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お念仏を申す生活法話

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「人間は危うい」※転載

2024-10-02
 「悪の自覚こそが人を育てる」。
ある先生から教えていただきました。

 親鸞聖人は
ご自身を「悪人」であるとおっしゃいます。
それは、ご自身が自己中心的な欲望に執われ
怒りや腹立ち、そねみ、妬みの心が多く
それらが命終わるまで絶えることのない存在である
と自覚しておられたからです。

 また、そのような欲望に満ちた人間は
条件さえ整えばいつ何をしでかすかわからない
危うい存在であるともおっしゃられています。

 そして、この悪人とは
他でもない私自身の、ありのままの姿でした。
 私は日々、何が正しいかさまざまなことを判断し
選択して生活しています。
 ただ、私は自己中心的な眼でしか
物事を判断することができません。
 そのために私は、迷い苦しみ
そこから自分で抜け出すことができずにいます。

 でも、だからこそ阿弥陀さまは
この危うい私を放っておけないと
常にはたらいてくださっています。

 この阿弥陀さまのはたらきによって
安心が恵まれると同時に
「私は危うい存在である」ことに気づかされ
日々の生活の中で
お育ていただいているように思います。

※『本願寺インスタ倶楽部』
   (本願寺派総合研究所 林龍樹研究員)より転載
    ー本願寺新報2024年10月1日号ー

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.10.2)

「難問なんです」※転載

2024-10-01
 老若男女を問わず、よく質問されるのが
「お釈迦さまと、阿弥陀さまは、どう違うのですか」
ということです。

 思えば住職として半世紀近く
自分なりの返答を、その都度してきましたが
どう言えばいいのか
今もって悩んでいる難問なのです。

 皆さん、お釈迦さまのことは
よく分かるとおっしゃるのですが
それはお釈迦さまが人間だからです。

 二千五百年ほど前に、インドにおられた
私たちと同じように人として生まれ
寿命尽きて滅し、遺骸は火葬された
歴史的に「実在」された方でした。

 悟りを開かれた仏さまであっても
人間であったという共通項があるので
理解が簡単なのですが
阿弥陀さまはそうはいきません。

 お釈迦さまが
「こんなに素晴らしい仏さまがいらっしゃるよ」と
私たちに教え示してくださったのが
阿弥陀さまです。
 だから、阿弥陀さまは
人間として実在した仏さまではありません。

 でも、肝心なことはここからで
歴史的に実在した存在ではないからといって
「架空」だとか「作り話」だとかいう
話でもありません。

 人間には人間のことしか分かりません。
人として生きられたお釈迦さまは理解出来ても
仏さまの部分は分かりません。
人間を超えているからです。

 仏さまのことは、仏さましか分からないので
お釈迦さまが光もいのちも限りない
阿弥陀さまの存在を教えてくださったのです。

 さあ、このことをどう伝えていくのか
私の課題は続きます。

  ※菅純和著「仏事の小箱」
         『御堂さん』2024年10月号より

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.10.1)

野球を楽しむ心

2024-09-30
 大リーグ大谷翔平選手の
レギュラーシーズンが終わりました。

 右肘手術のリハビリで
今季は打者に専念しましたが
史上初の54本塁打59盗塁を達成するなど
毎朝アメリカから明るいニュースを届けてくれました。

 大谷選手の異次元とも言える大活躍に
臨床心理学者の分析です。
 結果を「二の次」と考え、球をバットの芯でとらえて
一定の角度で飛ばすことだけに
集中しているといいます。

 普通は結果に対して
「良かった」「悪かった」と一喜一憂しがちで
それが努力を怠ったり
意欲を落としたりすることにもつながるが
一流アスリートは
「できた」「できなかった」と分類し
失敗の原因を見つめ克服することで
成長につながるというのです。

 大谷選手を
「少年の心を持つスーパーアスリート」と表現し
少年時代から野球を楽しむ心を忘れず
自発的に物事に取り組む姿勢が
大活躍につながっているとの見方です。

 私たちの人生訓にも通じることです。
「こうあるべき」「~しなければならない」と
結果に執われ重圧で
思い通りにいかないことが多々あります。

 どうしてこんなにうまくいかないのかと
思い悩むことですが
一つ目標に向かって
今できることをさせていただくことです。

 「お念仏申されるように生きましょう」と
法然さまのお言葉をいただきます。
 人それぞれに生活ぶりは異なりますが
お念仏申して阿弥陀さまの大きなお慈悲に抱かれて
往生浄土の道を共に歩ませていただくなかに
今私にできることをさせていただきましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.30)

お念仏の親友

2024-09-29
 私たちが生きるこの世界は
あなたと私が織りなす社会です。
 あなたと私のご縁つながりで
あなたと私の関係でいうと
親子や夫婦兄弟姉妹友人といった関係です。

