お念仏を申す生活法話

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歯が痛い身もお慈悲の中

2025-12-16
 昨日から歯が痛くてたまりません。
これまでも何度か経験したことですが
自然に痛みが引くのを待つか
それとも歯医者に行くかと
思い迷ううちにも歯はますます痛くなり
一大決心して朝一番に
行きつけの歯医者さんに電話しました。

 病院の中でも歯科医院の患者は多く
完全予約制で直ぐに診てもらうことは叶いませんが
窮状を話して予約の隙間に診てもらうことになりました。

 時間がかかることは承知の上でしたが
後から来た人が次々に診察室に呼ばれるなかで
やっと順番がまわってきて診察になりましたが
抜歯の診断で少し時間を空けて投薬療法で
様子を見ることになりました。

 痛みの原因が分かり
治療の方向性も承知しました。
 あとはお医者さんにまかせるしかありませんが
最終的な決断はこの私がすることです。
 どこかに踏み切れない私がいます。
医師にまかせられない私の思いはからいです。

 お釈迦さまは四諦八正道の教えで
人生の実相を苦なり(苦諦)と明らかに見られ
その原因をわが心身の煩悩にあり(集諦)と説かれ
煩悩を滅する(滅諦)ための道(道諦八正道)を教え示して
私たちに仏道を歩めとお勧めです。

 あとは私がどうするか
私の決断です。
 迷いの原因の煩悩を断ち切って
さとりをめざす仏道ですが
無明煩悩の迷いの世界にどっぷり浸かっている私は
仏さまのお説法に背を向けて
どこまでも自己中心の思いはからいで何とかしようと
その場しのぎの方策をあれこれ講じるものの
煩悩から逃れる術を持ちません。

 阿弥陀如来は私たちを煩悩具足の凡夫と見抜かれて
必ず救うと本願を立てられ成就し
南無阿弥陀仏となって私たちにおはたらきです。

 私が頼まないのに阿弥陀さまの方から一方的に
「われにまかせよそのまま救う」と
喚んでくださっているのです。

 歯の治療は専門医にまかせて
今日一日もお念仏申して
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.12.15)

あなたも私もお念仏のご縁つながり

2025-12-15
 私たちは南無阿弥陀仏の大きないのちの
つながりのなかに共々に生かされて生きていると
お念仏のご法義に聞かせていただきます。

 お釈迦さまが開かれたおさとりは
因縁生起の法を根本原理とします。
 すべてのものは互いに因となり縁となって
生まれ起こり繋がり合っているという真理です。

 この縁起の法を基に
あらゆる事象は単独で存在しないで常に移り変わり
永遠に変わらない実体はなく
そのことをさとった境地は安らかであるという
諸行無常・諸法無我・涅槃寂静の
仏教の<三宝印>の教理が明らかになるのです。

 私もあなたもまた変化し続け
実体のない者同士が
互いに付いては離れと離合集散をくり返すなかで
縁次第であなたと私の関係になるという
私たちのいのちの仕組みです。

 『歎異抄』第五条には
「一切有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり」
(いのちある者はすべてみな
 これまで何度となく生れ変り死に変りしてきた中で
 父母であり兄弟・姉妹であったのです)とあります。

 私たちはこれまでに生死を繰り返し
今生に命を恵まれて今ここに生きている
あなたと私のお互いですが
共にお念仏のご縁につながっていると
仏法に聞かせていただきます。

 阿弥陀如来の「十方衆生を必ず救う」
本願成就の南無阿弥陀仏のおはたらきにつながって
あなたも私も皆共に往生浄土の道往きを
ご一緒させていただくのです。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.12.15)

お念仏のご法義は生きている

2025-12-14
 ご法義とはお釈迦さまが開かれた教え
仏さまの真実の法の教義をいいます。

 浄土真宗のみ教えは
阿弥陀如来の「十方衆生を必ず救う」
本願成就の南無阿弥陀仏の名号法です。

 南無阿弥陀仏のお念仏を
いつでもどこでも誰にでも至り届けて
そのまま救うとおはたらきくださるご法義です。

 『歎異抄』第十条に
「念仏には無義をもって義とす。
 不可称不可説不可思議のゆゑにと仰せ候ひき」
(本願他力の念仏においては
 自力のはからいがまじらないことを
 根本の法義とします。
 なぜなら、念仏ははからいを超えており
 たたえ尽すことも、説き尽すことも
 心で思いはかることもできないからですと
 聖人は仰せになりました)とあります。

