浄土真宗本願寺派(お西) 浄華山 円光寺(大分県大分市)

 

お念仏申す生活法話

 
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6月新たなスタートです
 6月に入りました。新しい月です。
今日は月曜日で新しい一週間を迎えます。
 
 今日から全国的に学校の普段の授業が始まるということです。
学校が始まって子どもたちだけではなく大人もみんな社会全体の生活が始まるということで
新たな気持ちで今日の日を迎えます。
 
 まだまだコロナ感染は収束しておらず油断大敵ですが
長い間待ちわびた新たな一歩を踏み出すことです。
 
 新しい生活様式ということが言われます。
コロナ以前のような生活に戻ることは今は到底かないません。
 今回のことで今までの生活を見直すチャンスにもなりました。
コロナと共にある生活です。
 みんなでこうしましょうということも大事です。
ただこうしないといけないと言われてする前に
何か一つでも私にできることをさせていただく新たなチャレンジもいいのではないでしょうか。
 
 私たちの日々の生活はそれぞれ違いますが
私たちはお念仏のみ教えにつながったお仲間御同朋(おんどうぼう)です。
ご一緒にお浄土への人生を歩ませていただく御同行(おんどうぎょう)です。
共々にお念仏申す生活をさせていただきましょう。
 
 6月新たなスタートです。
お寺の行事もぼちぼち再開してまいります。
 今日は10時から円成会をします。
懐かしい皆さんとまたお会いできる楽しみです。
 
 コロナ禍のなかにもずっと皆さんとご一緒にお朝事のお勤めをさせていただきました。
お念仏の灯を毎日絶やさず守っていただいて今日のお念仏の生活があるのです。
 皆さんのおかげで6月新たなスタートをさせていただきます。
ありがとうございます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.6.1)
 
「どんなものも変わってゆくけど 変わるという真理は変わらない」
 昨日届いた仏教こども新聞の6月のことばは
「どんなものも変わってゆくけど 変わるという真理は変わらない」です。
 
 諸行無常の真理です。
この世の中で変わらないものは一つとしてない、この私自身も変わってゆくという仏さまの教えです。
 これからもいろいろなものが変わってゆくだろうけど
変わることを教えてくださる仏さまの真理だけは変わることがありません。
 
 南無阿弥陀仏の真実まことの法です。
生きとし生けるすべてのものを必ず救うそのまま救うおはたらきは
いつでもどこでも誰にでも変わらず行き届いてくださってあるというのです。
 
 この人生いろんなことがあるけれども南無阿弥陀仏を畢竟依として生きていけよと
親鸞聖人のお正信偈さま蓮如上人の御文章さまを今日もいただきます。
 
 5月最後の一日になりました。
お念仏申して精いっぱい生き抜かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.31)
 
悪口が出る愚痴も出る他の命を奪うこの口からお念仏が出てくださいます
 コロナ禍の外出自粛の生活で人と人とが会うことが難しくなりました。
ただ今はネット社会でオンラインで人と人とがつながります。
 遠く離れた人と即座につながって顔を見て言葉を交わせます。
日進月歩の科学技術の進歩で私たちの生活は飛躍的に変わりました。
 
 ネットのSNSで誹謗中傷された女性プロレスラーの方が自殺され大きな問題になっています。
仏教でいう身口意の三業の口業です。
 私たち人間が行うすべての行為を3種に区別し、身に行う身業、口に言う口業、心に思う意業といいます。
仏教でいさめる悪い行為に
①殺生(せっしょう/生きものを殺す)②偸盗(ちゅうとう/ぬすみ)③邪淫(じゃいん/よこしまな性の交わり)
④妄語(もうご/うそいつわり)⑤両舌(りょうぜつ/二枚舌、人を仲たがいさせる言葉)
⑥悪口(あっく/ののしりの言葉)⑦綺語(きご/まことのない飾った言葉)⑧貪欲(とんよく/むさぼり)
⑨瞋恚(しんに/いかり)⑩愚痴(ぐち/真理に対する無知おろかさ)の10種があり
その中の4種が口業なのです。
 
 わが身を振り返ってこれまでに人を傷つける言葉を言ったことがなかったでしょうか。
言う側は忘れてしまっても言われた方はずっと忘れられない言葉ってありませんか。
 
 先ほどのSNSの件で有名人がコメントしています。
有名人は特に標的にされやすいといいます。
 「殆どは応援してくれる言葉で元気づけられるが
百の応援の言葉があっても一つ傷つくような言葉はずっと残って忘れられない」と言われていました。
 
