浄土真宗本願寺派(お西) 浄華山 円光寺(大分県大分市)

 

お念仏申す生活法話

 
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往生めでたし
 昨日の夕刻KSさんがご往生されました。
昨年末に骨折され入院されてその後リハビリのために施設に移ったということで
家族の方からはそんなに悪いとは聞いていませんでしたのでびっくりしました。
 
 百歳になったばかりで先日ご家族ご親族でKSさんを囲んでお祝いをしたそうです。
1月14日が戸籍上の誕生日で実際は4月6日に生まれたと言われていました。
 百歳と二十日のご生涯でした。
大変なご長寿ですが何よりもこの円光寺にとって大切なお方でした。
 
 このお朝事は43年前に本堂新築を機縁に前住職がご門徒皆さんに呼びかけ始めたことですが
大変多くのお同行が毎朝6時半にお参りされました。
 その中の一人がKSさんで
当時のお同行はすでに往生されています。
 
 KSさんは4年前の1月に向拝の階段で転んで入院しそれ以来お朝事にお参りではありませんでしたが
一番前列のその席がKSさんの指定席です。皆さんが座ってらっしゃるところも指定席です。
 いつもシズヱさんの席の隣にKKさんが座ってということでいつものお朝事の光景でした。
 
 今はKSさんもKKさんもFHさんもいらっしゃらなくてちょっと寂しんですが
これも世の習いでいつまでもというわけにはいきません。
 私のことです。いつか必ずこの命を終えていかねばなりません。
ただ私たちのお念仏のご法義を聞かせていただきますと「往生めでたし」といいます。
 関東のお同行が亡くなったという知らせが京都の親鸞聖人に届きます。
その時の返事の御文に「往生めでたし」と書かれているのです。
 百歳を超える長寿で亡くなられても有縁の方の死に際してめでたいなどとは不謹慎極まるということでしょうが
浄土真宗のご法義を常日頃から聞かせていただくと往生めでたしなのです。
 
 往生とは往き生まれるということで
人の命は終えるけれども阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のおはたらき一つでそのまま阿弥陀さまのお浄土に往き生まれて
さとりの仏さまに成らせていただくというみ教えなのです。
 お浄土には懐かしい方々が待っていらっしゃるといいます。
お浄土を俱会一処の世界といいお浄土で仏と仏としてまた会うことができるというのです。
 そしてずっとお浄土に往きっ放しではなくてこの娑婆世界に還って来るといいます。
後に残った有縁の者が心配で心配で「あなたも一緒にお念仏を申してお浄土にお参りしようえ〜」と
南無阿弥陀仏のおはたらきしてくださるのです。
 
 常日頃のKSさんがそうでした。
大きな声を出して先頭を切ってこうしようああしようという方ではありませんでした。
 ただ常にいつもいらっしゃっいました。
私たちのそばにご一緒にいらっしゃっいました。
 本堂のいつもの席にいらっしゃっいました。
そして今もいらっしゃいます。
 
 KSさんのお念仏の声はずっと聞こえてきます。
これからも私たちに「一緒にお参りしましょうえ」と喚びかけてくださいます。
 円光寺にお参りしようえお浄土にお参りしようえと声かけ導いてくださるお念仏の声に
励まされ支えられてこれからもお朝事のご縁を共々にいただきたいと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.1.27)
 
阿弥陀さまのご尊前に座らせていただきます
 今日もこうして御仏前に座らせていただきお勤めをさせていただきます。
真正面にお立ち姿の阿弥陀さまを拝見します。
 この本堂でいいますとお内陣、皆さんのお家のお仏壇は
阿弥陀さまのお浄土のおすがたを表しています。
 
 この私が往き生まれるところを阿弥陀さまがお浄土と決めてつくってくださいました。
お浄土を真実の依りどころとする浄土真宗のみ教えです。
 南無阿弥陀仏のお名号となってお浄土から「必ず救うまかせよ」とおはたらきです。
そのこと一つ聞かせていただきお念仏を申させていただきます。
 
