お念仏を申す生活法話
信心喜べない私をこそ必ず救うと阿弥陀ほとけはおはたらきです
今日の御文章さまのなかに「聞其名号信心歓喜」という御文をいただきました。
阿弥陀さまのご本願、第18願成就文のお言葉です。
其の名号を聞きて信心歓喜すといへり。
その名号とは南無阿弥陀仏のことです。
南無阿弥陀仏のいわれを聞いて信心歓喜です。
信心をいただくといいます。
そのいただく信心は私が起こす信心ではなく
南無阿弥陀仏の阿弥陀さまのご本願のお心そのままを聞かせていただくのです。
歓喜とは二つの文字ともよろこぶということで
親鸞聖人は歓とは身をよろこばす喜とは心をよろこばすといただかれ
信心をいただきお念仏よろこび申す生活をさせていただきましょとお勧めですが
信心歓喜と中々いただかれない私がいます。
歎異抄に「念仏していても身にも心にも喜びがわいてきません。急いで浄土に往きたいとも思いません」と
唯円房が親鸞聖人にたずねられたといいます。
阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただけると聞かせていただいても
この娑婆の世界を離れて早くお浄土に生まれたいとも思わないというのです。
そのとき親鸞聖人から「何を今まで聞いてきたのか。そんなことではお浄土に往生することもおぼつかない。
もっと聞きなさい、お念仏申しなさい」とお叱りを受けるかと思ったら
親鸞さまは「唯円坊もそうだったか、実は私もそうなんだ」と言われたといいます。
身にも心にも喜べないのは煩悩のせいだと言われ、煩悩の身をかかえ苦悩の日々をおくる私だからこその
阿弥陀さまのご本願「必ず救うまかせよ」の南無阿弥陀仏のおはたらきだとお示しになられたのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.1.12)