件あります。
 
 日曜日の朝です。
いつもはゆっくりゆったりと自分の時間を過ごすという日曜日ですが、ご法事をお勤めするとなると大変です。
 
 お客事といって、親戚縁者をお家に招待するということです。お掃除をしたり準備からして大変です。
それもご法事ともなると、お仏壇のお飾りやお仏壇周りのこともきれいにしなければいけません。
 
 今は「家族葬」と言われるお葬式が多くなりましたが、ご法事も「家族だけで」と言われるご法事が多くなりました。
家族だけといって、本当に家族だけです。それこそお参りに行ったら家族が一人なんです。
このお家は家族が一人だったかなと思うほど、仏事の簡略化が進んでいます。
 
 ご法事には施主という方がいらっしゃいます。お葬式でいったら喪主です。
施主、喪主がご法事やお葬式、仏事の主役です。
 お寺に連絡をして日時を相談し、親戚ご縁の方にご案内をします。
お家をきれいに掃除し、お仏壇のお飾りを怠りなくして、お茶お菓子の接待から食事の準備まで、一から十まで大変です。
 だからご法事が終わるとほっとするといいます。
 
 ところが今は家族だけということで安心して、少し緊張感が欠けているようにも思います。
家族だけといって、施主一人のお勤めといって、お坊さんがいないとご法事になりません。
 せめてお坊さんにはそれなりの配慮というか、思いやりの心で接してほしいものです。
 
 お寺から通知が来たから、お経だけあげてもらったらそれでいいというのでは、もったいないですね。
日頃中々遇うことがない仏さまのご縁です。それも何年かぶりのご法事のご縁です。
 精いっぱいお勤めさせていただきましょう。
 
 ご法事のご縁をいただきました。仏さまのご縁です。
この目には見えないけれども私のことをずっといつも思うてくださる仏さまです。
 ご先祖有縁の仏さまのお育てをいただいて、今私がここに生かされてあることを聞かせていただく尊いご縁です。
今日もご法事のご縁にお参りさせていただいて、皆さんとご一緒にお勤めさせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.11)

布教大会のご縁をいただきました

2018-02-10
 昨日は坂ノ市の流芳寺さんで布教大会のご縁があって同行4人でお参りしました。
 
 大阪、広島、山口、福岡から遠路ご出向された4人の布教使の先生方がご法話お取り次ぎしてくださいました。
若い方からベテランまで、話しぶりはそれぞれ違いますが、お取次ぎをいただくお法りは一つです。
 南無阿弥陀仏一つで必ず救うとおはたらきの阿弥陀さまのご法義です。
年格好も違う、生活しているところも違う、話しぶりも違うと、お味わいがそれぞれ違っていいものですね。
 
 そのなかの一人の布教使さんが言っていました。
南無阿弥陀仏のご法義はどこで聞いても同じ、誰が話しても同じですと。
 いや同じじゃないと困りますね。この先生はこう言って、この先生はこう言うと、
全く反対のことを聞いたら、私たちは不安になるばかりです。
 南無阿弥陀仏の信心は安心です。聞かせてもらって安心をいただきます。
それは話す人のお話ではなくて、阿弥陀さまのお話だからいっしょなのです。
 
 そしてお聴聞される方も一人一人生活ぶりが違います。
色んなことを抱えて生きています。人生いろいろ人それぞれ違います。
 
 そういう日常の生活にあって、今日の皆さんのように、阿弥陀さまの前に一堂に座ることができたということです。
手を合わせ合掌ができました。お念仏申せました。阿弥陀さまにお礼ができました。
 
 どのこと一つとっても私がではありません。南無阿弥陀仏のおはたらきです。
阿弥陀さまそして諸仏方の尊いお育てがあってのことです。
 仏さまのご縁をいっぱいいっぱいいただいて、私の口から私の声ですが、ナンマンダブツとお念仏が出てくださいました。
 
 そのこと一つ喜ばせていただいて、また日々の生活です。
お念仏申す日々の生活をさせていただこう、させていただきたいと思ったことです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.10)

私のお寺のご院家さん

2018-02-09
 昨日電話で「そちらのお寺は四十九日満中陰のお勤めは、門徒でないとしていただけないのですか」
という問い合わせがありました。
 
 今はお坊さんの派遣業というものがあって、お葬式の仲介をしてくれる業者があるということです。
例えば大分県内の各宗派のお坊さんを登録していて、
お葬式ができてその仲介業者に頼むと、葬儀社とお坊さんを紹介してくれるという仕組みです。
 
 ただお葬式初七日までの契約ということです。
頼む方もお葬式だけでいいお寺とのお付き合いは遠慮したいということで、ニーズにピタリ合うといいます。
 
 ところが親族関係者からお葬式の後のお勤め、四十九日や初盆、年忌の法事をどうするのかという声があがります。
といってもお葬式で頼んだお坊さんは業者が手配したお坊さんで、そのお葬式だけのご縁のお坊さんなのです。
 
