諸々片付けのご縁で
2025-12-13
ご本山から出版される月刊誌を
整理処分することにしました。
数十年分書棚に並べていたもので
古いものから順番にまとめて紐に包んでいきます。
中に私たちのお寺を取材してくださった号があり
取り出してみました。
当時のことが懐かしく思い出されます。
そして前後の記事を繰ってみると
お世話になった有縁の先生の執筆されたものが
目に留まり読みました。
お念仏のご法義のお話です。
懐かしく思って読んだつもりでしたが
今読んでもそのまま新鮮に受け入れられ
先生への思い入れもあって
あっという間に最後まで読んでしまいました。
もう片付けどころではありません。
また一冊一号と開くとその当時の方々の文章があり
いったん片付けは中止して
後日あらためて読み返すことにしました。
私たちの日暮しは諸行無常の理で
日々移り変わり行く中に生活していますが
お念仏のご法義は今も昔も変わらない
真実まことのみ教えです。
親鸞さまは火宅無常の世にあって
「ただ念仏のみぞまこと」とお示しです。
親鸞さまの時代も遥か遠いお釈迦さまの時代も
そして今も「生きとし生けるものすべてを必ず救う」
南無阿弥陀仏のおはたらきは変わることなく
いつでもどこでも私たちに届けられているのです。
以前に読んだ当時から生活ぶりは随分変わりましたが
この歳になって改めて読ませていただく楽しみです。
南無阿弥陀仏の大きないのちにつながって
多くのお念仏の先人方と共々に
阿弥陀さまのお慈悲の中に生かされて生きている
有難さ尊さを思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.12.13)
同級生をおくる
2025-12-12
小学校の同級生が亡くなり
お寺のご門徒さんのご縁で
お葬儀にお参りさせていただきました。
73歳です。
人生100年時代ともいわれる長寿社会にあって
少し早過ぎるように思われますが
死の縁無量でどういう形でこの命終えていくのか
誰しもわからないことです。
お棺の中のお姿を拝します。
学校卒業後そんなにお会いしたことがない
久しぶりの再会で
様相は随分変わっていますが
手を合わせ目を閉じ懐かしく思い起こすお姿は
小学校の頃のそのまんまです。
その人人の人生です。
いろんなことがあったと思います。
私の知らないことばかりですが
「ようこそ生きてきましたね」
「ありがとうございました」と
心の中で声かけしました。
そして「いってらっしゃい」と
お念仏申して阿弥陀さまのお浄土に
送らせていただきます。
人それぞれに日々の生活があり
その人生は様々違いますが
時間の前後こそあれ
私もまた同じお浄土に生まれさせていただくと
お念仏のご法義に聞かせていただきます。
この人生で会えてよかったと振り返り
これからもお浄土の仏さまとなって
私たちを護り導いてくださることを
お念仏申して思わせていただきます。
あなたも私も皆共に
南無阿弥陀仏の大きないのちにつながって
阿弥陀さまのお慈悲の中に
生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.12.12)
式章を着ける
2025-12-11
門徒報恩講でお勤めの後にお家の方から
「こんな時も式章を着けていいのでしょうか」と
たずねられました。
お寺にお参りするときやご法事のときなど
特別な時に着けるものと思っていたようで
「仏さまにお参りするときは
つとめて着けるようにしたらいいですよ」と
お答えしました。
式章とは肩衣(かたきぬ)といわれ
仏さまのご縁に首から下げて使う大切な法具で
ご門徒皆さんにお寺からお配りしており
お寺の法要の記念品などでももらって
ご門徒のお家には何本も式章があります。
式章は大事に仕舞い込んでおくものではなく
普段から使っていただくようにお話しているのですが
何か特別感があるというか
身に付いていないということです。
まずご自分の式章を決めて
お参りバックに聖典・念珠と共に入れておきましょう。
朝お仏壇にお仏飯をあげたりお参りするときも
お灯明をつけお線香を炊いて御仏前に座り
式章を着けお念珠をかけて
お念仏申しお礼をされることが
日々の習慣になったらいいですね。
日頃から式章が身に付くことでお寺参りです。
「お寺参りはお浄土参りの習い」というお話です。
お葬儀のご縁にお棺の中に
