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お念仏を申す生活法話

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簡単なご法事

2018-04-21
 ご法事の申し込みがあります。
予め電話で日程調整をして、その後申込書をお寺に届けていただきます。
 
 昨日お電話でご法事の問い合わせがありました。
今はご法事も「お経だけあげてください」という言い方をされるところが多くなりました。
「家族だけでお勤めします」というところも増えてきています。
 
 昨日は「もう簡単でいいですから」と言われました。どういうことかなと一瞬思いました。
ご法事のお勤めに簡単も簡単でないということもありません。
 どんな方のご法事もお勤めはみんな同じです。
 
 お葬式のお勤めもそうです。
何百人という参列者がいる大規模なお葬式も家族だけの小規模なお葬式もお勤めの中身は同じなんです。
 逆に言いますと、こういう場合はこのお経、こういう時はこのお経ということではないんです。
 
 布施といいます。
御布施というとお坊さんへのお包みと思う方が多いと思いますが、
布施とは仏道修行の一つで、お坊さんがお勤めをすることも布施なのです。
法施といいます。法を施す。仏法です。仏さまの法はその人人を選びません。みんな同じなんです。
阿弥陀さまのお救いはすべてのものを分け隔てなく必ず救うという法ですから、法を施すお勤めは同じなのです。
 
 それに対し皆さんが行う布施は財施といいます。
お金や物品を施すことですが、その中身はその人人によって違います。
私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょうといいます。
御布施をたくさんお包みしたいけれども、余裕がなくてできない方もいらっしゃいます。
それぞれの生活ぶりは違いますから、皆さんができる精いっぱいのことをさせていただくことが大事なんです。
その時はできなくても、またできるときにしていただいたらいいんです。
 
 仏さまの大きなお心を聞かせていただきましょう。
南無阿弥陀仏の大きなお心おはたらきのなかにどんな人も平等に救われていくという教えです。
 
 ご法事やお葬式という仏事に簡単なものも簡単でないものもありません。
私たちの生活すべてが仏事、仏さまのご縁といただいて、私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.21)

遺されたボロボロの聖典

2018-04-20
 先に往かれた方が遺された遺品のお話です。
遺したくて遺したものではありませんが、そのもの一つ一つが、その人の生き方その人の生活そのものを語りかけます。
 
 昨日Iさんの初七日法要をお勤めしました。
お茶をいただきながら奥さんが「聖典がボロボロでした」と言われました。
 いつもお寺参りに持ってこられた聖典袋にお念珠と聖典そして門徒式章が入っており
お念珠と式章は棺に納めましたが、聖典はのこっていたのです。
 
 何度も何度も聖典を開いてお勤めされていたことで、聖典がボロボロになってしまっていたのです。
一番身近にいた奥さんですが、遺された聖典を見てIさんのお念仏の生活ぶりを改めて思ったことでしょう。
 
 土曜日に決まってこのお朝事にお参りされていました。
いつもの曜日と違う朝の営みです。何時に起きて何をして何時に家を出て何時に帰宅していたのでしょうか。
 遺されたものを見ていろんなことを思うのが私たちで、そこに凡夫の情がおこります。
 
 あの時こうすればよかった。何であんなことを言ったのかしたのかと、いろいろ思い返すのも私たちです。
そんな時お念仏を申しましょうとお話しました。
 
 今ナンマンダブツとお念仏申せるんですね。
過去のことを思い出して、愚痴で終わらない、後悔で終わらない、ナンマンダブツとお念仏申せることの有難さです。
 
 先に往かれた方は今も私と共に生きてくださってあると聞かせていただきます。
ボロボロの聖典を見てこれからも共々に生きていくんだなと思います。
 
 南無阿弥陀仏と阿弥陀さまはそこまで私たちのことを思いとって
大丈夫だよ大丈夫だよとおはたらきくださり、ナンマンダブツとお念仏を申す私にしてくださるのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.20)
 

仏さまのご縁です

2018-04-19
 昨日はお葬式でした。最近は家族葬という小規模なお葬式が多くなり、弔辞が殆どなくなりました。
お坊さんがお経を読み淡々とお葬式が進行していきます。
 
 昨日のお葬式は弔辞が三つ、詩吟のグループによる弔吟、そして最後にお孫さん4人のお別れの言葉がありました。
最近のお葬式では大変珍しいことですが、それだけ生前に地域をはじめいろんなお世話をしていたという証です。
 
 弔辞は先に往かれた方を偲ぶ縁です。
その人の業績を讃えお礼を申してこれからも私たちを見守ってくださいと申し添えます。
そして最後は決まって「安らかにお眠りください」で終わります。
 
 弔辞でその人となりを聞かせてもらいます。初めて聞くようなお話もあります。
 
 ではお坊さんが読むお経は一体どのように皆さんに受けとめられているのでしょうか。
仏式のお葬式にお坊さんとお経はつきもののようにあるもので、お葬式のBGMのように思われていたり
故人の成仏を願うためにお経を読まれると思っている方が一般的だと思いますが、
お経は仏さまの教えそのものなのです。
 
 仏さまの教えを聞かせていただけるのが、葬儀のご縁なのです。
私たちの日常は仏さまの教えに遇うことにほど遠い生活です。
それほど仏教を聞くことは甚だ難しいものです。
 