 お坊さんはお坊さんでお葬式のお勤めだけで充分なのです。
お葬式のお布施とそれからの仏事のお布施では大分金額が違います。
なるべく多くのお葬式にお参りできた方がいいわけで、いろんなお勤めが入ってくるとお葬式の依頼に応えられずに、
業者から見放されることにもなります。契約解除です。
 
 そういうなかで満中陰のお勤めをどうするか。お坊さん探しが始まるのです。
 
 お坊さんは、ただお経を読む人なんでしょうかね。
お経は、亡き人を供養するための道具手段なんでしょうかね。
 皆さんはよくお聴聞されていますから、そこのところはちゃんと受けとめられていると思いますが、
一般的にはお経とはそういうものだと思っている人が殆どらしいです。
 
 お葬式はお坊さんだったら誰でもいいのではありません。お寺のご院家さん(住職)の大きなお役目なのです。
 
 ご門徒さんとお寺のつながりは、共に仏さまのご縁をいただくお寺のご院家(いんげ)さんとのつながりなのです。
「ご院家さんあなたに、私のお葬式を執り行ってください。お願いします」と、日頃から思っていただけるご院家さんです。
 お寺にお葬式をお願いすることが、そのまま七日七日満中陰、初盆、一周忌のご縁とつながっていくのです。
 
 ご縁がつながるとは、私たちのお念仏のご法義は死んだらお終いということではないというご法義なのです。
いや死を縁にしていよいよこのご法義が生きてくるんです。
 
 先に往かれたお念仏の先人は、仏さまです。
阿弥陀さまのお浄土に往き生まれて、今は仏さまになってくださっています。
 仏さまになったらゆっくりゆったりあの世とかで眠っておられないで、
私のところに南無阿弥陀仏と還って来て、いよいよ「まかせよ救う」のおはたらきをはじめられるのです。
 
 今日お葬式があります。
小さい頃から私のことをよく知ってる、よく見てくれていたご門徒さんです。
 そのご門徒さんとのつながりはお葬式のご縁だけのつながりではありません。
生きている時からのつながりです。そして命を終えてからのつながりでもあります。
 
 そのご縁はその人だけではなくそのご家族、周囲の方にもつながっていきます。
南無阿弥陀仏のおはたらきです。大いなる仏さまのご縁といただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.9)

お寺の見えない過疎

2018-02-08
 昨日は京都のご本山で会議があって行ってきました。
寺院振興といって、これからのお寺のあり方について、お寺を元気に盛り立てていきましょうという会議です。
 
 そのなかでも過疎対策についてということです。
大分県も過疎の県といわれ、お寺が在る農山漁村部の人口が減少しています。
 高度経済成長期以来続く若い世代の都市への人口移動があり、今は少子高齢社会ということです。
これは日本社会が抱える現実問題で、私たちがどうしようもできないことです。
 市町村の合併が進み、学校や病院など公共施設の統廃合が加速しています。
 
 お寺についていえば、門徒が減るということで、お寺の護持が大変難しくなりました。
 
 私たちの円光寺は過疎の地にあるお寺とはいえません。
周辺には工場や会社がいくつもあり、商業施設もあって、幹線道路に接して車の往来は結構多いです。
 
 見えない過疎という言い方をします。
小学校の児童数はこの十数年殆ど変わりませんが、アパート所帯が多くなりました。
一世代以上前からの住民は極端に少なくなりました。
 夜、大きな屋敷にぽつんと一室だけ灯りがともるお家を見かけます。
都会に出ていった子どもが古里に帰ってこない現状がすぐ近くにもあります。
 
 お寺の見えない過疎はより深刻です。
名簿の上では門徒の数はありますが、顔の見えるご門徒さんが少なくなったということです。
 
 お寺とご門徒さんとのつながりが薄くなって寺離れということが言われていますが、
見えないところでこの寺離れが一気に進んでいるようにも感じます。
 
 お寺を護持していくことが町のお寺でも本当に難しくなりました。
 
 これはお寺をあずかる住職だけの問題ではありません。
ご門徒皆さんも一緒に考えお寺を護持していただきたいと思います。
 
 昨日の会議で20人ほどの僧侶のなかでただ一人出席されたご門徒さんの発言に力をいただきました。
「過疎の問題というが、人口減少、門徒減少はどうしようもない。
 門徒が何軒あるから寺が護持できる、できないということではなく、
 門徒の私たちがお念仏のご法義をどういただき、伝えていくのかということが大事なのではないか」と。
 
 浄土真宗門徒の心意気を思います。
確かに現代社会にあってお寺も従来通りのことをやっていくばかりではお寺の存続そのものが危ういものがあります。
 だからこそお念仏に生きる心意気をもったご門徒衆と共に、私たちのお寺になっていこうと強く思いました。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.8)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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