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お念仏を申す生活法話

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お念仏の旅は船路の旅といただきます

2020-07-18
 東海道中第24宿の金谷(かなや)の宿です。
昨日は大井川の川越えの話をしましたが
大井川の東側が島田の宿で西側が金谷の宿です。
 江戸からお伊勢参りなどで西に向かう人は
大井川の増水で川越えが禁止され島田の宿に止まります。
 逆に江戸に行く人帰る人にとっては
金谷の宿に足止めされることで大変賑わった宿場町です。
 
 日々お念仏申して往くお念仏の旅です。
旅の交通手段は今は車や電車飛行機とあって便利ですが
江戸時代は籠や馬はありましたが旅というと大抵歩きです。
 一歩一歩踏みしめて歩いて行く旅は道中の楽しみもあり
目的地が一歩一歩近づくことで充実したものですが
自分の歩く力が頼りです。
 
 お念仏の旅は船路の旅といいます。
船の旅は船に乗ればそのまま目的地に送ってくれます。
 お浄土への旅です。
阿弥陀さまのご本願の船に
南無阿弥陀仏「まかせよ救う」のおはたらきにまかせて
乗ってこの身をそのままお浄土へ運んでくださるのです。
 
 昨日はコロナ関連対策で盛んに
go to トラベルのことが国会で報道で言われていました。
 旅に出ろうというキャンペーンです。
コロナでみんなが自粛していたら経済が回らないからと
観光浮揚策で国がお金を出すからとのことですが
急に東京だけは駄目よという話になりました。
 コロナ感染対策を取りつつ経済振興策も講じていくって
真逆な事でそこに人の思いが入ってくると難しいですね。
 
 お念仏の旅は南無阿弥陀仏まかせの自由な旅です。
私が私がと私の思いがその時時に入る旅ではありません。
 南無阿弥陀仏と阿弥陀さまにおまかせしてそのままです。
お念仏申す生活そのままがお念仏の旅なのです。
 今日一日もナンマンダブツとお念仏を申しながら
お浄土への旅をご一緒させていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.17)

「箱根八里は 馬でも越すが 越すに越されぬ 大井川」

2020-07-16
 東海道中第23宿は島田の宿です。
島田の宿から次の金谷の宿の間に大井川が流れています。
 有名な大井川の渡しです。
船で渡るのではなく人力です。
 輿に乗って渡る人いれば肩車されて渡る人もいますが
雨が降って川が増水すると川越えが禁止されます。
 
 「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」と
詠われるほどの東海道きっての難所です。
 ただ川越えが禁止されると旅の客が宿場に足止めされて
かえって宿場町が江戸の町のように賑わうともいうのです。
 これも予定外の旅の楽しみということです。
もちろん急ぐ旅の人やお金のない人には迷惑な話です。
 
 私たちの仏事で初盆のご縁を重ねて思います。
大切な方とお別れして初めて迎えるお盆です。
 初盆の挨拶は「静かな寂しいお盆になりました」ですが
実際は初盆のお家はどこも賑やかです。
 御仏前にお供え物が賑やかに並び遠方から家族が帰省し
親戚や友人もたくさん集まってご一緒するご縁なのです。
 
 御仏前阿弥陀さま仏さまの御前に集まります。
先に往かれた仏さまが集めてくださるご縁なのです。
 愛別離苦の悲しみにある私たちを阿弥陀さまは見て取り
「必ず救うまかせよ」と南無阿弥陀仏のおはたらきで
大きな大きなお慈悲のなかに摂め取ってくださって
ご一緒くださるのです。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.16)

平生いつもの阿弥陀さまのお浄土のお荘厳が有難いです

2020-07-15
 東海道中第22宿目は静岡の藤枝の宿です。
藤枝というとサッカーが有名です。
 日常折にふれて耳になじみの名所を聞くと
日本全国を旅する楽しみがまたわいてきます。
 
 昨日は本堂でご門徒のお葬式をお勤めしました。
お寺でのお葬儀で阿弥陀さまのお浄土のお荘厳を思います。
 今は葬儀社で行う葬儀が一般的で
お花でいっぱいに飾られた葬儀社の荘厳壇に比べると
お寺のお荘厳はいたってシンプルです。
 
 シンプルといって簡略ということではありません。
お寺の本堂のお荘厳はご本尊の阿弥陀如来を中心とした
阿弥陀さまのお浄土をあらわすものであり
お葬儀のご縁もそのままのお荘厳で
特に飾り立てることではありません。
 
 阿弥陀さまのお浄土は人の命終えて
お念仏申して往き生まれる
私たちのいのちの古里と聞かせていただきます。
 浄土真宗の門徒にとって
日常ご縁のあるお寺の本堂でのお葬儀は
これ以上ないシンプルにしてベストの
阿弥陀さまのお浄土のお荘厳のなかで勤まることなのです。
 
 お葬儀のご縁は非日常です。
たびたび何度もあるご縁ではありません。
その人人にとっては一度っきりのご縁です。
 
 浄土真宗のご法義をいただきますと
蓮如上人は平生業成(へいぜいごうじょう)とよくいわれて
平生に阿弥陀さまのご本願を信じお念仏申す身になって
命終えて阿弥陀さまのお浄土に往生し仏さまと成ることが
すでに約束されているとご教示くださっています。
 