 厳しい言葉でも言ってもらうことで気づくこともあり言葉が人を育てることもありますが
ネットの言葉の恐さは相手の顔が見えないということです。
 発信する方もその時の乗りとか感情のままに書き込みをするというようなことを聞きます。
 
 このコロナ禍で見えないウイルスより見える人間の方が怖いと言われます。
十悪といわれる悪業です。
 悪業を積み重ねて後生です。
私たちは何度も何度も生まれ変わり死に変わってこのたびは人間に生まれたといいます。
そしてこの命終えてまた生まれ変わるのです。
 善因善果悪因悪果の道理で
善いことをしたら善い世界に生まれ悪いことをしたらその報いで悪い世界に生まれると聞くと
何かうなずけますが
この私のことでいったらどうでしょうか。
 
 十悪の一つとして思い当たらないことはありません。
まさに十悪を積み重ねてきた私です。
 その私が後生に生まれるところは地獄でしかないと
親鸞聖人は「地獄一定すみかぞかし」といただかれ
地獄に真っ逆さまに堕ちる私をそのまんま抱き取ってくださる仏がいらっしゃっると教えてくださいます。
南無阿弥陀仏の阿弥陀さまです。
 南無阿弥陀仏とわが名をよんでくれよとのおはたらきにあって
この口からお念仏が出てくださるのです。
 悪口が出る愚痴も出る他の命を奪うこの口です。
南無阿弥陀仏のおはたらきが十悪罪業の私に届いてくださってあるおすがたです。
 
 声に出してお念仏申しましょう。
その声は私の声であって阿弥陀さまのお喚び声です。
 私だけではなく私の周りの人にも聞こえるその声は
すべてのものを分け隔てなく必ず救うとおはたらきの尊い南無阿弥陀仏のみ名なのです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.30)
 
後生の一大事の解決があって今ここを本当に生きることができるのです
 「雑行をすてて 後生たすけたまへと 一心に弥陀をたのめ」という蓮如上人の法語を通して
浄土真宗のご法義の要を引き続き味わわせていただきます。
 
 後生たすけたまへです。
後生とは後に来るべき生涯の意で来生・来世のことです。
 ただそこだけをいいますと仏教お念仏の教えは死んでから後のことで
今の私には関係ないと受けとめられる方が多いのではないでしょうか。
 
 仏教では生死(しょうじ)の迷いといいます。
どんな人も生まれて老いて病んで死んでいきます。
どんなものも変わってゆくという真理です。
 ただ私だけは変わらないという自己中心の見方でいつまでも若く健康で長生きしたいと思い
本当のことに向き合うことなく真理にあがなうように生きている私がいます。
 自分の思い通りにならずに悩み苦しみ迷いの中にあると
私のありのままのすがたを見てとられた仏さまの教えです。
 
 生死の迷いを離れて真実変わらないさとりの世界に生まれて仏に成ること
生死の解決こそが仏教の目的です。
 仏法に遇い生死に向き合うことで後生の一大事の解決があって
今ここを生きる意味がはっきりするのです。
 
 生死の迷いに苦悩する私に阿弥陀さまは南無阿弥陀仏のおはたらきとなって
「われをたのめ わが名を称えてくれよ」と喚び通しに喚んでくださるのです。
 この人生思い通りにならない色んなことがあるけれども
南無阿弥陀仏を畢竟依といただきます。
 ただ単なる依りどころではありません。
生死の帰依処です。生きる依り処死して帰する処です。
 
 私たちの生きる依りどころは何でしょうか。
健康であったり家族であったり友だちであったりお金であったりではありませんか。
 皆さんそうだと思いますが
これらは全て生きてる間のことだけで死んで持っていけるものではありません。
 
 南無阿弥陀仏です。生きても死んでも阿弥陀さまのお慈悲の中です。
ナンマンダブツとお念仏申して健康に留意し家族やお友だちを大事にして生きていきましょう。
 私たちの生活ぶりはそれぞれ違いますが同じ阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただけると聞いて
ナンマンダブツとお念仏を申すなかに今日も一日共々に生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.29)
 
「雑行雑修のこころをすてて」のお心
 昨日は浄土真宗のご法義を「雑行をすてて後生たすけたまへと一心に弥陀をたのめ」と
蓮如上人の法語から味わわせていただきました。
 今日の御文章さまにも「雑行雑修のこころをすてて」とありました。
雑行雑修の言葉は御文章さまに何度もでてまいります。
 
