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お念仏を申す生活法話

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お念仏申す今日のおつとめ

2025-03-08
 朝起きて「今日は〇〇をしよう」と段取りをし
仕事の準備に取りかかります。

 時間が過ぎ行くなかに
準備が思ったようにいかないと
「今日はここまで。また明日にしよう」と
明日に持ち越し一日が過ぎます。

 何かそんなことの繰り返しで
一日、一週間、一か月そして一年が過ぎ
歳を重ねるなかで
「一体今まで何をしてきたのだろう」と
ふと立ち止まり
過去を振り返ってみても
現実は今こここの私を生きているということです。

 自分の思い通りに行く人生ではないことは
昨日の私の生活ぶりを振り返っただけでも
頷けることですが
この現実をわが身のことと
受け止められない私がいます。

 過ぎ去ったことに思い煩い
未だ来ないことに思い悩む私を見て取って
阿弥陀さまは「われにまかせよそのまま救う」と
今こここの私に南無阿弥陀仏とおはたらきです。

 お念仏申して
いつでもどこでも阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
生かされて生きていると聞かせていただき
今日一日も今こここの私にできる
精いっぱいのおつとめをさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.8)

恵みの雨

2025-03-07
 山林火災の延焼が続く岩手県大船渡市に
久しぶりに大きな雨が降ったということです。

 先月26日の発生からずっと燃え広がり
ホースによる消火活動は限定的なものに止まり
空からヘリコプターでの放水も
思うようにならないものでした。

 地元の人は久しぶりの降雨に
「もっと降れもっと降れ」と叫んだといいます。

 大自然の営みです。
強風に煽られ広がった火の勢いも自然のことなら
火をくい止める雨も自然のはたらきです。

 人間の思い通りになるものではなく
大自然の営みいのちのはたらきのなかに
私たち人間も生きているということです。

 どんなに人間がえらくなっても
大自然の営みを自分たちの思い通りに
変えることはできないのです。
 大自然の脅威と恵みの中に
良くも悪くも生かされて生きているということです。

 お念仏のご法義を
親鸞さまは「自然法爾(じねんほうに)」とご教示です。
 阿弥陀さまの他力本願のお心
「生きとし生けるものすべてを分け隔てなく救う」
南無阿弥陀仏のおはたらきです。

 私がどうこうして救われるのではありません。
自然のありのままのおはたらきそのままに
阿弥陀さまのお慈悲の中に
救われていると聞かせていただきます。

 お念仏申して今日一日も
阿弥陀さまのお心おはたらきにまかせて
生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.7)

お念仏申す間をいただく

2025-03-06
 先日のアメリカホワイトハウスでの
米ウクライナ会談決裂の余波は
世界中を先行きの見えない
重い空気につつんでいます。

 前代未聞の首脳会談での
互いにホンネの言い分をぶつけ合う外交の大失態に
通訳を入れなかったことが
一因であるとの指摘です。

 本来は母国語で会談することが通例のようですが
通訳を入れないことで間がとれず
直接意見の応酬非難になってしまったというのです。

 私たちの日常でも言い争いになるときは
冷静にと思いつつ感情的になって
互いに自分の意見主張ばかりして
相手の意見を聞こうともしません。

 間をおくことの大切さですが
お念仏申すことを心がけていたらと思います。
 つぶやくように「ナマンダブナマンダブ……」と
お念仏申しましょう。
 間ができて
お念仏の声が聞こえてきます。

 今回はアメリカのホームグランドで
世界の超大国でウクライナの最大の支援国である
アメリカの正副大統領が二人で
ウクライナの大統領に
最後は「感謝しろ」「失礼だ」「謝れ」の大合唱です。

 早速ウクライナ支援をする欧州各国から
「大統領あなたは決して独りじゃない」
「私たちはあなたたちと共にある」と
次々にメッセージが届けられたといいます。

 お念仏は南無阿弥陀仏
「われにまかせよ必ず救う」
「どんなことがあっても決してあなたを独りにしない
いつも私が一緒だから安心して生きて往こう」の
阿弥陀さまのお心おはたらきです。

 お念仏申して
阿弥陀さまのお喚び声を聞かせていただきましょう。
 あなたも私も自他皆共に
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に生かされて
生きているのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.6)

ふと申すお念仏

2025-03-05
 日々色んなことが起こる現実社会にあって
自分事と考えさせられるのが
新聞のコラムであったリ読者の声です。

 新聞を読んでいて
「なるほど!」と、ふっと微笑む私がいます。

 日常生活の中でよくある出来事を通して
その人なりの思いを文章にするものですが
自分の体験に重ねて
「ああそうそう」と相づちをうったり
「こんな見方考え方もあるんだ」と
気付かされたりすることがあります。

 日々の日暮らしのなかで
どんなときにどんなところで
お念仏申されますか?

 御仏前に座り手が合わさって
お念仏が出てくださいます。
 お念仏申す身にお育ていただいたことですが
日常生活の中でふと申すお念仏があります。

 声高らかにお念仏申すということではありませんが
ご法話お聴聞させていただくときとか
お聖教やお念仏の先人の言葉にふれるときなど
お念仏が出てくださいます。

 お念仏は阿弥陀如来の
「いつでもどこでも誰でも必ず救う」との
おはたらきですから
お念仏申す私はそのまま阿弥陀さまのお慈悲の中に
今ここに救われてあるということで
お念仏申す生活をさせていただいているのです。

 南無阿弥陀仏のおはたらきが
いつでも私のところに来てくださって
「お念仏申せよ。あなたを救う
阿弥陀がすぐそばにいるから、安心しなさい」と
喚んでくださっているのです。

 ふと申すお念仏の源に
阿弥陀さまの大きなお慈悲のおはたらきがあると
有難く力強くを聞かせていただき
往生浄土のお念仏申す人生を
今日一日も生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.4)

「いのちあるもの みなきょうだい」※転載

2025-03-04
 今年は戦後80年の節目の年です。
日本は戦後の焼け野原から
先人の努力によって復興をとげ
現在の繁栄と平和を築きました。

 しかし世界に目を向けると
今なお戦争や紛争で多くの子どもや市民が
恐怖と命の危険にさらされています。

 釈尊は、世界のあらゆるものは
互いに支え合って存在していると説いています。

 私たちも世界のすべてと
密接に関係し合っていますが
現実生活では自己の利益を
最優先に考え行動しますから
他者との間に対立や衝突が生じます。

 「世界がぜんたい幸福にならないうちは
個人の幸福はあり得ない」。
 作家の宮沢賢治の言葉です。

 世界と個人は不可分な関係にあり
利己的なあり方の延長線上に
真の幸福は実現しないというメッセージです。

 世界の恒久平和を実現するためには
自己(自国)と他者(他国)とが
不可分な関係にあるという真実をふまえ
お互いの違いを認め合い
共に歩みを進めることが必要です。

 あらためて「いのちあるものみなきょうだい」と
心に刻み、お互いが思いやり、支え合い
さまざまな困難を乗り越えていくよう
努めてまいりましょう。

 ※『本願寺インスタ倶楽部』
    (香川真二 本願寺派総合研究所研究員)より転載
      ー本願寺新報2025年2月20日号ー

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.3.1)

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