 ただ今日常のお念仏申す生活です。
お念仏申す日常の中で大切な人と別れるご縁に遇うのです。
 死の縁無量でいつどこでどんなかたちかわかりませんが
南無阿弥陀仏のおはたらきにおまかせして
お念仏申す身のままにお浄土に生まれて
仏に成らせていただけるのです。
 お念仏申す生活のままに
お浄土への人生を歩ませていただけるのです。
 
 お念仏申す私たちの日常です。
このお朝事のご縁はお念仏申す日々の生活の始まりです。
 
 阿弥陀さまの御仏前お浄土のお荘厳の前に
この身を置かせていただきます。
 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで救われて
阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏にさせていただけると
平生からお聴聞させていただきます。
 
 そのままのお救いですから
日常普段のシンプルなお荘厳でいいのです。
 お葬儀のご縁だからと
特別にこうしなければならないということはありません。
 これまでお育ていただいた
お寺の阿弥陀さまお家の阿弥陀さまを中心に
仏さまのご縁に遇わせていただき
ていねいにお勤めさせていただくことが肝要です。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.15)

大切な人とお別れする悲しみのご縁をそのまま仏さまのご縁といただきます

2020-07-14
 東海道第21宿は岡部の宿です。
広重の浮世絵には宇津の山が描かれています。
 山と山が迫りくる細い山道峠の道です。
杉木立のなかを歩いて行きます。
 険しい山道を踏み分けて山坂越えて行く道は
思い通りにならない人生の道のようです。
 
 昨日あんのん館でお通夜のご縁があり
今日は本堂でお葬儀のお勤めです。
 30人ほどの方がお通夜にお参りでした。
聖典をお配りしご一緒にお正信偈のお勤めができました。
 
 本当に有り難いご縁だと思います。
お葬儀のご縁で有難いなどと
変なことを言うようですが本当に有り難いです。
 お通夜は最後の夜を有縁の皆さんとお話をするご縁です。
人の命はすでに終えていますが姿かたちはそのまんまです。
昨日もご遺族がお泊りでしたが添い寝をして過ごす夜です。
 
 今日はお葬儀で葬送です。
阿弥陀さまのお浄土に送らせていただきます。
 送る方も送られる方も往くところが分かっているから
「往ってきます」「往ってらっしゃい」と見送れるのです。
 
 火葬されてお遺骨となって還って来ます。
還骨勤行といって本堂の阿弥陀さまのそばに
お遺骨をご安置してお勤めをします。
 
 お浄土の仏さまに成ってくださって
49日間の中陰のお勤めが始まります。
 仏法を聞いてお念仏申す身になっておくれとの
仏さまの願いのなかに仏さまのご縁をいただきます。
 
 人の命は終えますが仏さまのいのちに生まれて
南無阿弥陀仏のおはたらきとなって
これからずっと私に寄り添い
ご一緒くださると仏法聴聞させていただきます。
 
 大切な人とお別れする悲しみのご縁をそのまま
仏さまのご縁といただける有難さです。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.14)

名物にうまいものなし

2020-07-13
 東海道中第20宿目は静岡の鞠子(まりこ)の宿です。
広重の浮世絵に名物茶屋と題した茶屋の絵があります。
 この鞠子は昨日の府中から明日の岡部に抜ける
山中にある53次で一番小さい宿場です。
 
 その名物はとろろ汁だそうです。
松尾芭蕉も鞠子の宿の名物とろろ汁と歌に詠んでおり
東海道中膝栗毛にもとろろ汁のことが書かれています。
 今もその茶屋が残っていて丁子の茶屋というそうです。
江戸時代に入る前からの400年以上前の創業といいます。
 歌川広重の浮世絵の話をしていますが
浮世絵は1832年頃に書かれたものといわれており
丁子の茶屋はその200年以上前からあったということです。
 
 だから名物なのです。
名物って長い長い歴史があって人人の言い伝えによって
あそこに行ったらこんな名物があると言われるものです。
 昨日の安倍川もちがそうです。
土地土地の名物にあうことの旅の楽しみです。
 
 一方で名物にうまいものなしという言葉があります。
やっとの思いで名物を食べてみたらそうでもなかったと
期待していただけに期待外れということにもなります。
うちで作ったものの方がおいしいなどと言い出す始末です。
 
 えてしてそういうものでして
私たちは遠く外を見て何か良いものを探そうとしますが
近くのすぐ足元に探し物があるってことです。
 
 私たちの日常です。
私たちが日々いただくわが家の食事に名物があるのです。
 旅に出てみて初めてわが家の良さを知るということです。
一生に一度食べるものではなくて毎日の食事です。
ただこれも何か当たり前のように食べている私たちです。
 
 それこそ後から思うのです。
おふくろの味が懐かしいと思い出すのです。
 わが子の成長を願い作ってくれた母の食事です。
身体ばかりでなく心も心身ともに育てられてきたのです。
 
 お念仏のお育てをいただくといわれます。
お念仏の味です。
私たちのお念仏の味は南無阿弥陀仏のお心一味です。
 名をもって物に接すると
いつでもどこでも南無阿弥陀仏のおはたらきは
この私に寄り添いご一緒くださっているのです。
 
 お念仏の名物の味です。
お念仏を申しお念仏のお心を聞かせていただくなかに
今日の一日もお浄土へのお念仏の旅を
ご一緒させていただきましょう。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.7.13)
円光寺
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