年金生活者のプチ贅沢
2026-04-15
今日4月15日は
今年度初めての年金支給日です。
早速金融機関で年金支給を受けた
高齢者の皆さんにインタビューです。
今年から支給額が上がるということですが
「物価高に追いつかない。
生活がますます苦しい」との声が専らです。
無駄な買い物はしない、贅沢は控えると
それぞれが倹約につとめているとのことですが
現金が入るとついつい財布のひもが緩むというもので
今日ぐらいはという気配を察して
「あなたのプチ贅沢は何ですか?」との質問に
「今日はうなぎを食べる」とか
やはり好物の食べ物の答えが返ってきました。
そのなかで「お仏壇にちょっと贅沢な果物を
お供えします」という返事に
<そうか、これはいい!>
と相槌をうちました。
いつもはどんなお供えをしているのでしょうか?
先に往かれた連れ合いの仏さまに
せいいっぱい贅沢なお供えです。
はて?
このお供えの行く先はというと
結局はお供えされた方が食するということです。
いえいえ、仏さまからいただくんですね。
先に往かれた大切なお方と
年金でつながるお念仏のご縁です。
南無阿弥陀仏とお念仏申して
お供えの果物をご一緒にいただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2026.4.15)
ほっとカルピス
2026-04-14
早起きしてホットカルピスをいただきました。
カルピスの素に熱湯を注いで作ったものです。
朝起きてちょっと甘いものが欲しくなり
飲んで何かほっとします。
お釈迦さまがおさとりを開かれる前に
厳しい修行(苦行)を積まれて心身ともに衰えるなかで
村娘のスジャータから乳粥を供養され元気を取り戻して
その後菩提樹の下に座して瞑想に入られ
ついにおさとりを開かれたという
逸話を思い起こします。
カルピスは牛乳などを発酵した乳酸菌飲料の一つで
先の乳粥と重なるものです。
子どもの頃夏の暑い日に飲んだ
氷がいっぱい入った冷たくて甘いカルピスの味は
とっても爽やかで今も忘れられません。
日々の生活の中で何か行き詰ったときに
次へのステップになるきっかけになるものです。
人それぞれにいつもの習慣ルーティーンがあり
自分だけの密かなたしなみといったものもあります。
お念仏申す日々のたしなみです。
私たちの生活ぶりはそれぞれ違いますが
お念仏申して「われにまかせよ必ず救う」
南無阿弥陀仏のお心おはたらきにまかせて
あなたも私も皆共に往生浄土のお念仏の道行きを
ご一緒させていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2026.4.14)
新聞休刊日
2026-04-13
今日は毎月一度の新聞休刊日です。
いつもの朝のルーティーンが一つできないことで
何か一日の始まりに物足りなさを感じます。
毎朝新聞の全面にすーっと目を通して
あわせてテレビのニュース番組を観ます。
日々のニュースといって
一日中ほぼ同じことの繰り返しで
新聞もテレビも一度見聞きすればいいようなものですが
ニュースの解説や特集記事を読んでは
自分なりに思い考えをめぐらします。
私が考えてもどうしようもないことばかりですが
今この世界で日本で地域で起こっていることに
注視できる材料を提供してくれる新聞の役割です。
気になる記事は切り取っておきます。
見方によってはまたゴミが溜まるということですが
今の私の関心事
自分の立ち位置が知らされる思いがします。
ちょうど4月6日から今日までが
<春の新聞週間>でした。
ネット社会の今
パソコンやスマホで必要な情報を
即座に入手できる生活環境にあって
私が手に取って読める紙媒体の情報は
本当に身近で重要なもので
いろんなことを考えさせてくれます。
「生きとし生けるものすべてを分け隔てなく救う」
南無阿弥陀仏のお心お念仏の視座から
お念仏申して現実社会の課題に向き合い
私にできることをさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2026.4.13)
大きな乗り物
2026-04-12
お釈迦さまが開かれた仏教は
インドから国外へと伝わり
日本には6世紀に朝鮮半島から入ってきたといわれます。
その流れはインドから中央アジア、中国を経てきた
北伝の仏教とされ大乗仏教の伝播となったといいます。
大乗とは大きな乗り物ということで
仏法を大きな乗り物に譬え
自らのさとりとともに他者をさとりに導くという
自利利他の仏道といわれるものです。
阿弥陀如来の「十方衆生を必ず救う」
本願成就の南無阿弥陀仏のお心
自利利他円満のはたらきです。
親鸞さまは「選択本願は浄土真宗なり」と言われ
「浄土真宗は大乗のなかの至極なり」と仰せです。
お釈迦さま出世本懐の阿弥陀如来の本願の仏法が
インド・中国・日本の七人の高僧方によって
親鸞さまに届けられ
念仏一つでどんな人も等しく救われる
