かりんとう饅頭
2024-12-02
ご門徒のお家にお参りして
お勤めの後にお茶のお接待があります。
あるお家で出されるお茶うけについて
あるお坊さんのお話です。
初めてお参りしたお家で出されたのが
<かりんとう饅頭>でした。
初めていただくお菓子で珍しくて
「おいしいです」「好きです」といただくと
それから決まって<かりんとう饅頭>が
お茶うけに出てきたそうです。
用意できていないときは「すみません」と
謝られたといいます。
自分のことを気にかけ思ってくださる
有難いことだなというお話です。
私が学校を卒業して自坊に帰り
ご門徒のお家の月参りを始めた頃のお話です。
一人暮らしの70代の小綺麗なおばあちゃんのお家で
決まってコーヒーが出ました。
素敵なカップにコーヒーをいれてくださり
最後に角砂糖を混ぜて出してくださるのですが
1個2個3個…と
コーヒーがあふれ出すのではないかというほど
たくさん入れてくださり「さあどうぞ」と言われます。
すごく甘いコーヒーでしたが
ご門徒さんの精いっぱいのおもてなしです。
戦前戦中戦後の物の無い時代を生きてきて
甘いものは本当に貴重でぜいたく品だったそうです。
そのぜいたく品をお坊さんに
布施する思いなのでしょうね
その心遣いが有難くて甘いあったかい思い出です。
阿弥陀さまの御仏前に共々に誘われて
ご一緒にお念仏申させていただく
あたたかい仏さまのご縁に遇わせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.12.2)
声に力あり
2024-12-01
ご門徒のお家の報恩講参りで
久しぶりに懐かしいご門徒さんにお会いしました。
92歳のおばあちゃんです。
お正信偈のお勤めですが
大きな声でご一緒にお勤めされます。
お勤めが済んで
「大きな声が出ますね!」と言いますと
「もう何も出来んようになってつまりません」
と言われます。
隣には車いすが置かれてあり
家の中をこの車椅子で動いているのでしょう。
リーダー格の元気のよいご門徒さんで
お寺にもよくお参りされて
お寺のご加勢も率先してしてくださいました。
「お寺にお参りしたいけれど
ご無沙汰していてすみません」と謝られます。
この状態ではお寺参りも難しいと思いつつ
「またお参りしてくださいね」と言って
お別れしました。
大きな声は若い頃とそんなに変わっていません。
「大きな声が出てお元気ですね」と言うと
「はい声も大きいし食べるのもよく食べるんですよ」と
「それはいいじゃないですか。
大丈夫!大丈夫ですよ」と言ったことです。
阿弥陀さまは声の仏さまといいます。
南無阿弥陀仏のお念仏の声になってくださって
いつでもどこでもどんな人にも分け隔てなく
「われにまかせよ必ず救う」とおはたらきです。
お念仏の声の力おはたらきです。
大きな声でも小さな声でもたとえ声にならなくても
阿弥陀さまのお慈悲のおはたらきは
この私に届いてくださっているのです。
もののいのちをいただき
愚痴や怒りのことばが出る
この同じ口から
お念仏が出てくださいます。
「大丈夫大丈夫!私がいつも一緒だから
われにまかせてお浄土参りさせていただきましょう」と
阿弥陀さまが喚んでくださって
私の口から「おまかせします阿弥陀さま
ありがとうございます」と
御礼のお念仏が出てくださるのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.12.1)
スマホめし
2024-11-30
一人で食事をする時スマホを見て楽しむ
<スマホめし>の話題です。
初めて聞く言葉です。
一人暮らしの若者を中心に
スマホめしを経験した人は10~20代で77.5%
30~40代も半数いるといいます。
ながらスマホの話題が事欠かないほど
日常生活の中でスマホの存在は若者ばかりでなく
今や全世界の人々の主要アイテムになっています。
新聞を読まないテレビを観ない人が増えるなかで
孤独感を楽しむ工夫として
誰かの存在を感じながら食事をしたいということで
スマホやテレビラジオで人の声を感じながら
よりおいしく食事をするというのです。
ただスマホに夢中になって
何を食べているのか満足度が少なく
食べ過ぎになってしまうとの指摘もあり
食べ物に向き合うことなく
いのちへの感謝が薄れるのではとも言われます。
私の口からふと出る出てくださる
<ながら念仏>です。
わが身について離れず
いつでもどこでもご一緒くださる
お念仏のおはたらきです。
食事をしながらふと出てくださるお念仏は
「まかせよ救う、いつも私が一緒だよ」と
阿弥陀さまのお喚び声のおはたらきで
