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お念仏を申す生活法話

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阿弥陀さまのお仕事

2021-01-26
 阿弥陀さまのお仕事は
南無阿弥陀仏のおはたらき一つです。

 南無阿弥陀仏の大善大功徳を
私たちにあたえるお仕事一つです。

 私たちの日常はいろんなことがあります。
思いがけないこともあれば
思い通りにならないことで悩み苦しみ迷います。

 私の思いを成就したいと神や仏に祈願しますが
順調に人生がいっているときはどうでしょうか
神仏に背を向けたような生活ぶりではありませんか。

 阿弥陀さまは自己中心の煩悩に振り回される私のことを
見て取って必ず救うと本願を起こし成就して
南無阿弥陀仏のおはたらきの
仏さまに成ってくださったのです。

 自分の都合に合わせて
阿弥陀さまにたのむのではありません。
 阿弥陀さまの「まかせよ救う」のおはたらきが
先手なのです。
「おまかせします阿弥陀さま」と
南無阿弥陀仏のおはたらきにまかすときに
私はすでに阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
救われてあるのです。

 阿弥陀さまの本願を疑う心を離れて捨てて
他力に帰せよというのです。
 煩悩具足のこの身を生きる限りは
私が私がと思いはからい欲の心怒りの心愚痴の心が
次から次に湧き起こってまいります。

 だからこそお念仏の声の仏さまとなって
私のところに来てくださり
口に称えさせ耳に聞かせておはたらきなのです。

 南無阿弥陀仏とお念仏申すことは
そのまま南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただくことです。
「我にまかせよ必ず救う」のお喚び声に
「おまかせします阿弥陀さま」と
阿弥陀さまの大きなお慈悲に生かされて
私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.26)


現生正定聚不退転の位に住す

2021-01-25
 昨日大相撲の初場所が千秋楽で
西前頭筆頭の大栄翔が初優勝しました。

 歳を重ねるにつれて相撲が面白くなり
大相撲のテレビ観戦が日々楽しみになってきました。
 勝負が早くつき勝ち負けがはっきりしていることが
誰にでもわかりやすくてついつい観てしまいます。

 ずっと外国出身力士の優勝が続いて
興味がそがれることが多かったのですが
最近は番付最上位の横綱不在の場所も多く
本当に一番強い力士がいなくて
誰が優勝してもおかしくない状況です。

 初場所の優勝力士の顔ぶれを見ると
6年前に大関琴奨菊が
日本出身力士で10年ぶりに優勝を果たし
6場所続けて初優勝力士が誕生するということで
去年は幕尻の徳勝龍が優勝しました。

 今回の大栄翔も平幕の力士ですが
大関関脇小結の役力士に全勝しての優勝です。

 誰が勝ってもおかしくないというと面白いですが
大相撲には番付があって
番付通りの成績が期待されるところでもあります。
 番付下位から上位を目ざして頑張れることですが
精進努力稽古を怠ると負け越して
下位に落ちるということで不安が伴う厳しい世界です。

 ただ例外が横綱です。
横綱に上り詰めると下に落ちることはないのです。
 だったら大安心ということですが
横綱にふさわしい成績をあげられなかったり
ケガや病気で休場が続くと後は引退ということです。

 生身の体を張っての大変厳しい勝負の世界です。
体力の限界がいずれ来ます。
 横綱にあがったものの責任を全うすることができず
引退に追い込まれた横綱もたくさんいます。

 さて仏教は迷いの私が悟りの仏に成る教えです。
仏に成りたいと願いを起こした菩薩が
自ら修行し五十二段階の位を積み重ねていく成仏道ですが
ある段階までは上がっては下がりと
大相撲の番付のような難行苦行の仏道です。

 それも仏に成りたいとも思わない私たち凡夫には
到底かなわない仏道であり
私たちは所詮救われないのかというと
親鸞聖人は法然聖人から
凡夫のために開かれた仏道があることを聞かれたのです。
 それが念仏一つで救われて仏に成る仏道だったのです。

 南無阿弥陀仏のおはたらき一つでどんな人も救われる
阿弥陀さまの本願他力のみ教えです。
 阿弥陀さまのご本願のお心を聞かせて信心いただき
お念仏申す身にさせていただくと
菩薩の最上位である弥勒菩薩と同じ位につくというのです。

