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お念仏を申す生活法話

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ルッキズム

2024-02-03
 またぞろ麻生さんの発言です。
地元の支持団体での挨拶で気を許したのか
いつもの聴衆受けを狙ったのか
上川外相について「おばさん」とか
「そんなにきれいな人とは言わない」などと言って
国会の代表質問にもなり
ついには発言撤回したということです。

 容姿や年齢などを揶揄する
「ルッキズム」(外見至上主義)というそうです。
 人それぞれに年齢も容姿も違います。
その一点を取りあげマイナス志向で
誰しもあれこれ言われたくありません。

 外野の声があれこれ飛び交う中で
上川さん自身は麻生さんの発言に
笑って答えずという姿勢で平静を装っていますが
今の時代この社会で
いろんな人それぞれの見方考え方があるなかで
「これが正しい」「こうでなければ」と
ある価値観にとわられることこそ
私たちが学習していかねばならないことだと思います。

 仏さまのものの見方考え方です。
すべてのいのちはそれぞれがかけがえのないものであり
すべてが等しく尊ぶべきものであります。
 自分のいのちを愛おしく思うように
他者のいのちも自分のいのちと同じように愛おしく思い
そのうえでお互いが尊び敬っていく人と人とのつながり
同じいのちの目線に立った関係でありたいものです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.2.3)

月参りのご縁です

2024-02-02
 月参りのご縁で
ご門徒のお家にお参りしました。

 先に往かれたお家の故人の方の
月命日にお参りします。

 月忌ともいい
以前は殆どのご門徒のお家で
月に一度のご縁をいただいていましたが
今は仕事で留守をするお家が多くなり
月参りのお勤めが少なくなりました。

 年回法要の法事とは違い
親族や有縁の方々がお参りするわけではありません。
 お家の方が一人ご一緒にお勤めされることが
殆どです。

 お寺さんをお家に迎えることですから
仏間をそしてお仏壇をきれいにして準備をされます。
 月参りのご縁は日頃は中々手が届かない仏間を
お掃除するご縁にもなります。

 日常生活の中で仏さまのご縁をいただくことです。
お寺さんとご一緒にお勤めをしお茶を出して話になります。
 お天気の話や身近な出来事などに終始することが殆どですが
仏教仏事の話にもなります。

 先に往かれた仏さまがつくってくださった
御仏前でのお念仏のご縁です。
 いろんな相談事に及ぶこともあって
答えが出るようなことではなくても
安心して日頃の悩みを吐露できる居場所が
この御仏前です。

 「困ったときにゃ お念仏に 相談しなされや」と
お念仏の先人は言われます。
 お念仏申して往生浄土の道すがらを
共々に生かされて生きる
月に一度の月参りのご縁です。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.2.2)

ご法事の俱会一処のご縁です

2024-02-01
 親戚のご法事
年回法要のご縁にお参りしました。

 ご本尊の阿弥陀如来をご安置する
浄土真宗のお仏壇の御仏前でお勤めをします。

 有縁の方々がお参りです。
近くに居ても日頃は集まることがない親戚縁者も
ご法事のご縁で再会します。

 先に往かれた方を偲ぶご縁で
先人をたずねていろんな思い出話になりますが
会ってすぐ「久しぶりやねえ」「どうしてる」などと
お互いの近況報告会になります。

 何か先人を置いてけぼりにして
すまない思いもありますが
先に往かれた仏さまのご縁です。
 仏さまが私たちにつくってくださった
「俱会一処」のご縁です。

 お経さまに阿弥陀さまのお浄土を「俱会一処」と説かれ
先に往かれた方々と俱にお浄土で再会できると
聞かせていただきますが
ご法事のご縁が私たちの俱会一処のご縁です。

 ご法事のご縁で有縁の方々と久しぶりに再会し
またそれぞれ日々の生活にかえっていきます。
 生活ぶりはそれぞれ違いますが
お念仏を申す生活です。
 南無阿弥陀仏の大きないのちのつながりの中に
これからも共々に生かされて
仏さまのご縁にまた再会いたしましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.2.1)