大乗仏教の極みといわれる他力念仏の仏道を
あなたも私も皆共に歩ませていただけるのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2026.4.12)
「届かない身に届く~お慈悲の中に生かされているよろこび~」※転載
2026-04-11
「ご苦労に学ぶ」
4月は入学シーズンです。
新たな世界で学びを深める日々が始まる
その第一歩を、どのように踏み出していくのか。
こんなとき、期待とともに
不安を抱く方も多いことでしょう。
現在、私がつとめております
宗門(浄土真宗本願寺派)の僧侶養成機関である
中央仏教学院でも
多くの学院生が新たな歩みを始めようとしています。
この中央仏教学院につとめる以前のことですが
私は得度習礼(とくどしゅらい)の中で実施される
「親鸞聖人のご苦労に学ぶ」という
研修の補助員をしていました。
得度習礼とは
本願寺派の僧侶になるために設けられている
11日間の研修のことです、
「親鸞聖人のご苦労に学ぶ」では
早朝からバスに乗って、まず本願寺に参拝します。
続いて、親鸞聖人が9歳でお得度を受けられた
青蓮院(しょうれんいん)へお参りします。
そして午後からは
親鸞聖人が生死(しょうじ)出(い)ずべき道を求めて
20年にわたってご修行された比叡山延暦寺へと
場所を移して山内を巡ります。
私は同行のかたわら
各所で比叡山時代の親鸞聖人について
習礼生に説明をします。
この研修の日程は
通常ですと習礼所へ入所した翌日に設定されています。
出発前に整列する習礼生の顔には
入所後すぐの大がかりな研修を前に
緊張と不安が入り混じったような
なんとも言いがたい表情が浮かんでいます。
もしかすると、幼い親鸞聖人も
同じような面持ちで
比叡山へ入門されたのかもしれません。
凡夫の自覚
この比叡山での研修では
延暦寺に伝わる過酷な修行を満行された行者の方に
お話をうかがう時間があります。
仏さまのお姿を目の当たりにするまで
不眠不休でお堂の中を念仏とともに回り続ける
「常行三昧(じょうぎょうざんまい)」や
比叡山の各所をめぐる
「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」など
人間の肉体と精神を極限まで研ぎ澄ませるような
その内容は
「自分にはとても同じことはできない」と
思わせるに十分なものです。
では、比叡山時代の親鸞聖人は
どのような毎日を送っておられたのでしょうか。
もちろん、難しい経典や
先人の書かれた多くの書物を読み込まれ
学問を極めていかれたに相違ありません。
それと同時に
厳しい修行にも励まれたことでしょう。
『歎異抄』には
次のような親鸞聖人のお言葉が残されています。
いづれの行もおよびがたき身なれば
とても地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし。
「いづれの行もおよびがたき」というお言葉からは
親鸞聖人もまた、実際にさまざまな厳しい修行に
励んでおられたお姿が想像されます。
しかし、どれだけ修行を重ねても
さとりに近づくどころか
自らの煩悩の深さを自覚していかれます。
「地獄」という言葉には
親鸞聖人の凡夫としての自覚が
いかに深いものであったのかが
集約されているように思えます。
真剣に、懸命に歩もうとされたからこそ
よりリアリティーをもって
己の罪深さを直視せざるを得なかったのでは
ないでしょうか。
そのような葛藤や苦悩の中で
親鸞聖人はついに下山を決意されます。
そして、法然聖人によって説き示されていた
阿弥陀さまのご本願による
他力のお救いに出遇われたのでした。
だからこそ今
いかにしても自らの力によっては
煩悩をぬぐいがたい、さとりに届き得ない私を
そのまま救おうと
果てしない思惟と修行の果てに
この私に届いてくださっていたのが
阿弥陀さまのお救いでした。
自らの力によって仏さまへの道を歩むという仏道とは
方向性がまったく異なっていました。
親鸞聖人は、ついに自らにとっての
生死を超える道に出遇われたのです。
親鸞聖人が20年におよぶご修行と学びの果てに
煩悩成就の凡夫としての自覚を深め
阿弥陀さまのご本願に出遇ってくださったからこそ
私たちはこうして
ご本願のみ教えをお聞かせいただくことができています。
その深い学恩を思わせていただき
ご苦労をしのばせていただきながら
私もまた、さとりに届かない身のまま
届いてくださるお慈悲のただ中に
生かされていることをよろこびつつ
今年も学院生たちとともに学び
お念仏を申させていただく日々を
送ってまいりたいと思います。
※『みんなの法話』
(西河 唯 中央仏教学院講師)より転載
ー本願寺新報2026年4月10日号ー
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2026.4.11)


