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お念仏を申す生活法話

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「そだねー」

2018-02-26
 ピョンチャンオリンピックも昨日で終わりました。
最後まで日本選手の活躍でテレビを観ることが多かったのですが、
女子カーリングが初めて銅メダルをとり、話題になっています。
 
 約二時間半の試合です。三位決定戦まで11試合、一日に2試合という日もあって体力的にも大変だったと思いますが、
一つ話題になったのがカーリングの選手がマイクを通して発する「そだねー」という言葉です。
 気が早いと思いますが、今年の流行語大賞の有力候補といわれています。
 
 北海道弁で「そだね―」というそうですが、「そうだね」「そうですね」ということですね。
 カーリングの試合でどこにどのようなショットをうつのか、みんなで相談確認して「そだねー」。
何人か人が集まって、このことはどうするかと話し合い様々な意見があるなかで、
最終的に「そうだね」とお互いに受け入れ同意する言葉だと思います。
 
 今はSNSで、投稿された記事に「いいね!」という言葉で賛同を表します。
「いいね!」という人ばかりではありません。「わるいね!」という人もあると思います。
 
 「そだねー」そうだねと人と人とがお互い向き合って確認していくことが大切です。
善い悪いを超えた、大きないのちのあたたかいつながりを感じます。
 
 昨日七日日のご縁にお参りして、ご一緒にお勤めをしお話をして、御仏前に向き直り
「ご一緒にお念仏申しましょう」と言いました。すると即座に「はい」と言われ、ご一緒にお念仏申しました。
 
 「ご一緒にお念仏申しましょう」「はい」と。
「そだねー」と重ねて思います。
 
 共々に仏さまのご縁をいただき阿弥陀さまのご法義に遇わせていただきます。
「まかせよ、救う」の南無阿弥陀仏のおはたらきに、「はい」とただ一言です。
 
 「おまかせします、阿弥陀さま」とお念仏申させていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.26)

氷が溶けたら春になる

2018-02-25
朝が大分明るくなってきました。
今日は総代世話人さんにお参りいただいて配りものをしていただきますが、
掲示伝道の言葉を毎月書かせていただいて皆さんにお届けしています。
 
 三月のことばは「光をあびて 氷とけ 私の心に 春が来た」です。
 
 ある時学校の先生が「氷がとけたら何になりますか?」と生徒に質問したそうです。
するとある子が「氷がとけたら春になる」と答えたそうです。
 
 先生が期待していた答えは「氷がとけたら水になる」。確かにそうですよね。
ただ氷がとけるということ春が来たということです。
 
 私たちの阿弥陀さまの智慧の光はお慈悲のおはたらきとなって私たちの心に届いているといわれます。
どんな私の心でしょうか。氷のような冷たく頑なな心です。
 その私の心を阿弥陀さまは大きなあたたかいお慈悲の光でとかす、やわらかくしてくださるのです。
 
 光をいっぱいあびるのです。
 光をあびるということは、ご縁をいただくということです。仏さまのご縁です。
仏さまのみ教えを聞かせていただくということ、お聴聞です。
 南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただきます。聞かせていただくなかに私の心に春が来るのです。
 
 私たちの日暮しはどこまでも自分中心の日暮しです。私たちお互いがそうなのです。
ただお互いが私が私がといっていたら、それこそ争いの絶えることはありません。
 
 そういう私たちが、あなたも私もみんな一緒に仏法を聞かせていただきましょうと、ご縁をいただきます。
お念仏を申しましょう。南無阿弥陀仏のお心おはたらきを聞かせていただきましょう。
 
 南無阿弥陀仏の光をいっぱいあびて、春の日の日暮しをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.25)

「久しぶりやね。元気にしてた!」

2018-02-24
 昨日夕方6時の鐘をうっていましたら 鐘楼の前で自転車が止まり一人の女の子が私の方を見ています。
すぐ気づきましたが、名前がでてきません。水曜学校の子ども会に通っていたお友だちです。
 
