お念仏の湯治
2026-06-14
今のようにサラリーマン世帯ではなく
農業漁業林業などを生業とする農漁山村部に在る
浄土真宗のお寺の法要行事は
門徒衆の生業と関連して勤められてきました。
6月の田植えの農作業で忙しいこの時期は
お寺の行事は控えめになります。
親鸞聖人が関東にいて布教活動に勤しんでいた頃
「田植え歌」なるものが残されており
地域の皆さんと一緒に田植えをしながら
お念仏のご法義を味わっておられたのでしょう。
秋のお米の収穫時期の頃も
お寺の行事は控えめです。
昔よく温泉に湯治に行っていたという話題を
先日テレビで観ました。
湯治は長い期間温泉のある宿屋の一間を借りて
そこで寝泊まり自炊して
病気やけがの療養をするといったものですが
ゆっくりゆったりお湯に浸かって
日頃の疲れをいやす非日常の楽しみだったといいます。
その湯治場にお寺の道場があったという話です。
お湯に浸かって仏さまのご法座にあうご縁です。
娯楽の少なかった当時
お坊さんのお話を楽しみに聞いていたことが
有難く偲ばれます。
お念仏のお湯に身を浸すということです。
「まかせよ救う」南無阿弥陀仏のおはたらきにまかせて
お念仏申す身にお育ていただく
お念仏の湯の効用です。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2026.6.14)
浄土の菩薩たち
2026-06-13
浄土真宗のご法義は
阿弥陀如来の「十方衆生を必ず救う」
本願成就の南無阿弥陀仏のおはたらきで
信心を恵まれお念仏申す身にさせていただき
人の命終わるときそのまま阿弥陀仏の浄土に往生し
阿弥陀さまと同じおはたらきの仏と成って
迷いの世に還って来て衆生を救う
本願力回向のダイナミックな教えです。
お念仏の行者が往生浄土即成仏するのですが
菩薩の姿になって衆生済度のはたらきをする
というのです。
お浄土には阿弥陀仏の仏ひとりで
往生浄土の聖者は菩薩といいます。
菩薩は「仏のさとりを求めて修行する者」ですが
浄土の菩薩は自利利他円満の菩薩行を実践するべく
南無阿弥陀仏のおはたらきで
浄土に居ながら阿弥陀仏のお説法を聞き
諸仏の国に往きては
阿弥陀仏の御名を称える諸仏方を讃嘆し
自由自在に迷いの世に還来しては
衆生済度の利他行を実践されるのです。
先にお浄土に往かれたお念仏の先人です。
苦悩の凡夫のこの私に南無阿弥陀仏のお心を信ぜしめ
お念仏を称えさせてお浄土に導いてくださるのです。
懐かしいそのお姿をこの目に見ることはできませんが
確かに確かにお念仏のお喚び声となって
いつでもどこでもどんなことがあっても
私に付いて離れず護ってくださる
頼もしいお浄土の菩薩さまたちです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2026.6.13)
お念仏の道列
2026-06-12
長い行列に並びました。
朝早く遠路を車で行き
目当ての商品を得るためです。
予想をはるかに超える長い長い列でした。
限定数の商品で長い列に並ぶ人数を見て
「これはゼッタイ無理だ!」と思いつつ
せっかくここまで来て
すごすごと逃げ帰るようなことはできないと
暑い中を長い列に並び続けました。
周囲の人も皆さん同じ気持ちでいることが
漏れ聞こえる会話から知らされます。
しばらくしてお店の方が
「今日の商品はすでに売り切れました!」と回って来て
やっぱり思った通り!と諦めて列を離れました。
皆さん思うことは同じだということです。
列に並ぶのもまた列を離れるのも
初めからどんな状況になるかわかっていれば
もっと早い時間から列に並ぶか
元から列に並ばない選択もあります。
ただそれは列に並ぶことで
自分事として知らされる真実です。
人に生まれて生きることも
列に並ぶようなことかもしれません。
どこに行くのか先の見えない列で不安もありますが
皆が並んでいるから「何かいいことがあるのかな?」と
興味本意で並ぶ列もあります。
阿弥陀さまのお念仏のお救いの法は
阿弥陀さまが一緒に並んでくださる
お念仏の道の列です。
往生浄土の往く先を決めてくださったと並ぶ列ですが
阿弥陀さまがご一緒してくださることに安心して
阿弥陀さまの仰せに順い
お念仏申して往くお浄土へ続く道です。
周囲の有縁の皆さんの声が聞こえます。
南無阿弥陀仏のお念仏の声です。
お念仏の声に支えられて今日一日も
お浄土につながるお念仏の道列に並んで
あなたも私も皆共に往生浄土の道行きを
ご一緒させていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2026.6.12)
仏法と世間法