 大切な方とお別れするという悲しみのご縁ですが、そのまま仏さまのご縁といただける有難さです。
とはいってもお坊さんが読んでいるお経の意味がそのままわかるものではないでしょうが、
お葬儀のご縁にお参りされた一人一人の思いのなかにお経が入ってくるのです。
 
 日頃こうしてお勤めをさせていただきます。今日もお正信偈さまのお勤めです。
お勤めをする声がそのまま聞こえてきます。阿弥陀さまのお救いの法です。
南無阿弥陀仏のみ教えに遇って必ず浄土に救いとられるという教えです。
 
 仏さまの教えに遇うことは死んでから後のことではありません。
先に往かれた仏さまが南無阿弥陀仏となって私のところに還って来て、
仏法を聞いてくれよ、ナンマンダブツとお念仏を申す身になってくれよとお勧めくださるお勤めなのです。
 
 仏さまのご縁をいただくなかに先に往かれた大切な方とつながってあるということです。
人と人とはお別れをしますが、仏さまと成ってずっとこれからも共々に生きてくださるのです。
 
 お葬儀のご縁は悲しいご縁ですが、これから仏さまのご縁をいただけるという初めのご縁です。
お念仏のなかに日々の日暮しをしてくれよ、大丈夫だよいつも見守っているからねと
仏さまのご縁をこれからもいっぱいいっぱいいただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.19)

いつもの姿でお浄土参り

2018-04-18
 昨日はIさんのお通夜のご縁でした。
たくさんの方がお参りで、お正信偈さまのお勤めをさせていただきました。
後ろから皆さんの声が聞こえてきます。何とも有難いご縁だなと思います。
 
 お遺骨をご仏前にご安置してのお勤めでした。
火葬する前にIさんがいつもお寺参りに身につけてらっしゃった門徒式章とお念珠を棺のなかに納めました。
いつものお寺参りのお姿です。今日の皆さんのお姿です。
 
 このお寺参りがそのまんま阿弥陀さまのお浄土へのお参りといただいて
私たちはいつか必ずこの命終えていきますが、それは特別なことではなく日常のなかの人として最後のご縁として
ナンマンダブツとお念仏申すそのままにお浄土に生まれ往きて仏さまと成らせていただき
この世に還って来て仏さまとしておはたらきを始めさせていただけると聞かせていただきます。
 
 死んだら終いじゃなかった。人の命は終えるけれども仏さまのいのちとなって
これからもずっと有縁の方々と共々に生き続けてくださるということです。
 
 今日がお葬式、そして明日は初七日のお勤めをします。
もう初七日の当たり日は過ぎていますが、一つ一つお勤めをさせていただきましょうと奥さんと相談しました。
 一つ一つ仏さまのご縁をいただけるという有難さです。
悲しみのご縁です。いろんな思いが残ります。
悔やまれることもたくさんあると思いますが、そういうなかに仏さまのご縁をいただけるということです。
 
 多くの方が門徒式章をつけられてお参りをされていました。
うちのご門徒衆も多かったのですが、式章が身につくというのは中々難しいことで、私のはからいがでます。
こういう時には付けて、こういう時には付けない方がいいとか、いろいろと考えをめぐらします。
 お寺参りのそのままでいいんです。
お浄土参りをさせていただくお同行です。お念仏のお仲間のお葬儀です。
門徒式章をつけてご一緒にお浄土参りの道すがらを歩ませていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.18)

これからもずっとご一緒です

2018-04-17
 ご門徒のIさんがお亡くなりになって、今晩がお通夜明日がお葬式というご縁です。
昨日ご遺体が三週間ぶりにご自宅に帰ってみえてお参りをしました。
 
 このお朝事にも毎週決まって土曜日にお参りをされていました。
日曜日に山に登って、次の土曜日のお朝事にお参りでなかったのでどうしたのかなと思っていましたが、
その日の夕方奥さんがお寺にみえられご事情をお聞きしました。
 それから二週間捜索活動があって一昨日の日曜日に山中で見つかったということです。
 
 昨日はご家族の方とご一緒にいつものお正信偈さまのお勤めをさせていただきました。
そのあと少しお話をしました。
 
 必ず命終わるということは我が身のことであります。その終わり方はそれぞれです。
私たちの生活もそれぞれです。
 一人一人、その生活ぶりは違います。
お経さまにはこの世に独り来りて独り去るとあります。
 この世に生まれるということについて自分が選んだことではなく
それこそこの世に放りだされたように私たちは生まれてきたんです。
 そして命終えていく時も独りなんですよね。
ただ私たちの仏教、阿弥陀さまのお救いのご法義をいただきますと、
一人だけれども一人じゃないというご法義なのです。
 いつも私が一緒だよとおはたらきの南無阿弥陀仏の仏さまと共々に生きていけるのです。
ナンマンダブツとお念仏申してこの人の命終えますけれども
そのまんま阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏さまとならせていただけるという教えです。
 
 Iさんの仏さま、これからもまた毎週土曜日にこの時間お朝事のご縁にお参りされて
私たちをいよいよ阿弥陀さまのお浄土に導いてくださるおはたらきの仏さまに成ってくださったといただいて
今日明日の仏さまのご縁を皆さんと共々にお勤めさせていただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.4.17)
円光寺
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