 鐘つきが終わって「久しぶりやね。元気にしてた!」と声をかけました。
今は短大の一年生、19歳ということで、ふっとお寺の成人式のことを思い出して声かけをしました。
 
 皆さんに呼びかけるということではありませんが、水曜学校の修了生を中心に声かけをして、
大晦日の除夜の鐘つきの後に成人の集いをしています。
 
 ずっとずっと先の話ですが、「お友だちも誘って、また来てね」といって別れました。
 
 声をかけてくれる有難さを思います。
声をかけるにも、どこに行けば会えるのかわからなかったら声をかけることはできません。
 夕方6時と朝6時に鐘をついています。そこにお寺の人がいます。
水曜学校でいえば、毎週水曜日の4時に円光寺でお友だちに会うことができます。
そして今日のご縁でいったら、毎朝6時半にここでお念仏のお友だちに会えるということです。
 何か当たり前のようですが、本当にすごいこと有難いことなのです。
 
 仏さまのご縁です。私たちの生活の中心に阿弥陀さまがいらっしゃるという有難さです。
自分一人で頑張っても人に会うということは難しいことです。
 
 今日もこうして、皆さんご一緒に阿弥陀さまにお礼ができて、一日を始めさせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.24)

お金の流れ

2018-02-23
私たちが所属する色んな会がありますが、会の運営活動にはお金がかかります。
何か行事をする時も予算を組みます。行事が終わって決算を出します。
 こうしたお金の流れをみると、どういうことをしようとしているのか、してきたのかといった
その会の活動状況を知ることとなり、その会が健全に運営されているかどうかをみる大きな指標になります。
 
 会議ばかりしている会があります。会議に係る交通費や宿泊費等の経費が膨らんで
支出の全体合計としては何か活動しているようですが、実際は会議ばかりで主な活動ができていないことが見えてきます。
 
 お家のことも家計簿をつけることでその家の運営が健全にうまくいっているかどうか見ることができます。
衣食住という生活の基本的なものを極端に辛抱したら家族の生き死ににかかわってきます。
いかにうまく経費を節約していくかが大事です。
 
 ただ衣食住ばかりに係っていたら、本当に充実した生活を享受できるのかということです。
人間に生まれて、本当に生きてよかったいえる生活、人生でありたいと思います。
 そしてこれはお金の大小で決まる、決められるものではありません。
 
 仏さまのご法義もお金の多少をいいません。
でもこのご法義を伝えていくということについてはお金と相談することもでてきます。
 
 お寺の護持運営ということです。本堂庫裡などの建物の維持管理、そしてお念仏の活動を促す施策です。
それはお寺に住まいする住職寺族だけでなく、私たちご門徒皆さんが関係することなのです。
 私たちの生活の中心としてお寺を盛り立てていこうという心意気です。
私たち一人ひとりができる精いっぱいのことをさせていただくことが肝要と、昨日の会議でまた思ったことです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.23)

忘れる

2018-02-22
毎朝いつものことで、お朝事の準備でお仏飯をお供えし外陣のストーブをつけるのですが、今日は忘れていました。
先日は本堂のかぎを閉めたままで失礼しました。
 
 何か一ついつもと違うことをしたり思ったりすると、いつものことをすっかり忘れてしまうことがあります。
私の思いが入ります。すると通常いつものことができないことがあるのが私たちのようです。
 
 私が生きている生活、人生ですから、私の思いが入らないことはありません。
ただいつものことと身についていることもあります。
 身についているとあたり前のようにできるんですね。
 
 私たちの阿弥陀さまのおはたらきです。
南無阿弥陀仏の「まかせよ救う」のおはからい、おはたらきにまかせるということです。
 逆に言うと、まかせられない私がいるということです。
 
 私たちはそれぞれ私の思いをもって生きています。
思い通りにいけば本当にいいことですが、中々思い通りにはいきません。
 
 私の思い欲の心をいっぱいふくらまし、少しでも思い通りにいかないと怒りの心をあらわす愚かな心の私たちを、
わが子のようにいつもしっかり見てとってくださっている仏さまがいらっしゃるということです。
 阿弥陀さまです。南無阿弥陀仏の仏さまです。
そしてその阿弥陀さまと共々に私たちのご先祖有縁の仏さま方がご一緒だと聞かせていただきます。
 
 ナンマンダブツとお念仏を申すなかに今日一日も精いっぱい私のいのちを輝かせて生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2018.2.22)
円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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