 阿弥陀仏の「われにまかせよ必ず救う」
他力のお念仏は
私の自力の義はからいをまじえないことを
本義とするという意味で
阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のお救いの力
おはたらきにまかせるということです。  

 今こここの私を目あてにおはたらきくださる
お念仏のご法義と聞かせていただくとき
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中に
あなたも私も皆共に生かされて
お念仏申して往生浄土の道往きを
ご一緒させていただけると聞こえてきます。

 お念仏のご法義は
いつでもどこでも誰にでも生きているのです。
 今こここの私を救う南無阿弥陀仏のおはたらきと
お念仏申して深く有難く味わわせていただきます。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.12.14)

諸々片付けのご縁で

2025-12-13
 ご本山から出版される月刊誌を
整理処分することにしました。
 数十年分書棚に並べていたもので
古いものから順番にまとめて紐に包んでいきます。

 中に私たちのお寺を取材してくださった号があり
取り出してみました。
 当時のことが懐かしく思い出されます。
そして前後の記事を繰ってみると
お世話になった有縁の先生の執筆されたものが
目に留まり読みました。

 お念仏のご法義のお話です。
懐かしく思って読んだつもりでしたが
今読んでもそのまま新鮮に受け入れられ
先生への思い入れもあって
あっという間に最後まで読んでしまいました。

 もう片付けどころではありません。
また一冊一号と開くとその当時の方々の文章があり
いったん片付けは中止して
後日あらためて読み返すことにしました。

 私たちの日暮しは諸行無常の理で
日々移り変わり行く中に生活していますが
お念仏のご法義は今も昔も変わらない
真実まことのみ教えです。

 親鸞さまは火宅無常の世にあって
「ただ念仏のみぞまこと」とお示しです。
 親鸞さまの時代も遥か遠いお釈迦さまの時代も
そして今も「生きとし生けるものすべてを必ず救う」
南無阿弥陀仏のおはたらきは変わることなく
いつでもどこでも私たちに届けられているのです。

 以前に読んだ当時から生活ぶりは随分変わりましたが
この歳になって改めて読ませていただく楽しみです。
 南無阿弥陀仏の大きないのちにつながって
多くのお念仏の先人方と共々に
阿弥陀さまのお慈悲の中に生かされて生きている
有難さ尊さを思います。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.12.13)

同級生をおくる

2025-12-12
 小学校の同級生が亡くなり
お寺のご門徒さんのご縁で
お葬儀にお参りさせていただきました。

 73歳です。
人生100年時代ともいわれる長寿社会にあって
少し早過ぎるように思われますが
死の縁無量でどういう形でこの命終えていくのか
誰しもわからないことです。

 お棺の中のお姿を拝します。
学校卒業後そんなにお会いしたことがない
久しぶりの再会で
様相は随分変わっていますが
手を合わせ目を閉じ懐かしく思い起こすお姿は
小学校の頃のそのまんまです。

 その人人の人生です。
いろんなことがあったと思います。
 私の知らないことばかりですが
「ようこそ生きてきましたね」
「ありがとうございました」と
心の中で声かけしました。

 そして「いってらっしゃい」と
お念仏申して阿弥陀さまのお浄土に
送らせていただきます。

 人それぞれに日々の生活があり
その人生は様々違いますが
時間の前後こそあれ
私もまた同じお浄土に生まれさせていただくと
お念仏のご法義に聞かせていただきます。

 この人生で会えてよかったと振り返り
これからもお浄土の仏さまとなって
私たちを護り導いてくださることを
お念仏申して思わせていただきます。

 あなたも私も皆共に
南無阿弥陀仏の大きないのちにつながって
阿弥陀さまのお慈悲の中に
生かされて生きてまいりましょう。

ご一緒に、お念仏申しましょう。(2025.12.12)

円光寺
〒870-0108
大分県大分市三佐3丁目15番18号
TEL.097-527-6916
FAX.097-527-6949
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