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お念仏を申す生活法話

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煩悩の氷がそのまま菩提の水となる

2020-12-26
 今日の御和讃です。
「無碍光の利益より」で始まります。
 阿弥陀さまのさわりない光明のおはたらきで
煩悩の氷が菩提の水になると
阿弥陀さまのお救いを讃えられます。

 お正信偈さまの中に「不断煩悩得涅槃」とあります。
浄土真宗のご法義の特徴です。
 煩悩を断ぜずして涅槃と得るなりといいますが
そのお心を取り間違えて
煩悩を断ぜずして涅槃を得るとは悟りを開くということで
もう私はすでに悟りの仏に成っていると聞かれた方がいて
それは即身成仏という仏教の他宗派の教えなのです。

 即身成仏とはこの身この世で仏に成るということです。
浄土真宗のご法義は
私たちは煩悩をずっと抱えて生きる煩悩具足の身なので
この身この世で仏に成ることはかなわないというのです。

 どこまでも固く冷たい煩悩の氷です。
ただ縁あって私たちは阿弥陀さまの無碍光のお救いに
遇わせていただいて
そのままお念仏申す身にさせていただいているのです。

 煩悩具足の凡夫の身がお念仏申す身にさせていただいて
必ず煩悩の氷が解けて菩提悟りの水になるというのです。
 阿弥陀さまのお仕事南無阿弥陀仏のおはたらきです。
だから確かなのです。
だから頼もしいのです。

 氷の私がどんなに頑張っても氷は氷のまんまです。
仏さまのような心を起こすこともあるかもしれませんが
どこまでも自己中心に生きる愚かな煩悩具足の凡夫です。
 欲の心怒りの心愚かな心を持ち合わせたこの私を
そのまま必ず救うと南無阿弥陀仏のおはたらきとなって
私と共に生きてくださる阿弥陀さまなのです。

 この身この命はいつか終わりが来ます。
その時そのまま必ず菩提の水にさせていただくと
今聞かせていただくのです。

 死んでから後聞くのではありません。
今聞かせていただく今の救いなのです。

 毎朝こうしてお正信偈さまとご和讃を拝読し
親鸞さまのお心を聞かせていただいて
お念仏を申す身にさせていただいた喜びいっぱいに
今年もあとわずかになりましたが
一日一日を大切に生き抜かせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.12.26)


思い上がり驕りの心

2020-12-25
 昨日安倍前首相の記者会見がありました。
桜を見る会の前夜祭の件で
国会で何度も虚偽の答弁を繰り返したことの説明です。

 前夜祭の経費を安倍さんの事務所が補填していたことで
秘書が略式起訴され安部さんは知らなかったということで
不起訴になりました。

 昨日の記者会見をみて思ったのは
安倍さんが何回もメモを見て発言し
言い間違えることもあったことです。
 首相当時の記者会見ではなかった光景です。
まっすぐ前を向いて自信たっぷりに堂々と発言し
国会審議では野党の質問者を恫喝するかのような
強弁ぶりでしたが
8年近く長期にわたった安倍政権のあり様を思い出して
人間の驕りということを思います。

 安倍さん一人のことではなく
この私のことです。
 驕りの心は長く同じ環境に居るなかに
沁みついてくるようなものです。
 自分が置かれた地位や役職といった立場に居座って
公的な感覚が鈍り私的な振る舞いが当然のようになり
周りの者が忖度することが当たり前のようになって
何でも自分の思い通りになるように思ってしまう
驕りです。

 私でいったらお寺の住職であり
僧侶お坊さんということです。
 自分勝手な住職像僧侶像を作り上げて
周囲のみんなが自分が思うように見てくれているという
思い上がり驕りです。

 逆です。
そうした役職地位にあるからこそ謙虚に責任をもって
つとめなければならないということです。

 自分のありのままの姿を見せてくれる鏡をもつことです。
仏法お念仏のご法義の鏡です。
 ナモアミダブツとお念仏を申す南無阿弥陀仏の鏡です。
仏さまのお心にかなうようなことをしているかな
ということです。
 それこそ仏さまのお心から背を向けて
逃げ回っているような私たちではないでしょうか。