食事をいただくいのちもこの私のいのちも
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
共々につながって生かされて生きていることを
聞かせていただきます。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.11.30)
門徒報恩講のお参りです
2024-11-29
昨日でお寺の<御正忌報恩講>がご満座となり
今日からご門徒皆さんのお家で
親鸞聖人のご法事をお勤めさせていただきます。
お仏壇をきれいにお荘厳されて
阿弥陀さま親鸞さま蓮如さまご先祖有縁の仏さまに
お念仏申してこの一年のご報告と御礼をします。
日々お念仏申す生活をさせていただき
お浄土への人生を共々にさせていただける
有難さ尊さです。
歳を重ねるなかで様々なことが起こってきます。
自分に不都合な思い通りにならないわが身の事実です。
この苦悩の凡夫をそのまま救う
南無阿弥陀仏のお心おはたらきが
この身に届いてご信心をいただき
お念仏を申す身にさせていただきます。
お念仏申して
私の思い通りにいく人生ではありませんが
ご縁ご縁にお念仏申させていただき
「必ず救うまかせよ」と
阿弥陀さまのお喚び声を聞きつつ
往生浄土のお念仏の道行きを
共々にさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.11.29)
迷惑をかける
2024-11-28
中学生になったばかりの子どもに
「もう中学生になったのだから
人に迷惑をかけるようなことはしてはいけないよ」と
父親が諭したといいます。
皆さん「その通り!」と
頷かれるのではないでしょうか。
中学生になり大人の階段を上り始めた子どもへの
お父さんのエールです。
数日後
そのお子さんは自死しました。
「何でどうして」と
お父さんは何度も何度も思い返し自分を責めて
「迷惑をかけたらいけないというのではなく
迷惑をかけて生きていることに気づいて
生きてほしいと言ってあげればよかった」と
後悔したといいます。
私たちが生きるこの社会は
たくさんの人がそれぞれの思いをもって
生きている社会です。
迷惑をかけることは悪いことといって
皆が自分の思い通りに生きていけば
他の人の迷惑になるし
お互いに迷惑をかけ合いながら
私たちは生きているというのが
本当のことのようです。
私一人でこの社会を生きてはいけません。
私の思い都合に良くも悪くも
人と人との関係つながりのなかで
私たちは生きています。
そのなかで誰にも迷惑をかけずに
生きている人はいないし
そこに私の思い通りにならない苦悩があり
迷いがあります。
お念仏を喜び申して生きた妙好人の
足利源左さんのことばです。
「ひとさんに堪忍してもらってばかりおりますだがや」
仏教ではこの世を娑婆といい
堪忍土という意味があります。
この娑婆世界は堪え忍んで生きていく世界ということで
大変な苦悩ストレスがたまります。
源左さんが聞かれたお念仏のみ教えは
どんな人も阿弥陀仏のお慈悲の中に生かされて
南無阿弥陀仏のお心おはたらきでそのまま救われていく
他力浄土の仏道でした。
迷惑をかけていい堪忍しなくていいと
言うのではありません。
迷惑をかけずには生きていけないと
堪忍してもらって生きていますと
源左同行はお念仏申して
皆さんと共々に生きて往かれたのではないでしょうか。
阿弥陀仏の本願は
自分の思い通りに生きて
人に迷惑をかけ堪忍してもらって生きている
この私を目当てのお救いの法を
南無阿弥陀仏と成就してくださったのです。
あなたと私がお互いに自分中心に生きるなかで
それぞれの思いが行き違うとても悲しい事実です。
あなたと私皆共にお念仏のみ教えに生きるとき
お互いに迷惑をかけ合い堪忍してもらって
生きていることに目覚め敬い支え合って
おかげさまと共に生かされて生きることできるのです。
堪忍しないといけないとストレスをためるのではなく
堪忍してもらっているとあなたに感謝していく
迷惑をかけてはいけないと
自分の殻に閉じこもるように
窮屈な生き方に固執するのではなく
お互いに迷惑をかけ合い共に生きていることに目覚めて
共々に成長していくお念仏の道を
ご一緒させていただくのです。
お念仏申して阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
あなたも私も皆共に
生かされて生きてまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.11.28)