 聞いたから救われるのではなくて
もうすでに私たちは阿弥陀さまの大きな大きなお慈悲のなかに抱かれ生かされてあると聞かせていただくのです。
 
 南無阿弥陀仏のおはたらき一つでお浄土への道を歩ませていただき
この命終わる時に浄土に生まれさせていただき仏に成らせていただけるのです。
 
 この凡夫の目に見えるおすがたでお念仏のみ教えを毎日説いてくださってあるのです。
南無阿弥陀仏と喚んでくださってあるのです。
「必ず救うまかせよ」の南無阿弥陀仏の力強いお喚び声おはたらきを聞きまかせて
お浄土への道を歩ませていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.1.26)
 
マスク越しのお念仏の声が聞こえます
 中国の武漢を中心に新型肺炎が猛威をふるい警戒感が日に日に強まっています。
武漢は大分市と姉妹都市という深い関係にありますが
一千万人の大都市の道路空路鉄道を封鎖して人と人との交流を断つという感染防止のための隔離政策にでました。
 
 とはいえ人の動きを完全に止めることはできません。
今中国は春節という旧正月の大型連休の最中で
国内外で人の大移動があり日本にも多くの中国人観光客がいらっしゃっています。
 
 東京のデパートでは店員にマスクの着用をすすめているということです。
接客業の方がマスクをつけることは甚だ失礼なことですが
今の状況下ではマスクをつけることで安心感を与えるということでしょうね。
 
 今日は皆さんマスクをしていませんが
風邪の症状がある人がマスクをしないで咳をするってちょっと非常識ですね。
 マスクは内外からの感染の防御に役立つものです。
どうぞ気になるときはマスクをつけることをこころがけましょう。
 
 さてマスクをつけてのお勤めです。
仏さまに無礼なことだと言うなかれ
重い症状があればゆっくり安静にすることをおすすめしますが
マスクをつけてのお勤めもあるのかなと思います。
 マスクをつけてもお勤めはできます。
 
 マスク越しのお念仏です。
マスク越しのお念仏の声が聞こえます。
 必ず救うまかせよの阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のお喚び声です。
お念仏は無碍光のおはたらきでさえぎるものは一つもないといいます。
 
 お念仏のおはたらきに感染して今この私の口からナンマンダブツとお念仏が出てくださいました。
お念仏のかぜを見事に引きこんだ私です。
 
 「かぜをひけばせきがでる/才市はご法義のかぜをひいた/念仏のせきがでるでる」と
浅原才市さんのお念仏のうたです。
 阿弥陀さまの真実信心のおはたらきがこの身に届いて
お念仏となって出てくださる有難さを思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.1.25)
 
お墓選びの条件は?
 昨日テレビの番組でお墓選びについて老夫婦の方がインタビューに応えていました。
どういう基準でお墓を選びますかということです。
 自宅から近い1時間範囲のところで何といってもできるだけ安い方がいいということです。
いろんな希望があるなかで今は屋外のお墓より納骨堂が人気があるといわれます。
 
 お墓選びの条件ではっと思ったのは檀家にはなりたくないということでした。
浄土真宗でいう門徒です。
 お墓はもちたいがお寺とのつながり関係はもちたくないというのです。
お寺に対する先入観があるように思えて残念です。
 
 一般の人からいうとお寺の檀家門徒になると
大きな寄付であったり分からない納め金があったりお寺での務め事があって大変だということです。
 お寺は法事や葬式の時だけ用事のあるところで
お坊さんはお経をあげてもらう人でその対価としてお布施を包むことはわかるということなのでしょう。
 お寺は日頃は関係ないところで今は葬式や法事の時だけお願いできる
便利なお坊さんがいるということなのでしょうか。
 
 もういいお歳の方です。
年輩の方がそうですから若い世代になると増々お寺離れの傾向が強くなるのではと思ってしまいます。
 お寺の側からいうとそれではお寺が成り立っていかないのです。
お寺の護持ができなくなり、お寺がなくなりお坊さんもいなくなってしまうことになります。
 お葬式やご法事は誰がどのようにお勤めするのでしょうか。
お寺が管理するお墓はどうなってしまうのでしょうか。
 
