浄土真宗本願寺派(お西) 浄華山 円光寺(大分県大分市)

 

お念仏申す生活法話

 
フォーム
 
子ども食堂が増えてきています
 子ども食堂が全国的に増えているという報道です。
3700余りあって去年から比べると1.6倍増えているといいます。
鶴崎にも子ども食堂があると聞きます。
 
 子ども食堂は親御さんが働いて一人で食事をするような孤食の子どもさん
また経済的に困窮している家庭の子どもさんを対象としたもので
無料または低価格で食事を提供する取り組みです。
 
 お寺の御講のお斎を思います。
円光寺では両彼岸と報恩講の年に3回御講をします。
御講に直る人に200円、お参りされない方は100円を出してもらって賄っています。
 
 最近御講のお参りがずっと減ってきました。
仕事をもっている方が増え時間的にも11時から3時までの長時間だったりその他色んな理由があると思います。
 
 私たちが小さい頃は近くでお葬式があると近所の子どもも一緒にお葬式のお斎になおっていました。
お腹をすかせた子どもたちが腹いっぱいご飯を食べていました。
御講の献立はずっと変わらずけんちん汁とご飯に和え物です。
 今の食卓に並ぶ食事に比べたら本当に粗末なものですが
みんなで一緒に腹いっぱい食べて本当においしかったです。
 
 あるお寺のお斎には門徒さんがビニール袋を持って来られるそうです。
お給仕する方がご飯を山盛りついでその袋にご飯を入れて家に持ち帰るのです。
 お仏飯のおすそ分けです。
お寺にお参りできない家族の方も一緒にお仏飯をいただくのです。
 
 お互いに助け合い支え合う心意気が御講だったということです。
そして今は子ども食堂ということで地域の心ある方が手をあげてボランティアでお手伝いしています。
 
 お寺でも子ども食堂をしているところがあります。
お寺の御講のようにどこのお寺でも子ども食堂をすればということですが
何をするにも多くの人の加勢があってできることで
お互いに気持ちをもって理解し合い協力しないと難しい問題にもなります。
 まずはお念仏の心で私にできることを精いっぱいさせていただくことが大事だと思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.6.27)
 
梅雨になります
 今日は朝から大変蒸します。
天気予報では今日からずっと雨マークでいよいよ今日から梅雨に入るということです。
これまでで一番遅い梅雨入りだそうです。
 
 最近は気象庁が梅雨入り宣言を公表しなくなりました。
というのは梅雨入り宣言したとたんに晴天が続いたり梅雨明け宣言をしても長雨が続くとかいうことがあって
気象庁に文句を言う人がいたりということがあったそうです。
 
 ただこれは気象庁のせいではありません。そのことはみんな知ってはいます。
自分の都合に合わせて天気も良い悪いと見る私たち人間の身勝手なものの見方に問題があります。
 天気は自然現象で人間がどんなに偉くなっても天気を都合の良いように変えることは到底できません。
 
 水は自然の恵みです。私たちが生活するうえで水は決して欠かすことはできません。
昨日のニュースでは田植えをした田圃にひび割れができたりとかダムの貯水量が減って心配だということでした。
 
 雨を待ってる人がいらっしゃるということです。
昔は雨乞いをして神仏に降雨を祈り願ったと言い伝えられています。
雨乞いをして雨が降ればいいのでしょうがどうでしょうか。
 
 雨は降る時は降って降らない時には降りません。
これは大自然の摂理であり真実です。
 
 ずっと長く雨が降らなかったら私たち人間はみんな死んでしまいます。
そこは自然の営みでうまくなっているというのが自然の摂理道理ということではないでしょうか。
 
 そこに人間の手が入ることによって自然がおかしくなったと見た方がいいと思います。
地球温暖化の問題は次代に負の遺産を遺すことで現代を生きる私たちの責任で改善しなければならない喫緊の大問題です。
 
 私たちのこの身体も自然です。
自然の道理はたらきのなかに生きているのです。
 お釈迦さまは自ら生老病死の身を生きるなかで
生老病死の四苦を明かされ私たち人間が等しく背負う苦悩からの解脱の道を仏教と示してくださいました。
 