 あなたがあっての私という関係ですが
この関係が「あなたに会えてよかった」と
いうことばかりだったらいいのでしょうが
ままなりません。

 あなたと私の関係が対面の関係である以上
どこかに相互のバランスができており
どちらかが良くて悪くてという関係になりがちで
「みんなよかった」という関係には
中々なれそうにもありません。

 国と国、人と人とがいつも仲良く
平和であればいいのでしょうが
これまで人類の歴史で
一日たりとも戦争のない日はありませんでした。

 勝負、優劣、善悪でいえば
どちらか一方が勝って負けて
どちらか一方が優れて劣って
善くて悪くてという関係で
縁に触れて争いになり
戦争という事態も起こりうる不安な関係です。

 この地球上の人がみんな仲良く平和でありたいなら
共通の敵をつくればいいと言われた方がいます。

 宇宙から地球を攻めてくる敵がいるとき
私たちは地球人として一致団結し
地球を守る行動に出るということですが
これほど当てにならないことはありません。

 同じ地球人としての視点で
これまで地球環境の問題に
どれだけ対処できたでしょうか。

 同じ地球人という理屈はそうでも
人間一人一人はどこまでも自分中心の思いはからいで
生きているのですからね。

 お念仏申す視座でものの見方考え方を
見直したらどうでしょう。
 阿弥陀仏と私の関係です。
「われにまかせよ必ず救う」
南無阿弥陀仏のおはたらき一つにまかせて
阿弥陀仏のお慈悲の中に生かされて生きる関係です。

 あなたも私も同じ阿弥陀仏に向き合うなかに
あなたと私がお念仏の友になるのです。
 阿弥陀さまから賜わったお念仏のご縁つながりを
私からあなたへと広げていくなかに
私たちが共に生かされて生きるお念仏の世界が
より大きく広がっていくのです。

 あなたと私がお念仏申して
共に往生浄土の道すがらを歩ませていただきましょう。
 そこに「あなたに遇えて本当によかった」と
互いに御同朋御同行と尊び敬い合える
お念仏の親友になれるのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.29)

「はて?」法の下の平等とは

2024-09-28
 朝ドラ『虎に翼』が終わりました。
日本初の女性弁護士で後に裁判官になった
三淵嘉子さんが生きた戦前戦後の激動の時代を
法曹界の変遷とともに描いたドラマです。

 戦前の民法で家庭にあっては「無能力者」と規定され
社会的に自由に生きる権利がなかった女性のあり方に
「はて?」と繰り返す主人公の疑問に
現代を生きる私たちも共感しつつ
同性婚や夫婦別姓の問題も重ねて取り上げ
同じ課題に今も苦しみ悩む人がいることを
何度も思い起こさせてくれた異色の朝ドラでした。

 裁判では裁判官や検事弁護士のそれぞれの役割があり
法律用語がたくさん出てきます。

 ドラマの第1話は
戦後施行された『日本国憲法』の第十四条
「すべての国民は、法の下に平等であって、
人権、心情、性別、社会的身分又は門地により、
政治的、経済的又は社会的関係において、
差別されない」のナレーションで始まります。
 そしてドラマが進展する中で
弁護士事務所の壁に書き出された条文が
何度も映し出されます。

 法の下の平等です。
法治国家の根幹となる基本的人権の尊重です。

 この法とはこの国の憲法法律のことで
私たち国民の代表機関である
国会で制定されるものです。
 ただこの法解釈はその時代社会のあり方
裁判の判例によって変わります。

 ドラマの中で史実として
尊属殺人罪(自己・配偶者の直系尊属・父母や祖父母の
殺人で、死刑か無期懲役が下限とされた)が
憲法に合憲か違憲かの裁判が詳しく描かれていました。
 昭和48年の裁判で
法の下の平等に反するとの違憲判決がでて
後に刑法改正で尊属殺人罪が廃止となります。

 このように法律も法解釈も変わって行くもので
国によってその法律の規定が違うということです。
 世の中の法は人間がつくるもので
その時どきの社会のあり方を反映し
万人に平等なものであるべきですが
そこに為政者の思いはからいがはいることに
私たちは注意しなければなりません。

 大国ロシアのウクライナ侵攻で
国際社会は「国際法の支配による秩序」を言いますが
それぞれの国の思惑があって今も戦争は続き
イスラエルによるパレスチアのガザ攻撃も
終わりが見えません。

 国際法による解決をと国連で声を上げても
武力による残虐な殺人行為と環境破壊が
それぞれの自国の法によって正当化され続きます。

 仏教を開かれたお釈迦さまは
万人に共通の真実普遍の仏法を説きます。
 お念仏の仏法でいうと
阿弥陀さまの大きなお慈悲のなかに
生きとし生けるものすべてどんな人も等しく救われると
南無阿弥陀仏の名号法のなかの平等です。

 いつでもどこでもどんな時でも
すべてのいのちをそのまま救う名号法です。

 世界中のどんな国の人も
どんな社会どんな時代にあっても
変わることがない真実普遍の法のおはたらきのなかに
あなたも私も皆共に
安心して生かされて生きて往けるのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2024.9.28)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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