中陰のご縁
2026-10-16
中陰期間中の七日日(なぬかび)のご縁に
お参りさせていただきました。
ご遺族ご親戚有縁の方々とご一緒にお勤めをして
ご法話お取り次ぎさせていただきます。
お家の大切なお方と死別する悲しいご縁ですが
そのまま仏さまのご縁といただきましょう
とお話します。
ご本尊の阿弥陀如来さまの
御仏前でのご縁です。
阿弥陀如来の「十方衆生を分け隔てなく必ず救う」
本願成就の南無阿弥陀仏のおはたらきで
先に阿弥陀さまのお浄土に往生されたお方は
今はさとりの仏さまとなって
迷いのこの世に還って来て
私たちを護り救うために
お念仏のご縁に遇わせてくださっている
と聞かせていただきます。
「われにまかせよ必ず救う」
南無阿弥陀仏のおはたらきです。
私がお念仏申すところに
先に往かれた仏さまが
いつでもどこでもご一緒です。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2026.10.16)
職にふさわしい?
2026-10-14
国会中継です。
物価高対策など喫緊の政治課題より
首相自ら抜擢した農水大臣の問題で持ち切りです。
自らの不徳にしょぼくれた表情で肩をすくめる大臣に
首相からは「ダサい」という言葉が飛び出しました。
昭和30年代生まれの現代っ子首相の発言です。
「政治家としてみっともない」という意味だそうです。
公的な職にあって職責を担うのに適任かどうか
ふさわしいかということで
結局大臣から辞職願が出され
首相が受理して一応の収束です。
その人にふさわしい職務か
その職務にふさわしい人か
自他共にふさわしいと認められて
職務を全うできたらと思いますが
政治家のみならず公的な立場の人を見る
世間の目は少なからず厳しいものがあります。
仕事ができて当たり前
少しでもしくじると
ああやこうやと辛辣な声が飛び交う始末です。
誰もが望んで就ける職務ではありません。
それこそ幾多のご縁をいただいて
地位や名誉のためではなく
それだけの重い職責を担うことで
やりがいのある仕事に就くということです。
私自身のことに重ねて
お寺の住職という職務を思います。
お寺に生まれたというご縁をいただいて
住職に就きおつとめさせていただきます。
お寺の住職を見る目もそれぞれですが
一般的な住職像があって
住職にふさわしいとかどうかと見られるのでしょうか。
そんな世間の見方にとらわれていたら
それこそ窮屈だし面白くありません。
阿弥陀さまのお寺を
お釈迦さま親鸞さまからお預かりして
仏教浄土真宗のご法義宣布をさせていただきます。
住職それぞれの個性特徴を活かして
楽しく私にできることをさせていただくことです。
お念仏を喜び申す住職の生き活きした相が
そのままご門徒有縁の方々に伝播して
お念仏の声があふれるお寺になっていくのです。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2026.10.14)
久遠の仏さま
2026-10-13
『浄土和讃』の「大経讃」に
「弥陀成仏のこのかたは いまに十劫とときたれど
塵点久遠劫よりも ひさしき仏とみえたまふ」
(阿弥陀仏が仏となってから
すでに十劫の時を経ていると説かれているが
果てしなく遠い過去よりも
さらに久しい仏でいらっしゃる)
とあります。
「弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまへり」
(阿弥陀仏は、仏となってから
すでに十劫の時を経ておられる)
と前述の和讃にありますが
この和讃では、阿弥陀如来は永遠の昔からの仏のように
讃えられています。
親鸞聖人は『歎異抄』に
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば
ひとへに親鸞一人がためなりけり」と
十劫の昔に成仏された如来に救われたといわれます。
法蔵菩薩が五劫思惟して本願を起こし修行されて
十劫の昔に本願成就の阿弥陀如来になられたことで
私たちは如来の光明を仰ぎ
名号の南無阿弥陀仏にふれることができますが