 生きることは老いること病むこと死ぬことだよとの自然の摂理です。
一方私たちはいつまでも若くありたい健康でいたい死にたくないと思い頑張って生きています。
 そこで思い通りにいかない我が身の事実に向き合うなかに苦悩し迷うのです。
 
 どんな人も等しく命終えていかねばなりません。
大切な方と別れなければなりません。
これさえあれば大丈夫を握りしめていた健康もお金も家族もこの世のすべてのことは死の前には無力です。
 
 我がいのちの真実のあり方に背を向けどこまでも自分の思いを中心に生きようと頑張る私たちを見てとられた阿弥陀さまは大きな悲しみのなかから誓願をおこされ「すべてのものを必ず救うそのまま救う」と南無阿弥陀仏となっておはたらきです。
 南無阿弥陀仏のおはたらきにそのまままかせてお念仏のなかに日々生かされて生き
この命終えてそのまんま阿弥陀さまのお浄土に往生させていただき
苦悩から解脱して涅槃の仏にさせていただけると聞かせていただきます。
 
 南無阿弥陀仏の大きなおはたらきにあって
南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに私たちのいのちがこれからもずっとずっとずっとつながっていくことを
お念仏申して聞かせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.6.26)
 
還骨となられてお寺の阿弥陀さまのおそばにお参りです
 昨日お葬式がありました。
西大分のご門徒の方で近くの斎場でお勤めをした後竹中の火葬場に向かわれます。
いつものように火葬場からお遺骨をお供して直接お寺にお参りしてくださいとご案内をしました。
 
 西大分から竹中までは高速で30分もかからないで行けるということです。
それで竹中から円光寺まで大変な大回りになりますがお参りに来ていただきました。
 
 20人ほどのご親族皆さんで火葬場に行かれ収骨されてそのままお寺にお参りされたということです。
実はこのお家は3,4年前に新しくご門徒になられたところです。
熊本の実家に居た一人暮らしのお母さんが亡くなりお家のお仏壇を引き取ることで円光寺とのご縁ができたということです。
 
 昨日皆さん初めてお寺にお参りされたことだと思います。
わずかな時間のご縁でしたが、皆さんお寺の本堂にお参りされてどんなことを思われたのでしょうか。
 
 どんなに大きな体の人もみんな等しく4、5寸の壺に納められ
そのお遺骨を私が胸に抱えて阿弥陀さまのおそばにご安置してお勤めをさせていただきます。
 
 お浄土参りです。
私たちのこの目に見える形はお遺骨ですが
確かに確かに南無阿弥陀仏のおはたらき一つで阿弥陀さまのお浄土に往生されたといただきます。
 
 私たちが南無阿弥陀仏のお救いのご法義を聞かせていただけるのはここです。
お寺の門を通って阿弥陀さまのお浄土にお参りさせていただけるのです。
 そしてお浄土に往きっ放しではなく南無阿弥陀仏となって私たちのところに還って来てくださると
聞かせていただきます。
 
 昨日お参りの皆さんの口からナモアミダブツの声が出ていたかどうかわかりませんが、これからです。
これから七日七日の中陰に始まる仏さまのご縁をいただくなかに
ナモアミダブツとこの口からお念仏の声が出てくださるのです。
 
 お念仏の声となって先に往かれた大切な方がご先祖有縁の仏さまがいらっしゃるのです。
私と一緒に共にいらっしゃるのです。南無阿弥陀仏といらっしゃるのです。
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに
これから私たちは日々お念仏申す生活をさせていただけると有難くいただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.6.25)
 
7回忌と3回忌のご法事のお勤めをさせていただきました
 昨日7回忌と3回忌のご法事がありました。
それぞれの年忌でご法事の趣が異なるように思います。
 
 7回忌といいますとご往生されて6年が経ちます。
6年といえば小学校に入学した子どもさんお孫さんが6年生になって卒業するという時間が経ったということです。
見るからに子どもは成長いたします。変わっていきます。
 諸行無常の世にあってあらゆるものが日々刻々と変わり行くなかで
変わらない真実まことのお念仏のみ教えを聞かせていただく有難さを思います。
 
