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お念仏を申す生活法話

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親鸞さまお誕生ありがとう!

2021-05-16
 今日16日は親鸞聖人の月命日で
当初の予定では「宗祖親鸞聖人降誕会法要」を
お勤めするように皆さんにご案内していました。

 親鸞さまのお誕生をお祝いする法要ですが
誕生会ではなく降誕会(ごうたんえ)という言い方をします。
 降りて生まれるということで
雨降りを連想していただくと
天上から降りてくるというのです。

 親鸞さまをお念仏の師と慕う先人が
親鸞さまをただ人ではなく
阿弥陀仏さまの化身と仰がれて降誕と言われ
私たちに伝えられてきたのです。

 小学生の頃誕生会が流行ったことを思い出します。
友だちを呼んだり呼ばれたりと
今思えば大変なことをしていたのですね。

 誰を呼ぶか何をご馳走するかプレゼントは等々
子どもだけではない親の大人の思惑が見え隠れしますが
これは誕生会です。

 誕生会の主催者は誕生日を迎えた側の人です。
誕生会には招かれなければ出席できません。
 一方降誕会は自ら行うものではなく
後世の人がこの人はただ人ではないと
最大の敬意をもってお祝いする会です。

 親鸞さまにとって法然さまはただ人ではありません。
晩年著された御和讃の中にも勢至菩薩の化身と言われ
阿弥陀如来の化身と仰がれていかれました。

「曠劫多生(こうごうたしょう)のあひだにも
 出離(しゅつり)の強縁(ごうえん)しらざりき
 本師源空いまさずは このたびむなしくすぎなまし」
(果てしなく長い間
 生れ変り死に変りし続けてきたものは
 迷いの世界を離れさせる
 本願のすぐれたはたらきを知らなかった。
 もし源空聖人(法然さま)がおられなければ
 このたびの生涯もむなしくすごしたことであろう)と
法然さまによってお念仏のみ教えに出遇えた慶びを
讃えておられます。

 おめでとうございますとお誕生日をお祝いする以上に
お念仏のご縁に遇わせていただいて有難うございますと
お念仏申し御礼申し上げる降誕会は慶びの仏事です。

 親鸞さまのお誕生日は
新暦でいいますと5月21日で旧暦では4月1日です。

 コロナ禍で2年続けて皆さんとご一緒に降誕会法要を
お勤めすることがかないませんでした。
 本堂新築の後ずっと前住職の頃から40年ほど続けて
広くお寺を開放しバザーやコンサートをしたりして
地域の皆さんにも賑やかに楽しんでいただいた行事ですが
残念ながら今年もできませんでした。

「親鸞さまお誕生ありがとう」の思い一つに
お念仏申して今日そして5月21日をお迎えしましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.16)


「藤並くん今どうしてる?」

2021-05-15
 昨日昔のものを整理しておりましたら
古い手紙が何通か出てきました。

 父が1999年11月に往生して2年4か月後の
2002年3月に住職継職法要をお勤めしました。
 継職法要を前に一つ思い立って
円光寺報『ようこそ』を創刊することになりました。

 ご門徒をはじめお寺関係友人知人の有縁の方々に
継職法要のご案内と共に創刊号を送りました。
 その時に届いた返信の手紙です。

 そのなかの私の三年先輩のお坊さんからいただいた
手紙に目が留まりました。
 住職継職寺報創刊おめでとうございますと書き出されて
「寺だよりというより時報と言った感じが強い
わが寺の寺報を送ります」と寺報が同封されていました。

 お寺から発信する便りで寺報といいますが
あえて時報と言われることをいま改めて思います。

 この先輩住職は社会の現実問題に常に向き合い
真宗僧侶として色々と発信をし又行動もされていた方で
一般の人から見ると
お坊さんらしくないお坊さんという印象の方でした。

 時報とはそのまま時を告げるということですが
時に感じて今の思いを広報するということかなと思います。
 お念仏のみ教えを聞かせていただく生活のなかで
今思うことを発信する時報です。

 お寺の日々の生活ですが
広く社会生活ということです。
 お寺を含めた社会生活を営む中で
時に感じて怒ることもありますし
涙することも笑うこともあります。
 私のお念仏申す生活です。

 時報を毎号送っていただきましたが
A4版4面に思いいっぱいの活字ばかりで
興味のあることなら読んでみようと思いますが
読みにくくてそのまま綴じておくことが多かったです。
 綴りがどこかに残っているかなと思いますが
あらためて読み返してみたいと思います。

 いつも「藤並くん」と呼んでくれて
公私共に大変お世話になりました。
 早くご往生されて今はお浄土の仏さまですが
「藤並くん今どうしてる?」って
よんでくれてるような気がします。

 今の私をすべてそのままご存知で
「藤並くんどうしてる」って
こんなことをしなさいとかしてはだめだよとか
一切注文はありません。

 ただ「藤並くんどうしてる」って
いつも私のことを心配して見守ってくださり
私と共に生きてくださる南無阿弥陀仏の仏さまです。
「藤並くんどうしてる」って
それだけで安心です。