 法然聖人は著書の『選択本願念仏集』の三選の文で
出家在家にかかわらず誰もが救われる仏道は
聖道の道ではなく阿弥陀仏のお浄土に往生する浄土の道であり
浄土の道の正行と雑行から雑行を捨て
五つの正行の中から称名行を正定業と選んで
念仏一つで救われる専修念仏の仏道を明らかにされたのです。
 
 寺に寄進をしたり仏塔を建てるなどの善行を雑行といわれるのです。
善行をいくら積んでもお浄土に往生することはできないということで雑行なのです。
 正行こそがお浄土に往生できる正しい行ということですが
正行には、経典を読む読誦の行、瞑想して仏と会う観察行、仏を拝む礼拝行
口に仏の名を称える称名行、仏の徳をほめたたえる讃嘆供養行があります。
 
 法然聖人は5つの正行の中の称名行を正定業と選ばれ他の行を補助的な助業とすてられます。
親鸞聖人はお正信偈さまのなかに「本願名号正定業」といただかれています。
 阿弥陀さまがご本願を成就され南無阿弥陀仏のお名号に私たちの救いの手立てを全てととのえて
おはたらきくださってあるのです。
 南無阿弥陀仏のおはたらき一つで阿弥陀さまのお浄土に往生させていただけるのです。 
 
 蓮如上人は『領解文』に
「もろもろの雑行雑修自力の心をふりすてて 一心に阿弥陀如来われらが今度の一大事の後生
 御たすけそうらえとたのみもうしてそうろう」と信心獲得をお勧めです。
 
 浄土真宗のご法義は自力の心を捨てて他力に帰すことが肝要なのです。
他力とは阿弥陀仏の本願力南無阿弥陀仏のおはたらきです。
 
 南無阿弥陀仏の「必ずたすける」のおはたらきを「必ずたすかる」と聞かせていただき
私の仏道は阿弥陀さまが選んでくださったお念仏の道といただいて
お念仏申すなかに今日の一日もお浄土への道を共々に歩ませていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.28)
 
「雑行をすてて後生たすけたまへと一心に弥陀をたのめ」と蓮如さまのご催促です
 毎朝御文章さまを拝読させていただきます。
本願寺第八代宗主の蓮如上人が私たちにくださったお手紙です。
 親鸞聖人からいいますと250年ほど後のお方です。
浄土真宗のご法義を中興された本願寺ご再興の上人ともいわれます。
 
 今日の御文章さまのなかにも一貫して示される中心的法語が
「雑行をすてて後生たすけたまへと一心に弥陀をたのめ」です。
 
 タスケタマヘトタノムといったら
私たちは「助けてくださいお願いします」と理解するのではありませんか。
 私の方から助けてくださいと相手に頼むお願いするということで
宗教行為でいえば神仏に祈願請求する受け止め方が一般的です。
 
 弥陀にたのむというと「おたすけください阿弥陀さま」ということになりますが
親鸞聖人がお示しくださった浄土真宗のみ教えは
私が阿弥陀さまにお願いするということではないと蓮如上人が明らかにしてくださったのです。
 
 私が阿弥陀さまに助けてくださいとお願いして、お願いしたから助かるのではありません。
私がたのむお願いする前から阿弥陀さまは迷いの世界に苦悩する私たちを見てとって
必ず救うとご本願を建てられ成就されたお姿がお立ち姿の阿弥陀さまであり
私が救われるすべての手立てを南無阿弥陀仏に成就して私に届けてくださってあるのです。
 
 「たすけてください阿弥陀さま」ではなくて「たすけてくださる阿弥陀さま」なのです。
「必ずたすける」との南無阿弥陀仏の仰せを「必ずたすかる」と聞かせていただきます。
 
 浄土真宗のご法義の肝要であり間違って了解されるところでもあります。
雑行をすててと自力の心を捨てて他力をたのむ弥陀をたのむとの肝要です。
 他力とは阿弥陀さまの本願力必ず救うのおはたらきです。
必ず救うの仰せに「はいおまかせします阿弥陀さま」とお礼のお念仏を申させていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.27)
 
梵鐘の音に南無阿弥陀仏の声を聞きお念仏申す生活をさせていただきます
 朝夕6時に梵鐘をつきます。
梵鐘には「南無阿弥陀仏」と二か所彫られています。
 
 この後納骨堂で『讃仏偈』さまのお勤めをします。
お経さまのなかに「正覚大音(しょうがくだいおん) 響流十方(こうるじっぽう)」とあります。
 正覚おさとりの声は高らかに十方すべての世界に響きわたるというのです。
南無阿弥陀仏のおさとりの声が十方に響きわたりおはたらきだといただきます。
 