久遠劫より永遠の昔からの仏には
私たちは直接ふれることはできません。
阿弥陀如来は無量寿無量光の仏であり
いつでもどこでも誰でも救うてくださる
永遠の昔からの久遠の仏さまですが
その必然的なはたらきとして
この私を救うために法蔵菩薩という相を現し
本願を起こして阿弥陀仏となって
南無阿弥陀仏のおはたらきを
してくださってあるのです。
久遠の仏が十劫の仏となってくださっているからこそ
阿弥陀如来を完全な意味において
寿命無量の如来と仰ぐことができるのです。
この和讃で阿弥陀如来が
「塵点久遠劫よりもひさしき仏」と讃えられるのは
私たちがご本願のお心をいただいてみると
永遠の昔から阿弥陀さまの
大きなお慈悲の中にあることに
気づかしめられる喜びを詠われたものでしょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2026.10.13)
わが身の置きどころ
2026-10-12
先頃プロテニス界を引退された
錦織圭さんの会見がありました。
世界のグランドスラムの一つ
全米大会で準優勝するなど
華々しい活躍で日本中を魅了したレジェンドです。
13歳で渡米し鍛錬を重ねて
頂点を極めるところまで行ったことについて
後進には世界の厳しい環境にいち早く身を置くことで
才能を開花させてほしいといわれます。
日本やアジアでトップになっても
世界では通用しないという
実体験からの真摯な言葉です。
厳しい環境に身を置くといって
容易なことではありません。
身体的にも精神的にもギリギリのところで
戦い続けるということで
誰もが世界のトップになれるわけではありません。
さてわが身の置きどころです。
この人間界に命恵まれて
歳を重ねるなかで家庭学校職場など
様々なところに身を置いて生きてきました。
その時どきで身の置き所は一つです。
自らその場所を選択することもありますが
幾多のご縁によって
用意された所ということができます。
お念仏のご法義は
阿弥陀さまがこの私に「ここに座りなさい」と
御仏前にご用意してくださったご縁をいただき
「われにまかせよ必ず救う」
南無阿弥陀仏のお心おはたらきを
聞かせていただきます。
阿弥陀さまがいつでもどこでもお慈悲の中に
私とご一緒してくださるおはたらきです。
私にどんなことがあっても
今こここの私にご一緒してくださる
阿弥陀さまの居場所がわが身の置きどころでした。
南無阿弥陀仏のおはたらきに
そのまままかせて生きて往ける
誰にもやさしいお念仏のご法義にあって
今日一日もお念仏申されるように
私にできることをさせていただきましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2026.10.12)
お念仏の声のかけ合い
2026-10-11
死の縁無量といいます。
いつどのようにこの命終えて行くのか
命終えて行く人も見送る有縁の方々も
誰も何も知り得ません。
日々の生活のなかで
見送られる人と見送る人が共にいて
「行ってきます」「行ってらっしゃい」と
互いに声をかけ合います。
「行って(帰って)きます」
「行って(帰って)らっしゃい」と
行って帰ることが約束された言葉で
安心して見送り見送られるということです。
さて人の命終えるときの言葉です。
この目で見えるその人の姿として
帰って来ることはない
人と人との最後の別れと互いに知り得て
悲しい悲しいご縁ですが
そのまま南無阿弥陀仏のご縁といただきます。
「往ってきます南無阿弥陀仏」
「往ってらっしゃい南無阿弥陀仏」です。
「往って(還って)来ます」
「往って(還って)らしゃい)」と
南無阿弥陀仏のおはたらきで
先にお浄土に往生された方は
南無阿弥陀仏の声の仏さまとなって
後に遺った方々のところに還って来て
衆生済度のはたらきを始める
と聞かせていただきます。
命終わるその時に
有縁の方々とご一緒できるかわかりませんが
日頃からお念仏を申す生活をさせていただくなかに
南無阿弥陀仏の声をかけ合ってまいりましょう。
ご一緒に、お念仏申しましょう。(2026.10.11)