 南無阿弥陀仏「藤並くんどうしてる」って
お念仏の声といただきます。

 住職継職から20年が経ちました。
振り返れば住職の務めがどれだけできたか思い返し
反省することもたくさんあります。

 お念仏申す生活のなかに
「藤並くんどうしてる」って
お念仏の声を聞かせていただき
時に感じて怒ることも泣くことも笑うこともあるなかに
今私にできることを
精いっぱいさせていただきたいと思います。

 それにしても整理が整理になりません。
何かに目が留まり時間ばかりかかって
結局また散らかしてしまうことです。
 思い通りにいきません。

 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.15)


「必ず救うまかせよ」の南無阿弥陀仏のおはたらきが私の心に届いて私の口からお念仏の声が出てくださいます

2021-05-14
 コロナウイルスの感染者が全国的に増えて
大分県内でも急に多くなりました。

 昨日は76人ということでしたが
加えて由布市の小学校で児童はじめ39人の感染が確認され
クラスターに認定千人近い方を今調べているといいます。

 本当に身近な問題になってきました。
今は殆どが変異株で従来型と違って感染力が強く
若い人にも重症化のリスクが大きいということで
心配です。
 感染防止に十分気をつけなければなりません。

 厄介なのは症状が出ない人が多いということです。
今回感染した児童も全員症状がないといいます。
 症状がないけれども感染していてお家に帰ると
お父さんお母さんおじいちゃんおばあちゃんといった
家族にも感染のリスクが広がるということです。

 ウイルスはこの目には見えません。
そして症状が出る人と出ない人があるといいます。

 私たちのお念仏のお救いを重ねて思います。

 阿弥陀さまの「必ず救うまかせよ」の
南無阿弥陀仏のおはたらきですが
この目には見えません。

 この目に見えたら確かにそうだと
信じようということになるのでしょうが
この目には見えません。

 ただお念仏の声となって聞こえてきます。
南無阿弥陀仏の阿弥陀さまのお喚び声です。
「必ず救うまかせよ」のおはたらきです。

 南無阿弥陀仏のおはたらきが声となって耳から入り
私の心に届いて
この口から南無阿弥陀仏とお念仏が出てくださいます。
 お念仏のお救いの症状です。
南無阿弥陀仏のおはたらきが私に届けられた証です。

 子どもはお念仏のお救いに感染しやすいのです。
お念仏の声がそのまま心に届いて
口からお念仏申すことができます。
 その子どもの声に応じて
家族の方が南無阿弥陀仏と声に出してくださることも
あるのではないでしょうか。

 ご先祖から脈々と届けられ頂いた
南無阿弥陀仏のお念仏ということでもあります。
 小さい頃朝早い床の中で
じいちゃんばあちゃんが仏壇の前で
チーンとリンを鳴らして
「きみょうむりょうじゅにょらい なもふかしぎこう」
と言っていたというお話です。

 随分前に聞いたお話です。
今はこういう話って中々聞けません。
すっかり昔話になってしまいました。

 ただね南無阿弥陀仏の仏さまは
私がこの世に生まれるずっとずっと昔から
私のことをずーっと心配し止むことなく思うてくれて
人から人へと届けてくれて
私のところに来てくださったと心に入れて
今日一日もお念仏申して仏さまとご一緒の日暮らしを
させていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.14)


人それぞれに人生のドラマあり

2021-05-13
 毎日このお朝事のお勤めの後で
NHKの朝ドラを観るのを楽しみにしています。

 今は『おちょやん』というドラマで
明日が最終回ということです。
 主人公は松竹新喜劇をはじめラジオやテレビで
活躍した「大阪のおかあちゃん」浪花千枝子さんです。

 昭和30年代の後半私が小学校高学年の頃の
<オロナイン軟膏>のテレビ宣伝を思い出します。
 大村崑ちゃん主演の『とんま天狗』という番組があって
主題歌に「とんとんとんまの天狗さん
 とんまでおせんちお人よし 握る刀は大上段
 悪人どもをなぎ払う 姓はオロナイン名はナンコウ
 こどもが大好きぼくらの仲間
 とんとんとんまの天狗さん」と
オロナイン軟膏のコマーシャルをちゃっかり入れ込んで
私もよく歌い今でも覚えています。

 着物がよく似合うすらっとした上品なお母さん
というイメージでしたが
子どもの頃から大変なご苦労があってということで
今日は道頓堀の舞台に戻ってくるというお話です。

 この前の朝ドラが古関裕二さんが主人公の
『エール』でした。
 エールもおちょやんも時代背景は大正から昭和にかけて
戦争という非常な時代をくぐり抜けた中でのドラマです。

 ものの見方価値観が180度ひっくり返った時代にあって
人と人との出会いがあって別れがあり
いろんなことがあってという人生のドラマです。

 私たちが生きている今の時代です。
コロナの時代としてこの先振り返られると思います。
 あの時代にどう生きたか
先々多くのドラマになるのではないでしょうか。

 1995年の阪神淡路大震災2011年の東日本大震災と
大きな災害に遭って人生が一変した方が
たくさんいらっしゃいます。
 そうしたなかにも人は生きています。
一人の人がこの世に生まれて生きて
そして命を終えていくのです。