 私たちは当面する目先のことについて自分を中心に損得で物事を考えがちです。
仏さまの教えを聞いて広い視野で私たちのあり方を見つめ直すことも大事だと思うのですが
仏さまのご縁に遇うことが本当に難しくなりました。
 
 その番組でいつも斬新な発想で発言される若いコメンテーターの方の見解です。
私は昔から伝わる古里の先祖代々の墓に入りたいと言ったのです。ちょっと意外でした。
 私がどうしようかと迷うのではなく既に決めてくれてあることが素直に有難いと言うのです。
決めてくれているお墓に入ることで安心できると。
 
 次に付け加えて言われたことに注目しました。
昔からのお墓はそれぞれのお家の墓だがこれからはお墓の形態が大きく変わるというのです。
 遠く地方から東京大阪の都会に出てきて就職し家庭をもって生活し定年を迎えた方が
古里のお家の墓をどうするのか大きな問題になっています。
 子や孫にお墓のお守りを任せることを負担に思い
自分の代で墓終いを考え自分または夫婦の墓を近くに求めるということです。
 
 代々のお墓から個人墓へということですが
現在のお墓事情では中々思うようにいかないというのが現状です。
 そこで先のコメンテーターの意見です。
他家に嫁いだ妹が実家のお墓に入りたいと言ったらそれもいいのではないかと思うと言われたのです。
 
 これは今から実際に起こり得る事例だと思います。
代々のお墓をお守りする人がいなくなり墓終いをしてもお遺骨は残るのです。
 そのお遺骨をどこにご安置するかということです。
お家のご先祖のお遺骨にこだわらずお遺骨をご安置できる場所です。
 有縁のお家のお墓ということもあると思いますし
今は友だち同士の共同墓もあると聞きます。
 
 もっと発想を広げてこのお寺です。
浄土真宗のお寺は私たちが救われる阿弥陀さまのお浄土への道行きを聞かせていただくお念仏の道場です。
 お浄土はお念仏の人がみんな等しく往き生まれることのできる俱会一処の世界と聞かせていただきます。
お家のお墓という発想を超えてお浄土参りのお寺でご門徒の方々を広く預かるということです。
 
 日頃からお寺がより身近なところになり仏さまのご縁につながります。
仏さまのご縁に遇えてお寺の門徒でよかったと喜んでもらえる方に一人でも多くあえることが
このお寺をあずかる住職の楽しみです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.1.24)
 
大丈夫じゃない私に寄り添って「大丈夫だよ」とご一緒くださる仏さま
 歳を重ねると物忘れが多くなると言われます。
私自身のことで先日お参りを忘れていました。
先方から電話があり坊守がすぐ私に連絡をしようと私の携帯に電話したのですが私が携帯を忘れていたのです。
携帯が携帯になっていません。
 
 そして昨日そこのお家にお参りしたことです。
準備怠りなく忘れ物のないようにと携帯は第一に持っていきました。
 これで大丈夫と車に乗って途中で気がついたのです。
このご縁にお届けしようと思って準備していたものをそのまま忘れてきたのです。
 
 これで大丈夫と思っていても忘れることがあるのです。
注意が足りないと言われればそうですが準備万端と思って何か一つ忘れることがあります。
 
 私が準備をしてこれで大丈夫と思って私が忘れるのです。誰のせいでもありません。
大丈夫と思い込んでいる私ですが実は大丈夫ではないのです。
 
 この生死の身のことです。
私は大丈夫とこの身を当て頼りに生きていますがちっとも大丈夫じゃないのです。
 いつ何時どんな事態が待ち受けているのかもわからないなかに私たちは生きているのです。
 
 大丈夫じゃない私に寄り添って「大丈夫だよ」とおはたらきくださる南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただきます。
お念仏申すところに阿弥陀さまが私に付いて離れずご一緒してくださっているのです。
 
 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで救われるご法義です。
阿弥陀さまの本願念仏のお心を聞かせていただきお念仏申す身にさせていただきます。
 お浄土参りにお金が要るとか善いことをしないといけないとかの条件は一切ありません。
お念仏申す身そのまんまのお救いと聞かせていただきます。
 