2026-06-11
「神様が作った法律ではない。
人間がつくった法律を
人間として改正していただきたい」。
刑事裁判をやり直す再審制度の見直しに向けた
刑事訴訟法改正をめぐり
死刑確定から再審無罪になった
袴田巌さんの姉秀子さんが
国会で参考人として
「法案に抜け道がないように検討いただきたい」と
訴えた新聞記事を読みました。
袴田さんの再審無罪につながる
証拠が開示されたのは
初めての再審請求から29年後のことでした。
秀子さんは
「なんでこんなに長くかかったのでしょう。
法に不備があるからだと思う」と語り
「証拠開示があったおかげで今の巌がある。
良い証拠も悪い証拠も全部出して裁判をするのが
フェアではないか」と話しています。
前述の言葉です。
秀子さんが立法を担う国会議員を前に求めたものです。
神様が作った法律ではないと
完璧ではない人間が作った法律の不備を認めるなかで
人間としての良心をもって法律改正してほしいとの
切なる願いです。
法律は人間が作るもので完璧なものではありませんが
法規範のもとで私たちの社会生活が営まれています。
戦後私たちの国は『日本国憲法』を基調に
諸々の法律が立法府の国会で作られ
行政施行されてきました。
時代の変遷とともに
種々様々な人々の価値観が生起交錯し
社会のあり方が変わって行くなかで
法律の改正も然るべく行われるところですが
人間の作った法律には不備が生じるというか
時の立法行政府の力関係も多分に影響するものです。
仏法と人間がつくる世間法の違いです。
仏法といって仏さまがつくった法ではありません。
仏さまがさとられた真理の法です。
どんな時代どんな社会にあっても
変わらない真実の法ですから
仏法を改正するということ自体ありません。
世間法は私たちが社会生活を営む上で
互いに守るべき規範ですが
仏法はどんな人にも等しく
はたらいてくださる真実の法であり
私たちは仏法のおはたらきのなかに
共に生かされて生きていると
お聞かせいただきます。
首相が言う「国論を二分する」ような法律の制定が
多数与党の現政権のもとで着々と進められています。
真実仏法の視座で世間法のあり方を
見つめていくことの大事を思います。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2026.6.11)
AI時代の仏法聴聞
2026-06-10
毎日AI(人工知能)の話題に事欠かない
まさにAIの時代社会に生きる私たちですが
AIへの期待が高まる一方で
様々な課題も指摘されています。
教育分野において
学びを豊かにする期待がある一方で
思考力低下などの弊害の指摘です。
宿題の答えをすぐAIに頼ることで
果たして幅広い学力向上になるのかということです。
子どもたちだけの話ではなく
私たちも日々の生活の中で
分からないことがあればその都度AIに聞けばいいと
その場限りの知識が身に付かないままに
自分自身で考え自分で答えを出そうとしないことが
多くなったのではないでしょうか。
AIの答えでもって
自分が本当に分かったつもりになっている危うさです。
AI時代の仏法聴聞です。
仏法聴聞は仏法を聞いて理解し覚えるといった
知識の積み重ねではありません。
仏さまのみ教えである経典を学ぶのではなく
経典に学ぶといわれます。
曹洞宗の開祖道元禅師は
「仏道をならうというは自己をならうなり」(正法眼蔵)
といわれ
仏さまのみ教えに自分自身のあり方をならう
肝要をお示しです。
経典の行間を読むともいわれ
経典のお心をたずねていくといい
単なる知識の習得ではなく
仏さまの智慧のお心をたずねていくということです。
仏教の知識の習得も大事ですが
AIに振り回されることなく
仏法に自らを聞かせていただくという視点をもって
主体的にAIに向き合い活用していくことこそ
一大事です。
親鸞さまはご本典『教行信証』の総序で
「誠なるかな、摂取不捨の真言、超世希有の正法
聞思して遅慮することなかれ」
(如来の本願の何とまことであることか
摂め取ってお捨てにならないという真実の仰せである。
世に超えてたぐいまれな正しい法である。
この本願のいわれを聞いて
疑いためらってはならない)
と仰せです。
阿弥陀如来の「十方衆生を必ず救う」
本願成就の南無阿弥陀仏の仏法に出遇い
お念仏申してしっかりと自分事と受け止め
思いをめぐらすことで
ためらわずに私にできる生活実践を
一つ一つさせていただきましょう。
★『ようこそ月報』2026年6月号より
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2026.6.10)