式章をかけお念仏をもつ普段のお姿を拝して
「お浄土参りですね」とお念仏申させていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.12.11)
「いい法名をつけてください」
2025-12-10
余命わずかと医師から宣告された方のご家族から
葬儀のことについて相談される中で
「いい法名をつけてください」と言われました。
浄土真宗では法名ですが
一般的には戒名のことです。
仏教徒になったしるしの名前ということで
法名をもって仏式の葬儀を行う習いです。
法名は生前にいただくことを
日頃からお勧めしています。
仏法僧の三宝に帰依して仏教徒になる
<帰敬式(ききょうしき)>を受式して
「釋○○」と二文字の法名をいただきます。
法名は私の意思で自分で付けるのではなく
法名に「釋」の字がついているように
仏教を開かれたお釈迦さまに
つけていただくということです。
私たちの宗派<浄土真宗本願寺派>では
基本的にご本山で帰敬式を受けて
ご門主から法名をいただきます。
ただ生前に法名をいただいていない方については
亡くなった後葬儀の前に
所属寺の住職がご門主のお手代わりとして
法名を付けることになっています。
そこで「いい法名をお願いします」ということです。
いいといえばわるいがあるのか
いい・わるいの判断は何をもってするのか等々
住職の責任問題にもなってきそうなことのようですが
結局は法名を受けとる人の思いはからいです。
法名をいただいた当人はすでに命終えており
よい・わるいは周囲の方々の受けとめ方次第なのです。
そもそも法名によい・わるいはありません。
お釈迦さまが説かれた
お経さまからいただく二文字ですから
そのままいただければよいのです。
どこまでも自己中心の思いはからいで生きて
よい・わるいに執われ苦悩し迷う私を目あてに
阿弥陀如来は「われにまかせよ必ず救う」と
いつでもどこでも南無阿弥陀仏とおはたらきです。
先に往かれたお方は
今は法名「釋○○」の仏さまとなって
後に遺った私たちをお念仏のご縁に導き
往生浄土の道往きをご一緒してくださるのです。
お念仏申してこれからも
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に共々に生かされて
生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.12.10)
御仏前で米寿のお祝い
2025-12-09
門徒報恩講にお参りしたお家のことです。
いつもの仏間に入ると
お仏壇の周囲に「祝米寿」「元気で長生きしてね」と
印字プリントされた用紙が飛び込んできました。
88歳の米寿のお祝いを
ご家族皆さんで仏間でされたといいます。
お仏壇をご安置する仏間です。
お家の中でも一番大切な場所で
特別なお客事をするときに使う客間ともいって
法事などの仏事やお祝い事を行い
昔はお葬式や結婚式もしていました。
今の住宅事情では仏間客間より
日頃家人が使う居間や台所が中心になりますが
昔は家族の特別な日に
お仏壇がある仏間で
家族皆で食事をする習わしがありました。
お互い皆の顔が見えてごちそうを囲みお酒も入って
話が弾む大切なご縁です。
法事のお斎(とき)も
お勤めの後でお寺さんを囲んで
仏間の御仏前でしていたものですが
今はお斎があっても外食になってしまいました。
このお仏間での米寿のお祝いの会のようすを
勝手に想像してみたくなりました。
子や孫曾孫まで四世代にわたる大家族の宴会です。
それだけ多くの人が集まるだけでも楽しいことであり
いろんなお話になったのでしょうね。
日頃はそれぞれのお家で
少人数の世帯が殆どだと思いますが
人と人とのご縁つながりを思います。
お仏壇を中心にご先祖有縁の仏さま方もご一緒して
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に共々に生かされる
お念仏のご縁つながりです。
あなたも私も皆共に御仏前に一堂に会して
お念仏申すおすがたが自然に想い出されます。
皆さん御仏前に会えてよかったですね。
おめでとうございます。
そしてありがとうございます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.12.9)