 3回忌のご法事のご縁です。
多くの人がお参りされていましたが、これまでお会いしたことのない若い方が目立ちました。
 「この中で一番遠方の方はどなたですか」と尋ねましたら「東京です」と初めて会うような若い方でした。
後から施主の方に聞きますと妹の子どもさんで昨日のご法事の方のお孫さんだそうです。
 大分の近くに住んでいるのではなく3回忌のご法事に東京から帰ってみえたということです。
帰って来いと言われたのか自ら帰って来たのかわかりませんが
おじいちゃんとの懐かしい思い出があるんだなと思いました。
 
 3回忌の次は7回忌で4年後になります。
ご往生なさって2年間の中に何度も何度も仏さまのご縁をいただきますが7回忌までは4年あります。
 来年は4回忌で5回忌6回忌と毎年祥月のお勤めをされてもいいのですが
方々からご縁の方々が集まって昨日3回忌のおつとめができたということことの有難さ尊さを思います。
 
 ご一緒にご法事のお勤めをさせていただけるということです。
先に往かれた方が本当に喜ばれることではないかなと思います。
 私たちに仏さまのご縁をつくってくださるということです。
日頃仏法を聞くことが難しい私たちを仏さまの御仏前に座らせていただけるのです。
お念仏を申させていただけるのです。仏さまのみ教えを聞かせていただけるのです。
 
 その仏さまのみ教えは「ただ念仏一つで救われる」南無阿弥陀仏のお救いの法です。
私たちが救われていくお浄土には懐かしい方々が往ってらっしゃってまた再会できると聞かせていただきます。
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりのなかに共々に生かされてあることを有難くまた頼もしく思います。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.6.24)
 
仏さまのご縁に遇わせていただく日曜日の朝です
 日曜日の朝です。
仕事をもたれている方は平生の日常とは違うということで、今日の朝を迎えられたのでしょうか。
 
 毎日6時に梵鐘をついています。
平日につく6時の鐘と日曜日につく6時の鐘とでは、人によって鐘の音が違って聞こえるのではないでしょうか。
 平日朝6時の円光寺の鐘が生活の中で意味あるものになっていることもあると思います。
鐘の音を合図に朝起きて身支度をして朝ご飯を食べてそして職場に学校に行くということでしょう。
 ただ日曜日の鐘ということになりますと、もうちょっと眠たいなという思いで聞いてらっしゃる方もあると思います。
 
 お寺の梵鐘は時刻を告げる鐘ではなく法要前の合図の鐘なのです。
法要が始まる一時間前に撞くのが本来の梵鐘のあり方です。
そろそろ準備をしてお寺にお参りしましょうという鐘、お誘いの鐘なのです。
 
 そして6時半に喚鐘が鳴りますが、いよいよこれからお勤めが始まることを告げる鐘です。
この喚鐘の喚は喚ぶという意味があります。
 阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のお喚び声といただきます。
「我にまかせよ必ず救う」のお喚び声を何度も何度もガンガンガーンとこの耳に届くように響かせてくださるのです。
それこそやかましいと聞く人もあるかもしれませんがどんな人の耳にも届いてあるのです。
 
 ナンマンダブナンマンダブと何度も何度も繰り返し繰り返し巻き返し巻き返し
私のところに届いてくださる阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のお喚び声です。
 お念仏の声に喚び目覚めさせていただいてこうして皆さん今日もお朝事のご縁にお参りをさせていただけました。
南無阿弥陀仏のお心おはたらきの有難さをまた日曜日の朝のご縁に深く味わわせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.6.23)
 
 
大切な方とお別れする悲しみのご縁ですがそのまま仏さまのご縁といただきましょう
 昨日の夜電話でご門徒の方が亡くなったというご連絡でした。
遠方の方でこの後臨終勤行にお参りをしてこれからのお通夜お葬式のことをご相談いたします。
 