 南無阿弥陀仏とわが名を称えてくれよと申されます。
はいっとお念仏申すところに今こここの私にご一緒してくださる阿弥陀さまがいらっしゃいます。
 私が忘れようが忘れまいが阿弥陀さまはいつでもどこでも私とご一緒です。
決してあなたを忘れない決してあなたを見捨てることはないとおはたらきの仏さまになってくださったと有難く思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.1.23)
 
どの方角が良いんですか?
 納骨堂に新しい納骨壇が入って昨日から申し込みをされた順番に場所決めをしていただいています。
26基とたくさんありますから迷うんでしょうね。
 「どれが一番いいんですか」と言われ「どの方角がいいんですか」とも尋ねられました。
墓相ということを言われているようでお墓の姿かたちや方角とかも言われるんでしょうね。
 
 納骨堂に行ってもらうとわかることですが
墓相といって納骨壇は古い新しいの違いはあってもみんな同じ形態のものです。
方角も一つの方角ではなく東西南北四方に向いています。
 
 お家お家それぞれの納骨壇にご先祖有縁の方々のお遺骨をご安置していることですが
納骨堂というみんな一緒のところにご安置させていただいているということです。
 
 みんな一緒のところとは阿弥陀さまが中心のところです。
この本堂もそうです。
阿弥陀さまが中心のところに私たちはご一緒させていただき阿弥陀さまの方を向いて座っています。
 
 日々の生活のなかでいつも阿弥陀さまの方を向いているわけではありませんが
阿弥陀さまからいうと私たちがそれぞれどんな方向を向いていても
阿弥陀さまの方がご一緒してくださるという南無阿弥陀仏のご法義なのです。
 納骨壇にはそれぞれ阿弥陀さまが中心にご安置されています。
 
 私たちは私が私がと自分を中心に思いはからい生きています。
我執といって私の思いはからいにとらわれてこれがいいあれがいいと迷っているというのです。
 我に執着して私たちは苦しみ悩み迷いからのがれることができないというのが仏さまの見立てです。
 
 そんな私に「我にまかせよ必ず救う」と阿弥陀さまはおはたらきです。
南無阿弥陀仏のおはたらきにまかせて納骨壇が東西南北どっちを向いていても
阿弥陀さまがご一緒のところに私たちはみんな生まれ往くことができるのです。
 
 南無阿弥陀仏のお心おはたらきを日頃から聞かせていただきましょう。
その時になったらまたまた私のはからいが出てくるのが私たちのようですが
お念仏を申すなかに阿弥陀さまのお心おはたらきを今日も一日聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.1.22)
 
泥田に咲く蓮の花のようにお念仏の人を讃えます
 お念仏をよろこんで生きられた方を妙好人と讃えられます。
お正信偈さまのなかで「是人名分陀利華」という言葉があります。
分陀利華という蓮の花の中でも最も高貴とされる白蓮華のことで信心の人を讃嘆していうのです。
 
 蓮の花は泥田に咲く白い清らかな花です。
まさに仏さまのお姿といただきます。
 泥田とは五濁悪世といわれるこの現実世界のことです。
煩悩うごめく泥のように濁り汚れた世界に白い清らかな花をポーンと咲かせるのです。
 阿弥陀さまからいただいた信心は清浄なお念仏の花となって私の汚れた心に咲いてくださるというのです。
 
 お念仏の花を咲かせましょう。
この口から出てくださるお念仏です。
 愚痴がこぼれ人の悪口が出るこの口です。
毎日かかさず多くの命をいただく欲の口です。
 この口からナンマンダブツとお念仏が出てくださるのです。
 
 まさに煩悩いっぱいのこの身にお念仏の花を咲かせていただくのです。
私が咲かせた花ではありません。
 阿弥陀さまがこの私を必ず救うという大きな願いをもって
何度も何度もあきることなくこの私を喚び続け喚び覚ましてくださった
南無阿弥陀仏のお喚び声のおはたらきなのです。
 
 お念仏を申すそのまんま阿弥陀さまのお心おはたらきを聞かせていただくお念仏申す生活です。
今日の一日もナンマンダブツとお念仏申してお浄土への人生を共々に歩ませていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.1.21)
 