同じ「南無阿弥陀仏」ですが ※転載

2024-01-31
 久し振りに親戚の法事に出かけました。
その家は、京都の知恩院を本山とする浄土宗で
ほどなく住職が見えられ、読経が始まりました。

 他宗とはいえ、例えば真言宗や禅宗に比べると
同じ阿弥陀さまをご本尊とし
お念仏を称える宗旨ですから
よほど親近感を覚えます。

 読まれているお経も
『観無量寿経』や『阿弥陀経』など
耳に馴染んだものばかりで
人間とは妙なもので、「知ってる」と思うと
安心したりうれしくなったりするものです。

 ところが途中で何度か住職が
「さあ皆さん、ご一緒に、お念仏を大きな声で
十返称えて下さい」と、促されるのです。

 一同、手を合わせて大声で
「ナームアミダブ」と称えるのですが
それにはどうしても違和感があるのは
自分が浄土真宗で育っているからでしょうね。

 よく、浄土宗と浄土真宗は
どこが違うのですかという質問を受けますが
お念仏をどのように味わうかについても
大きな相違があるように思えます。

 浄土宗のお寺さんが
一緒に称えようとおっしゃるお念仏は
外に向かって
誰かに聞かせているような感じです。
 私の称えるお念仏を
阿弥陀さまに聞いていただくのでしょうか。

 浄土真宗はそのようなお念仏ではありません。
「われ称え われ聞くなれど 南無阿弥陀仏
 つれてゆくぞの 親のよびごえ」という
有名な言葉がありますが
誰に聞かせるのではなく
間違いなく救うという
阿弥陀さまの喚び声として
自分の心の内に聞いていくのが
私たちのお念仏です。

  ※菅純和著「仏事の小箱」
         『御堂さん』2024年2月号より

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.31)

 三七日のご縁です

2024-01-30
 母が往生して三七日のご縁です。
大切な人とお別れする悲しみのご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただける有難さです。
 
 先にお浄土に往かれた方は
今は仏さまとなって私たちの世界に還って来て
私たちを護り救う
南無阿弥陀仏のおはたらきをしてくださっていると
浄土真宗のみ教えを聞かせていただきます。

 さて皆さんが仏教に向き合うときにわかりにくいのが
同じ仏教なのにいろんな宗派があって
それぞれ違うということではないでしょうか。

 私のこの目で見えるお仏壇が宗派宗派で違います。
真ん真ん中にご安置する仏さまが違います。
 ご本尊と申します。
最も尊ぶべき仏さまです。

 仏さまなら何でもいいのではありません。
ご本尊の仏さまに迷いの私がさとりの仏に成る
教えがこめられているのです。

 私たちの浄土真宗のご本尊の仏さまは
阿弥陀如来さまです。
 このご本尊のおすがたですが
三つのおすがたがあります。
 お木像とご絵像の阿弥陀さま
そして南無阿弥陀仏のお名号のおすがたです。

 こんなお話をすると
「どれが一番いいのですか」という質問を受けますが
どれも同じ「われにまかせよ必ず救う」という
阿弥陀さまのおはたらきをあらわしているのです。

 この目にすっと入ってくる阿弥陀さまのお姿は
すっと立っています。
 お立ち姿の阿弥陀さまです。
私たちのご本尊の阿弥陀さまは立っていますが
臼杵の石仏に行きますと
立っている阿弥陀さま(立像)と
座っている阿弥陀さま(座像)がいらっしゃいます。

 実は立っていることに意味があるのです。
座っちゃおれなくて立ちあがったのです。
 なぜ?
迷っている私の姿を見たからです。
 ただ向こうの方に立っているのではなく
私のところに来てくださっているといいます。
「われにまかせよ必ず救う」のおはたらきです。

 南無阿弥陀仏のお名号をなって
私に至り届きおはたらきくださっていると
私の口から出てくださるお念仏です。

 阿弥陀さまがいつでもどこでもご一緒です。
私がどんな状況にあっても
苦しい時も悲しい辛い時も
楽しい時嬉しい時もです。

 「いつも私が一緒だよ。大丈夫安心して
あなたのいのち精いっぱい輝かせて
一緒に生きて往きましょう」と
喚んでくださる阿弥陀さま
そしてご先祖有縁の仏さまです。

 お念仏申しお念仏の声を聞きつつ
往生浄土の人生を共々に生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.1.30)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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