 ゴーンと響き渡る梵鐘の音にのって阿弥陀さまのお喚び声を聞かせていただきます。
「われにまかせよ必ず救う」南無阿弥陀仏と私を喚んでくださるみ声です。
 「6時半からお朝事のお勤めが始まりますよう」と聞こえてお寺にお参りされる皆さんです。
「6時になった」と朝の支度をして今日の一日を始める方もいらっしゃるでしょう。
 
 緊急事態宣言が全国で解除になりました。
コロナの前の生活にすぐ戻ることはなかなか難しいことですが
私たちの日常はコロナの前も今もこれからもナンマンダブツとお念仏を申す生活です。
 この人生いろんなことがあるけれども南無阿弥陀仏に安心して
今日も一日生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.26)
 
フラットホームなお寺です
 昨日ご法事がありました。
今この時期ですからご親戚の方が一人お参りでした。
 私より数年先輩の若い頃から知ってる方でお勤めの後しばらくいろんな話になりました。
コロナ下で生活が変わりましたかとお尋ねしました。
 
 仕事を退職されてずっとお家中心の生活だそうです。
毎日家の近くの畑をしたり植木の剪定や草取りをしたりとかでコロナの前も今も生活は変わっていないということです。
 変わったことは月に2回なじみのお店に飲みに行っていたのが
コロナでお店が閉まっていて行けなくなったとちょっと寂し気に言われました。
 
 飲みに行くのが楽しみだというのです。
ただ飲むだけだったらステイホームで家でも十分できることですし
お金もそんなにかからないから月2回以上は十分に飲めます。
 人に会って話をしたり聞いたりする楽しみです。
お店に行くと常連客といういつもの人がいます。
 いつもの人がいなくてもその人の話になって盛り上がります。
いろんな人の話も聞けて情報源になります。
 たまり場です。
そこに行くと誰かに会える楽しみです。
 
 もう一つ散髪に行く楽しみを言われました。
床屋さんも常連客のたまり場です。
「最近あの人見らんのやけどどうしちょるん?」と聞くと
床屋の店主が「この前来たで元気やったで」と何か安心し
「ひそう来てねえなあ」と心配して連絡を取ることもあると言います。
 
 何かいいですね。
人と人とがいい距離でしっかりつながっている感じです。
 
 お寺もこうしたたまり場になるといいですね。
仏さまのご縁はいつでもどこでも誰にでも開かれた阿弥陀さまのおはたらきの場です。
 このたびのコロナ禍でお寺の4月5月の法要行事は中止にさせていただきました。
ただお寺自体はずっと開けていました。
 お朝事はいつものようにお勤めしていましたし納骨堂にも皆さんお参りされていました。
お寺にお参りしていつもの人に会える楽しみです。
 
 ふらっと立ち寄れるところです。
よくお寺は敷居が高いと言われますが本来はフラットな平らなところです。
 フラットホームです。
ふらっと帰って来れる家です。
 お寺はご門徒皆さんの家そして皆さんはお念仏の家族です。
南無阿弥陀仏のつながりのなかに今日もまたお朝事のご縁をいただく有難さを思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.25)
 
私たちのご宗旨浄土真宗は念仏一つで救われる阿弥陀仏の本願力回向のみ教えです
 私たちのご宗旨浄土真宗は念仏一つで救われる阿弥陀仏の本願力回向のみ教えです。
ただいまの御文章さまに「当流の安心(あんじん)の一義というは ただ南無阿弥陀仏の六字のこころなり」とあり
「南無阿弥陀仏の六字のすがたは すなわちわれら一切衆生の平等にたすかりつる すがたなりとしらるるなり」と
いただきました。
 
 南無阿弥陀仏のおはたらきひとつで誰もがみんな平等に救われるというのです。
南無阿弥陀仏のおはたらきは勝行とも易行ともいわれます。勝れた易しい行です。
 南無阿弥陀仏が勝行というのは
阿弥陀さまがすべてのものを必ず救うとご本願を起こされ修行されて成就されたおはたらきだからです。
 
 勝の反対は劣、劣るということです。
仏さまの真実に背を向けてどこまでも自己中心に生き迷いのなかに苦悩する愚かな私を見てとって
そのまま救うとこの上ない勝れた行を阿弥陀さまが南無阿弥陀仏と成就しておはたらきなのです。
 