 この身を生きる限りは煩悩具足の凡夫に変わりませんが
南無阿弥陀仏のおはたらき一つで
必ず仏に成るお念仏の仲間にさせていただき
お念仏申してお浄土への人生を生き抜き
この命終わってそのまま阿弥陀さまのお浄土に生まれて
南無阿弥陀仏の仏さまにさせていただくというのです。

 今は現に仏ではありませんが
仏に成るいのちをいただいて生きているのです。
 私たちはこの身を生きている限りは
仏さまからは遠い存在なのです。
 俺が俺が私が私がと自己中心の煩悩の心を
ずっと持ち合わせて生きているお互いなのです。

 阿弥陀さまはこの煩悩具足の凡夫をこそ必ず救うと
南無阿弥陀仏のおはたらきの仏さまに
成ってくださったのです。
 この私をこそ必ず救うとおはたらきです。
私が救われたいと思って
阿弥陀さまにお願いする仏道ではありません。
 阿弥陀さまから見たら背を向けた私に
本願を信じ念仏申す身になってくれよと
願いおはたらきなのです。

 私に頑張れとか何か条件付きのお救いではありません。
阿弥陀さまは私が救われていく全ての手立てを
南無阿弥陀仏に成就しておはたらきです。
 そのご本願のお心おはたらきを聞かせていただき
お念仏申す身にさせていただくのです。

 現生正定聚の位に住すといわれます。
不退転の位といい必ず仏にさせると
阿弥陀さまが決めてくださったといいます。

 不退転の位ですから横綱です。
でも後は引退ではありません。
 お浄土に生まれてさとりの仏さまに成るのです。
死んだらしまいではないのです。
 仏さまに成って南無阿弥陀仏のおはたらきで
この世に還って来て衆生を救うという
大きなおはたらきがあるのです。

 南無阿弥陀仏のお念仏一つで救われるご法義です。
「まかせよ救う」のお喚び声に
「おまかせします」とお念仏申して
今日一日も日暮らしさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.25)


車に乗ったらシートベルトを着けましょう

2021-01-24
 今朝の地元新聞に「後部座席の県内シートベルト着用率
一般道24.% 全国ワースト4位」の記事がありました。
 大分県内の一般道で後部座席の4人に1人しか
シートベルトを着用していないといいます。
 違反すれば摘発の対象となる高速道でも74%の着用率で
シートベルト着用の認識度が非常に低いという報道です。

 通常国会が始まりコロナウイルス感染拡大防止のために
入院を拒否した感染者などに対して懲罰を伴う
法律の改正について審議されるといいます。

 言うことを聞かないと罰を与えるというのです。
罪と罰です。

 閻魔大王のお話です。
閻魔さまは裁判官で嘘をついたら舌を抜くと言われます。
 嘘をつくことは罪で舌を抜くのは罰です。
舌を抜かれないように嘘をつくなということです。

 阿弥陀さまはどうおっしゃるのでしょうか。
嘘をつくのもつかないのも
シートベルトをするのもしないのも
面々のはからいでありあなたの問題ですということです。
 何か私には関係ありませんとばかりに
突き放しているようですが
阿弥陀さまは私のことを全てご存知で
いつも気にかけ心配してくださっているのです。

 阿弥陀さまのお仕事はただ一つ
南無阿弥陀仏のおはたらきでこの私を
お浄土に生まれさせさとりの仏に成らせることなのです。

 南無阿弥陀仏のお喚び声となり
阿弥陀さまのご本願のお心を聞いて信心いただき
お念仏申す身になってこの世を生き抜き
人の命終わる時にお浄土に生まれさせ仏にするよと
いつでもどこでも喚び通しに喚んでくださっているのです。

 善いことをしたら救われて悪いことをしたら救われない
と聞くとうんと頷くところですが
阿弥陀さまは善いことをしたから悪いことをしたからと
私に条件を示して救うという仏さまではありません。

 善いことをするもしないも悪いことをするもしないも
それはあなたの問題で
善いも悪いもありのままのあなたをそのまま救うと
南無阿弥陀仏とおはたらきなのです。

 阿弥陀さまのおはたらきを自分の都合に合わせて聞いて
自分の思いで好き勝手なことをしても悪いことをしても
そのまま救われるのであれば自分の思いのままに
生きたらいいと聞くのは聞き違いです。

 親鸞さまは「良い薬があるからといって
毒を好んで飲むのではない」と言われています。
 それは阿弥陀さまのご本願のお心を疑うことで
阿弥陀さまのお救いは南無阿弥陀仏のおはたらきに
おまかせするそのこと一つだと言われるのです。