 阿弥陀さまはそういう私が心配でいつも見てござって
南無阿弥陀仏とおはたらきなのです。
 ありのままの私を知らしてくださって
そのまま救うてくださる仏さまです。

「まかせよ救う」とおはたらきですから
阿弥陀さまのお心に甘えてまかせればいいのです。
「おまかせします阿弥陀さま」と阿弥陀さまにお礼をして
私にできるご報謝を精いっぱいさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.12.25)


サイレントナイト

2020-12-24
 コロナ禍で最近特に医療関係者の発言が
際立ってよく聞こえてきます。
 政府が勝負の三週間と強調したにもかかわらず
感染者は今も増え続けついにGOTOトラベル停止に
踏み切りましたが
これから年末年始にかけてが
本当の真剣勝負の三週間と言われます。

 何か言葉ばかりが躍るといった感じもしますが
年末年始は今年は静かに家で過ごしましょうと
感染防止の喚起を促すということです。

 今日はクリスマスイブです。
いつもでしたらイルミネーションに美しく飾られた街に
繰り出して賑やかに過ごす人も多いことですが
今年は家で静かにサイレントクリスマスが言われます。

 イブはイブニングを略した呼び方で夜という意味です。
クリスマスの前夜祭という言い方をしますが
クリスマスの夜のミサです。

 仏教にも逮夜というお勤めがあります。
お寺の法要は逮夜から日中までの一昼夜のお勤めが基本で
親鸞聖人の御正忌報恩講の法要は
ご本山西本願寺では毎年1月9日の午後の逮夜から
御命日の16日の午前の日中まで七昼夜お勤まりです。

 一昼夜を通して思いを一つにする仏さまの法要で
お逮夜の午後から次の日の午前中丸一日のお勤めです。
 今皆さんのお家にお参りする月参りは
円光寺では大抵お命日にお参りしていますが
命日の前の日をとってお逮夜参りというところもあります。
 25日に亡くなられたお命日の方の
お逮夜は24日になります。

 クリスマスイブです。
今年はまっすぐ家に帰ってサイレントナイトで
ゆっくり過ごすのもいいのではないでしょうか。

 クリスマスで今年もあと一週間です。
今さらバタバタ何をするといった用事もありませんが
この一年を振り返り次の年に備えて
お念仏を申して日々の営みをさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.12.24)


大掃除をしました

2020-12-23
 年末の風物詩に大掃除があります。
畳をあげて外に出し埃をはたくといった
一年一度の大掛かりな大掃除です。
 大掃除の日を予め決めて家族みんなで協力して
一年の埃や塵をとりはらい
新たな気持ちで新年を迎えようということです。

 今は大掃除といっても畳を出してという光景を
見かけることがなくなりましたが
年末のこの時期皆さんのお家お家それぞれのやり方で
大掃除をされることだと思います。
 わが家も昨日大掃除の真似事をしました。

 掃除ということについて
お釈迦さまの十大弟子の一人周利般特(しゅりはんどく)の逸話です。
 自分の名前も忘れてしまうほど物覚えが悪い周利般特は
修行をやめる決意をしお釈迦さまのもとに行ったとき
お釈迦さまは一本のほうきを手渡し
「掃除をしながら『塵を払い垢を除かん』と唱えよ」言われ
周利般特は言われた通りに何年も何年も長い間
「塵を払い垢を除かん」と唱えながら掃除を続けて
自分自身の心に積もった塵や垢に気づき
それらを捨てて離れることによって悟りを開いたそうです。

「塵を払え垢を除かん」と掃除をして
その時はきれいになりますが
塵や埃はまた後から後から出てきます。
 そしてまた掃除をするのです。
その繰り返しです。

 私たちの心の有り様です。
仏法を聞いてその時は身を煩わし心を悩ます
煩悩がなくなり清らかな心になったように思いますが
すぐさま後から後から新たな煩悩が次々と湧いてきて
わが身を煩わしわが心を悩まし続けるのです。