 そして易行です。
易行の反対は難行です。
 一般に仏道は厳しい学問修行を積んで仏のさとりを開くとの教えです。
ところが家が在り家族と共に生活する私たちには一つの修行さえままなりません。難しいのです。
 そこで阿弥陀さまは社会生活を営みながらも救われて往く仏道を工夫してこしらえてくださったのです。
それが念仏一つで救われる仏道なのです。
 南無阿弥陀仏のおいわれを聞いて信心いただきお念仏申す身にさせていただいてこの人生を生き抜き
命終わって阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏のさとりを開かせていただく仏道です。
 それも私に何一つ救いの条件を出されるのではなく南無阿弥陀仏のおはたらき一つに成就してあるとの仰せなのです。
「われにまかせよ必ず救う」の南無阿弥陀仏の仰せにそのまままかせてお念仏の道を歩ませていただけるのです。
 難しい修行の一つもない念仏一つの易行なのです。
 
 南無阿弥陀仏を聞いてt信心いただきお念仏申す身にさせていただくといって
聞くことも信じることもナンマンダブツとお念仏申すことも何か私の手柄のようですが
すべてが南無阿弥陀仏のおはたらきなのです。
 
 念仏一つで救われるとは南無阿弥陀仏のおはたらき一つで救われるということです。
阿弥陀仏の本願力回向のおはたらきだからこそ一切衆生が平等に救われるのです。
 私もそうだし隣の人もそうだし先に往かれた方もそうだしこれから後に続く者もそうだし
みんな南無阿弥陀仏のお念仏のおはたらきに生かされて
大きないのちのつながりのなかに生きていると聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.24)
 
フライデーオベーション金曜日の正午に拍手をして感謝しましょう!
 先ほどお朝事前にテレビニュースで
プロ野球広島カープの選手たちが昨日球場のマウンドに横一列に並んで全員で拍手をしていたようすを観ました。
フライデーオベーションというそうです。
 金曜日の正午から一分間みんなで拍手をしてコロナ禍の最前線で頑張っている医療従事者をはじめ
私たちの命を守ってくだっている皆さんに感謝しましょうとの呼びかけに応じたものです。
 
 ヨーロッパから始まったといいます。
私たちの命を守ってくださっている方々です。
 ステイホームで自宅で自粛生活していても私たちは生きています。
生きるということは食べることであり食べることはごみを出すことです。
 ごみを出しっぱなしにしていたら衛生上よくありませんし社会生活をするうえで秩序が保たれません。
ごみを収集する人がいなかったらこの社会はとんでもないことになってしまいます。
 何かいつもは当たり前のように思っていることが決して当たり前ではない
多くの方々が支えてくださってある社会に私たちは生きているのです。
 
 一週間に一度ですが時間を決めて皆さんでということです。
時間を決めるからこそれぞれ生活ぶりの違う皆さんが思いを一つにしてできるんですね。
 
 このお朝事もそうです。
時間を決めて皆さんでということです。
 皆さんで一緒にということですが
皆さんお一人お一人が思いをもって日を決めてお参りさせていただくご縁です。
 
 お朝事のご縁は毎朝6時半と決めてお勤めをさせていただいています。
朝6時半に皆さんお参りしましょうと決めてくださり呼びかけてくださってあるのです。
 仏さまのご縁です。
阿弥陀さまが決めてくださってあるご縁といただきましょう。
 
 決めてくださらないと中々自分からお参りしようということができない私です。
今できなくてもいつかできる今日じゃなくても明日があると
往々にして大事なことを先延ばしにする私です。
 
 今はコロナ禍で自粛生活を送る中自分一人の時間がたっぷりあります。
こうしてこうしてこうしようと自分で決めて自分の思うようにできたらいいのですが難しいです。
 決めてくださってあることの有難さです。
こうしなさいと強制されるものではありません。
 
 ご一緒しましょうと南無阿弥陀仏のおはたらき一つで呼びかけてくださる仏さまのご縁です。
往生浄土の人生です。
 阿弥陀さまが私のことをいつでもどこでも南無阿弥陀仏と思い取ってご一緒くださり
この命終わって私が生まれ往くところをお浄土と決めてくださってあることの有難さです。
 
 南無阿弥陀仏のおはたらきに安心してまかせて
今日一日も阿弥陀さまがご一緒の日暮らしをさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.5.23)
<<円光寺>> 〒870-0108 大分県大分市三佐3丁目15番18号 TEL:097-527-6916 FAX:097-527-6949