 4年ほど前に新しくご門徒になられた方で名簿をみましたら私と同い年です。
私たちはいつどのようなことでこの命を終えていくのかわかりません。
若い人でも健康な人でもどんな人も例外はありません。
 
 まさに無常の世にあって私たちは仏法という大きな中心依りどころをいただいています。
その仏法を聞かせていただきますと私たちは皆さん人の命を終えますが
南無阿弥陀仏のおはたらき一つでどの人も阿弥陀さまのお浄土に生まれて仏にさせていただくというのです。
 
 このこと一つ聞かせていただきます。
仏さまは仏法聴聞のご縁をいただけよとお勧めですが
自分のことで精いっぱい生きることで精いっぱいの私たちは中々仏さまのご縁に遇うことが難しいのです。
 
 大切なお方とお別れする悲しみのご縁ですが、そのまま仏さまのご縁といただきましょうとお話させていただきます。
仏さまのご縁としてこの私が仏法を聞かせていただくということです。
 仏法を聞かせていただきますと、先に往かれたお方をお浄土の仏さまとして敬い仰いでいけるのです。
この私をまさに命がけで御仏前に座らせてくださり仏法聴聞の尊いご縁をつくってくださったった仏さまです。
 死んだらお終いではなくこれからも仏さまとなって南無阿弥陀仏のおはたらきで
後にのこった私たちを見守り導いて南無阿弥陀仏のいのちのつながりのなかに共々に生かされて生きてあるということです。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.6.22)
 
この私を煩悩具足の凡夫と知らせてそのまま救うてくださる阿弥陀仏さまです
 阿弥陀さまはこの私のことを煩悩具足の凡夫と見てとられました。
煩悩といって何か特別な時にふっと出てくるものではありません。
具足というのはこの身も心もいつも煩悩まみれというのです。
 
 昨日まで三日間京都に行ってまいりました。
大分からソニックに乗って小倉で新幹線に乗り換えて京都に行きますが、途中でソニックが20分ほど遅れました。
「人影を見かけたので確認をしています。しばらくお待ちください」というアナウンスがありました。
何度か同じ放送があって、間もなく動くのではないかと思って20分が経ちました。
 
 小倉での乗り換え時間が18分でした。
しばらくして「小倉で次の新幹線に乗られる方はご乗車できませんので窓口でその次の新幹線に変更をお願いします」と
放送がありました。えっと思いました。
 
 本山での会議の1時間ほど前に京都に着く予定で電車に乗りました。
新幹線のぞみは1時間に2本あります。それで次ののぞみでも会議には間に合うだろうと
窓口でチケットを変更して新幹線乗場に行くと「次の新幹線は博多小倉間10分の遅れです」とアナウンスがありました。
 
 えっこれは大変、京都に何時に着くのか会議に間に合うのか、いくら思ってもどうしようもありませんが
それからは再々時計を見ながら何度となくどうしよう困ったと心配と不安でいっぱいになりました。
 そして腹が立ってきました。
私には全く非がないのに何でこんな目に合わないといけないのか、JRは何をしているのかなどと
そこらじゅうに恨みつらみをぶつける始末です。
 
 平生自分の思い通りにいっている時は至極当たり前のことと
周りに感謝する気持ちもなく涼しい顔で振る舞っている私たちです。
 ところが何か自分の思わないことがちょっとでも起こったら心の中はもうイライラが募ります。
そして怒りです。顔は冷静を装っていますが心の中はまさに周りを責めたてる鬼の様相です。
 
 いつも順調にいくのが当然でちょっとでも歯車が違うと怒りになる。
本当に見事ですね。
 私たちが持ち合わせる三毒の煩悩です。
貪欲、欲の心です。瞋恚、怒りの心です。そして愚痴、愚かな心です。
 
 京都に会議の5分前に着いて間に合いました。
結果だけでいったらよかったということですが
本山に着くまでの時間それこそ私の心は煮えたぎった鬼の心のそのまんまでした。
 