 欲の心怒りの心愚かな心の煩悩を持ち合わせた
この私の有り様を見抜かれた阿弥陀さまは
煩悩具足の凡夫をこそ必ず救うと
南無阿弥陀仏のおはたらきをしてくださってあると
聞かせていただきます。

 私たちの日常です。
縁にふれれば何をしでかすか分からないこの私が心配で
阿弥陀さまはすっとお立ちになって
私のところに南無阿弥陀仏と来てくださり
必ず救うとおはたらきなのです。

 南無阿弥陀仏のお心を聞いてくれよと
お念仏申すところに喚び続けているのです。
 ナモアミダブツとお念仏を申して
日々の生活をさせていただけよというのです。

 ナモアミダブツとお念仏申して
煩悩の心がなくなるのではありません。
 煩悩具足の凡夫の身はそのままですが
この身を案じ思うてくださり
そのまま救うと阿弥陀さまがご一緒くださり
命終わる時そのまま阿弥陀さまのお浄土に生まれさせ
さとりの仏さまにしてくださるのです。

 お念仏申すなかに仏にさせていただくいのちを
今生きていることを聞かせていただきましょう。
 お念仏を申してくれよお念仏を聞いてくれよと
南無阿弥陀仏のお喚び声が聞こえます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.12.23)


町で「ご院家さん」と声をかけられました

2020-12-22
 昨日大分のデパートで買い物をしていたら
店員さんから「ご院家さん」と声をかけられました。

 ご院家さんです。
いつも黒い布袍(ふほう)の姿ではなく普段着のままで
マスクをつけていてもご院家さんと分かるんですね。
 私はすぐ分かりませんでしたが
最近お葬儀のご縁のあったご門徒の娘さんでした。

 ご院家さんと言ってもらえる有難さです。
何かほっとするあたたかさを感じます。
 お家お家によっては色んな言い方があります。
ご院家さんの他にお寺さんという言い方もあります。

 ご門徒さんのお家にお参りに行きます。
「こんにちは円光寺です」と声をかけますと
そのまま「円光寺が来たよ」というところがあります。
 事の次第は伝わりますが
ご院家さんとかお寺さんとか言ってほしいですね。

 なかには「誰かわからんけど来たよ」という
ところもあります。
 黒い服を着た人が来たというのです。
「何で来たの誰か死んだの?」と子どもが聞きます。
 お坊さんって黒い服を着て誰か亡くなったときに
用事がある人なのでしょうか。

 ご院家さんと言ってもらえる
お寺さんと言ってもらえる人なのです。
 その呼び名呼び方一つで
ご院家さんといえばお寺とご門徒さんとの
ご縁つながりができているということです。

 ご門徒以外の一般の方も
ご院家さんと言ってくださる方もいらっしゃいます。
 普段からお家の中で
そういう呼び方がされているのでしょう。
 その時だけこの人はこう呼ばないといけない
ということではありません。
 すっと出てくる日常の言葉です。

 身近なところでいえば
お父さんお母さんという呼び名です。
 パパママでもいいし
父ちゃん母ちゃんの呼び方もあります。
 呼び名一つでその人と人とのつながりが
できているということです。

 阿弥陀さまと私のつながりです。
南無阿弥陀仏でつながっているのです。
 南無阿弥陀仏とわが名を呼んでくれよと
阿弥陀さまが喚び通しに喚んでくださって
この私の口からお念仏が出てくださるのです。

 南無阿弥陀仏とお念仏を申す私を見て
「よかったよかった。
いつでもどこでも私が一緒だから
大丈夫安心して生きて往こうね」と
阿弥陀さまがあたたかいお心いっぱい
おはたらきくださっているのです。

 この口から南無阿弥陀仏ナンマンダブツと
お念仏が出てくださる有難さ尊さ頼もしさを思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2020.12.22)


円光寺
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