 ご本願を信じお念仏申す身にさせていただくことです。
ナンマンダブツとお念仏を申すそのままに
南無阿弥陀仏のお心を聞かせていただきます。
「我にまかせよ必ず救う」ご本願のお心に
「おまかせします阿弥陀さま」と立ち返らせていただき
日々の生活を振り返って
私にできる精いっぱいのことをさせていただきましょう。

 罰があるから罪をつくらないのではありません。
つくらないように努めてもつくってしまう罪もあります。

 シートベルトのことでいったら
私の命だけではなく周りの方々の命を守ることです。
車に乗ったらシートベルトを着けましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.24)


「うちの子も よその子もない みんな仏の子」

2021-01-23
 今日の御和讃は正像末和讃の聖徳太子讃で
毎日繰り読みさせていただく最後のところになります。

 聖徳太子さまのことを親鸞聖人は和国の教主
日本にお出ましになられたお釈迦さまと敬慕されています。
 浄土真宗のどの寺院にも
聖徳太子さまの御絵像がお内陣余間にご安置されています。

 聖徳太子は天皇を支える摂政として大変ご功績があり
仏教を篤く奉って施政にも反映されたお方です。

 御和讃に「多々」「阿摩」の言葉が出てまいります。
多々というのはお父さん阿摩はお母さんのことで
親鸞さまは聖徳太子さまのことを
父や母のように慕われていたといいます。

 父や母は子どものことがいつも心配です。
親は心配と思うだけではなく子どもに寄り添い
決して捨てることなく守り通すのです。

 お念仏の先人は阿弥陀さまを親さまと慕ってきました。
摂取不捨の仏さまです。
 一人子のようにこの私を思うてくださり
「我にまかせよ必ず救う」といつでもどこでも
南無阿弥陀仏と喚んでくださり
ご一緒してくださっているのです。

 阿弥陀さまの親さまと私たちの親の大きな違いは
親は我が子が心配なのは同じですが
自分の子どもと他の子どもを分別する見方です。

 阿弥陀さまは
「うちの子も よその子もない みんな仏の子」と
すべての人を我が子仏の子と喚んでくださるのです。
 南無阿弥陀仏のおはたらきで
どの子も誰一人見捨てず取り残さず
そのまま救うてくださるのです。

 阿弥陀さまの大きなお慈悲のお念仏のみ教えを
聖徳太子さまが日本にお生まれになって
親鸞さまに届けてくださったとほめたたえるのが
聖徳太子讃の御和讃です。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.23)


分断の闇の世界から結束して光の世界へ

2021-01-22
 アメリカのバイデン新大統領の就任演説を
仏さまのみ教えに重ねて聞かせていただきます。

 分断から結束へと何度も言われます。
闇の世界から光の世界へという言い方もしていました。
 阿弥陀さまのお慈悲のおはたらきを思います。

 分断対立は誰がつくるかというとこの私です。
トランプ前大統領が4年間でずっと言い続けてきた
アメリカ第一主義です。

 その根底にあるのがこの私の自己中心主義です。
自己中心に生きる私たちお互いが
みんなで仲良く生きていくことは甚だ難しいことです。

 みんなが生きる社会が大きくなればなるほど
みんなの思いがそれぞれに分断されて
同じ意見の者が集団化違うすると
意見の集団と対立を招きます。
 意見の対立を超えてお互いに譲り合ってこそ
社会が成り立つのですが
集団の中にいることで安心し
対立する集団を攻撃することで
自らの居場所を確かめるのです。

 同じ社会に生きる者同士仲良くすればということですが
自己中心に生きるお互いは自らの正当性を主張して
言い争い他者を非難排除するようになります。

 生きることに苦悩し傷つき疲れ果てた
私たちのありのままの姿を見て取って
すべての者をそのまま救うと
願われた仏さまが阿弥陀さまです。

「われをたのめ必ず救う」と私たち一人一人に寄り添って
南無阿弥陀仏とおはたらきくださってあるのです。

 阿弥陀さまのご本願を信じまかせてお念仏申して
お浄土への道を隣の人もみんな一緒に歩ませていただける
お念仏の世界です。

 私たちがどんなに頑張ってもお念仏のお浄土を
この現実社会に実現することは難しいですが
だからこそいよいよ私たちお互いが
お念仏のみ教えに聞かせていただき
仏さまのお心にかなうような私にできることを
精いっぱいさせていただきたいと思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2021.1.22)


円光寺
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