 人それぞれに人生のドラマありです。
人に生まれて仏さまのご縁に遇って
私たちはお念仏のみ教えを聞かせていただきます。
 私たちは一人で生きているのではなくて
みんな南無阿弥陀仏のいのちにつながってある
という教えです。

 昨日もそうだったし明日もこれからも
人の命終えた後もずっと共につながってあることの
安心です。

 これまでいろんなことありましたね
そしてこれからもいろんなことがありますね
という私の人生です。
 人との出会いと別れを繰り返して泣き笑いしながら
生きていく生きていかねばならないこの人生です。

 何もかも背負い込むように頑張って生きる私に
「まかせよ救う」と南無阿弥陀仏の声がかかります。
 阿弥陀さまがこの身そのまま引き受けてくれて
お念仏申す身にさせ往生浄土の人生を歩ませていただき
死んだらおしまいではなくて
先に往かれた方とも南無阿弥陀仏とお念仏を申すなかに
共々につながって生きているという安心です。

 今日一日もまたお念仏を申して
お念仏申す人生を歩ませていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.13)


もう梅雨入りですか?

2021-05-12
すっかり梅雨のようなしとしと雨の天気です(2021.5.12.9:30)
 九州南部地方が梅雨入りしたということです。
大分は九州北部という区分ですが
今日は朝から雨が降って今日一日ずっと雨マークです。
 これから一週間も雨や曇の天気予報です。

 一昨日から工事にかかっています。
庫裏玄関と本堂軒のトイレ物置きの屋根の
雨漏り補修工事です。
 梅雨までに工事を終える工程ですが
梅雨入りが思った以上に早くなりそうで
自然が相手では中々思いようにはいきません。

 工事関係者の方はそのことも折り込み済みで
ロードマップという全体的な行程表をつくって
その日その日の天気予報をにらんで工事を進めてくれます。
 天気次第では多少遅れが出たりということですが
安心です。
 いつ頃大体という予想がつきます。

 今までの経験が生きる活かせるということでしょう。
私たちには分からない専門の方だからわかる大事です。

 このたびのコロナ禍の対応です。
もう一年以上経ちますが収束の目途が一向に立ちません。
 これまでの経験で対処法もわかってきましたが
中々徹底できず思うようにいきません。

 これがコロナの恐ろしさです。
今や変異株が大流行して
人間がどうこうしようとどうしようもない状況です。

 ただワクチンという光明があります。
人間が開発したコロナ対処法です。
 世界中でワクチン接種が普及している国では
通常の生活が段々と戻ってきているといわれます。

 日本も75歳以上の高齢者の接種が始まり
近所の方でもう接種したという話も聞きますが
国民全体私たちにいつ届くのか
分からないところが多く不安な声も聞きます。

 菅首相はじめ政府関係者は
一日百万回接種を目ざすと言いますが
いつまでにどういう形でというロードマップは示されず
実際は今一日5万回程度の接種という現状だそうです。

 ワクチン接種は確実な供給があって
計画実行されるものです。
 ワクチンの供給はすべて外国からのもので
その情報は私たちには全く分かりません。

 分かっているのは政府の関係者です。
良い情報も悪い情報もです。

 分からない情報のもとで
一日百万回を目ざすと言われても
大風呂敷を広げた不確かなものと聞こえて
素直に信じることができません。

 これまでも期限を切った緊急事態宣言の会見などで
その都度「それまでに必ず改善します」と言って
再延長そして再宣言の繰り返しです。

 リーダーの言葉としては軽すぎるし
同じ言葉の繰り返しにしか聞こえず
何か空しい思いにさせられ
一層不安になります。

 不安が苦しみ悩みになります。
そして疑心暗鬼になり迷います。

 助かる命も助からない現実が起こっています。
コロナに感染しても入院も治療もできず
亡くなる方が増えているといいます。

 阿弥陀さまのお念仏のお救いです。
南無阿弥陀仏とお念仏を申して
コロナが収束したらいいのですが
ままなりません。

 手段としての念仏の効用を
親鸞聖人ははっきり否定されます。

 私たちの阿弥陀さまのお救いは安心です。

 この世のことは
自分の思い通りにならないことばかりだけれども
どんなことがあっても
いつもあなたと一緒だからね
あなたを決して見捨てることがないからと
南無阿弥陀仏の大きなお心おはたらきのなかに
日々の生活をさせていただける安心です。

 これも何か聞き方によっては
大風呂敷を広げて耳ざわりのいいことばっかり言っている
と聞こえるかもしれません。

 阿弥陀さまの御仏前に今日もこうして座らせてもらって
ご一緒にお朝事のお勤めができ
南無阿弥陀仏とお念仏申すことができました。

 「まかせよ救う」の南無阿弥陀仏のお喚び声を
聞かせていただき
生死の迷いの私をそのまま引き受け救うとおはたらきの
阿弥陀さまがいつもご一緒してくださることを
また有難く味わわせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.5.12)


円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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