 どこまでも自分中心の思いを振り回す本当に愚かな私がいます。
もっと余裕をもって早い電車で行けばよかったということです。
 この世のことは無常の沙汰で、何が起こるか分かりません。
自分の思い通りにいっていることが偶々なことで思い通りにならないということが真実なのです。
 
 その真実に気づくことなく気づこうともせず自分を中心に生きる私を
阿弥陀仏さまは煩悩具足の愚かな凡夫と見られたのです。
 
 そんなことでは駄目ですよ、こうしなさいと私に注文をつける阿弥陀さまでしたら
私が救われていく行き場がありません。
 阿弥陀さまは愚かな凡夫と知らせてそのまま救う仏さまになってくださったのです。
愚かな凡夫と知らされてお念仏を申すなかにそのまま救われて往くんですね。
 
 欲の心怒りの心愚かな心を暇なくおこすこの私を憐れんで
そのまま抱き取ってくださるアミダさまがいてくださるから、私の居場所があるのです。
 お念仏申させていただくところ、ここです。
煩悩具足の凡夫が生まれ往くところ、阿弥陀さまがこの私のためにお浄土を用意してくださってあることを
ナンマンダブツお念仏を申すなかに聞かせていただきます。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.6.21)
 
地域に開かれたお寺のあり方を思います
 大阪で交番が襲われ勤務の警察官が刃物で刺されて重体、拳銃が盗まれたという事件が起こりました。
そして逃走した犯人が捕まったということです。
 
 最近交番を狙う事件が相次いでいます。
たまたまですが、今七日日のご縁をいただいている二軒のお家が警察官のご主人の奥さんのご縁です。
 昔は駐在所といっていました。三佐にも駐在所がありました。
県内各地を転々と勤務していくんですね。
一軒のお家は佐伯の方にもう一軒の方は玖珠の方にいたとお聞きます。
 
 駐在さんは地域の守りの要です。
日頃から地域の方々と交流があって、映画などで駐在さんが自転車に乗って地域を見守る姿がよく映し出され
地域の方と顔が合えば「こんにちは」「おはようございます」と声をかけ合うつながりのなかに
私たちの安心がありました。
 
 ところがこんなに交番が襲われると、24時間開かれた交番勤務を考え直さないといけないという声が出てきます。
そうなって交番が閉じてしまうと、困った人がどこに駆け込めばいいのでしょうかね。
 
 私たちのお寺です。開かれたお寺になろうとよく言われます。
でも実際は不審者対策でお寺の門も本堂も庫裡の玄関も閉まったままで
誰か訪ねてきても返事がないというお寺もあります。
 
 駆け込み寺とも言われます。
日々の生活のなかで苦しみ悩み困ってらっしゃる人がいます。
いろんな問題を抱え誰にも相談できない人です。
そうした人が唯一最後に駆け込んでいけるところ、開かれたお寺です。
 
 ただ今のご時世どんな人が来るかもわかりません。
むずかしいところがあります。
 でも今の社会の現実です。交番が襲われるという事実です。
そこに社会の歪みを思います。
 
 人それぞれに生きるこの社会で
人それぞれにこれまでの人生の軌跡があったと思います。
 こうした事件の背景には複雑な人間関係社会との関わりがあって
何度も何度も頑張って頑張って生きようとしても決して思い通りにいかなかったことが多くあったのではないでしょうか。
 
 そうした苦悩を抱えた人がその思いを打ち明け背負っている肩の荷を下ろし楽になる場が
一つ駆け込み寺というもので皆さんに開かれたお寺になっていけたらと思います。
 
 今どこの地域にも子どもたちの見守り隊が活動しています。
昔は見守り隊という組織がなくても地域ぐるみで地域の子どもを我が子のように見守っていました。
そんな昔ののどかな温かみあふれる人間関係に思いをはせ
人とのつながりが疎遠になっていく一方の現代社会にあって
地域の中のお寺のあり方役割を考えます。
 
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.6.18)
 