日々の生活のなかに仏法を聞かせていただきましょう
 今日20日拝読の御文章さまは「八万の法蔵章」です。
「八万の法蔵をしるというとも後世をしらざる人を愚者とす」とあり
「一文不知の尼入道なりというとも後世をしるを智者といえり」と続きます。
 
 八万四千の法門といわれる多くの仏法を知っていても自らの後生の一大事を知らない人は
愚者といわねばならないというのです。
 仏法を学ぶということは学問を積み重ねて救われるのではなく
大事なことはこの私が阿弥陀さまの真実信心をいただいて救われることだよといわれるのです。
 
 学問を積み重ねて救われるのなら学問ができる勉強ができる人知識が豊富な人が一番に救われるはずですが
逆に積み重ねた知識が仏法の邪魔をすることもあるのです。
 
 私たちの小賢しい知恵で仏法を理解しようとするところに疑いが生じるのです。
仏法聴聞の場に身を置き仏さまの智慧をそのまま聞かせていただくことが肝要です。
 
 お念仏をよろこんで生きていかれた妙好人と讃えられる方がいらっしゃいます。
その人生は決して順風満帆なものではないものの南無阿弥陀仏の救いの法に出遇うなかで
「あなたの命そのまんま引き受けた。必ずあなたをお浄土に生まれさせる」と
ご一緒くださる阿弥陀さまに安心してナンマンダブツとお念仏申して生きて往かれたのです。
 
 日々の生活のなかにお念仏申して仏法を聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.1.20)
 
「困った時は俺の名前を呼ぶんだぞ すぐすっ飛んでいくからな」
 昨日久しぶりに映画を観に行きました。「男はつらいよ お帰り寅さん」です。
シリーズ第50作目ということですが渥美清さんは亡くなっていません。
 渥美さん主演の最後の第48作から約25年が経っています。
さすが山田洋次監督すごいですね。
以前の映画の場面を散りばめた思い出だけの作品ではありませんでした。
 テーマとストーリーがあって山田監督が今私たちに伝えたいことが随所にみられました。
過去の作品の名場面を織り交ぜながら脚色された秀作です。
 
 寅さんがずっといつも心配していた甥っ子の満男との関係が柱になっています。
満男も寅さんと同じように初恋の人に失恋します。
その相手がヨーロッパに行きそこで結婚家庭をもって今回は仕事で日本に帰って来たというストーリーです。
 
 満男はこれまでの人生で進学就職そして恋愛と大きな節目に迷うなかで
寅さんに苦しみ悩みを打ち明け寅さんからアドバイスをもらうわけですが
ある時は寅さんに反発することもありある時は救われることもあって
25年経った今寅さんの言っていたことがあらためて思い返されるというのです。
 
 親の25回忌33回忌のご法事を子どもが施主でつとめるご縁を重ねて思います。
子どもがほぼ親の年齢になるのです。
 親が何度も口うるさく言っていたことがその時はわからなくて背中を向けて聞いていたことが
ああそうだったんだと聞こえてくる受け入れられるということではないでしょうか。
 
 寅さんの言葉のなかに私たちへのメッセージが込められています。
映画の中で寅さんのあこがれのマドンナとともにこれまでの名場面が何度もでてきました。
 こんなこともあったなこんなこともと懐かしく観るなかに
現在の満男の生活です。妻に先立たれ高校生の娘と暮らすなかで昔の恋人に再会します。
新進作家ですが安定したこれからの生活が保証されているわけではありません。
 今も満男は苦悩の中にあるのです。
誰かにこの悩みを聞いてほしいと思うとき寅さんの言っていた言葉が聞こえてくるのです。
「満男 困った時は風に向かって俺の名前を呼ぶんだぞ すぐすっ飛んでいくからな」と。
 
 阿弥陀さまのお慈悲のおはたらきです。
「困った時にゃお念仏に相談しなされや」とお念仏をよろこばれて生きた妙好人の言葉です。
困った時だけではありません。この阿弥陀さまはいつでもどこでも嬉しい時も楽しい時もです。
 阿弥陀さまはいつも私に寄り添ってご一緒くださる南無阿弥陀仏のおはたらきの仏さまになってくださったのです。
私が阿弥陀さまのことが忘れても阿弥陀さまは私のことを忘れることはありません。
 