入仏式のご縁です
 昨日入仏式のご縁にお参りさせていただきました。
お仏壇を申し仏さまをお迎えする法要で
お家の中心にお仏壇をご安置し、お仏壇の中心にご本尊の阿弥陀如来さまをお迎えさせていただくことです。
 
 大切な方とお別れする悲しみのご縁でこのたびの入仏式をお勤めするわけですが
お家の中心ができましたというお話をさせていただきました。
 
 お家の中心はと尋ねられて皆さんはどう答えられますか。
ご家族皆さんが集まる居間であったり食卓のある台所であったりということかもしれません。
 昔はお家の中心は床の間のお客さんを迎えるお部屋でした。
そしてその中心にお仏壇がご安置されていました。
 
 お仏壇の置かれた仏間に入ると皆さん同じ方向を向きます。
お仏壇の方向を向き御仏前に座って手を合わせナンマンダブツとお念仏を申して阿弥陀さまにお礼をさせていただくのです。
 こうしなさいと誰彼から言われてすることではなく自然とそういう所作ができていました。
それも一人だけではなく二人三人と皆さんが同じようにできるのです。
私がすることではなく仏さまがさせてくださることだと有難くいただきます。
 
 今日もこうして皆さん阿弥陀さまの方を向いてらっしゃいます。
御仏前に御一同にお念仏のご縁をいただけたことをそのまま喜ばせていただきましょう。
 ナンマンダブツは御礼のお念仏といいます。
ナンマンダブツ、ナンマンダブツとお念仏を申すなかに今日の一日も
阿弥陀さまご先祖有縁の仏さまそしてあらゆるいのちのつながりのなかに生かされて生きてまいりましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.6.17)
 
ノープラ生活を始めましょう
 「ノープラ生活を始めましょう」という番組がテレビでありました。
プラスチックのない生活です。
 逆にいうと私たちの日々の生活はプラスチックだらけの生活です。
プラスチックごみの問題は今や深刻な地球環境問題になっています。
 
 最近の大きなニュースでレジ袋を完全有料化することを日本が世界に向けて宣言するといいます。
日本は世界でもアメリカに次ぐプラスチック消費大国で幾多のプラスチック製品がゴミになっているという問題です。
 プラスチックごみの不法投棄は海洋汚染を引き起こし海洋生物形態をも侵しかねないという事態です。
 
 日本国内でプラスチックごみの再生処理ができず海外に輸出している状況があります。
最大の輸出国が中国でしたが1年半前に輸入禁止となり今は東南アジア諸国がその輸出先となっています。
まさに先進国のごみを請け負うかたちで、ここにも世界の格差をみます。
 
 私たちが普段使っている身の周りの物です。
今はプラスチックごみの種分けが当たり前になっていますが、再利用というと中々難しいとのことです。
再利用も思うようにできず焼却処分には有毒物質の発生や地球温暖化の問題になってきます。
プラスチックごみの厄介なところです。
 
 それで私にできる対策としてノープラ生活です。
ただ私たちの生活を点検するとプラスチックだらけといった状況です。
 プラスチックは確かに便利で、至るところにプラスチック製品ばかりです。
今プラスチック製品を除いたら私たちの生活は一変に不自由になります。
 ノープラ生活に今着手しないと近い将来最大の環境問題になるような最も悪いことをしているのです。
 
 念仏生活ということをよくお話しています。
お念仏を申す生活をさせていただきましょうとです。
 
 親鸞聖人が結婚をするしないと悩まれ法然聖人に相談した時に
法然さまは「結婚してお念仏申されやすいようだったら結婚しなさい。
結婚しなくてもお念仏しやすいようだったら結婚しなさい」と言われたそうです。
 法然さま自身は生涯結婚されませんでした。親鸞さまは結婚されました。
 
 結婚するしないの選択は異なりますが、お念仏申すことは同じです。
さてノープラ生活です。
 お念仏を申すということについてこれは仏さまのお心に添うことなのか添わないことなのか聞かせていただき
お念仏を申す生活をさせていただきましょう。
 
 ご一緒に、お念仏申しましょう。(2019.6.16)
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