 「困った時は風に向かって俺の名前を呼べよ」と
風に向かってと方角を示してくれてここに俺がいるよというのです。
 方角を決めてくださっている安心です。
 
 お念仏のご法義に重ねて風が吹き出すところがお浄土といただきます。
お浄土からのお念仏の風「必ず救うまかせよ」の南無阿弥陀仏のおはたらきです。
いつでもどこでも今こここの私におはたらきです。
 自己中心に生きる私はそのことに気づこうともしませんが
阿弥陀さまは飽くことなく必ず救うとおはたらきなのです。
 
 南無阿弥陀仏のお心おはたらきが聞こえてきます。
「いつでもどこでもどんなことがあってもあなたと一緒だからね」という南無阿弥陀仏のお心おはたらきです。
 何か自分一人で頑張って頑張って生きてきて結果苦しみ悩み迷いから離れられない私に
いつも寄り添ってくださっているのです。
 その心おはたらきが南無阿弥陀仏と聞こえてきます。
 
 ナンマンダブツナンマンダブツとお念仏申しましょう。
ナンマンダブツと呼ぶなかに皆さんの先に往かれた大切なお方
お父さんでありお母さんでありおじいちゃんでありおばあちゃんであり隣のおじちゃんおばちゃんであり
そういう方々が今はお浄土の仏さまとなって南無阿弥陀仏のおはたらきひとつで
私のところにいつでもどこでも還って来てご一緒に生きてくださってあると聞かせていただきます。
 
 「困った時は俺の名前を呼ぶんだぞ」と喚んでくださる仏さまです。
今日一日もいろんなことがあるでしょうがナンマンダブツとお念仏申して日暮しさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.1.19)
 
南無阿弥陀仏におまかせしてお念仏申して今を生きる
 お医者さんから癌の診断を受けてお念仏のお同行が今までお聴聞され書き留めたノートをずっと読み返したといいます。
これからどう癌に向き合い自分に向き合って生きていくのかということです。
 読み返してみてここはもうおまかせするしかないと思ったそうです。
私のところでどうしようこうしたいという思いはあってもできることはあっても
もうあとはおまかせというのです。
 
 病気のことはお医者さんにまかせるということでしょう。
その根底にあるのは日頃お聴聞させていただいている南無阿弥陀仏のおはたらきにまかせるということだと聞きました。
 
 まかせるといって難しいです。
どこまでも自分を中心に私が私がという思いが次から次ぎと出てくるのが私たちです。
 
 ただ最後の最期はどうでしょうか。
歎異抄に「力なくして終わる時に彼の土へは参るべきなり」とあります。
 最後の最期は私が私がという力がなくなるのです。
今私たちは力をもって生きているようですが本来その生きる力というのは当て頼りになるものではないということです。
 私は一人で単独で生きているのではありません。
周りの皆さんをはじめこの目には見えない多くの人々あらゆる命に支えられ生かされている私なのです。
大きないのちのつながりのなかに生かされて生きている命と聞かせていただきます。
 
 昨日は阪神淡路大震災から25年経った日でテレビ新聞等々で関連の報道がありました。
被災された方々の25年の歩みです。
 家族を友人を亡くし生き残ったことに何か後ろめたい気持ちがあったといいます。
でもどのように悔やんでも亡くなった人はもう帰って来ない
だったらこの私が亡くなった人の分を精いっぱい生きていこうと思い返して今まで生きてきたと
そして今亡くなっていった人たちに生かされてあったということを有難く思えるようになったというのです。
 避難所でおにぎりをみんなで分け合って食べた思い出にふれ
多くのいのちに支えられ生かされて生きているということを本当に思うといいます。
 
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに生かされて生きていることを聞かせていただきます。
「どんなことがあっても私が一緒だから大丈夫だよ あなたの命そのまんま私が引き受けたからまかせなさい」と
喚んでくださる阿弥陀仏さまがいらっしゃることを今聞かせていただくのです。
 南無阿弥陀仏のお心おはたらきを聞かせていただくなかに
私ができる精いっぱいのことをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.1.18)
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